[明日の歌] 


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 いつも彼は睨まれていた。
 縁のない眼鏡越しに冷たい視線を送る少女がいる。
 授業中も、休み時間も。ずっと。 

 椎名 雅也(しいな まさや)は最初、それに気付かなかった。
 だが、気付いてからのストレスは最近、精神的限界点へ迫っていた。

 彼に対して鋭い眼光を放っている女子の名は神代 明日歌(かみしろ あすか)。図書委員だ。
 まるで生徒手帳から抜け出してきたような服装。オシャレとは無縁の格好だ。髪もゴムで後ろにまとめているだけ。
 いつもうつむき加減で無表情で無愛想。決して不美人というワケではないのだが、その雰囲気のせいでほとんど友達もいない。
 唯一、隣のクラスの淡島 ユキ(あわしま ゆき)だけが彼女と分け隔て無く付き合っている。
 
 雅也は結局、そんな彼女に睨まれ続けて一学期が終わった。
 夏休みの間は顔を見ないので良かったが二学期の初日からいきなり睨まれると、もううんざりしたようすだった。

 文化祭も近くなった日の放課後。
 雅也は教室を出ると足早に図書室に向かった。
「くそぅ……もう、もう耐えらンねぇ! あいつめ……!」
 どうやら明日歌に対して文句を言うつもりらしい。
 図書委員だからといっていつも図書室にいるわけではないが、しかし明日歌の場合はほとんどそこにいた。
 雅也は勢いよく図書室に飛び込むと、彼女を探して見回した。
 やはり、いた。窓際の席だ。
 秋の陽光を窓側から受け、輪郭が金色に輝いている。
 あごに軽く手を添え、何か雑誌を読んでいた。
 よく見ると柔らかく微笑んでいる。珍しい。
 彼はそれを見るとよけいに腹が立ったのか、そばまでズカズカと行って声をかける。
「神代!」
 彼女はハッとして彼を見上げた。
「椎名(しいな)君……」
 ほとんど表情が変わらないがそれでも驚いているようだ。
 雅也はまくしたてた。
「俺、おまえに何かしたか? どうしていつも睨んでんだよ! 一学期からずーっと! もういい加減やめてくれねぇか! うんざりなんだよ!」
 それだけ言い放って睨み付けた。
 彼女はしばらく呆然として。
「ご、めんなさい……」
 消え入りそうな声でふらりと立ち上がる。
 彼女の読んでいた雑誌がばさりと落ちた。
 それに全く気付かないようすで彼女は逃げるように図書室を後にした。
 彼の顔にちょっと済まなそうな色が浮かんだ。
「いや、でも神代が悪いんだ」
 そう自分を納得させるようにつぶやいた。

 しばらくして彼はさっき落ちた雑誌を拾い上げた。
「クラシック音楽……かな?」
 写真には小太りのオペラ歌手が大げさな身振りに大口を開けて写っている。
「なんであいつ、こんなの読んでたんだ」
 パラパラとめくってみていたが特に興味はそそられなかったようだ。適当に本棚へ戻して出て行った。

