[ほろ酔いアンダースタンド]
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 俺はゼミのコンパ会場に、遅れて到着した。
 台風が近づいているせいか、突然、大雨が降り出し電車が遅れたのだ。
 おまけに駅までの道で、かなり濡れてしまった。
「遅くなって、ごめんなー」
 和風の座敷で、みんながテーブルを囲んでいる。
「久多良木(くたらぎ)、待ってたぞー」
「おまえいないと、盛り上がんないからなぁ」
 俺は宴会部長か、とかなんとか言いながら、奥の方の席へ行った。俺が濡れていることなど気にも留めない。まあ、そんなもんだろ。
 無闇に元気な、酒に焼けた教授が俺にビールを勧める。とてもオヤジ臭いダミ声。もはや、できあがっているようだ。
「お、やっと来たか! まあ飲め!」
 俺は特に酒が飲めないわけでないので、勧められるまま注いでもらう。
「はい、ありがとうございます、いただきます」
 ひと息にコップを空ける。一杯目が一番旨いんだよな。
「くはー!」
 こん、と小気味よい音を立て、コップをテーブルに置く。いつものみんなが、わーっと歓声を上げた。
 いやいやーとかなんとか適当に言っていると、なにか違和感を感じた。いつもと空気が違う。なんだろ? 確認のために今日のメンバーを見渡してみた。すると、理由がわかった。今回は珍しくあいつが来ていたのだ。

 あいつ。浅葱 碧(あさぎ みどり)。俺のひとつ下。オシャレとは縁遠い、目つきが猛禽類に似た無口な眼鏡女。
 今日のファッションも、いつも通り黒いタートルネックにジーパンだ。違うところと言えば、銀のネックレスをしてるくらいか。髪はアップにして、上のほうにボリュームをつけている。背が低いのを気にしているのかも知れない。
 そもそも彼女は無表情だし、講義に関係ないことは、あいさつ程度しか言葉を交わさないから、何を考えてるのかなんて、まるでわからない。
 ゼミ自体には真面目に出ている。しかも、その内容に関しては教授と議論し、あまつさえ負かしてしまうくらい優秀だ。だが、あいつは今まで一度たりとも、こんな酒の席に来たことはない。たぶん下戸なのだろう。事実、今もウーロン茶を飲んでいる。
 今日はいったい、どういう風の吹き回しだ? たぶん、俺や教授も含め、みんなそう思っているに違いない。
 
 教授がその空気を変えようとしたのか、ただ単にゴキゲンだからなのか、強引に彼女に酒を勧めた。
「浅葱君も、せっかくなんだから飲めよ」
 俺は止めようと立ち上がったが、彼女が目で俺を制した。
 彼女は冷静に、返答する。落ち着いた綺麗な響きだ。
「いえ、結構です。わたしはいわゆる下戸です。ご存じですか。日本人の約45%が下戸なんですよ」
 その言い方にカチンと来たのか、議論で負けたことを根に持っていたのか、教授は引き下がらなかった。
「ああん? 教授が勧めてるんだぞ、一杯くらい飲めるだろうが」
 彼女は、ウーロン茶を一口飲んで眼鏡を直すと、教授の顔を鋭く見つめた。
 少し怯む教授。
 彼女は、そのよく通る声で言い放った。
「刑法第223条、1項。生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。……いわゆる強要罪です。さらに、これでわたしが急性アルコール中毒になれば、傷害罪。死ねば傷害致死罪です」
 彼女は、恐ろしげな笑みを浮かべた。
「端的に言うと、訴えますよ? って事です」
 店が急に、静まり返る。
 教授は、ううう、と呻いた。
 すると、女子からパラパラと拍手が起きた。全然関係ない他の席からも、拍手。
 やがて、店内が拍手の渦に飲み込まれた。
 教授はワケがわからないというふうに、キョロキョロと店内を見回した。
 だがすぐに、自分が置かれている立場を理解したようだ。
 首をうなだれて、よろよろと立ち上がる。
 ひと言だけ、すまん、と言い残し、消え入るように帰って行った。

