[冱ゆる学園の美女 3] 
ホワイトアッシュディ
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 穏やかな三月の昼下がり。
 平凡な少年と、眼鏡の美少女が河原を歩いていた。
 少年はちょっと気弱そうな事以外は中肉中背で、いかにも普通な感じだ。
 少女のほうは背が高く、流れるような美しい黒髪を持っていた。
 少年はなにか、緊張の面持ちだった。
「白川……いや、由姫(ゆき)さん。今日は、あのう、ほ……ほ……ホワ……」
 少女は人差し指で眼鏡を直し、彼を真っ直ぐみつめた。
 独特の男性口調で問い正す。
「ん? なんだ。なにが言いたいんだ」
 少年は目を逸らすと言葉を続けた。
「ホワ……んわかして良い季節になってきたねー」
 それはとても不自然だったが、由姫と呼ばれた少女は意に介さず、応える。
「そうだな。この時期は“もも はじめて さく”といって、こう書くんだ」
 彼女はふいに彼の手を取って、その手の平に指を乗せる。
「こ、こそばいよ、由姫さん」
 彼は少し顔を赤くしながら抵抗した。
 由姫は微笑んで、その手首を軽く固定する。
「良いから、大人しくしろ」
 彼女の白く長い指が、彼の手の平の上で漢字を書き出す。
“桃・始・笑”
 彼はくすぐったさで少し息を荒くしていながらも、頷いた。
「へ、へぇ。最後が“笑う”って字なんだね。なんだかいい感じだ」
 彼がそう言って由姫の顔を見ると、彼女は柔らかく見つめていた。
「輝夫(てるお)君のほうがもっといい感じだ」
 由姫は彼の手をその口元まで寄せて、手の甲にキスをした。
 慌てる輝夫。
「はわぁ! だ、だから外でそう言うことはちょっとその!」
 由姫は口を離すと、ちょっと小首をかしげて彼の目を見た。
「じゃあ、君の部屋に行こう。そこなら文句はあるまい? 今日はホワイトディだしな。君の用意したものも当然ありがたく頂くが、それよりも君の白く濁った熱い液体が欲」
 輝夫は頭から湯気が出そうなほど赤くなって、慌てて彼女の口を押えた。
「だからこんなトコでそんな事を言わないでぇぇぇ!! てか言いたかった事、解ってたのぉぉぉ!?」
 由姫はそれに応えず、口元にある彼の手を急に引っ張った。
 輝夫は彼女の大きな胸に抱かれる格好になる。
「はぅわっ! ゆ、由姫さん何を?!」
 由姫の顔を見ると、さっきまでの柔らかさはなく、代わりに冷たい氷のような表情になっていた。
 見上げる輝夫は感慨深げにつぶやく。
「そうだ、この誰かをいつも威嚇しているような眼差し。これが本来の由姫さんの顔だったんだよな……」
 緩やかに流れる河のほうを彼女は凝視している。
「京子(きょうこ)お姉様が、来る」
 京子とは輝夫の実の姉である。
 見ているだけなら可愛いが、その実体は凶暴かつエキセントリックな人間凶器。野獣だった。
 輝夫は戦慄する。
「な、なんだってーッ?! い、一体どこから……!」
 輝夫は由姫の胸の中で頭をキョロキョロと動かす。
 由姫は、やや艶っぽい声を上げた。
「あ、んん……て、輝夫君。あまり頭を動かさないで欲しい」
 輝夫はその声のトーンの変化で自分のやったことの意味を知った。
「あ、いや、ごめん! 全然そんなつもりじゃ、てかこの体勢じゃ、その、なんだ」
 弁解しようと必死になっている輝夫の目の前で異常事態が発生した。
 河から突然、何かが飛び出して来たのだ。

