[まもるもの]


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 ニ月十三日。
 昼休みの教室。
 わたしは、わたしの彼である加藤の横で、もくもくと栄養補助食品を口に運んでいた。
 彼は足を机の上で交差させて、総菜パンをガツガツと食べている。
 食べ終えた袋をそのへんに投げ捨て、コーヒーのパックを一気に飲み干す。 
 一息吐いて短い茶髪の下から、わたしをトカゲのような目で見た。 
「おい、駒宇(くう)。もちろん、明日は俺にチョコくれるんだよな?」
 低いが大きな声で教室中に聞こえるように、わざとわたしの名前を呼び捨てにした。
 なんだろう、この男の自信は。
 わたしは、彼の目をちらりと見返して答えた。
「解らない」
 彼は、顔を醜く歪めた。
「解らない……って、なんだそれ? 俺たち付き合ってんだろうが!」
 彼が強い語気で、足の下にあった机を蹴飛ばす。
 その瞬間、誰かの高い悲鳴が起きる。だがそれは、女子ではなかった。
 背が低く線の細い、女性的な男子。柔らかそうなウェーブの髪を震わせて、大きな目で怯えを訴えている。
 綾瀬 陵(あやせ りょう)だ。加藤が吼える。
 「綾瀬! てめぇ、いっつもそばに居やがって! キモいんだよ! 消えろ!」
 綾瀬が加藤を睨みながら、教室をあとにすると加藤は、ふん! と吐き捨てるように鼻で笑った。

 加藤との付き合いは、2学期の後半からだ。彼から告白された。わたしは、特に断る理由がなかったから、付き合うことにした。
 最初のうち、彼はやたらとわたしを褒め称えた。悪い気はしなかった。

 彼を知っていくうち、彼の素行が思った以上に悪いことが解った。
 だが、初めて男子と付き合うと言うことは、そういう部分も見えるのだろうと思っていた。
 彼はわたしを、彼の所属するグループや、その知り合いにまで自慢気に紹介した。だが、彼自身の家族には、全く紹介しなかった。

 バイクの後ろに乗せられて、峠道を走ったこともあった。クラブと言う場所にも連れて行かれた。
 彼は本当に楽しそうだったが、わたしは別段、楽しくもなかった。いや、どちらかというとつらかった。
 
 彼の家でクリスマスを迎えた夜、彼はわたしの体を求めてきたが、きっぱり断った。
 わたしは、彼に対して他の女子が言うような“そう言う気持ち”には、ならなかった。
 わたしの中で、それは正しい選択だと思われた。だが、それ以来、彼の素行や態度はますます悪くなった。
 わたしのせいかもしれない。そう思うと、何か手足を鎖に縛られたような気がした。

「ったく、つまんねぇ女だな」
 そう言いながら、食事をしているわたしの胸を触る。
「顔と体はサイコーだけどなぁ……」
 いやらしい笑い。わたしは、彼を睨み付けた。
「わたしはまだ、食事中だ。やめてくれ」
 彼はへぇ、とわざとらしく声を出す。
「あとでなら、ヤらせてくれんのかよ」
「断る」
 間髪入れずにそう返答した瞬間、彼は立ち上がり殴りかかろうとした。
 わたしはその様子を見ながらも、敢えて意識の外に置いて、野菜ジュースのパックを飲み干す。
「殴ればいい。それで、気が済むのなら」
 彼の拳は開かれ、殴る変わりに、ほほを撫でた。
「殴るわけないじゃんよぅ、こんなキレイな顔をよぅ」
 猫撫で声。彼は軽くわたしのほほを叩く。そのまま、キスしようとした。タバコ臭い。
 わたしが顔を背けた時、ふいに、彼の携帯電話の着信音が聞こえた。
 彼は携帯電話をズボンのポケットから取り出す。何かドクロのようなストラップが、じゃらじゃらとたくさん付いている。
「……ああ、ん、わぁったよ、じゃあ後でな」
 彼はわたしに向き直って、どうでも良いような物言いをする。
「今日は、おまえひとりで帰れ。どうせ、ヤらせてくれねぇんだろ」
 わたしは彼を軽く睨んだ。
「なんだよ、その目はよ。あ、明日のチョコは、持って来いよ! いいな!」
 おまえの義務だぞ、と言わんばかりの態度で言い残し、彼は教室を後にした。
 