「浅葱、すげぇー!」
「浅葱さん、カッコイイ!」
 彼女は、みんなの賛辞に軽く頭を下げる。
「講義以外で、あんなにしゃべる浅葱さん見たの、初めてかもしんなーい!」
 俺も全く同意するぞ。正直、驚いた。
「だいたいあの教授さぁ、いっつも無理矢理、酒、勧めるんだよね! ホント嫌だったんだぁ!」
 女子が彼女を囲んで、愚痴った。
「そうそう、あの人、セクハラもやってんじゃないのぉ?」
 浅葱以外が笑った。彼女は笑ったみんなを、たしなめる。
「憶測で物を言ってはいけません。確かに彼は、少しわきまえない部分もあります。でもいち研究者としての実績もあるし、教授としては、その資質を充分持っています。尊敬に値しないとは思いません」
 声の質のせいか、口調のせいか、なにやら惹き付けられる思いがした。
 女子のひとりが突然、彼女に抱きつく。
「アタシの彼氏になってぇーん!」
 すると、他の女子も、あー、ずるい! とかなんとか言いながら彼女を揉みくちゃにした。

 やがて、そんな乱痴気騒ぎも落ち着いて。
 何人かが、帰り。
 気が付くと、それぞれが気の合う仲間のグループに分かれて飲んでいた。俺はみんなが楽しければ良いので、特定のグループには付かず、うろうろしながらバカをやったりしていた。

「ふぃー」
 一息ついて、日本酒を頼んだ。熱燗だ。
 どっしりした焼物のお猪口と、とっくりが来た。
「んん、いい香りだ」
 注いだ酒を、きゅっと一口で飲んだ。
「美味いね」
「そうなんですか?」
 突然、俺の横に浅葱が現れた。
 いや、たぶん俺が酔っているせいで気付かなかったのだろう。
 ふわりと、柔らかい花の香りがした。
 彼女は、俺のお猪口を見つめる。
 そのやや斜め上から見る彼女の顔は、鼻筋が美しく通っている。それは形の良いピンクの唇と共に、綺麗で優美な輪郭を描いていた。

 しばらく見とれていると、ふいに彼女が口を開く。
「そのくらいなら平気かも知れません。ちょっと注いでくれませんか?」
「て、おまえ、いいのかよ」
「はい。そのお猪口の容量は見たところ、約35ミリリットルくらいでしょう。日本酒の一合は約180ミリリットルで、純アルコール量は約20グラム。これが一般に適度な飲酒量です。35ミリリットルと言うことは、その約5分の1。わたしが下戸だといっても、アルコールパッチテストではDN型だったので、それくらいなら大丈夫のはずです」
 俺の目を見て、微笑む。目つきが怖い無表情なヤツだと思っていたが、笑うと案外、優しい感じで可愛い。
「そこまで言うんなら、まあ……。じゃ、新しいお猪口を頼んでやるから」
 そう言いかけた時、彼女は俺のお猪口を取って、突き出した。
「これで良いです」
「え……そ、そうか。お、おまえがいいなら、いいけどさ」
 俺はちょっとドキドキしながら、酒を注いだ。
 彼女は礼を言うと、その艶やかな唇をお猪口に付けた。
「ん……」
 彼女の喉もとが上下した。
「なるほど……ふくよかで、コクがありますね。おいしい。でも、これ以上は飲みませんからね」
 その微笑みに、俺もつられて笑った。

 やがて、二次会に行こうという話になった。
 自分の分の会計を済まし、外に出ると雨は上がっていた。
 月が明るい。
 この時点で、人数は相当減る。
 俺はさんざん誘われたが、雨に濡れたせいで風邪をひいたのか、体調がおかしかったので断った。
 帰路につくと、浅葱が付いてきた。
「お、浅葱もこっちだったんだ」
「はい」
 しばらく、無言で駅に向かって歩く。話題が見つからない。
 そりゃそうだ、今までほとんど挨拶くらいしか、してないもんな。
 かといって、さっきの行動の意味を聞くのも、なんだか照れるしなぁ。

