[たったひとつだけの花] 


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 初夏の訪れた日。
 安アパートの二階。
 昼間だというのにも関わらず、カーテンが引かれた一室。
 その1LDKの奥にあるベッドには、男が寝ていた。大学生くらいだ。
 これといって何ら特徴のないどこにでも居そうな風貌の男。
 はだけた布団から安そうなジャージの肩が覗く。
 時々いびきなんかかきながら、大きな口を開けてよく眠っている。

 突然、玄関のドアが開いた。
「タクヤ。君を尋問する」
 旧ドイツ軍の軍服を着た背の高い女が、黒いロングブーツを脱ぎもせずカツカツと音を響かせて入ってきた。手には馬に使うようなムチを持っている。
 ベッドのそばまで来た女は、つり上がったフレームを持つフォックス型眼鏡の奥から、タクヤと呼んだ男を冷たく見下ろした。
 だが、彼はまだ夢の途中だ。
 彼女が低い声で静かに怒る。
「休みだからといって昼まで寝るなと……何度言えば解るんだ」
 ムチをベッドの枠に叩き付けた。鋭い大きな音が部屋に響く。
「おあっ?! なんだなんだ!」
 タクヤは飛び起きた。
「あ、え、ユリ? えーと……そのコスプレは一体……?」
 ユリと呼ばれた女はその質問を無視する。くるりと踵を返し、ベッドから離れた。
 勉強机の前まで行くと卓上ライトを点ける。白熱球がまぶしい。
 ベッドのほうに向き直り、冷ややかな態度で彼に指示を出した。
「こっちに来て正座しろ」
「は?」
 ユリのムチが机の天板を叩く。
 誰でもすくみ上がるような厳しい音を立てた。
「早くしないか」
 その声は地を這うように低く、有無を言わせない怒気を孕んでいた。
 タクヤはワケが解らないといった表情でベッドを降り、彼女の前に正座した。
 ユリはライトを背に凛々しく立ち、凍るような視線で見下ろしている。
 軍服に合わせたカーキー色のスカートは極短い。艶やかな黒髪はアップにされており、緩く巻いた前髪を横から垂らしている。
 彼女は眼鏡を人差し指でちょっと上げると、溜息をひとつ吐いた。
 机の前にある椅子に座って、引き締まった長く美しい足を組んだ。その足の間から下着が見えそうだ。
 タクヤが頭を動かし、それを覗こうとする。
 ムチが唸りを上げた。机の脚を叩き付ける。
「全く反省の色がないな」
 彼はムッとした。
「だから、何のことだよ! 説明しろよ!」
 ユリは鋭く冷たい眼光を投げかける。
「わたしと君の関係は?」
「主従……いや、こ、恋人同士」
「ふむ。そうだな。ならば、これはどう説明する気だ」
 豊満なバストの上にある胸ポケットから、ケータイを取り出す。
 それを開いて、彼に見せつけた。
 そこにはユリではない、別の女性と彼が並んで歩いている姿が写っている。
 彼は呆れるように溜息を吐いた。
「それは道を聞かれて教えたんだけど、分かんないっていうから案内してただけだよ」
 彼女はそれを鼻で嗤った。
「ふん。往生際が悪いな」
「全然信用してねーし!」
 彼女はふいに椅子から立ち上がって、彼のすぐ前まで来た。
 タクヤは見上げた。彼女の股間から、ちらりと下着が見える。黒のレースだ。
「いや、信用しないとは言ってない。ただ……」
 ユリは、しゃがんで片膝を突く。その股間を目で追っていたタクヤの顎を、ムチの柄で無理矢理押し上げる。
「ひとつ宿題をやってもらおう。これができれば信用してやってもいい」
 切れ長で澄んだ双眸に少し、いたずらっ子のような光が宿る。
 その輝きに怯えるタクヤ。
 彼女は口を開いた。
「来週の今日は何の日だ?」
 彼は即答する。
「ユリの誕生日」
「それは忘れていなかったようだな」
「当たり前だろ! ちゃんとプレゼントも用意するつもりだし」
 その言葉を聞き、彼女は微笑んだ。
「ありがとう。だが、今回は無くて良い。それが宿題になるからな」
 タクヤは固唾を飲んだ。
「い、いったい何が欲しいんだ……」
 彼女の唇から、ゆっくりと言葉が出る。
「花を、くれないか」
 彼は安堵の表情を浮かべた。
「な、なんだ。それくらいなら」
 ユリは彼の顎を、もう一度強く持ち上げた。
「但し」
 顔が近い。お互いの唇が触れ合いそうだ。
 彼女は真っ直ぐ、強い瞳で告げた。
「君が心を込めた“枯れない花”だ。造花は却下だぞ。君の気持ちがしっかり入った生き生きとした花が欲しい」
 鞭の柄を下ろすと、立ち上がった。
「では、一週間後にまた来る。期待しているぞ」
 まるで舞台女優のように優雅に踵を返す。カツカツとブーツの音を響かせて、部屋を出て行った。

