B. 氷羽のいる図書室
校門の前まで来ると一台の車が止まっていた。
深い紺色の高級スポーツカー。
それを見た氷羽がハッとして駆け寄る。俺もよく解らないが後を追った。
「お兄様。また何か?」
ドアが開くと、中から氷羽とよく似た切れ長の眼を持つ、長身の男が出てきた。
イタリア製のスーツをビシッとしかし品良く着こなす立派な体格。オールバックの黒い髪。全体的に優雅で、怖いという感じではない。そう、例えるなら貴族。
氷羽と同じように中指で眼鏡を直した。
「ふむ。今、警備部隊から連絡があったんだ。またヤツらが来たようだ。早く戻って倒さねば」
口調も表情もそっくりだ。でも、何を言ってるんだろう。この人は。
彼は俺に気付いて氷羽に問いかけた。
「ん、なんだね。この子は」
彼女はこともなげに答える。
「私の夫です」
ぶほっ! 今の球速、百七十キロは出てたぞ! 世界記録更新だ。
お兄さんも無表情ながらショックを受けているようだ。一気に顔色が悪くなった。
氷羽が俺を紹介する。
「祐介。この人は私の兄で、霊峰 暁(れいほう あきら)だ」
俺は精一杯、ちゃんと挨拶した。
「クラスメイトの神田 祐介です。氷羽さんにはお世話になっています。どうぞよろしくお願いします」
頭を四十五度に下げ、お辞儀する。
頭を上げて暁さんを見ると、彼は氷羽に増して無表情だった。俺に対して怒っているのか、認めているのか、まるで解らない。
「む。とりあえず、今は一刻も早く屋敷に戻らねばならん」
「はい、お兄様」
氷羽は俺を車の後部座席に突っ込むと、続いて横に乗り込んだ。
「って、おい。なんか取り込んでるみたいだけど、俺、行っていいの?」
彼女は俺を見つめて、のたまった。
「うむ。これは逆にいい機会だ。私の全てを見てもらいたい」
お兄さんは、車の発進に失敗した。
学校の裏山を登った頂上付近にある、霊峰のお屋敷に着いた。
隣の山では走り屋連中が、その峠を使って夜な夜なレースをしているらしいが、ここは山まるごとが霊峰のものだ。いつも氷羽はそこから街を一望しているという。
高速でデカい門くぐり、森のような庭園を疾走する。
暁さんは車を建物の前に止めた。
目の前には、ここが日本とはとても思えないアンビリバボーな大きさのゴシック建築がそびえ立つ。
学校から見ててもすげぇと思ってたけど……やっぱヨーロッパの城だよ。これ。
その玄関ホールから、武装した男達が叫びながら飛び出してきた。
どうみても警察ではない装備だ。たぶん、さっき暁さんが話していた霊峰の警備部隊なのだろう。
手にした銃器でホールの中を乱射している。
中からは同じプロテクターを着けた隊員が宙に浮くような形で出てきた。
どうやら、首をなにか黒いロープのようなもので締め上げられているようだ。苦しそうにもがいている。
ふいに、その宙づりの隊員が銃を撃った別の隊員に向かって投げられた。激しくぶつかった二人は悲鳴を上げて転がった。
ホールから四つ足動物特有のひづめの音が響く。
ゆっくりと現れた、警備部隊を蹂躙している生物。
そいつは一見、巨大な黒い馬だった。だがその肩のあたりからは太く長い触手が二本、生えている。口は大きく裂け、牙が覗く。目は漆黒で、中心だけが青く光っている。
ああー。これって映画とかの撮影でしょ?
