[キョミィズ] 


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 彼女が目を覚ました時、高い天窓から差し込んでいた光は地球からのものだった。
「夢……?」
 彼女は一人つぶやくと、木の香りがする穏やかな空気を思い切り吸った。
 そしてそれを溜息に変えながら、ゆっくり起き上がった。
 柔らかな羽毛布団の囁き以外、聞こえない。静かだ。
 地球からの蒼い光が彼女の真っ白な長いワンピースを輝かせる。
 その光は拡散して、仄明るく部屋を照らし出していた。

 ベージュの漆喰で塗り込められた壁。
 それは丁寧な仕事だった。工業製品という匂いはしない。
 その二メートルほど先には木を組み合わせたような引き戸があった。
 それは障子に似ていた。
 反対側には、小さめのガラス窓があった。
 部屋の中には背の低い机や簡素なタンス。
 床には幾何学的な模様の入った褐色の絨毯が敷き詰められている。
 全て職人がひとつひとつ作ったように見えた。

「……っつ」
 彼女の朦朧とした意識が、ふいの痛みで覚醒した。
 足首が痛い。布団を退けて、右足首を見る。
 包帯が巻かれていた。
「ああ……夢じゃなかったのか」
 その沈んでもなお白く美しい横顔に、肩まである黒髪がはらりと掛かる。
 切れ長の細い目。日本人の少女であった。十代後半に見える。

 ふと顔を上げた。
 彼女のいるベッドの横には簡単な木の椅子があった。それに目をやったのだ。
 その上に乗っている物は、この部屋の中では異彩を放っていた。

 綺麗に折り畳まれた制服と眼鏡。
 見慣れた異質さがあった。
 彼女は手を伸ばし、それらを手に取った。
 制服を布団の上に置き、眼鏡を見つめた。
 形はやや丸いが、シッカリとした黒いフレーム。
「バカだな、私は」
 そのレンズに映る自分自身をみつめ、自嘲した。

 戸が急に開いた。
 年老いた女が部屋を覗き込んだ。
「こりゃ驚いた。もう目が覚めてたのかい。昨日はびしょ濡れで死にそうだったから心配したよ」
 そう言いながらも、特に驚いた顔もせずに近づいてくる。
 その顔立ちはホリが深く、どう見ても欧米人だ。
 老婆の服装は、奇妙なものだった。
 日本の着物に西洋風のケープを掛けている。
 どちらも地味な緑色で、模様もない。
「とりあえず、スープを持ってきて正解だね。さ、お飲み」
 老女は黒く丸いトレイに、カップスープを載せていた。
 それを見た美しい少女は老婆に目を移した。
「やっぱり、言葉は通じるんですね」
 老婆は右側の眉を上げた。
「そうだね。でも、なんでかは知らないけどね」
 少女はまた暗い瞳をして、目を伏せた。
「そう、ですか」
 老婆はその様子に気を遣ったのか、また、スープを勧めた。
「まあまあ。とりあえず、お飲みよ」
 少女は微かに笑うと、そのスープを見た。
「これは……」
 老婆はにやりとした。
「あんたがニッポンジンに見えたから、ミソスープってヤツにしてみたんだ。前に来た子が教えてくれたのさ」
 そのカップスープから立ち上る香りは確かにみそ汁のそれだった。
 しかし、麩の替わりにクルトンが浮かんでいた。
 それでも少女はお腹が空いていたのか、すぐに手に取った。
「ありがとう、いただきます」
 礼を言うが早いか、ふうふうと熱を冷まし冷まし、素早くそれを飲み切った。
「ごちそうさまでした」
 両手を合わせる。
 老婆は気さくに笑った。
「こりゃ驚いた。あんた、そんなに元気なのに、なんでここに来たんだい?」
 少女は面食らった。
「いや、それは私が聞きたいのですが」
「ああ、それもそうだね……よっこいしょ」
 老婆は制服の置いてあった椅子に腰掛けた。
「あたしもよくは解らない。でもこの村にはね、あの蒼い星から、あんたみたいな若い女の子が良く来るんだよ」
 老婆は天窓に目を向けた。少女も同じように見上げる。
 蒼暗い空に地球が煌々と輝いていた。