「神代さーん」
 色白の少女が廊下を歩く明日歌を呼び止める。
「ああ、淡島さん」
 淡島 ユキだ。彼女は肌もそうだが持っている雰囲気全体が白い。髪の色も薄く、ふわふわしている。目も鳶色だ。
 少し垂れ目でいつも笑っているような顔。だがそんな見かけによらず、芯は強かった。
 背の低いユキは心配そうに明日歌を下から覗き込んだ。
「どうしたの。なんかふらふらしてるよ?」
 明日歌は力無く応える。
「いや……なんでもない。なんでも、ない……」
 ぽろぽろと無表情なその瞳から涙が溢れた。
 ユキは慌てた。
「え?! 神代さん、大丈夫? と、とにかくこっちに」
 ユキは明日歌を連れて近くの女子トイレに入った。
「う、うう……」
 洗面台にポタポタと明日歌の涙が落ちる。
 ユキはしばらくオロオロしていた。だが、少しすると口を一文字に結び、頷いた。何かを決意した表情だ。
 静かに深呼吸して。
 明日歌に優しく、だが強く聞いた。
「なにが、あったの。教えて」
 明日歌は目を閉じて息を整えた。
「すまない……淡島さんは演劇部の練習があるのに……」
 ユキはニコニコしながら首を横に振る。
「いいって、いいって。友達が一番大事」
 明日歌は鏡に微笑んだ。
「あなたが居てくれてよかった」
 ユキも笑う。
「もう、照れるからやめてよ。それで? ホントどうしたの」
 明日歌がハンカチで目頭を押えながら、ユキのほうを向いた。
「うん。彼に嫌われたようだ」
「え、椎名君だっけ。ダメだなぁ。女の子見る目ないよ、彼」
 腕を組んで雅也を非難するユキ。
 それを見てまた微笑む明日歌。
「いや、わたしが悪いんだ。気持ちを打ち明けるタイミングを探して、ずっと見ていたから……わたしは目つきが悪いから睨んでいると思われたようだ」
「ずっと、ってどのくらい?」
「一学期からずっと。授業中も休み時間も」
 ユキはやや呆れた。
「うーん……ごめん。ちょっとそれはあたしでも引くよ」
 明日歌は寂しそうに頷いた。
 ユキは続ける。
「でも、そっか……さすがの直球神代でも恋には弱いか。いつもなら好きなものは好き、嫌いなものは嫌いって簡単に言っちゃうのにね」
 明日歌は軽く首を横に振る。
「そうだな。以前のわたしが、もしそんな相談を受けたら『好きなら好きと言ってしまえば良い』と答えただろう。でも、今は解る。好きだと人に言う事はとても勇気が必要だ。嫌われたくなければ、よけいにな……」
 また彼女の目が潤んでくる。
 ユキはそれを見て明日歌を抱きしめた。
「神代さんも女の子だったんだねー」
 明日歌はされるがままになっている。その顔には微笑みが浮かんでいた。
「淡島さんは失礼な人だったんだな……」
 ユキは笑う。
「失礼ついでに明日歌って呼んでもいい?」
「うん。じゃあわたしもユキと呼ばせてもらおう」
「いいよ!」
 二人は離れて握手した。
「これからもよろしく!」
「うん、ありがとう。わたしのほうこそよろしく頼む」
 手を握りながらユキは笑った。
「あ、もし時間あったらウチの芝居、ちょっと見てってよ」
「うん。今日の図書委員の仕事は終わったから大丈夫だ」

 講堂。
 ユキはそこで練習している演劇部に、明日歌を連れてやってきた。
 部の先輩がユキを叱る。
「もう! ユキ遅いよ! 主役なのにー!」
「すみません! すぐ入ります!」
 ユキは明日歌に素早く振り返る。
「今度の芝居はミュージカル風なんだ。ささ、座って座って。これシナリオだから」
 パイプ椅子を勧め、台本を手渡すと、舞台袖に走っていった。

 内容はオリジナルの単純な恋愛コメディだった。
 主人公の女の子が障害を乗り越えて好きな人と相思相愛になる、という話だ。
 芝居は進んだ。やがてシーンは好きな男の子に誤解を持たれて一度フラれるという所になった。全体の中で最もシリアスなクライマックス部分だ。
 ユキの歌声が講堂に響く。