「ソロモンよ! わたしは帰って来たぁぁぁッ!」
 京子だった。
 水しぶきを上げ、宙を舞う。
 その目は以前にも増して煌々と赤く輝き、ボロボロになっているピンクのVネックセーターとデニムのミニスカートから覗く手足は、無駄な脂肪が一切ない引き締まったものになっていた。
 よく見ると、なにやら人間の抜け殻のようなものを肩に乗せている。
 輝夫は叫んだ。
「て、哲也(てつや)さん?!」
 哲也とは京子の恋人である。ひょろっと背の高い優しい男だった。
 だが、輝夫が見たそれは、もはや骨と皮だけになった干物であった。
 京子は河原にふわりと降り立つ。哲也を草の上に寝かせた。
 次の瞬間、そこに京子の姿は無く、ただ河原の草が舞うだけだった。
 あっという間に由姫の目の前に来ていたのだ。
 京子のひざが由姫の頭を、完全に捉えたかに見えた。
 だが次の刹那、由姫は輝夫を抱きながら横っ飛びして転がっていた。
「大丈夫か、輝夫君!」
 輝夫はやや目を回しているが気丈に応えた。
「あ、うん、だ、だいじょうぶ」
 京子が地獄の笑みを浮かべて、由姫のほうを緩慢な動作で見る。
「哲也は美味しかった……輝夫もあたしのもの……返しなさい」
 由姫は輝夫のほほに軽くキスして、目を覗き込んだ。
「あなたはわたしが守る。土手の草むらでじっとしていてくれ」
 輝夫はいつになくハッキリと返事をした。
「うん。解った」
 その答えに満足したのか、由姫は微笑んで立ち上がった。

 河原の一本道。その上で対峙する由姫と京子。
 左右は、なだらかで草が茂る土手。そこに身を潜める輝夫。草むらの更に下のほうには広い土の遊歩道があり、それが河へと続く。
 遠くで鉄橋を走る電車の音が響いた。
 由姫がゆっくりと口を開く。
「京子お姉様、お久しぶりです。輝夫君から聞きました。この一ヶ月もの間、休学届けまで出して家にも帰らず、一体どこに行ってらしたんですか」
 京子は悪魔のような笑顔を張り付かせ、由姫を見据えている。
 両腕をだらりと下げた前傾姿勢だ。
「バレンタインディの借りはホワイトディで返す。そう決めてた……それだけ。名付けて《ホワイトアッシュディ》」
 由姫は冷たい瞳で頷いた。
「《白い灰の日》ですか。以前よりは語呂が良いですね」
 京子の姿が一瞬揺らぎ、かき消えた。
「真っ白な灰になっちまいなぁぁぁぁぁッ!」
 京子の声が空から聞こえた。由姫の頭上に跳んでいたのだ。
 頭を下にして腕を広げると、その爪が異様に長く伸びた。
「喰らえ! 秘術! 骸爪斬(がいそうざん)!!」
 由姫はそれを見上げると、眼鏡を直した。
 冷静な口調で言い放つ。
「空中では姿勢を制御できませんよ」
 由姫はその場所から三歩だけ、後ろに下がった。
 目標を失った京子は慌てる。
「げぇぇぇぇッ?!」
 だが、受け身を取る暇はなかった。そのまま鈍い音を立てて、頭から地面に激突した。
 しかし、京子の身体は異常なまでの頑強さを示す。
 普通の人間ならば頭や首、腕などの骨が損傷するところだが、地面のほうがひび割れたのだ。
 京子はそこにただ倒れ伏しただけだった。

 由姫はそれを無表情に見下ろす。
「お姉様、もう無理はなさらないでください。輝夫君はそもそも、あなたのものではないのですから……」
 地面に伏せている京子の身体がぴくりと反応した。
 なんとか腕の力で起き上がろうとしている。
 身体自体は頑強であってもダメージは相当なものだったようだ。
「て、輝夫は、あ、あたしのもの、なんだから……だ、だれにも! ぐほっ!」
 血を吐いた。肺が傷ついているのかもしれない。
 それを見ていた輝夫が飛び出してきた。
「ねーちゃん!」
 彼女の肩を自分の身体に回し、立たせる。
「由姫さんの言うとおりだよ! 俺はもう、ねーちゃんのものじゃないんだよ!」
 京子は力無く、笑う。
「ふ、ふふふ……あの泣き虫が、よく言うように、なって……」
 京子は由姫の顔を鋭く睨む。
 だがその焦点は合っていないようすだ。
「輝夫を、し、幸せにしなかったら、承知しない、か、ら……ぐふ……っ」
 二度目の吐血をすると、京子の意識はなくなった。
「ねーちゃん? ねーちゃん! ね――――ちゃぁぁぁん!!」
 輝夫の悲痛な叫びは夕日に木霊した。

