[冱ゆる学園の美女 2] 

スィート・トラップ


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 高校の教室。
 昼休みが始まったばかりの時間。
 それは唐突だった。
 背が高く髪の長い、美しい女子。彼女は良く通る鈴の音のような声で、机に座っている気弱そうな男子に告げた。
「輝夫(てるお)君。これを受け取って欲しい」
 彼女が手に持っているのは明らかにチョコの箱である。
 教室は一瞬、静けさが支配した。
 輝夫、と呼ばれた男の子は顔を紅潮させて口をパクパクさせている。
「し、白川(しらかわ)さん、いきなり……てか、嬉しいけど、その」
 白川と呼ばれた、眼鏡の女の子は姿勢を崩さず問いかける。
「今日はバレンタインディだ。チョコと共に堂々と愛を告げても良い日だと思ったが、なにか問題でも?」
 口調も表情も冷静そのものだ。
 ざわ……ざわ……
 教室が不穏な空気に包まれる。
 そこにいるほとんどの男子たちが醸し出している空気だった。
 輝夫はそれを敏感に察知して、目の前で真っ直ぐに見つめている白川の視線を避けながら、言葉を返した。
「と、とにかく、今ここでそれはちょっと……また、その、帰りにでも、ね?」
 彼女はしばらく考えて。ふむ、と頷いた。
「そうだな。ちょうど君のお姉様……京子(きょうこ)さんにもご挨拶しておきたいと思っていたんだ。では、そういうことで」
 そう言って彼女はチョコの箱をカバンにしまうと、今度は弁当を取り出した。
「昼食を食べようか」
 白川は屈託なく言い放つ。
 輝夫は引きつった笑いを浮かべた。
 背後から男子達の呪詛の言葉が地鳴りのように響く。
「柏木(かしわぎ)……よくも俺たちの委員長と……」
「貴様の屍は誰も拾わねぇぞ……」
「いっぺん、死んでみる?」
 輝の顔色がどんどん悪くなる。だが、それに気付かないのか、白川はいそいそと弁当箱を開ける。
 彼女は手を沿えておかずをひとつ、つまみ上げた。
「ほら、口を開けて。わたしが作った唐揚げだぞ」
 輝夫の背後では炎が巻き起こり渦巻きだした。嫉妬である。
 白川がさらに追い打ちを掛ける。
「ほら。あーん、だ。あーん」
 輝夫は薄く笑うと突然、椅子から崩れ落ちた。
「輝夫君、どうした。輝夫君!」
 輝夫の顔には、この世の天国と地獄を同時に味わった人間だけが見せる、悟りにも似た表情が浮かんでいた。

 放課後。
 白川と輝夫は彼の家近くまで来ていた。
 彼女は彼の目を覗き込むように話しかける。
「もう大丈夫か? 全く……心配したぞ」
 彼は苦笑いしながら応えた。
「ああ、うん。ごめんごめん。ちょっと色々プレッシャーが」
「しかし他の男子が、そんなに君に嫉妬していたとは知らなかった。困ったものだ」
「だって……白川さん、その、き、きれいだし……」
 彼女は、目をわずかに見開いて輝夫を見た。
「そうか。嬉しいぞ。ありがとう」
 そういうと、彼の手を握った。
 輝夫はまた、一気に顔を赤くした。

 輝夫の家の前に着いた。よくある二階建ての住宅だ。
 輝夫が促す。
「さあ、どうぞ」
 白川が礼儀正しく玄関に入る。
「お邪魔します」
 彼はそこにある靴をちらりと見た。
「あ、ちょうどふたりともいるみたい」
「ふたり?」
「ああ、ねーちゃんと、彼氏の哲也(てつや)さん」
 彼女は軽く頷いた。
 輝夫は白川を二階に誘った。
「こっちだよ。上がって手前がねーちゃんの部屋だから」
 ふたりは階段を登り始めた。

 ちょうど、その頃。
 輝夫の姉、京子(きょうこ)の部屋では、京子とその恋人である加賀美 哲也(かがみ てつや)がラブラブモード大突入中だった。
 ふたりはベッドにゼロ距離で座っていた。
 彼女はニコニコと、はにかむように笑っている。人並み以上に可愛いと言える容貌だ。
 極端に短いデニム地のスカートに胸の大きく開いた淡いピンクのセーター。髪は短く、やや脱色している。
 彼はというと男前で優しそうだが、少しひょろっとしている。ちょっと頼りない感じだ。
 京子は彼に問いかける。
「加賀美君、世界で一番美しいのは誰?」
「もちろんそりゃあ、京子ちゃんだよぅ」
 その答えに彼女は満足したのか、頬を赤らめた。
「んふふ……じゃあ、今日は何の日?」
「えー? 確かぁ、バレンタインだよねぇ」
「あ・た・り」
 京子は横に置いてあった一口大のチョコを、素早く半分だけくわえて突き出した。
 その瞳はうっすらと開かれ、蠱惑的に彼を誘っている。
 それはスィート・トラップだった。
 彼も頬を赤らめ彼女の顔に頭を近づける。距離はぐんぐん縮まる。
 突き出されたチョコに彼が口を付けた。彼女の喉奥から微かな喘ぎが漏れ出す。
「ん……」
 そのまま、さらに距離は縮まり……お互いの唇が触れそうになる。
 鼻からの吐息が絡まり合う。
 ふたりの興奮はマックスに達しようとしていた。

