これまで言えなかった事を、今ここで素直に言います。
聞いてください。
わたしが遠くの美大に自力で行ったのは、絵が描きたかったから、だけじゃなかったの。
本当は……お母さんが、大嫌いだったの。
おしゃべりが大好きなお母さん。
わたしは、いつもあなたの話し相手をしていました。
お父さんはいつも夜遅く帰ってきて、話もしませんでした。
わたしは、いつもあなたのお父さんに対する愚痴を、聞いていましたね。
あなたは気性が激しくて、子供のように泣いては、わたしにすがりました。
「どうして、あの人は愛してくれないの」
小学生だったわたしに、そんなことを言われても、どうしようもないのに。
ある日。いつものように、独りで押入れに籠もる遊びをしていました。
子供心に独りの部屋、静かな部屋に憧れていたのでしょう。
わたしは、ふと押入の隅にずっとあった、大きな箱を開けてみました。
色々な古道具に混じって、一枚の絵を見つけました。
油絵でした。
そこには若々しいあなたが描かれていました。
あなたに聞きましたね。これは何かと。するとあなたは、驚いて嬉しがりました。
「お父さんが学生の頃、描いてくれたのよ。今はもう、絵は止めちゃったけどね」
その日は、わたしの思い出の中で、最もあなたが機嫌の良かった日でした。
わたしは、その日から絵を描くことを覚えました。
わたしが中学に入学した日の深夜。
ついにお母さんは、お父さんと大喧嘩しましたね。
あの頃、お母さんは、家事もできない、そんな心の病気にかかっていましたね。
お父さんは、それを理解できず、あなたを殴りました。
あなたは、泣きながら、わたしに腐った牛乳を掛けました。
わたしは、行くあてもないのに家を飛び出しました。
あの後、わたしがどうしていたか、言いませんでしたよね。
別に何かあったわけではなく、どちらかというと、本当に何もなかった、と言うべきでしょう。
深夜の田舎町は交通量も少なく、灯りもほとんどなかったです。
四月とはいえ、ひどく寒かったのを覚えています。
当時は、携帯電話も持っていませんでした。そもそも近所に友達もいませんでした。
わたしは、異臭を放つ牛乳まみれで、とぼとぼと公園に行きました。
どこにも行けないベンチで、からっぽの胃と心を抱えて、朝まで過ごしました。
それから、ほとんど毎日、お父さんとあなたは喧嘩をしていましたね。
わたしは高校に入る頃には、もう本当に、そんな家庭が耐えられなくなっていました。
幾度も、生まれてくるんじゃなかった、死のう、と思いました。
でも、絵を描けばその間は、忘れていられました。
そうやって、絵を描くことにのめり込んでいきました。
わたしは、家に大学に行けるほどの余裕がないことは、良く知っていました。
だって物心付いた時から、わたしたち家族は家賃の安いアパート暮らしだったから。
でも、その貧乏以上にお母さんたちには、うんざりしていました。
何もせず死ぬくらいなら、絵を本当に死ぬ気でがんばろう、そう思いました。
やがて都会の美大に合格し、大学を出てから返せる奨学金も受けました。
そうやって家を飛び出て、美大の近くでアパートを借りました。
本当に大学生活は、静かで平穏な生活でした。
わたしは年に一度も、帰りませんでしたね。
お母さんやお父さんが、どう暮らしているかなんて、興味もなく……いえ、あえて考えないようにしていました。
大学の友人と家族の話になると、いつも呆れられました。
「あんたはクールって言うより、冷たいよね」
だって家族が、お母さんが嫌いだったから、当然と思っていました。
わたしは大学卒業後も、その街に住み続けていました。
やがて、小さなデザイン会社に就職しました。
四年前のあの日。
お父さんが倒れたと言う連絡を、叔母さんから受けました。
脳内出血でした。
わたしは急いで田舎に帰り、お父さんのいる病院に行きました。
病院で久しぶりにあなたを見ました。
あなたは、一回り小さくなっていました。
付き添ってくれた叔母が、わたしのことをあなたに告げると、振り返って一瞬、怪訝な顔をしました。
「だれ?」
あなたは、わたしのことを忘れていました。
でも、わたしにはショックでもなんでもなかったの。
それも当然、そう思いました。
わたしは普通の調子で、言いました。
「娘」
あなたはその言葉を聞いて、深い縦じわの入った眉間に、さらにしわを寄せて考えて。
やがて、思い出したようでした。
「ああ」
それだけ言うと、お父さんに向き直りましたね。
お父さんは、すでに意識はありませんでした。
お医者様は、回復の見込みもほとんどありません、と仰ってました。
それでも、あなたはお父さんの手を握り、その顔を見つめていましたね。
わたしは、お父さんを見下ろしながら、もうダメなんだろうな、と思いました。
しばらくして、お父さんの意識が戻りましたよね。