あまりの非現実感から、そう言いそうになった。
だが、そのモンスターがこっちの車を見つけて睨んだとき。
それは現実感を持った。
殺気。
そう、たぶん殺気だろう。本気で相手を殺戮しようとする波動。
死ぬ。殺される。
今まで味わったことのない恐怖が俺の心臓を締め付けた。
氷羽が突然、俺の肩を掴みキスした。
「んん?!」
やがて、ゆっくりと口を離す。
俺の顔を両手で優しく挟んで、目を細めた。
「落ち着け。大丈夫だ。祐介は私が守る。ここで私を見ていてくれ」
そう言い残すと兄妹で素早く車を降りる。
黒馬の化け物は地獄の底からの唸り声を上げた。
高速で突進してくる。
「お兄様、援護を」
「了解」
氷羽が化け物に突っ込んでいく。
暁さんは両足を広げ、敵に向かって斜めに立つ。
そのまま何も持っていないのに弓を射る構えを取った。
すると、その両手の間にぼんやりと、赤く燃えるような矢が出現した。
氷羽は走りながら右手を握って、空中に伸ばす。
するとやはり、そこにもなにか刀のようなものが現れる。
それは白銀に暁さんのものより強く輝く。
馬の触手が鋭く伸びた。
「むんっ!」
氷羽はそれを見事に切断。
馬の勢いが一瞬、弱まった。
そこに空気を切り裂いて、炎の矢が飛んできた。
馬の額に吸い込まれるようにヒット。
馬はよだれを垂らし暴れ狂った。
氷羽が高く跳んだ。
「滅せよ! 魔の者よ!」
その刀が形を変え、幅広で長いものになる。斬馬刀、だろう。
「でぇやぁッ!」
それが馬の額を捉えた。
一刀両断。
氷羽が着地したとき、馬は断末魔の姿勢のまま、砂の塊のようなものに変わり果てていた。
氷羽の刀が元の形に戻ると同時に、粉塵となり消え去った。
「氷羽! ありゃあ一体なんだ?」
俺は車から降りて、彼女の元に向かおうとした。
暁さんが素早く俺に向かって炎の矢をつがえる。
「えっ」
俺はその場に立ち止まる。
暁さんはためらうことなく、俺に矢を放った。
「ひっ」
赤い火炎の矢が一閃した。身動き一つ取れない。
だが、それは俺のほほをかすめ、後ろに飛んだ。
背中で矢の刺さる音と、恐ろしいうなり声がした。
俺は驚いてその場から逃げる。
振り返ってみると、剣と盾を持ち西洋の鎧を着込んだ、四本腕の骸骨がいた。
炎に焼かれ、もがき苦しんでいる。
たぶん、さっきの馬の仲間なのだろう。
鎧骸骨はなにか大声で叫ぶと、その炎を身体から弾き飛ばした。
暁さんが、すかさずもう一度矢を射る。だが、今度はその剣で叩き落とされた。
「お兄様、任せてください」
氷羽が駆け寄ってくる。暁さんは次々と矢を放ちながら、冷徹に言い放つ。
「当然だ。彼はおまえが守るんだろう」
「はい」
氷羽が鎧骸骨に斬りかかった。だが、敵の動きは俊敏で彼女たち兄妹の攻撃をことごとく受け、避ける。
骸骨の突きに、氷羽は大きく後ろに跳んだ。
「くっ!」
彼女は刀を青眼に構え、吼えた。
「はぁぁぁッ!」
氷羽の制服は一気に膨らみ、弾け飛ぶ。
下には、身体の線が完璧に出てしまう、ピッチリとした黒いレオタードを着ていた。
髪が舞い上がり、額に獣の爪痕のような文様が蒼く浮かび上がる。さらに額から角が二本、生えてきた。
目から白い部分が消え、縦に瞳孔が開く。
鬼。
鬼だ。
氷羽は鬼だったのか……!