 少女はそれを見ながら、ここに来る前の事を思い出していた。
 それは冷たい雨の降る午後の公園だった。
 かろうじて雨が防げるほどの屋根がある休憩所のようなところで、少女と、彼女と同じ年頃の少年とが、制服姿で向かい合っていた。
 少女は精一杯、彼に気持ちを伝えたつもりだった。
「タカシ君。実は君の事が気になっているんだが」
 少年は中肉中背で優しそうな雰囲気だった。だが、その返答の言葉は荒い。
「井沢。からかってんなら止めろ!」
 少女は戸惑った。
「私は別にからかってなどいな」
 彼はその言葉を溜息で遮った。
「嘘だね。俺がおまえみたいな女に釣り合うはずがねぇ。俺がその気になったとたん、みんなに言いふらしてバカにする気だろ!」
「いや、そんなことは」
「あー! 聞こえねー! てか、俺みたいなヤツがおまえと付き合うなんてありえねぇって!」
 雨が強くなる。幾つもの梢が薄暗い雲を引っ掻くように風に揺れている。
「どうせどっかでおまえの友達が見てるんだろ! もしかして賭けてるのか? ええ?」
 少女は哀しそうな目で黙り込んでしまった。
「ふん。井沢、賭けはおまえの負けだな」
 少年はそんな言葉を残して、強い雨の中を傘もささずに駆けて行った。

 独り残された少女もまた、力無く雨の中に歩み出ていた。
 うつむいて、ただ、うつむいて、歩き続ける。
 やがて彼女は気が付くと、うっすらともやがかかっている場所にいた。
 雨は止んでいた。
 彼女は捨て猫のようにぶるっと震えた。
 そのおかげで、やや気を取り直した彼女は顔を上げて、周りを見回した。
 空にはもう、重く垂れ込める雲はなかった。
 高い木々の向こう、薄もやの掛かった彼方に見慣れた月ではない、別の大きな蒼い星が浮かんでいた。
「あれは……地球?」
 周りは見たこともない森だった。少なくとも公園にはこんな場所はない。
 地面は全く整備されている様子がなく、大きな石がその辺にゴロゴロしている。
「ここはどこなんだろう」
 彼女は自分の来た道のほうを振り返った。
 だが、そこは異様にもやが濃く、真っ白な壁のように彼女を拒んでいた。
 しかたがないので、向き直り、また歩き出そうとした。
 だがその時、彼女は大きめの石を踏んで転んでしまった。
「うう……っ」
 起き上がろうとすると、足首に激痛が走った。ひねってしまったのだ。
 もはや、歩けない。カバンもどこにやったのか分からない。寒い。
 こんなどこだか分からない場所で、びしょ濡れの制服のまま、死んでしまうのか。
 もう一度、彼にちゃんと想いを伝えたかった。
 だんだんと、彼女の意識は遠のき始めていた――
「ああ、これは……ラシ、手伝っておくれ」
 少女の耳には、しわがれた老女の声と太く低い犬の鳴き声だけが残った。

 少女は記憶の旅から戻った。
 目を地球から老婆に向ける。
「その、ここに来たという私みたいな人達はどうなったんですか」
 老婆は頷きながら答えた。
「そうさね、みんなしばらくしたらいなくなるねぇ」
「それは帰ったという事ですか」
「さぁねぇ……」
 老婆は座った時と同じように、よっこいしょと立ち上がった。
「ま、とりあえずはゆっくりしておいき。もうすぐお祭りもあるだろうしねぇ」
 そう言って、トレイに空のカップを載せると引き戸の向こうへ去った。

 少女はそれを見送ると布団を被り直して、しばらくなにやら考えていた。
「元の世界に、もし還れなかったらどうすれば良いんだろう……」
 そんな不安を抱きつつ、いつの間にかウトウトとしてしまった。

