[えびすさん}
2.孤高の笑顔
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 放課後の教室。
 夕方になろうとしていた。
 まだ特に部活に入っていない俺は独り、窓際の席に座っていた。
 ぼんやり暮れゆく空を眺めて、思う。
 ああ、一日が終わる。この寂しさはどこから来るんだろう。

 廊下側で、女子たちの明るい笑い声が聞こえた。
 たぶん、その内のひとりは九条 戎(くじょう えびす)だろう。
 彼女は背は高いが、大人びた感じではなく、少しあどけなさが残る美少女だ。
 髪は肩までのストレートレイヤー。授業の時だけ、眼鏡を掛けている。
 クラス委員で、いつも明るく笑顔を絶やさない。もちろん、人気者だ。

 俺が東京から、この大阪の高校に転校してきた、その日。
 突然、大々的で一方的な告白をされ、なんとなく付き合うことになった。
 恋人……のような存在。まだ一緒に帰ったりするだけで、それ以上の進展はない。
 いや、そんな急激に進展させたいワケじゃないけど、でも、これって付き合ってるのかなと、正直、思う。
 俺のこと、どうでも良いのかも知れない、とまで思うときもある。
 それは彼女の態度に疑問を感じるからだ。浮気とかそんなんじゃないんだけど……。
 今日は思い切って、彼女にその疑問をぶつけようと思っていた。

 委員会の仕事を終えて戻った戎が、他の女子と別れて教室に入って来た気配を背中で感じる。
「ヒロ君、待たせたな」
 彼女が俺に話しかけた。東京で育った俺は大阪弁に、まだ少し違和感がある。
 その声には笑いはない。さっき廊下で聞いたのとは、まるで違う。
 俺は彼女のほうを向いて、その仏頂面を見上げる。
 ちょっと息を吸い込んで、努めて冷静な声で質問した。
「なあ、九条。なんで俺といるときはいつもそんなに無表情なんだ?」
 そう、これが彼女に対する疑問。
 彼女は俺と二人きりになると、必ず無表情になる。ついでに会話もぶっきらぼうになる。
 それがなぜなのか、どうしても解らなかった。
 彼女は近くの机に腰掛けて俺を見下ろす。
「イヤなんか?」
 彼女はいつもの調子で答えた。その言葉から感情は読み取れない。
 俺は後ろの窓のほうに、もたれ掛かる。
「イヤってワケじゃないけど……ただ、ギャップがあるからさ」
 彼女は腕を組んで、当然のように頷く。
「まあ、そやな。みんなの前ではいっつもハイテンションでニコニコ、名前の通り、えびす顔やからな」
 俺はその態度が気に入らなかった。
「この前のバレンタインだって二人きりだったのに、渡すとき、すっげぇ素っ気なかったじゃん!」
 語気が強くなった。
 彼女は少し目を見開き、急に立ち上がる。
 怒ったのか? と思った矢先、とんでもない事を言い放つ。
「なんや。それ以上のこと期待してたんか? それやったら、今すぐにでも」
 制服の上着を一気に脱ぎ捨て、スカートに手を掛ける。
 俺は慌てて、止めた。
「ままま待て、脱ぐな! そーゆーことじゃなくて!」
 びっくりした。あー、びっくりした。とりあえず、落ち着け、俺。
 そこまでするって事は、俺のことがどうでも良いワケじゃないんだな。好きは好きなんだろう。
 だったら、どうして? よけいに疑問が深まった。
 彼女が微妙にガッカリした感じで、問いかける。
「ほな、何やのん」
 彼女が上着を拾い、ほこりを払って着るのを見つめた。
 ……ちょっと惜しかったかも。
 そんな考えを振り払って、答える。
「もうちょっと、こう、みんなの前と同じように笑ってて欲しいかな、って。その……付き合ってるんだしさ」
 彼女はボタンを留め終えると、机に腰掛ける。
 俺の目を探るように見る。
「ふーん……」
「ふーんって。付き合ってるんだよね?」
 彼女は俺の言葉に反応せず、腕を組んでちょっと考え込む。
 え、どういうことだよ? 別れるつもりなのか? じゃあ、さっきの言動はなんだったんだ? そもそもそっちが告白したんじゃないか……
 俺の頭の中を駆けめぐった言葉たちは、声にはならなかった。そんな情けないことは言えない。俺にもなけなしのプライドがある。