その顔は明らかに、思考能力が減っている感じでした。
でも、あなたは大喜びしました。
お父さんに水性の色ペンと紙を買ってきて、絵を描かせようとしていました。
そう、止めていた絵を。
お父さんは最初こそ、お母さんの言うことを聞いて、描こうとしていましたが、当然、ペンを上手く持てません。
右半身は麻痺していたのだから。
あなたは、床に落ちるペンを拾っては、持たせて、描けと言い続けていました。
それは、リハビリのつもりだったのかも知れません。
でも、絵を描かないあなたに、無理に描かされる苦痛が解るはずもありませんよね。
あなたは頑固で、いくら止めても、わたしの言うことなんか、一度も聞かなかった。
やがて、お父さんは、泣いて嫌がるようになりました。
あなたは諦めて、とにかくニコニコと話しかけるようにしていましたね。
でも、どんどんお父さんの反応は少なくなっていきました。
お父さんの最後の日。
これも、話していませんでしたね。
午後、わたしが病室に行くと、まだお母さんは来ていなくて。
お父さんは、わたしを見つけると、じっと見つめました。
でも、もうその瞳には思考はなく、赤ちゃんの反射のようでした。
看護士さんが窓を開けると、お父さんは鳥のように頭を窓に向けました。
明るい日射しが差し込み、海が見えました。
わたしは窓際まで歩いていきました。
とても気持ちいい風が、吹きました。
病院の屋上にでも居たのか、鴎がふわっ、と飛んでいきました。
ふとベッドを振り返ると、薄く笑った顔で、目をつぶっているお父さん。
「お父さん?」
呼びかけても、反応はなく。
わたしは思わず、息を飲み、うなずきました。
「お疲れ様」
そう囁いて、看護士さんを呼びました。
お父さんは死んだら身体を献体に出す、と言う書類を書いていました。
だから、そのとおりにしました。
おかげで葬儀を出さなくて良かったから、助かりました。
お父さんはそう言う人でしたね。
骨が還ってくるのは二年後でした。
それから、あなたはしばらく、ひとりで暮らしていましたよね。
わたしは相変わらず、都会で忙しく暮らしていました。
後で叔母さんから聞きましたよ。
その頃は毎日、ろくに食べず、寝ているのか起きているのか、解らない生活をしていたそうですね。
わたしも、似たような生活を送っていました。
あなたのことは、やっぱり、考えることもせず。
やがて、あなたも入院しました。
ガンでした。
わたしはまた、田舎の病院に通うことになりました。
幸い、ガンは初期段階だったため、手術もすぐ終わり、経過も良好でした。
その療養中、あなたは同室の患者さんに、お父さんとの思い出話を、延々と話しては嫌がられていましたね。
わたしとの、最後の会話を覚えていますか。
やっぱり、お父さんのことでした。
「でね、あたしがね、最近、トッピング強盗が流行ってて怖いって言ったら、笑ってさ、『そりゃ、ピッキングだろ』って」
お母さんは、嬉しそうでしたね。
あなたの最期の日。
突然、お父さんと同じ脳内出血が起きて、集中治療室で手術を受けました。
でも、その甲斐はなく、意識がなくなりました。
わたしは、あなたが逝ってしまう前、その意識のない間、あなたの顔を絵に描きました。
あんなにやせ細っていた顔が、薬のせいか、パンパンに腫れてました。
まるで、お父さんが描いた、あなたの絵みたいでした。
お母さんが逝ったのは、お父さんが亡くなって二年ちょと経っていました。
だから、献体に出されていたお父さんの骨は、すでに貰ってました。
わたしは、お母さんの葬儀を出しました。
叔母さんと、少ない親戚だけで、執り行いました。
もちろん、費用はわたしが出しました。
わたしは、もう都心のマンションで暮らせる程度には、お金を持っていました。
お母さん達に、ここの墓地へ入ってもらってから後。
わたしは、わたしたち家族の住んでいたアパートを引き払う作業をしました。
あなたは、山のようなメモをこっそり、例の押入の大きな箱に書き残していました。
でも、わたしのことは何一つ書いていませんでしたね。
内容は、お父さんのことばかりでした。
まるで、思春期の女の子のような悩みが、延々と綴られていました。
今、わたしはそれをどうしても捨てられず、持っています。
お母さん。
向こうでは、幸せですか。
わたしは、幸せです。
見えますか。
わたしの彼です。
彼と会うのは初めてでしたね。
来月、彼と結婚します。
わたしは、あなたに愛されていたという実感はありません。
でも、お父さんのことは、とても愛していたんですよね。
わたしは、子供は作りません。
わたしのように、自分を呪って生きるようには、させたくないから。
わたしは、ただ真っ直ぐ、彼を愛して生きていきます。
それじゃあ、また。
end
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