ふいに彼女がつぶやく。
「そうか。しまったな」
自分の手を唇に持って行く。
「せっかくキミが寝ていたんだから、キスで起こしてみれば良かった」
「はぁ?」
俺はドキッとして、頓狂な声を上げた。
「まあ、また機会はあるか。キミは、お寝坊さん、だからな」
お寝坊さん、という可愛らしい言葉が彼女の口から出た時、俺は急に恥ずかしいような、こそばゆい気持ちになった。
「さて、今日は節分だ。豆まきをするぞ」
そういえば、今日は二月三日か。
クーは持っていた革製のシンプルなトートバッグから、新聞紙を取りだし、それを俺の寝ていた部屋とベランダに、手際よく敷き詰めた。
すげえ。さすがだ。用意がいい。
次に彼女はバッグから、なにかコンビニ袋に入ったものを取り出した。
「これは、わたしが用意した節分セットだ」
袋の中からラップで包まれた、炒り豆の入った升を取り出し、俺に渡す。
「キミが豆をまいてくれ。わたしは鬼になろう」
そういうと袋から今度は、鬼の面を出した。
厚紙に鬼の顔を描いて、切り抜いたものだ。
「がんばって描いてみたんだが、どうだろう」
クーの画才は認めよう。あまりに禍々しい。持ってるだけで呪われそうだ。
「す、凄いと思うよ」
俺が褒めると、彼女は無表情ながら、でも、嬉しそうに頷いた。
彼女は荷物を置き、面を被る。
「さあ、始めてくれ」
彼女はすっくと立ち上がって、太陽を背に俺のほうを向いた。
長い髪が風に吹かれて面に絡む。背の高さもあって、なんだか本物って感じだ。
くり抜かれた目の穴から、鋭い眼光が見える。
「どうした……」
彼女が一歩、前に出た。
俺は、びくっとなった。怖い。
「何をしている……?」
面で籠もった声が、彼女の声ではないように聞こえた。
そんなバカな……でも、俺の足はすくんでいる。
「なぜ……豆を投げないんだ」
また一歩、近づく。
俺は言い知れない恐怖を感じた。
「う、うわぁぁぁっ!」
思わず、豆を思いっきり投げつける。
「ひゃんっ?!」
彼女は彼女に似つかわしくない悲鳴を上げて、しゃがみ込んでしまった。
俺は我に返った。
「あ、ごめん、その……」
マジで怖かったとは言えない。恥ずかしいし、それに彼女を傷つけてしまう。
彼女はうずくまって震えていた。
「痛い……」
俺はそばに寄って、しゃがむ。
「だ、大丈夫?」
俺は面を取ろうとする。
だが、彼女は顔を横に振って、拒否した。
「痛いのは、心だ」
「へ? どういうこと?」
「確かに、あんなに思い切り豆を投げつけられるとは思っていなかったから、驚いたのもある……」
「うう、ごめん」
「いや、良いんだ。それよりも……」
頭をうなだれる。
「自分から鬼をやると言っておきながら、キミに豆を投げつけられると……」
涙声になる。
「もの凄くつらいんだ……」
彼女は自分の胸の前で、拳を握りしめた。
「愛する人に、酷い仕打ちをされているように感じてしまう、わたしがおかしいんだと思う。でも、でも……」
俺は両手で、その強く握られた拳をそっと包んだ。
「いや、そんなに俺のこと、想ってくれて、あ、ありがと」
もの凄く照れる。
「え、えと、んじゃあ、今度は俺が鬼になるからさ」
彼女は、軽く頷いた。
俺はその面を取る。
彼女の顔を見ると、瞳は赤くなり潤んでいた。
無言で俺の目を見つめてくる。
何かに、すがるような眼差し。
半分開いた口唇が、なまめかしく光っている。
俺は自分の顔が紅潮するのがわかった。
彼女のピンクの唇が動いた。
「キス、したい」
思わず、それを受け入れそうになった。
「って、いやいや、ここベランダだし、昼だし、その」
逃げるように立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。
くるりと、まるで社交ダンスのように振り向かされる。
俺はとっさに面を被った。
彼女は鬼の面の上からキスをした。
彼女は、少しムッとしたようだ。
「キミは酷い男だ」
彼女は俺の手から升を奪い取った。
素早く後に三歩離れて、大リーガーのようなフォームで豆を投げつけようとする。
「うひー!」
怯える俺。
だが、彼女のモーションが途中で止まった。
「……どうしたの? クー」
彼女は、静かに豆を升に戻す。
「できない。キミが酷い男だとしても……鬼の役だとしても……愛する人に、豆とは言え、物を投げつけるなんて」
ああ、そうか……。彼女の性格なら、そう思うよなぁ。
彼女は暗い表情でつぶやいた。
「わたしは一体、どうすればいいんだ」
俺は面を取って、彼女に笑いかける。
「じゃあ……」
面をベランダの物干しに吊した。
「これでいいんじゃない?」
彼女は、大きく頷いた。
「さすがキミは冴えているな。これで思い切り、豆が投げられる」
嬉しそうだ。
「じゃあ、やろうか」
俺は彼女から、少し豆を手に分けて貰うと、掛け声を上げた。
「福はー内ー」
俺の寝ていた畳の間に、ぱらぱらと豆が散らばる。
後ろを向いて、鬼の面に豆を投げつけた。
「鬼はー外ー」
豆は軽く面に当たって、散らばった。
新聞紙を敷いておいてくれて良かったぜ。
次にクーがきれいな声で、豆を投げた。
「福はー内ー」
ぱらぱら。
うんうん。なんか良い感じ。なんていうか、日本らしい。
彼女は振り向いて、面に豆を当てようとする。
「鬼はー外ー」
彼女が素晴らしいフォームで豆を鬼の面に投げつけた、その瞬間。
面には多数の穴が開いた。
銃声は聞こえなかった。
どこだ! どこにスナイパーがいるんだ!