 放課後。
 帰りの坂道をひとり、くだる。大きなため息が出た。何か、疲れているようだ。
「男子と付き合うと言うことは、こんなものなのか。だとしたら、意味はないな」
 わたしは何か……世間で言う“恋人同士”に、ただ、憧れていただけなのかも知れない。
 現実はたぶん、こんなものなのだろう。
「ふぅ……」
 一歩一歩、ため息がてら、ゆっくり降りていく。
 うん。彼とは、もう別れよう。
 だが……。
 彼がすんなり受け入れるはずはない。もしかすると、彼と彼の仲間によって、酷い目に遭うかも知れない。
 それは……正直な話、怖い。ひとりふたりなら、なんとかなるかもしれない。
 しかし、あの仲間が全員となると、物理的に不可能だ。
「はぁ……」
 そうやって恐怖と諦めで、奴隷のような付き合いを続けてしまう自分が、嫌になってきた。
 ふと、坂道の端を見る。柵の向こうには夕日を浴びる街が赤く、鈍く輝いている。
「まだ、春は遠いのかな……」
 つぶやいて、柵まで歩いた。
「あぶなーい!」
 いきなり、後ろから高い声がした。わたしは腕を引っ張られ、そのまま抱きしめられた。
 ふわっと香りが広がる。タバコ臭くもなく、だが父のようでもない……たぶん、男子の匂い。
 見上げると、綾瀬だった。
「高宮さんが、死んじゃったら、ボク悲しいよ」
 わたしはその言葉を聞いた途端、得体の知れない感情が唐突に湧き出した。
 
 このままで、居たい……ずっと。
 ……

 はっと我に返って、綾瀬の腕を振り払った。
「放してくれないか」
 努めて冷静に離れ、服を直す。彼は、のんびりした口調で謝った。
「あ、ごめんごめん、つい……とっても柔らかかったから」
 これをキャラクターと言うのだろうか。彼の率直な物言いと照れ笑いは憎めなかった。

 わたしは綾瀬と並んで、坂道を降りる。
 彼が単刀直入に疑問を投げかけた。
「なんで、高宮さんは加藤君と付き合ってるの」
 その真っ直ぐな言葉に、わたしも真っ直ぐに答えた。
「断る理由がなかったから」
 綾瀬はまるで、テニスで見事に打ち返すように、鋭い言葉を放つ。
「でも、今は別れる理由があるよね」
 虚をつかれた。少し動揺したがなんとか、その球を打ち返す。
「なぜ、そう思う?」
「だって、彼と居る高宮さん、ちっとも楽しそうじゃないもん」
「そんなことは」
「自分の気持ちに、嘘吐くの?」
「嘘じゃな……!」
 わたしは彼に向かって叫ぼうとした。だが、彼は優しく微笑んだ。
「それは、嘘だよ」
 その言葉には、憂いと慈悲の響きがあった。決してわたしを責めるものではなかった。
 わたしは一滴の涙と共にのどを詰まらせ、うつむいた。ゲームセット。
 綾瀬は、再びわたしを胸に抱いた。

 その後、綾瀬はわたしを駅前まで送ってくれた。彼は逆方向だったにも関わらず。
 わたしはそれも含めて、甘えさせてくれたことや、励ましてくれたことに素直に感謝した。
「今日は色々ありがとう」
 彼はニッコリした。
「いや、高宮さんこそ、ボクの言葉をちゃんと聞いてくれて、ありがとう」
 わたしも、微笑んだかも知れない。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」