「ってワケだ」
 次の日の昼。
 タクヤは学食で、友人のタカオに経緯を話していた。
 彼はタクヤと違い、派手なオレンジ色の短髪で筋肉質。皮のジャケットを着込んで男らしい感じだ。
 タカオは興味なさそうに答える。
「知らね。そんな女の気持ちが解ったら、俺にも彼女居るっての。おまえに出された宿題だろ。自分で考えろよ」
 にべもない。
「そう言わずにさー。なんかヒントでも……」
 タカオは茶をすすりながら考えた。
「そーだなぁ。淡島(あわしま)にでも聞いてみれば?」
「え? 淡島ってあの淡島ユキ? 文学サークルの……ふわふわした髪で色白の頼りなさそうな」
「案外、そうでもないぜ? 芯は強い女だ。頭もいいし。それにあいつ、おまえの彼女によく似た友達がいるって話してたしな」
「へー……ってか、なんでおまえ、そんな事知ってるんだ」
 彼は一気に残りの茶を飲み干すと、立ち上がった。
「彼氏彼女のご相談、絶賛受付中なもんでな!」
 親指をビシッと立てた。
 タクヤは泣きそうな顔をする。
「ちょ、タクヤ! 流してくれよ! マジで悲しくなるじゃねーか!」
 タクヤは無言で彼をハグして頷いた。
 しばらくして離れると、爽やかな笑顔でタカオの前から去っていった。
「おまえならきっといつか必ず……」
 そう言い残して。
 タカオはその場で立ち尽くす。
 その手に持った紙コップが涙で一杯になるまで泣いていた。

 文学サークルの部室。
「お邪魔しまーす。えーと、淡島さんは……」
 タクヤが訪れた時、そこにはふわふわした髪の女の子がひとり、ぽつんといた。
 窓のほうを向いているので、入り口から彼女の顔は見えない。
 近づいてちょっと覗くと、白い手がノートパソコンのキーを素早く叩いている。
「あ、淡島さん、だよね」
 よく見ると、耳にイヤホンをしていた。そこから僅かに激しいジャーマンメタルが漏れ出している。
「こりゃダメだな……」
 タクヤが諦めて部室を出ようとしたとき、ふいに部室に入ってくる人影があった。
「おっと。あれ? ユリ、なんでここに」
 そう呼ばれた彼女は、ほんの少し怪訝な顔をした。
「いや、わたしは明日歌ですが……あなたは誰ですか。ここの人ではないですよね」
 タクヤはしばらく、明日歌を見つめてぽかんとしていたが、やがて我に返った。
「あっ、すみません。あまりに僕の彼女に似てたから……」
 明日歌は、ほう、とだけ言った。
「そそれで、そのえーと、ちょっと淡島さんに用があって来たんですけど……」
 明日歌は頷くと、ノートパソコンを打っている女の子のほうを向いた。
 腕に提げたトートバッグに手先を突っ込む。
 そのまま、ツカツカと色白の子の所へ行く。
 次の瞬間。
 その子を取り出したハリセンで叩いた。
 乾いた紙の良い音が響く。
「ったーい! なにすんのよ! ネタ忘れちゃうでしょっ!」
 色白の女の子は怒りを露わにして立ち上がった。
 だが、明日歌は悠々とハリセンをしまうと微笑む。
「ユキ。君にお客さんのようだ」
「はい?」
 ユキと呼ばれた女の子は、タクヤを不思議そうに見つめた。
 タクヤは挨拶した。
「あ、同じゼミの沢井タクヤなんだけど……知ってるかな。えと村田タカオの友達でさ……」
 ユキは答える。
「あ、タカオ君の。それでなに? あたし今、超忙しいんだけど」
 唐突にユキのスカートのポケットから『アメイジンググレイス』が聞こえた。
 ユキがケータイを取り出すと発信元を確かめてから、耳に当てる。
「もしもしー……。あ、うん。来てるよ。ああ、そゆことね……わかった。うんうん。タカオ君にはお世話になってますからー。じゃあねー」
 ケータイを閉じて、タクヤをまた見つめる。
「大体の事情はわかったよ。協力しましょ。タカオ君の頼みじゃ断れないし。その宿題っての、詳しく話して」
 タクヤは喜んで説明した。

