[笑顔の春を]

●topに戻る
連作のトップに戻る

 コタツに、ミカン。
 日本の伝統的な冬のイメージのひとつだな。
 俺は、ミカンに手を伸ばす。甘そうな感触のものを選んで取る。
 そこに俺の彼女が、見事なタイミングでお茶を持ってきた。

 彼女は、どんなことでもクールに完璧にやってのける。しかし、ただひとつ、できないことがあった。
 それは、心から笑うこと。大笑いってヤツだ。
 
 正月休みの最後の日。俺は彼女とふたり、同棲しているマンションで、のんびりしていた。
 彼女は、お茶を俺の前とその正面に並べて、優雅なしぐさでコタツに入る。
「やはり、良いな。コタツというものは」
 彼女の男口調も、ずっと前から気にならなくなっている。
 俺は、ミカンをむいて口に放り込む。
「ん、甘い。さすが、ウチのおじさんトコで採れたもんだな。おまえもどう?」
「うむ、頂くとするか」
 彼女もミカンをひとつ、手に取り、むく。
「このスジが、なかなか取りにくいんだ」
 そんなことを言ってるくせに、手早く完全にスジを取り除く。
 急にオレンジ色のボールができあがったように見えた。まるで手品のようだ。
 そのボールを割り、房をひとつ取る。形の良い唇を軽く開け、口に放り込む。
「ん。確かに甘い。君のおじさんに感謝だな。ウチのほうでは、こういうものはできないからなぁ」

 しばしの沈黙。
 お互い、お茶を少し飲む。
 俺は、二個目のミカンを口にしながら言う。俺はある決心をしていた。その前振りを話す。
「同棲して三年か」
 彼女も、二個目のミカンを口にしながら答える。
「そうだな。早いものだね……ところで。これはなんだ?」
 突然、彼女が上着のポケットから出したもの。
 それは、いわゆるフーゾク店のカード。女の子の名前とメッセージが書いてある。
 それを淡々と読み上げる、彼女。
「『お話、楽しかったです。またいつでもメールしてネ! ずっと待ってるYO』……だそうだが?」

 血の引いていく音が聞こえる。
 なんなんだ、このタイミングは。俺の決心をくじくには、見事すぎる。
 俺はなんとか心を落ち着けて、冷静に言う。
「ああ、会社の山田さんにまた、無理矢理連れて行かれたんだ、うん」
「ほう。その理由は三回目だな」
「い、ホ、ご」
 俺は「いや、ホントなんだよ、あの人強引なんだから」と言いたかった。だが、焦って言葉にならない。
 いつもそうだ。俺は、大事なときに肝心なことが言えない。これじゃあ、疑ってくれと言ってるようなもんじゃないか。
 彼女のクールな視線が、俺を突き刺す。

 だが、やがてそれは哀しそうな色に変わった。
「わたしが、外国人だからか?」
「えっ」
「わたしが、ハルマ人だからなのかと聞いている」

 そう、彼女はインドの近くにあるという、ハルマという小国の姫だ。名をクーシャナ・ハルマータと言う。
 彼女は十八歳の時、留学生として俺の行っていた高校に来た。
 肌は健康的な小麦色で、くっきりした二重まぶたと大きな目、きれいな形の唇が印象的だった。
 彼女は、教室に入った瞬間から俺を気に入ったと言う。その場でいきなり告白された。
 俺は、どうすればいいか解らず、とりあえず「友達から」と答えた。
 俺たちは、そんな形で始まった。

 彼女は何をやらせても優秀で、完璧だった。
 女子は親しみを込めて“クーちゃん”と呼んでいたが、俺はずっと“クーシャナ”さんと呼んでいた。
 まだ友達だから、と自分にいいわけをしていた。ホントは“クー”って呼ぶのが恥ずかしかったんだけど。

 しばらくして、気が付いたことがあった。
 彼女は、笑うことがなかった。彼女の国の習慣では、それが普通だったらしい。
 俺は、なんとか笑わせようと、色々と馬鹿なことをしてみたがダメだった。

