[七夕ランデヴー]


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 七夕の夜。
 わたしは、ベランダで笹に短冊を吊していた。
「一年に一度だけでも、逢える相手がいるだけ良いじゃないか」

 わたしは今まで、仕事一筋に生きてきた。
 男性に付き合いを、申し込まれたこともない。
 そもそも、自分が異性と付き合う、と言う感覚が理解できなかった。
 自分にはこれと言って秀でたところはないし、平凡な女だと思っている。
 だから、とにかく仕事だけはがんばった。
 おかげで主任に昇格はしたものの、同僚はひとり減り二人減り。
 もちろん寿退社で、だ。
 結局、彼氏もいない、まだ結婚していない、そんな大学時代の友人達と飲んで愚痴って、の日々。
 自分には恋愛の才能や感情がないのだ、そう、思い始めていた。
 だが、憧れだけはあった。

 今日もわたしは、いつものように友達と飲み、独りの部屋に帰ってきた。
 気が付くと、七夕の笹を買ってきていた。
 飲み屋街の夜遅くまで開いている花屋で、友人に押しつけられた事を思い出す。
「……まあ、せっかくだからな」
 さらに迎え酒をしながら、適当にそのへんの紙を切って、願い事を書いた。

『素敵な彼ができますように』

 思わず、鼻で笑ってしまった。まるで、中高生だ。
「本来ならば、仕事のことを願うものらしいが……これもまた、一興!」
 酔っぱらいのテンションで、短冊を吊しにかかった。

 テレビの笑い声で、目を覚ます。ソファで眠ってしまったらしい。
 1LDKの部屋に、スーツとスカート、シャツが放置されている。
 今の格好は、いつもの部屋着だ。
 ジャージ姿に、ゴムで適当に止めた髪。
 それに、コンタクトではなく眼鏡。
 いつの間にか、着替えてはいたようだ。
「ふむ。酔いはずいぶん覚めている。これくらいなら問題ないな。明日の朝食を買いに行くか」
 ふらりと立ち上がり、財布と鍵を持って、部屋を出た。

 緩やかなカーブを描く坂道を下る。
 涼やかな風が吹いていた。
 空を見上げる。
「雲がほとんど無いな。これなら、年に一度の逢瀬は上手くいく」
 都会では天の川さえ、はっきりとは解らない。
 それがまるで、彼らを隠しているように思えて……淫靡だな、などと思ってしまう。
 酔いが少し、残っているのかも知れない。

 近所のコンビニに到着した。
 外からちらりと見ると、バイトの男の子が目に映った。
「ふむ……新しい子が入ったのか」
 彼は本のコーナーで、それらを整理していた。
 影になって、顔は見えない。
 髪は短く、今時のオシャレな感じだった。
 目を戻して、中に入った。
「いらっしゃいませ」
 彼は、そんな、店員なら誰でもする挨拶をした。
 だがわたしは、その声に反応した。
 人を安心させるような響きだ……
 それに釣られて、彼の背中を見る。
 広く、硬そうだ。
 それに姿勢が良く、尻の位置が高い。
 てきぱきと本を扱う指が長く、美しい。
 ……触れてみたい
 不意に自分の中に浮かんだ、気持ち。
 初めて異性に対して、感じた、気持ち。
 わたしは、動揺した。
 だが、すぐにその理由が何であるか、理解した。

 恋。
 そう。これは、恋。
 わたしにも恋する才能はあったのだ。
 
 そう理解したからと言って、すぐに平常に戻れるわけではない。
 こんなことなら、もう少しマシな格好をしてくるんだった。
 しかし、こうなったらしかたない。
 できるだけ平静を装い、いつものように、明日の朝食を手に取る。
 レジに向かう、その一歩一歩が、鼓動を早める。
 彼がわたしに気付いて、本を置き、風のようにレジの前に戻る。
 商品を差し出すと、彼が素早く会計した。
「三百六十七円になります」
 その笑顔。無精ヒゲも、ニキビもない。
 触るとスベスベしているだろう。
 その想像はとても、魅力的に感じられた。
 今、他の客も他の店員もいない。
 ふたりきりだ。
 わたしは目を閉じ、軽くうつむく。
 人差し指と親指で挟むように、眼鏡のレンズを持ち上げる。
「それと……」
 彼は愛想良く、はい、と頷いた。
 わたしは顔を上げ、彼の瞳を覗き込んだ。
「君を、くれないか?」

 次の日。
 朝の優しい光が部屋に射し込んでいる。
 わたしは鏡の前で椅子に座り、化粧をしていた。
 土曜日なのに出勤だ。
 正直、行きたくはない。
 そう思っていると、ベッドから彼が起き出してきた。
「おはようございます、久実……さん」
 わたしは鏡を通して、彼を見た。
 パンツ一丁だ。
 可愛い。
「起きたか。おはよう。朝食は昨日、君の店で買ったものがあるぞ」
 彼はその言葉を受け流し、意を決したように、告げた。
「その……責任は、取ります」
 わたしは化粧を終え、彼に向き直る。
「それは嬉しい提案だな。だが、ちゃんとゴムは着けただろう? 責任は取らなくて良い」
 彼は、ちょっとムッとした。
「だって、久実さんは初めてだって……」
 わたしは立ち上がり、彼の綺麗な手を握った。熱い。
「確かに。痛くて死ぬかと思った。だが、それ以上に嬉しかったし、気持ちよかったんだ」
 彼の手をわたしの胸の上にのせると、彼の顔がどんどん紅潮してくる。
「それよりも、責任を取らないといけないのは、わたしのほうだ」
 どう考えても、わたしが拉致したようなものだ。
「こんな、いい歳のダサイ酔っぱらい女に一晩、付き合ってくれてありがとう」
 わたしは彼の手を離し、カバンから財布を取り出す。
 中から数枚の万券を差し出した。
「少ないがこれは、お礼だ。これを受け取ったら、帰ってくれて良い。わたしは二度と君のコンビニにも行かない」

 これが今、わたしの出来得る責任の取り方だ。
 年に一度も逢えなくて、良い。
 二度と逢わなくても、良い。
 わたしは昨日の夜を忘れずに、生きていけば良い。

 彼の人生は、彼のものだ。
 わたしがこれ以上、振り回してはいけないのだ。

 彼はそのお金を見て、硬い表情になった。
「いりません!」
 彼は、わたしの手を払う。
 そのまま、抱きしめてくれた。
「泣いてるじゃないですか」
 わたしの胸が苦しくなる。
「泣いてなど、いない」
 ひらひらと万券が舞った。
「泣いています。顔には出なくても、心の中で」
 わたしの心臓が一瞬、音を立てた気がした。
「俺は、あなたと居たい。俺に出来ることは、してあげたい」
 胸の奥がきゅん、と鳴った。
「俺は、あなただから、ここに付いて来たんです。あなたは……きれいです」
 わたしの足から力が抜ける。立つのがやっとだ。
 耳元で彼に囁く。途切れ途切れの声で。
「君は、変わり者だと、言われない、か?」
 彼もわたしの耳元で囁く。くすぐったい。
「変わり者は、嫌いですか?」
 そう言うと、首筋にキスをした。
 わたしはもはや、立っていられない。
 彼に抱きかかえられるようにして、リビングに寝転がる。
 わたしを見下ろす、彼の優しい瞳に答えた。
「大好きだ」
 後で、社には急用で休むと電話を掛けておかなければ……そう思いながら、目を閉じた。

END


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