 一通り聞いて、ユキは腕を組んだ。
「ふぅん。なかなか難問ね。明日歌ならどういう答えが欲しい?」
 明日歌はタクヤを睨む。
「君は本当に浮気をしていないんだな?」
 その威圧的な態度は確かにタクヤの彼女にそっくりだ。
「当たり前だよ! 俺は彼女だけが、その……」
 タクヤが真っ赤になる。
 明日歌は頷く。
「なるほど。本当のようだな。わたしの彼に同じ問いかけをした時、君と同じ言動をするからな」
 タクヤとユキは苦笑いを浮かべた。
 タクヤは明日歌に問う。
「そ、それで。明日歌さんの答えは?」
「ふむ。そうだな……」
 しばらく考え込む明日歌。やがて、タクヤに向かって口を開いた。
「うん。わたしならそもそも、他人に聞いた答えなど認めないな」
 タクヤは糸が切れた操り人形のように、がっくりとうなだれる。そこだけ急に照明が落ちたようだ。
 そのあまりの落胆ぶりにユキが慌ててフォローに回った。
「そ、そうかもしれないけど、ヒントくらいいいんじゃない?」
 明日歌はユキの言葉を素直に受け入れた。
「それなら、駅前の商店街に行くと良い。今日ならきっとヒントが見つかるはずだ。その彼女がわたしと同様の思考パターンを持っているとすれば、の話だが」

 タクヤはなんとか立ち直って、駅前の商店街に来ていた。
「こんなとこにヒントがあるってホントかよぉ……」
 情けない声でつぶやきながら、中に入る。
 商店街はなにかのイベントをやっていた。普段より明らかに賑やかだ。
 中央の広場には、ちょっとした露店やパフォーマーが出ていた。
「ん……なんか妙に静かな人だかりがあるな」
 そこにいる客は、中にいるであろうパフォーマーを取り囲んではいるが、みんな一様に押し黙っている。
 タクヤは興味を惹かれて、そこに行って見た。
 客の間を謝りながらなんとかくぐり抜け、最前列に出た。
「あっ」
 タクヤはそのパフォーマーを見て、頷いた。
「そうか! これだ! これだよ!」

 一週間後。
 タクヤの部屋は以前と同じくカーテンを閉め切り、薄暗かった。タクヤもやっぱり寝ていた。
 だが、彼はベッドの上には居なかった。カーペットに直に眠っている。周りには紙クズが散乱していた。
「タクヤ。宿題は終えたか」
 ユリだ。今日は以前とは違う初夏らしい爽やかな服装だ。ふんわりとした透ける素材のVネックワンピースにキャミソール。下はストレートデニム。ヘアーは後ろだけアップにまとめ、髪先は緩く巻いて軽い感じに仕上げている。眼鏡もツーポイントのオクタゴンタイプで遊び感覚を取り入れている。
 彼女はベージュのパンプスを脱ぐと、裸足で奥に進んだ。
 床に寝ている彼を見て、微笑んだ。
「よく頑張ったな」
 彼女は、彼の頭を太ももに乗せた。
 色とりどりになっている彼の頬にキスをして。
 彼の足元に立てられている、水彩画を見つめた。
 彼女は静かに微笑みながら。
 涙をこぼした。
 それがタクヤの頬に落ちた。
「う、うん……あ、ユリ……なんで泣いてるの。俺の答え、間違ってた?」
 彼女は彼の目を見つめると、今度はその唇にキスをした。
 彼は紅潮した。
 ユリが顔を離し、また絵をみつめる。
「いや。大正解だ。あの絵の線や塗りのひとつひとつには、確かにタクヤの心が込められている。いきいきとした最高の“枯れない花”だ」
 そこには明らかに素人が描いた、いびつな、しかし世界にたったひとつだけの百合の花があった。

END


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