 人通りが少ない路地に差し掛かった時、遅れている彼女がちょっと心配になり、振り返った。
 見るとなんだか、足元がふらついている。
「あ、おい、大丈夫か。飲ませて悪かったかな」
 彼女は、いつものような鋭い目つきと冷静な口調で、俺に敬礼した。
「いえ。お気遣いなく。久多良木隊長」
 酔ってる酔ってる。俺は苦笑いをした。
「いや、衛生兵、呼んだほうが良さそうだぞ?」
 彼女は、さらに厳しい表情で、答える。
「はい。ではお言葉に甘えまして」
 急に俺に抱きついてきた。俺は壁を背にして、彼女を受け止める形になる。
「久多良木衛生兵、よろしくお願いします」
 俺はどぎまぎしながら、とりあえず、笑いで誤魔化そうした。
「隊長から格下げかよ」
 彼女は、俺の胸の中で少し笑って。
 とつとつと、しゃべりだした。
「久多良木さん、わたしはあなたのことが、ゼミに入った時からずっと気になっていました。あなたが笑っているとわたしも嬉しい。つらそうだと、わたしも哀しい。そんな日が続いて、ついに、わたしは自分の気持ちに気付きました。すると、もう、いつどのように告白すべきか、そればかり考えるようになりました」
 俺は急速に、顔が赤くなるのを感じた。これは風邪のせいじゃない。
「わたし自身は、みんなのいる前で告白しても良かったのですけれど、それでは、どのような結果であれ、久多良木さんに迷惑が掛かると思い、やめました。大学でも、帰りにでも、いつでも誘えれば良かったのですが、久多良木さん、いつもみんなといるので……そこで、なんとか二人きりになる機会を作れるのは、もはやゼミのコンパしかないと思いました。それで今日、出席したんです」
 彼女の息が、俺の胸や腹に当たる。熱い。
「待ってる間、すごく不安で。今日はもう来ないんじゃないかとも、思いました。でも、来てくれて良かったです。非常にドキドキしました」
 彼女が柔らかい頬を押しつける。眼鏡がズレるのもお構いなしだ。
「教授がお酒を勧めた時、止めようとしてくれましたよね? 嬉しかったです。おかげで気分が高揚してしまい、教授を必要以上につらい目に遭わせてしまいましたけど……」
 そうか、彼女は高揚すると、よくしゃべるようになるんだ。
 彼女が、俺の胸からずりずりと、顔を上げた。
「あれ」
 彼女は慌てて、大きくズレた眼鏡を直そうとする。俺はその手を取った。彼女の疑問符が浮かんだ顔に少し笑って、ちゃんと掛け直してあげる。
「ん、これでいいかな」
 その頬は、すーっと赤みを増し、瞳はやや見開かれ、潤んで月が揺れている。彼女のことをクイーン オブ 無表情だと思っていた俺はバカだった。
 彼女は少し離れて大きく息を吸う。
 決意の表情。
 彼女の、ぷるんとした唇が、動いた。
「久多良木さん、あなたのことが非常に好きです。わたしとお付き合いしてください」
 俺は、その言い回しに少し笑った。彼女はムッとする。
「ちょっと久多良木さん。人が真剣に言っているのを、わかっているんですか」
「いや、悪い悪い」
 俺も息を大きく吸い込み、顔を目一杯、真剣にして答えた。
「うん、俺も浅葱さんの事が今、非常に好きになりました。お付き合いしましょう」
 その瞬間。
 彼女の頬を、ぽろぽろと月のしずくがこぼれ落ちた。
 彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
 俺は、その大げさな言葉に笑いながらも、ちょっと引っかかった。
「いやいや、恩とかそういうの、やめてくれよ。そりゃ俺たち、先輩後輩だけどさ、男と女って意味じゃ対等だろ」
 彼女は、はっと目を見開いた。
「はい、そうですね。以後、気を付けます」
 俺は彼女の頭を軽く撫でた。
「ん、応急処置は完璧だな。じゃあ、後の処置はベッドで行うとするか」
 彼女は顔を目一杯上げ、俺の目を覗き込むように見つめた。うう、軽く流してくれよ、つらいじゃんか。
「それは……冗談なのでしょうか。それとも別の意味で本気、と受け取っても良いのでしょうか」
 真顔で小首をかしげながら、また、顔を赤くする。今度は俺も紅潮した。うーん、予想以上に天然だな。
「もちろん冗談だよ、さ、帰ろう」
 俺は彼女の手を握った。
「あっ」
「えっ」
 一瞬、彼女が反射的に手を離そうとした。俺は驚いて思わず声を上げた。
 彼女が眼鏡を直し、今度は彼女からもう一度、おずおずと手を握ってきた。
「わたしは、男性経験がありません。ですから、さっきのような冗談も判断がつきません」
 俺に上目遣いの眼差しを向けた。不安と期待の入り交じった色だ。
「その、ですから、また、これからも、色々……教えて下さいね」
 うっはぁ……今なら、アキバ系の“萌え”って気持ちがわかる。わかるぞぉ!
「ああ、うん。まあ、焦ることないからな。うん」
 大事にしたい。俺は心の底から湧き上がる思いが溢れそうだった。息が苦しい。あれ? 地面がぐるぐる回るよ? なんだこれ……。
「久多良木さん? 久多良木さん!」
 浅葱の声が遠くから聞こえた。

