[太巻きの女神]

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 その日は節分だった。
 俺はもともと豆を撒くより、太巻きを食べる習慣で育った。
 だから、その夜のバイト帰りには当然、太巻きを買って帰った。
 晩飯代わりだし、せっかくだから奮発して三本。
 途中まで同じ方向に帰っていたバイト仲間は、不憫そうに俺を見送った。
 ほっといてくれ。
 独りで食っても旨いんだよ。

 小さいワンルームマンションの二階。
 そこにある俺の部屋に戻る。
「今日も疲れた疲れた……」
 独り暮らしは、独り言が増えるらしい。
 玄関ドアを開けて入った。
 すると……奥でなんだか、しくしくと泣き声がする。
 その異変にバイトの疲労感は吹っ飛ぶ。
 ヤバイ。何者かが侵入している。
 泣き声からすると、どうも女のようだ。
 こっちに出てきてから、女の子とは付き合いがない。
 そもそも田舎にいたときでも、女に縁はなかった。
 いや。一人いた。だが、もう昔の話だ。こっちの住所は教えていない。
 つまり、見知らぬ何者か、だ。
 俺はとりあえず、玄関の傘を手に取り、奥に進んだ。

 電気を付けずに、そーっと、そいつに近づく。
 部屋の隅にぼんやり、うずくまる小さい背中が見えた。

 裸?
 そいつは俺に気が付いた。
 次の瞬間、俺は首を掴まれ、壁に押しつけられていた。
 後頭部と内蔵に激しい衝撃を受ける。
手から傘が落ちた。
 息ができない。
 そいつの顔を見ると、ばさりと額に掛かった黒髪から赤く光る目が覗いた。
 人じゃない。顔立ちそのものは人間と変わりはないが、口からは牙が生え、頭にも角が生えている。
 鬼。
 節分に鬼。
 笑えない冗談だ。
 こんなことなら太巻きより豆を買っとくんだった。
 意識がぼんやりとしてきた。
 ああ、太巻きの神様がいるなら助けて下さい……

 そう思った瞬間。
 窓側が明るく光った。
 天女のような衣装をまとった美女が、外に浮いている。
「於爾(おに)か……人の心は強いのう。二千年前と少しも変わらん」
 鬼女は天女を見た。震え上がって俺を放す。そのまま、動けないようだ。
 俺はぐったりして、咳き込んだ。
「げほっ……げほ」
 天女は俺に澄んだ声で話しかける。
「わたしを太巻きの神と呼ぶとは人類史上始めてだ。おもしろい」
 超然とした態度でその辺りにあった物を全てすり抜け、入ってきた。
「わたしの名は恵方神クシイナダヒメ。そなたを助けてやろう。とは言っても於爾を伏するついでだがな」
 鬼はその女神の足下に力が抜けたようにへたり込んで、また泣き出した。
「怖がらなくてよい。元ある姿に還してやるだけじゃ」
 女神は、す……っと手をかざす。
「サンゴウヲトトノへコノイキスダマヲフクス」
 いったん、息を止め。
 次の瞬間、一気に言い放った。
「シンゴウ、クゴウ、イゴウ、チョウブク!」
 強烈な金色の光が部屋を満たす。
 爽やかな風が吹いた。土と稲穂の香りがする。
 次に鬼のいた場所を見たときには、もうなにもなかった。