しかも、この弾数は尋常じゃない。至近距離から散弾が撃ち込まれたようだ。
俺は愛用のM92FSを手に、しゃがむ。
俺が信じる物はこの銃だけだ。
汗がヘルメットの中からにじみ出し、土で薄汚れた額を伝って、目に入る。
だが痛みはもう、とっくに麻痺している。
暑い。静かだ。
姿勢を低くしたまま、ベランダの手摺りに近づいて、頭だけを出す。
辺りをキョロキョロと窺った。
この廃墟と化した街で、あの角度から俺を狙える高さのビルはない。
どこから、どんな武器で、どうやって……。
「……キミはいったい何をしているんだ?」
クーは不思議そうな声で聞いた。
俺は現実逃避から我に返る。
立ち上がって、へらへらと笑った。
「あ、いやなんでもない、なんでもない」
あー、びっくりした。どう考えても、豆で鬼の面を射抜いたのはクーだ。有り得ねぇ。
クー……なんて恐ろしい子!
彼女は頭をかしげ、しばらく考えていた。
やがて鬼の面に目を留めると、ふむ、と頷いた。
「そうか。把握した。嬉しくて、ちょっと本気が出てしまったようだ」
あれが、ちょっと、なのかよ!
彼女は、ふいに何か思い付いたように薄く笑う。
面を手に取ると俺に向き直って、目を覗き込む。
そして、ゆっくり告げた。
「もしキミが浮気をしたら、例え愛していても、いや、愛するが故に、この面と同じ惨状になる事は理解しておいて欲しい」
やっぱ、クーは鬼だよ!
「さて、今日は節分だ。豆まきをするぞ」
そういえば、今日は二月三日か。
クーはいきなり、ベランダで脱ぎだした。
「え、おい、ちょっと待て! なにやってんだ!」
そう言っている間に、すっかり服を脱ぎ捨てた。
「って、その格好は……」
虎縞のビキニに、付けツノ。
「ふむ。お母さんに聞いたところ、これがキミに最も喜ばれる節分の格好だと言っていた。だから、着て来たんだが……駄目か?」
どんなお母さんなんだよ!
てか、でも、うん。正直に言って、イイ。
クーの見事なプロポーションが、余すところなく露出している。
柔らかそうな胸は、そのビキニのブラに窮屈そうに押し込められている。
腕を前に組んで胸を隠すような仕草をする。
「そんなに見つめられると、気分が高揚してしまうな……」
彼女は、ほんの少し頬を桜色に染めている。
恥ずかしいのだろうか。
いつも、ほとんど表情には表れない、彼女の恥じらい。
俺は、思わず喉を鳴らしてしまう。
「それで……どうなんだ? この格好は……良いのか、駄目なのか」
俺は言葉が出せなかった。
「ふーむ。これで駄目なら、更に伝授された方法を試してみよう」
そう言うとバッグから寿司屋で買ったような、太巻きを取り出した。
それを一本、手に取ると口に頬張った。
「ん……んん」
その黒く太く、長い寿司をほんの少し、苦しそうに口にくわえる。
彼女の目が俺を誘うように見つめる。
「んふ、ん、ん」
巻き寿司を持つ指が、やわやわと動く。
彼女は膝立ちになった。
腰が怪しく、くねる。空いている手を胸にやる。
「ん、んんー」
喘ぎ声が俺の脳天を直撃した。
ついに、俺は我慢できなくなった。
「く、ク――ッ!」
数時間後のベッド。
俺たちは全裸で、情事の余韻に浸っていた。
「まんまとハメられた……」
彼女は、俺の胸の上で、ちょっと見上げて。
「いや。それはわたしだ」
と、微笑んだ。
END
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