「ねーちゃん、あのさ」
 唐突に輝夫が入ってきた。
 彼は姉たちのようすを見て固まった。言葉に詰まる。
 姉は哲也を放置し、ワイヤーに吊られる中国武侠映画のように殺気を帯びて飛んできた。
 その目は怒りに満ちて赤く光っている。
 彼女が空中で拳を握り込むとオーラが立ちのぼるように見えた。
 輝夫は蛇に睨まれた蛙状態だ。すくみ上がって身動きひとつできない。
 攻撃が放たれた。拳圧が彼を襲う。
 彼は穏やかな表情で涙を流しながら、つぶやいた。
「おばあちゃん、今行くよ……」
 姉の拳によって弟の儚い魂が意識と共に刈り取られようとした、その瞬間。
 天から聞こえるかのような美しい声がこだました。
「こんにちは。お姉様」
 まるでスローモーションのように黒髪が宙に舞った。
 その漆黒の輝きと共に美しい少女が現れる。白川だった。
 彼女は輝夫を背にかばうように佇んだ。
 京子は驚いたが、もはや繰り出された拳は止められない。
 だが白川は前方から来る姉拳をなんなく払うと、流れるような動作でその喉元に手刀を突きつけた。
「初めまして。白川 由姫(しらかわ ゆき)です」
 苦悶の表情を浮かべる京子。
「うう……ッ」
 由姫は静かに無表情に挨拶した。
「輝夫さんとお付き合いさせて頂いています。よろしくお願いします」
 京子は素早く後ろに跳び、距離を取った。
「こちらこそ、よろし……くッ!」
 京子の踵(かかと)が大きな音で床を打つ。瞬速で由姫に踏み込んだのだ。
 京子の膝が上がる。短いスカートがめくれて薄いブルーの下着が覗く。脛が伸ばされ、足の甲が高い位置に来た。ハイキックだ。
 だが、すぐその角度は修正された。フェイントだった。ハイキックは踵落としに変化した。
 由姫はそれを予測していたかのように、ひらりと避けた。体を九十度回し軸をずらす。目の前を踵が通過した。
 次の刹那。
 勝負は決まっていた。
 京子は鳩尾(みぞおち)にある由姫の肘に戦慄した。由姫がもう一歩踏み込んでいれば、確実に京子の命はなかっただろう。寸止めだった。
「あ、あたしは京子。よろしく、ね……」
「はい、京子お姉様」
 お互い薄く笑う。しかし、そのそれぞれの意味は違うようだ。
 京子の笑みはやや引きつっており、負け惜しみにしか見えない。かたや、由姫は余裕の表情に見えた。
 二人は離れるとそれぞれのパートナーのそばに戻る。
 輝夫が拍手をしながら由姫に話しかけた。
「助かったよ、白川さん」
「ふむ。それは良かった。君の姉上は話に聞いた通り、相当の腕前だな」

 京子は哲也にしなだれかかる。
「ねぇん、あたし怖かったぁん」
 しかし哲也の反応はなかった。
 彼女は不思議に思ってその目を見ると、全く京子を見ていなかった。
 その視線の先には由姫がいた。
 顔を赤らめて由姫を見ていたのだ。
 京子は怒りに震えながら低い声で問いかけた。
「世界で、一番、美しいのは、だぁれ?」
「……由姫ちゃん」
 哲也はハッと我に返った。だが、もう遅かった。
「男なんてぇぇぇッ!」
 京子の膝が彼の股間を捉えた。鈍い音が響く。
 哲也は顔面から様々な体液を流しながら、ベッドに倒れ込んだ。
 京子は由姫にズカズカと歩み寄ると指を突きつけた。
「あたしの可愛い弟を陵辱しただけに飽き足らず、わたしの許嫁までたらし込むとはなんと不埒な悪行三昧!」
 弟は気弱にツッコミを入れる。
「俺、そんな陵辱とかされてないし、哲也さんだって別に許嫁ってワケじゃあ……」
 姉は無視した。
「退治てくれよう! 桃太郎! 再戦を申し込む! 名付けて《ブラッディ・バレンタインディ》!」
 由姫は眼鏡を人差し指と親指で挟むように直すと、冷静な言葉を口にした。
「語呂が悪いですね」
 京子はみるみるリンゴのように赤くなった。
「ムキーッ! 韻も踏んでてけっこーイケてると思ったのにッ!」
 さらに追い打ちを掛けるように言葉を放つ。
「それで。申し訳ありませんが再戦はお受けできません。お姉様はなかなかの腕前ではありますが、今の実力では何度対戦しようとも、わたしには勝てませんので」
 京子の顔色が今度は土色になった。
 輝夫が珍しいものを見る目でながめる。
「うわー……ねーちゃんが固まるの、初めて見たよ」
 やがて京子は、わなわなと震えだすと突然何かが壊れたかのように叫びを上げた。
「どちくしょぉぉぉぉ――ッ!」
 それは凄まじい獣の咆吼であった。
 彼女は哲也の首根っこをひっつかむと窓から飛び出す。
「覚えてろッ!」
 京子は哲也をお姫様だっこして見事に着地し、すぐさま跳んだ。そうやって彼女たちは屋根伝いに去って行った。
 輝夫が忍者のように逃げる姉の姿を見て、ほくそ笑んだ。
「まさかあのねーちゃんが逃げ出すなんて……今まであり得なかった事だよ」
 由姫が彼の肩を軽く叩く。
 彼が振り返るとチョコが目の前に突き出されていた。
 しかもそれは姉がやっていたのと同じように半分だけ口にくわえられている。
 彼女は彼の目をじっと覗き込む。
 ちょっと挙動不審になる輝夫。
 やがて由姫はぎこちなく、はにかんだ。
 美しいが冷たさも感じるような彼女の容貌。それがその僅かな表情の変化によって、まるで花が咲いたかのような柔らかさと可愛らしさを醸し出した。
 彼は頬を桜色に染めて。
 おずおずと、そのチョコを口にした。

 


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