『冬の夜 空を見上げた 好きって言葉 降ってきたけど 手の中で すぐ溶けた』

 明日歌は下唇を噛んだ。泣きそうになる。

『でも 好きって言葉 消えないよ あなたに届くまで 歌い続ける』

 明日歌はハンカチを出し顔を覆った。

 夕暮れの町並み。
 明日歌とユキの二人は駅まで歩いていた。
 結局、明日歌はユキの練習が終わるまで講堂にいて芝居を観たのだった。
「ユキは凄いな。あんなに歌えるなんて。とても良かった」
「だーから、照れるって!」
「あの歌は三年の人が作ったのか。感動した」
 ユキが照れくさそうに笑う。
「へへへ……実はあれ、彼氏が書いた歌詞」
 明日歌が少し目を見開いた。
「ユキは付き合っていたのか……」
 明日歌は、ふと何か思いついたように質問する。
「もしかしてユキは、あれをわたしに聞かせるために呼んだのか?」
 素っ気ない感じで返事をするユキ。
「さぁねー」
「ユキ……」
 ユキはポケットを探って携帯電話を取り出す。表面の細い液晶画面に映るデジタル時計を見た。
「あ、電車来ちゃうよ、急ご!」
 ユキが明日歌の手を取り、駆け出した。

 文化祭当日。
 演劇部の公演が行われる講堂に雅也が座っていた。しかも一番前の席だ。
 左隣には背の高い爽やかな男子がいる。
「なあ、孝治(こうじ)。なんで俺がおまえの彼女主演の芝居に付き合わないといけねぇんだ?」
 孝治と呼ばれた男子はニッコリと笑った。
「まあ、そう言わないで。面白いから……ていうか面白くなるから」
「はぁ? なんだそれ」

 その頃。舞台袖では、芝居の衣装を着てぶつぶつ言っている女子がいた。
「なぜ、わたしはこんなところにいるんだ……」
 明日歌だった。

『明日歌、ごめんなさい。どうしても生理がひどくて舞台に立てないの。替わりにお願い! 先輩には話を通してあるから!』

 そんな無茶なメールが届いたのは本番当日の朝だった。
 明日歌は無理だと返事した。

『毎日観てくれてたし、台本だって何回も読んでるんでしょ。あたし、知ってるよ。大丈夫! お願い!』

 二回目のメールの末尾には泣き顔の絵文字が付いていた。
 根が真面目な明日歌はそれを断り切れなかったのだ。

 ふいに演劇部の先輩が彼女を呼んだ。
「神代さん?」
「なんですか」
 明日歌は普通に答えたつもりだが、先輩は怯んだ。
「あ、ごめんね。なんだかすごく集中してるみたいね。さすがにユキの見込んだ人だわ。よろしくね!」
「はい。よろしくお願いします」
 そう頭を下げたものの、足は震えていた。
「また誤解されてしまった。この目つきのせいで……」
 彼女は頭をプルプルと横に振り、深呼吸した。
「そんなことを気にしてる場合じゃない。引き受けた以上、やれるだけやってみよう。これも友情のためだ」

 公演が始まった。
 幕が開き、明日歌が舞台に登場する。
 それまで興味無しに舞台を観ていた雅也が目を見張った。
「え、なんで神代が芝居なんかやってんだ?! しかも主役って……孝治の彼女って確かB組の淡島だろ!」
 孝治は片方の眉を上げて応える。
「なんか代役になってるみたいだなぁ」
「なんだよそれ。聞いてないのかよ」
「まあまあ、落ち着いて。静かに芝居観ようぜ」
 雅也は周りの静かにしろというジェスチャーを見て黙ることにした。
 しかし、全く納得していないようすだった。

 しばらくその芝居を観ていた雅也はつぶやいた。
「すげぇ、神代のヤツけっこうやるな……」
 孝治も同調する。
「ほんとほんと。能ある鷹は爪を隠すってヤツかねぇ。それに舞台用の化粧のせいか、いつもはあんなに地味な神代がけっこうカワイく見えるなぁ。ま、淡島には勝てないけどね」
「うっせぇよ。静かに観てろ」
「おやおやおやぁ?」
 雅也の頬は熱を帯びていた。