「元ある姿って……」
 俺は何か物が残るかと思ったが違ったようだ。クシイナダヒメが答える。
「あれは窮鬼(イキスダマ)と言って、心の一部が於爾に変化し飛び出したものだ。まさに鬼は外。それを今、調整して元のあるじの心に戻してやった。つまり、福は内」
「……解ったような解らないような」
「……まあ良い。それはそれとして」
 強引に流そうとする。
「あの於爾には強い孤独感と哀しみの波動を感じた……誰か、泣かせておらぬか」
「いやぁ、そんな……いや待て、まさか……」
「思い当たる節があるようじゃのう。あとは自分で何とかするが良い」
「……はい」
「おっと、その前に、少しばかりの福を授けて進ぜよう」
 俺の買ってきた太巻きを、取って差し出す。
「これを食するが良い。作法は知っておろう?」
「恵方に向かって、無言で一気に食べる……ですよね」
「うむ。恵方はこっちだ」
 ふわふわと、窓側に向かう。ちょうど女神が現れた方向だった。
「おまえから見て、ここだな」
 振り返って、
「さあ、食せ」
 と言う。真正面からじっと見ている。
「……え、えーと」
「おまえ、米は好きか」
「え、あ、はい」
「そうか。わたしも好きだ」
「あの……見られてると食べにくいんですが」
「そうか。ならば一緒に、ひとくちどうだ?」
 女神は俺の口があるほうと、逆の端に口を近づける。
 えええ?そんなのアリか?
「どうした、食そうぞ、せーの」
 パク!
 俺も思わず気圧されて同時に太巻きにかじりついた。
 女神は微笑んだ。
 俺と女神は無言でもぐもぐと……あれ、ひとくちじゃなかったのか。
 彼女の目を見ると真剣に食べている。
 えーと、このままじゃあ、その、俺と唇が……唇が……

 ピンポーン!
 ふいにウチのチャイムが鳴った。
 驚いて最後のひとくちを飲み込んだ。
 クシイナダヒメは、ちょっといたずらっぽい顔をして頷いた。
 玄関のほうで声が聞こえる。
「ケンジさん……いますか?」
 控えめなその声は、田舎で別れたあの子だった。
 急いでお茶を飲んで玄関にすっ飛んでいく。
「えーと、稲村……だよね?」
 俺はドアを開けた。
「はい、稲村です。ケンジさん……会いたかった」
 言うが早いか、俺の胸に飛び込んですすり泣く。
 この泣き方は、さっきの鬼と同じだ。俺は確信した。
「……ご、めん、なさい……来ちゃった……す、ごく、すごく……寂しくて」
 そうなんだろう、心に鬼を作ってしまうほどに。
 そこまで、俺のことを想っていたとは考えもしなかった。
「いや、謝らなきゃならないのは、俺だ、ごめん」
「ううん、ケンジさんは、悪くない、よ、別れた、んだし……田舎から、大学、通えないもん」
 彼女はしゃくりあげた。
「でも、どうしても忘れられなかった! 好きなの! 大好きなの!」
 俺の胸で小さく叫んだ。
「うん、ありがとう。俺、君のこと、何も考えてなかったね。もう一度考え直してみるよ」
「ほんと?」
 彼女の顔が輝いた。俺は微笑んて答えた。
「うん」
「嬉しい……よ」
 俺に抱きつく。俺は彼女の髪を撫でた。
「……そう言えば、よくここが解ったね」
「うん。ほんとは後先考えないで来たんだけど……駅に降りたら、偶然、森先輩がいて案内してもらったの」
「ああー、そうかぁ。先輩とはたまに飲みに行くからなぁ」
 その偶然は女神のしわざだな。
 先輩にもここの場所は口止めしていたが、夜に女の子が一人で駅にいるよりはマシ、と考えたんだろう。
「じゃあ、ちょっとここで待ってて。片付けるから」
 俺は女神にお礼を言おうと部屋に戻った。
 だが、すでに誰もいなかった。
『わたしはそれほど野暮ではないぞ』
 どこからか声だけ聞こえた。
『さっきの太巻きは馳走になった。米はいつの時代も美味だな。では、さらばじゃ』
 ありがとう。太巻きの女神さま。
 ありがとう。

 ……
 あれ?
 俺、なにしていたんだっけ。
 ああ、稲村が急に来たんだった。
 慌ててお茶を用意しようとしたが、すでにできてる。
 俺、健忘症? とか思いながら彼女を呼び入れた。
「今日は節分だから太巻き、買ってたんだよな」
「ちょうど、一本ずつね」
「あ、そうだなぁ、ははは」
「ふふふ……」

 福は内、鬼は外。
 どこかの家で、子供が楽しそうに叫んでいるのが聞こえた。

 END


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