「で? あたしを入院させた後、あたしのことをダシにヤっちゃったの?」
 数日後。
 病院のベッドの上に腰掛け、輝夫と由姫に軽口を叩く京子がいた。
 輝夫がちょっと赤くなりながらも、怒って答える。
「そんなわけないだろ! 確かにあの日は、由姫の、その、胸で泣いたし……いちおうプレゼントも渡したけど」
 由姫がほんの少し笑った。輝夫は続ける。
「でも、良かった。もう少しで退院なんだろ。先生も『こんな事あり得ない、尋常じゃない、尋常じゃないんだ』って青くなってたよ」
 京子は笑った。
「血、吐いたのだって喉が傷ついてただけだったしねー。あんたと違って頑丈だから。あーあ。じっとしてると肩凝るなぁ。輝夫。肩揉んでよ」
 京子が背を向けた。
 輝夫は姉の肩を揉もうと動いたが、それを由姫が遮った。
「お姉様。ここはわたしが。輝夫さんより力がありますから」
 京子は由姫を、背中越しにちらりと見た。
「ふぅん。そうね。じゃ、やってもらおうかしら」
「はい」
 由姫の手が京子の肩を見事な手際で揉んでいく。
 京子は気持ちよさそうな顔になった。
「あ、そこ……ん……うまいね。由姫」
「そうですか。ありがとうございます。京子さん」
 由姫が姉の肩を揉むのを、にこやかに見つめる輝夫だった。
 しばらくして、なにか思い出したようにつぶやいた。
「あれ……誰か忘れてるような気がする……」

 その日の夜。
 指先でバスケットボールをクルクル回転させながら、河原の道を歩く男がいた。
 以前、由姫に告白して玉砕した元バスケ部主将の岩本である。
 今は卒業して、大学へ行くまでの休み中だった。
 しかし、慣れ親しんだマイボールは手放すことなく常備している。
「あーあ……由姫よりイイ女なんていねぇよな、やっぱ……」
 ふと、彼は街灯の下で立ち止まった。
「ん……なんだ、なんの声だ。……まさか、ホントに出やがったのか」
 彼は耳を澄ます。
「うう……ごめん……ごめんよ……」
 土手の暗闇から男の泣き声が聞こえる。
「マジかよ……。噂どおりじゃねぇか……」
 ここ数日、この河原では泣き声とともに怪しい男が出ると、近所の噂になっていたのだ。

 草むらが断続的に揺れ、擦れる音がする。
 それは土手をだんだん登ってくる。
 岩本はボールを構えた。
 声が近づく。
「ううう……ごめん……きょうこちゃん……」
 一歩、一歩、接近してくる。
 岩本が固唾を呑んだ。
 すると突然、ミイラが明りのもとに飛び出してきた。
「ごめんよぉぉぉ! もう由姫ちゃんのことは諦めるからぁぁぁぁ!」
「うわぁぁぁぁッ!」
 岩本は恐怖にすくみ上がり、バスケットボールを投げつけることさえできなかった。
 だが、その顔立ちを見て岩本は思い出した。
「おまえ……哲也? 哲也じゃないのか?!」
 ミイラも気が付いたようだ。
「い、岩本?」
「哲也ぁ! 一ヶ月も行方不明で捜索願いが出てたんだぞ! それがなんでこんなところで、ゾンビの真似なんかやってんだ?」
 哲也はもう枯れ果てたはずの涙を浮かべて、岩本に抱きついた。
 彼らはクラスメイトだったのである。

 やがて、お互いの事情を話し合った彼らは意気投合した。
 そのまま、肩を組んで呑みにいった。

 その帰り。二人の酔っぱらいが例の河原の一本道を千鳥足で歩いていた。
 月が二人の影を道に落とす。それは水面のようにふらふらと定まらなかった。
「哲也ぁ、ホントヒドイ女だな、その京子って!」
「岩本ぉ、もういい! 京子ちゃんは諦める! やっぱ由姫ちゃんだよなー!」
「なんだとお! 由姫は俺のもんだ! 俺の……くっそぅ柏木姉弟めぇ!」
「ばかやろおー!」
「ばかやろおー!」
 夜空にその咆吼は虚しく響いたのだった。

 どっとはらい


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