 でも、夏のある日。放課後、河原の道をふたりで帰る途中で少し彼女が遅れた。
 その時、俺はなんの気なしに“クー?”と呼んで振り返った。見ると、靴ヒモがほどけていた。
 彼女は一瞬、きょとんとして……初めて、不器用に微笑んだ。
「初メテ、アナタカラ、聞ク言葉ダネ」
 あの時から俺たちは、ちゃんと付き合うようになった気がする。

 また別の日。彼女は、俺の使う日本語を覚えたい、と言いだした。
 彼女は、すでに日本に来た時点である程度、言葉を覚えていた。だが、その上で俺の使う言葉を覚えたかったそうだ。
 俺は、さすがにあまり酷い言葉は教えなかったが、それでも、彼女はすっかり、男言葉を覚えてしまった。
 それ以来、俺の前ではずっと気に入って使っている。
 
 彼女の留学期間は、特に決まっていなかったから、高校を卒業しても俺たちはずっと付き合いを続けた。 
 俺たちは大学を出て、俺の就職が決まったその日から、同棲を始めた。
 向こうの国の規則が許さないかと思ったが、あんがいそのへんは、おおらかで助かった。
 
 クーは、強く言った。
「なにがおかしい?」
 今や日本人より、うまくしゃべることが出来るかも知れない。
 俺は我に返り、答える。
「いや、ごめん。昔のこと、思い出しちゃって。高校時代さ、俺の使う言葉を覚えたいって言った時、俺が“なんで?”って聞いたら、おまえ、答えたよな」
 クーはうなずいて言う。
「宇宙の果てに届くほど、君を愛しているから、か?」
 そう、それ。その言葉だ。
 俺は、決心が完全に固まった。
「あん時、ちょっとびっくりしたのと……嬉しかったんだ」
 今、言おう。今しかない。
「そんなに俺のこと、好きになってくれる人間は、これから先もきっと、おまえしかいないだろうと思った。でも、俺には自信がなかった。ホントは俺も、おまえに負けないくらい、おまえが好きだったけど」

 クーは少し目を見開いたが、黙って聞いている。
 俺の心臓は、体中に血液の激流を流し始めた。声がうわずる。
「だ、だから、俺がおまえを支えることが出来るようになったら、ずっと、ずっと言おうと思ってた言葉があるんだ」
 俺は上着のポケットから、いつも肌身離さず隠し持っていた青い小さな箱を取り出した。
 それをクーの前に突き出し、震える手で、そのフタを開けて見せる。

 中には、給料の三ヶ月分の指輪が輝いていた。
「おまえが外国人だとか、そんなの関係ない。俺は、おまえを愛してるんだ。結婚しよう」
 クーは息を呑んだ。そして、彼女の小麦色のほほを、銀色の光が流れた。
「初めて……君から、聞く言葉だな……」

 ああ、あの夏の日の言葉と同じだ。そう思った瞬間、一気に言葉が涙と共にあふれた。
「俺、今まで言えなくて、今までずっと言えなくて、ごめん。三年も待たせて、ごめん。不安、だったよな。おまえみたいに素直に、なんでも、言えれば、いいんだけど、俺、俺……」
 クーは、横に来て、その豊満な胸に俺の頭を抱きしめる。
「疑って悪かった。君が誠実な男だと言うことを、忘れていたようだ」

 彼女は俺を離し、正座した。
 涙を拭いて、呼吸を整え、三つ指を突く。
 俺も慌てて、涙を拭いて、居ずまいを正す。
 クーは深くお辞儀をし、言った。
「ありがとうございます。謹んでお受けします。ふつかよいですが、よろしくお願いします」
「ありがと……て、二日酔い?!」
「あ、ふつつかものか!」

 彼女は、どんなことでもクールに完璧にやってのける……はずだった。
 でも、違うんだ。彼女だって間違うこともある。それで良いんだよ。
 それと。
 できなかったことが、できるようになった。
 そう、その日、俺は彼女の大笑いを、初めて見たんだ。
 自分の失敗に顔を真っ赤にして、笑う彼女。
 俺はその失敗より、彼女の笑顔が嬉しくて。
 俺たちは、大笑いした。笑う門には福来たる。
 これから大変だけど、彼女となら、きっとうまくやれる。
 去年と同じ、今年も良い年になりそうだ。いや、去年より、もっと良い年にしていこう! そう思った。

END


●topに戻る
連作のトップに戻る





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送