 明日歌はひととおりの芝居をこなし、舞台袖へ戻った。
 次の出番まで少し間がある。
 彼女は床の一点を見つめながら、肩で大きく息をしていた。
「椎名君がなぜあんなところにいるんだ……一番前の席は演劇部の家族か関係者しかいないはずなのに。ああ、だめだ。歌えない……あんな恥ずかしい歌……」
「あんな歌って、それちょっとヒドイんじゃない?」
 聞き慣れた声がした。
 驚いて前を見ると。
 ユキがいた。
 痛そうにお腹を押えている。
「ユキ! 大丈夫なのか」
「あたしより自分の歌の心配しなさい」
 ユキは明日歌に近づいてくる。
「いつもの明日歌らしく直球で勝負するのよ!」
 明日歌の肩を抱くとそっとつぶやいた。
「大丈夫」
 明日歌はゆっくり頷いた。

 やがて、芝居は例のクライマックスに入っていく。
 食い入るように舞台を観ている雅也。
 孝治は何かに気付いたようにポケットを探った。
 携帯電話を出すと、開いてメールを読んだ。
「よし、オッケーか」
 彼はそれをしまうと雅也に耳打ちした。
「今から歌う歌はおまえに向けてだそうだぜ」
「はぁ? どういうことだ」
 孝治はそれに明確な返答をせず、別のことを言った。
「あのさ、神代はおまえのこと、ずっと見てたんだろ?」
「ああ、睨んでたけど……え、見てた? 睨んでたんじゃなかったのか?」
「雅也、おまえバカじゃないの」
 ふっと舞台の照明が落ち、明日歌にスポットライトが当たる。
 明日歌が静かに歌い出した。美しく広がる声。

『冬の夜 空を見上げた 好きって言葉 降ってきたけど 手の中で すぐ溶けた』

 それはどちらかというとオペラに近い響きだった。

『でも 好きって言葉 消えないよ あなたに届くまで 歌い続ける』

 歌が終わると一瞬、静寂が講堂を支配した。
 やがて客席から拍手のうねりが湧き上がった。
 歌い終わった明日歌は雅也を見つめている。彼も顔を真っ赤にしながら見つめ返していた。
 それはスポットライトが消えるまで続いた。

 数日後。
 明日歌とユキ、そして雅也と孝治の四人は駅前のファーストフードにいた。
 雅也が本当に申し訳なさそうに話す。
「神代、そのあの図書室でヒドイこと言ってホント、ごめん。まさか俺のこと、気にして見てたなんて思って無くて……」
 明日歌は軽く首を横に振った。
「いや、もう済んだことだ。今は誤解も解けてこうして付き合ってるのだから問題ない」
 孝治が軽く口を挟む。
「万事塞翁が馬、ってね」
 雅也は反論した。
「嘘吐け! 半分はおまえと淡島の仕組んだことじゃねぇか!」
 ユキは屈託無く笑う。
「ごめんねー。でも孝治と椎名君が友達だって知ってたから思いついたんだよねー。ちょうどあたしも体調崩したしさ。それに明日歌がオペラに興味があってけっこう歌えるって聞いてたしね」
 明日歌はポテトをつまみながら口を開いた。
「確かに今回、見事に罠に填ったな。でもこういう罠ならまた填っても良いぞ」
 雅也がツッコみを入れる。
「って、浮気宣言かよ」
 明日歌は急に雅也の頬を両手で挟み、口づけた。
「んん?!」
 やがて、ゆっくり唇を離した。
「バカだな……わたしはもう二度と君のことを諦めないし、浮気もしない。雅也だけだ」
 雅也はぐったりと席に座り込んだ。
 それを見ていたユキが孝治を見つめた。
「あたしには?」
 孝治は真っ赤になって窓のほうを向いた。
「人前でできるわけないよ! 神代が特別なんだ!」
「そう言わないでさー、ねーねー」
 ユキは孝治が困っているのをなにやら楽しんでいるようだ。
 明日歌は微笑んで、またポテトをひとくち食べた。

END


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