 目を開けると、俺の部屋だった。
 そばに柔らかなものがある。触ってみた。
「あん」
 ああ、女の子か。そりゃ、柔らかいよな……って、えええ!
 俺はびっくりして、ベッドから飛び起きる。隣には、浅葱が全裸で寝ていた。
 一見、まるで中学生にも見えるが、その太ももや、尻、腰周りの肉付きが大人だと主張していた。
「久多良木さん、寒いです」
 彼女は、俺が剥いだ薄い掛け毛布を引っ張った。
「それと……やっぱり、それ、まだ見慣れませんので、その、隠して下さい」
 俺も全裸かよ。どうなってんだ。とりあえず俺は慌ててベッドに戻る。浅葱が近距離で話しかけてきた。耳に息が掛かる。くすぐったい。
「昨日の夜はすごかった、です」
 えええ! 俺、やっちゃった? やっちゃったの?
「とにかく、凄い熱だったんです」
 あー、びっくりした、びっくりした。熱ね、熱。
 そうか、やっぱ俺、風邪ひいてたんだ。
「携帯電話でゼミのみんなを呼んで、ここまでタクシーで運んでもらったんですよ」
「うーん、そっかぁ、そりゃみんなに悪いことしたな。謝らないとなぁ」
 ん? でもそれと、俺たちが今、全裸なのは何の関係があるんだ?
 彼女を見ると、少し頬に赤みが差した。
「それで……わたしだけが残って、人肌で温めていました」
 ああー。ううー。そうかー。そうきたかー。
「でもさ、なにも全裸でしなくても」
「えっ、違うんですか。ゼミのみんなに相談したら、全裸で温めるのが一番だからって……」
 あああ、そんなこと相談してるし。こりゃあ、ゼミに出たら酷い目に遭いそうだ。
「あの」
 がっくりきてる俺を、不安そうに見つめる。
「いや……だったですか」
 俺は頭を軽く横に振り、微笑んだ。
「ううん、いやじゃないよ。むしろ、もっと温めて欲しい……なんてな」
 彼女は少し笑って、答える。
「いいですよ。久多良木さんなら、強要罪で訴えたりしません」
 俺たちは、幸せの毛布に包まれて微睡んだ。

END


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