そう思っていると突然、そこから彼女の姿がかき消えた。
次の瞬間。
氷羽は骸骨の後ろにいた。刀を横に振り切った姿勢で。
骸骨が剣や盾と共に、上下左右に四分割されて宙に舞う。
それはすぐさま砂の塊になり、地面に落ち崩れた。
氷羽はその姿のまま、ゆっくり歩いてくる。
立ち尽くす俺に、静かに話しかけた。
「祐介。これが私だ。魔を斬る鬼……どうだ、怖いか」
白い部分がなく、全体が黒い目で俺を見る。
「あ、ああ。確かに怖い」
氷羽がほんの少しうつむいた。俺は言葉を続ける。
「だ、だけど、おまえはおまえだろ。だからその姿以外は怖くない」
氷羽は頷いた。
「君ならそう言うと思っていた。君の持っている普通さとは、そういうものなんだ」
微笑みながら元の姿に戻っていく。刀も薄く揺らいで消えていく。
暁さんが、後ろから俺の肩をポンと叩いた。
「ふむ。なるほどな。希有な存在と言えるかも知れん」
制服以外、元に戻った氷羽が俺の腕を掴む。
「さて、お兄様。彼を両親に引き合わせたいのですが」
って、えええ! 一気にそこまで話が進むの?
暁さんはちょっと咳き込んだ。
「ふーむ。確かに我が妹の真の姿を見て、逃げ出さなかった男は初めてだが……しかたない。とりあえず婿候補のひとりとして、ついてこい」
「さあ、行くぞ」
俺は氷羽にまた引きずられるように、お屋敷に入っていった。
連れて行かれた先は、地下の聖堂のようなところだった。
天使が描かれた絵画や凝った聖人の彫像、きらびやかなステンドグラス。
俺はバカみたいに、それらを見上げていた。
「こっちだ」
氷羽が俺を促す。
聖堂の一番奥の壇上に、ふたつの長く大きな箱が並んでいる。
柩……? にしてはフタは透明だ。
誘われるまま、壇上に昇って、それを見下ろした。
「こ、これは……」
中に色とりどりの花に囲まれて、ふたりの男女が寝ている。
だが、それはとてもリアルな石像だった。
ふたりともそれなりに歳を取っている感じで、それでも美しく、気品というかそういうものが滲み出していた。
氷羽はその二体を冷静な目で見下ろす。
「これがわたしたちの両親だ。我々の一族を守るために自らを石にして力を封じたのだ」
俺がとまどっていると、暁さんが続けた。
「わたしと氷羽の力を見ただろう。魔の者はあれが欲しいんだ。わたしの弓矢、氷羽の刀、そして両親の鎧と兜。これらが魔の者たちの手に渡れば、この世は地獄になる。わたしたち一族はこの力を彼らに渡さないよう戦ってきたのだ」
にわかには信じられない話だ。だが、さっきまでの経験とふたりの表情を見ると嘘ではないようだ。
俺はふと思い立った。
「え、じゃあ、氷羽は学校でも化け物に襲われるんじゃないの?」
氷羽は頷いた。
「そのはずだ。しかし、あの学校にはどういうわけか、魔物が現れないし、入ってもこない。小さい頃、よく魔物に襲われてはあの学校に逃げ込んだものだ。それで気になって、あそこに入学し、郷土史などを色々調べていたんだ」
そうだったのか。なんで氷羽みたいなお嬢様が一般庶民の公立校にいるのかも、それで解った。
「祐介」
彼女が俺の手を握った。
「私はこんな面倒な女だが……まだ、恋愛同盟にいても良いか」
俺は笑った。
「もちろんだよ。恋人って言うのはまだ、決められないけど……でも、友達だろ」
「祐介……」
彼女は俺に抱きついて、キスしようとした。
「えっへん」
暁さんのわざとらしい咳払いが響く。
「許さん、とは言わないが、せめてわたしの見ていないところでやってくれないか」
氷羽が暁さんの顔を見て、俺を離した。
「む。じゃあ続きはまた学校で」
「学校でかよ!」
彼女はほんの少し、いたずらっ子のように微笑んだ。
それは初めて見る、かわいい表情だった。
END
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