 二月十四日。
 わたしは、心を込めたチョコレートを用意した。
 いつもより早く登校すると、すでに教室の前で加藤がにやにやして立っていた。卑しい。
「ほら、出せよ」
 手を突き出す。わたしは、彼の目を見てハッキリ言った。
「キミとはもう付き合えない。従って、キミにあげるチョコはない」
 加藤は一瞬、ぽかん、とした。その隙に綾瀬のところに行く。
「これを受け取ってくれ」
 わたしは綾瀬の目の前に、がんばってラッピングしたチョコを差し出す。
「きれいなラッピングだね。ありがとう」
 彼はニッコリ笑って、気持ちよく受け取った。わたしのどこかに、なにか快感が走る。
 そこまでのようすを静かに見守っていた教室が、ざわつく。
「加藤がついにフラれたぞ」
「マジかよ! 高宮さんヤベーよ!」
「加藤、いい気味だぜ!」
 加藤が鳥のように生徒達に頭をむけ、机を蹴飛ばす。
「誰だ! いい気味つったヤツぁ!」
 教室の奥のほうにかたまった生徒達は、口々に悲鳴を上げた。だが、今度は綾瀬の悲鳴は聞こえなかった。
 わたしのチョコを片手にしっかり持ったまま、加藤の前まで歩いていく。わたしは思わず叫んだ。
「綾瀬君!」
 綾瀬は、振り向かず手をひらひら振っただけだった。
 加藤は目の前に来た獲物に、どす黒い笑みを浮かべた。
「高宮は俺の女なんだよ、解るかな、ん? 綾瀬ちゃん?」
 完全にバカにした態度。それに対して、綾瀬は信じられない口調で告げた。
「加藤! てめぇキモいんだよ! 消えろ!」
 それは昨日、加藤に言われた言葉だった。
 頭に血がのぼった加藤が腕を振り上げ、綾瀬を殴りつけた。
 綾瀬は、とっさに顔の前で腕を曲げ、防御の姿勢をとった。チョコは腕で包み込むように挟んでいる。右肩で拳を受けた。
 二発目。それも左腕の筋肉で受けた。綾瀬は、少しふらついた。なのに、さらに加藤を挑発する。
「それだけか!」
 加藤の三発目。今度は右側からの蹴りだった。綾瀬のひざに入ったかに見えたが、わずかに背をかがめて、太ももで受けていた。
 それに気付いた加藤はさらに怒りを露わにし、乱打に次ぐ乱打を行った。しかし、綾瀬はとにかく防御に徹した。
 
 やがて、加藤は疲れた。肩で息をしている。
 綾瀬も、立っているのがやっとに見えた。だが、まだ加藤に食ってかかった。
「もう終わりかよ! もっとやれよ! ほら!」
 加藤が、荒い息の中から言葉を紡いだ。
「はぁ、はぁ、おまえ、なんでそこまで必死なんだよ……」
 綾瀬は声がかすれていたが、それでも、ハッキリ告げた。
「高宮さんが好きだからに決まってる。ずっと……ずっと、好きだったんだ! ボクは悔しくてしかたなかった。おまえみたいなヤツが高宮さんを彼女にしたことが!」
 その言葉はわたしに衝撃を与えるには充分だった。強い、強い意志。
 彼は足をしっかり地につけて、続ける。
「だから、ボクはおまえを見ていた。おまえが彼女を傷付けるようだったら、ボクがなんとかする。どうすればいいか解らなかったけど、とにかくボクがなんとかするって決めてたんだ!」
 加藤は、少し気圧されているようだ。さらに、彼は言い放った。 
「彼女は、駒宇は、おまえなんかには絶対、絶対に釣り合わない!」
 その叫びは教室中に響いた。
 加藤は彼を睨み付けながら、しかし、弱々しくつぶやくように言った。
「おまえなら、釣り合うってのか」
 綾瀬は静かに答える。
「解らない。でも、努力するさ。ずっと、努力する。例えば、今みたいにな」
 それを聞いて加藤は、攻撃の姿勢をやめて腕を下ろした。
「くそ、高宮は確かにいい女だがな、俺はそこまで本気じゃねぇよ。おまえにやる。そんなヤれねぇ女より、ヤれる女のとこに行くわ」
 そう言って、教室を出て行った。

 がっくりとひざを突く、綾瀬。
 駆け寄って、声を掛ける。
「綾瀬君!」
 微笑んで、腫れ上がった腕をゆっくり開く。腕の間のチョコの箱が少し、潰れている。
 彼は途切れ途切れに、言葉を吐く。
「は、はは、ごめん、ちょっと、つ、ぶれちゃった、ね。でも、最後まで、守った、よ……」
 わたしは彼の頭を胸に抱いて、泣いた。
 春は、すぐそこだった。


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