 次の日。
 彼女は目覚めた時、丸い天窓を見つめてつぶやいた。
「やっぱり夢じゃないのか」
 彼女は起き上がって、ワンピースを制服に着替えた。
 足首はすっかり痛みが取れていた。
 脱いだものを持って、引き戸を開ける。
 そこは階段になっていた。
 階段を降りた先にはいわゆるリビングのような部屋があった。
 床は板張りで、やはり絨毯が敷いてある。
 そこに簡単なテーブルセット、その奥には土間があり、台所と大きな石釜が二つあった。
 なんともアンバランスな光景だ。
 釜の中では赤々と薪が燃えていた。

 かたいっぽうの釜の前で例の老婆が立っている。大きな鍋をゆっくり掻き回していた。
 良いシチューの香りが漂う。
 少女は老婆に声を掛けた。
「おはようございます。この服はどうすれば良いですか」
 老婆はちょっと振り返り、笑う。
「おはよう。それはそこの籠に入れておいておくれ」
「はい」
 玄関そばにそれほど大きくない籠があった。
 中には洗濯物らしい衣類が入っている。
「お婆さん、これは洗濯物ですか」
「ん? ああ」
「お礼に洗います」
「そうかい。助かるね。じゃあ朝ご飯食べたら行ってきておくれ」
「はい」
 老婆はシチューを混ぜる手を止めて、もういっぽうの釜の前へ行く。
「ああっと、名前聞いてなかったね」
「井沢です。イサワケイコ」
「サーケーコ? 長いね、ケイでいい?」
「あ、はい」
「じゃ、そっちの鍋、ゆっくり混ぜとくれ。あたしゃパン見ないといけないから」
「はい」
 ケイと呼ばれるようになった少女は、指示に従ってシチューの鍋を大きな木のスプーンで混ぜ始めた。

 朝ご飯を食べ終え、ケイは約束通り洗濯をする事にした。
 ケイは洗濯籠と木の石鹸箱に入れた石鹸を持つ。
 老婆の言う洗濯場は河だった。
 ケイは犬のラシと共にそこに向かって村を歩いた。

 村の建物は皆、背の低いビルのように四角く、大抵が石をベースに木を組み合わせてあった。
 白い壁に黒い木の支えがバツ印のように付いている。

 気候は良く、うららかな春のようであった。
 道ばたの菜の花に蝶がひらひらと舞っている。
 通り掛かった大きな家の塀の中で、鶏のような声がうるさいほど聞こえた。
 村の老人達が笑ったりしながら、立ち話をしていた。

 河原に着くと、ケイは洗濯を始めた。
 ラシはそのへんでウトウトし出した。
「うーん。まさか河で洗濯をする事になるとはなぁ。おとぎ話のお婆さんになった気分だ」
 そうつぶやきながら。

 昼過ぎにケイは村に戻った。
「ただいま」
「お帰り。洗濯物だけどさ、ついでに干しといてくれるかい」
「あ、はい」

 そんなふうになし崩し的にケイの日常が始まった。
 老婆は畑の野菜と森の果物を売ったりして、生活をしていた。
 ケイは毎日、それを手伝った。
 そして、いつも夕飯時には老婆にいつ還れるのかと聞くのだった。
 だが答えもいつも同じで、さぁねぇ、だった。
 夜には彼を想って泣いた。

 だが、そうこうしている内にケイはだんだん、その生活に慣れていった。
 好きな彼の事を想っても涙が流れなくなった。
 もう還る事が出来ないのなら、いっそ、ここで暮らすのも悪くない。
 そう思い始めていた。

 そんなある日、ケイは洗濯の途中でふと思った。
「こんな世界だ。いつか本当に大きな桃が流れてきたりしないだろうな……」
 ちょっと上流を眺めた。
 自嘲気味に笑って、目を洗濯物に落とす。
「ふ、それなら山に芝刈りに行くおじいさんもいないとな」
 自分で言ったつぶやきに、悲しくなる。
「……いないんだな。この世界には」
 空を見上げる。地球は見えない。
 彼女の心に、彼への想いが戻ってきた。
 ケイは泣いた。子供のように。
 喉が裂けるほど、逢いたいと叫んだ。
 ラシがケイを慰めるように、その顔を舐めた。

 なんとか落ち着いて、洗濯を終えると河から村に戻る。
 村には人影がなくなっていた。
 いつも通り掛かる大きな家の塀の中からは鶏の声どころか物音一つしなくなっていた。
 いつも見かける菜の花の蝶は、唐突に現れた不気味な蛙に喰われた。
 それに雲が出てきて日が陰り、そのとたん寒くなってきた。

「ただいま。お婆さん。なんだか村の様子が変なんだけど、どうしたんですか」
「お帰り。そうかい。明日はお祭りだからね。習わしに従ってるんだ」
「習わしですか?」
「そう。だからみんな家に籠もったんだ」
 ケイはよく解らなかった。それがどんな祭りなのか、少し気にはなった。
 だがそれよりも、今日こそはこの老婆に地球へ還る方法を聞き出さねば、と思っていた。

 そして、夕食時。
 ケイが例の質問をする前に老婆の口から、とんでもない事が告げられた。
「明日のお祭りはね、ケイ。あんたが主役だからね」
 さすがのケイもこれには驚いた。
「そ、それはどういう事?」
「あんたの知りたがってた、蒼い星に還る方法だよ」
 ケイには全く意味が解らなかった。

 次の日、舞台はすっかり整っていた。
 巨大な魔法陣の真ん中に、十メートルはあろうかという木の高台が作り上げられていた。
 その塔の周りには、何かの捧げ物なのか、たくさんの鶏が吊されている。
 そこの頂上にケイがいた。制服姿だ。身体には命綱が付けられている。
 すぐ後ろに、司祭と老婆がいた。
 下では村人達が固唾を呑んで見守っている。
 その数はあまりにも多く、明らかに近隣からも押し寄せていると思われた。
 ケイは脚の震えが止まらない。

 司祭が大きく息を吸い込んで、大声を張り上げた。
「それではぁ! これよりぃ! キョミィズを行うっ!」
 わっと村人の歓声が上がった。
 司祭は続ける。
「蒼い星から来たぁ、この少女がぁ、真実を叫ぶならばぁ、彼女は還る事ができよう!」
 もう一度、息を吸う。
「だがしかぁし! 何も言えなければぁ! 永遠に、この星に留まらなければならない!」
 おおー! また村人の盛り上がりが聞こえた。
 老婆が耳打ちした。
「あたしのように、ならないでおくれよ」
「お婆さん……」
 司祭がもう一段大声で、わめいた。
「それでは、少女ケイよ! 真実と共に跳べぃっ!」
 とべー! 村人達もヒートアップしていた。
 ケイはちら、と老婆を見た。
 老婆は頷いた。
 ケイは頷き返して、下を覗き込んだ。
 もう震えは止まっていた。
「きっと還ってみせる。私にはやらなければならない事があるのだから」
 その美しい顔がさらに凛と引き締まった。
 両手でその顔を叩いた。
 白かった頬が真っ赤になる。
 彼女は息を吸って。
 飛び出した。

 目の前に迫る地面。
 襲い来る落下の恐怖。
 だが、ケイは大きな声でハッキリと叫んだ。
「好きだ、タカシ君!」
 その瞬間、彼女は空中で花火のように蒼く光って拡散し、消えた。
 一気に燃え上がるように村人達は叫び、踊り、祭りは最高潮を迎えた。
 老婆はただ、寂しそうに笑った。

「……井沢……おまえがそんなに叫ぶほど真剣に俺の事……分かった。でもホントに俺でいいのか。俺、おまえに釣り合うような男じゃ……」
 タカシがケイの目の前で、真っ赤になって照れている。
 雨の公園。
 ケイは告白した瞬間に戻って来ていた。
 懐かしい彼の顔を見ながら、もう一度、告げた。
「タカシ君。好きだ」
 ケイは彼に抱きついた。
 静かになってゆく雨音、彼の匂い、お互いの温もりがケイの心に染み込んでいった。

《end》


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