 それは、ほんの一分くらいだったように思うが、俺には妙に長く感じられた。
 やがて、彼女は俺の目を見つめた。
 何か一歩踏み出すような、でもちょっと、ためらいがあるような、そんな間があった。
「まず、今、あたしらは付き合ってます」
 ちょっとホッとする。良かった。
 彼女は続ける。
「ほんで、そうやって付き合ってると、いつかそういう、あたしの態度に対しての質問が出ると思ってました」
 少し息を吸って、決心したように続けた。
「せやから、ちゃんと答えます。あたしの考えを」
 なんだ、何を言い出す気だ? 予想できない。
「ほんまの無表情ってどんなんか、解る?」
 ……全く、意味が解らない。
 俺がきょとんとしていると、戎はゆっくり続ける。
「それは、笑顔や。笑顔こそ、最強の無表情なんやと思う」
 笑顔が、無表情……やはり、意味が解らない。俺は質問した。
「どういうこと?」
 彼女は机から立ち上がって、答える。
「こうやって、カワイイ女の子が、ニッコリするやろ?」
 腕を自分の後ろに回し、ちょっと小首をかしげて、笑顔を作る。
 う、可愛い。でもなんだか、それを認めるのが恥ずかしくて、ツッコミ口調になる。
「って、自分で言うのかよ! まあいいや。それで?」
 彼女は真顔に戻って、胸の下で腕を組む。
「そしたら、だいたいそれ見た人は、エエなーとか、カワイイなーとか、思うやろ」
「まぁ、悪い気はしないな」
 人によっては、気があるんじゃないか、とまで思うだろう。
 彼女は軽く頷いて続ける。
「でも、無表情ていうのは、見た人がちょっと、イヤな気持ちになるやん」
「それが?」
 彼女はちょっと頭を横に振って、俺に顔を近づけた。
「まだ解らんか」
 ほのかに彼女の髪からフルーツのような、爽やかな香りがする。
「ようするに“カワイイ女の子がニッコリ”は、すでに“記号”なんよ」
 俺の目を見て、言い聞かせる。
「世界中、少なくとも、この現代日本には、どこ見てもあるやろ。テレビ、雑誌、広告。メッチャ溢れてるやん」
 淡々と語る。だが、その瞳には、哀しみの色が浮かんでいた。
「誰が見ても、イヤな気持ちにならず、当たり前に、スッと流すことができるよう教育された“記号”なんや……」
 あ、そうか。やっと理解した。俺は、それを口に出した。
「……つまり、九条の笑顔は、敵を作らない為に、自分で用意した“記号”って事か」
 彼女は顔を引いて、大きく頷いた。
「そういうこっちゃ。せやから」
 今度は、顔と同時に体も預けてくる。
「え、ちょっ」
 彼女は俺の胸に飛び込んだ。
 俺は内臓への衝撃で、ちょっとむせる。
 彼女の髪の香りを、よりいっそう強く感じた。
「ほんまに好きなアンタには、表情、作らへんねん」
 その真っ直ぐな言葉と行動に、照れる。
 俺はもう、不安を感じてはいなかった。
 彼女は俺の胸に顔をうずめながら、少し声のトーンを落として質問した。
「……なぁ、こんな話聞いて、引いてへん? キモいとか、思わへん?」
 彼女も、不安だったんだろう。
 まるで、笑顔と言う名の砦にこもり、他人を寄せ付けず、孤独に生きるような……孤高の笑顔。
 俺にその考えを言うのが、怖かったんだろう。
 彼女の過去に何があったのか、なぜ、そういう思想に至ったのか……それは解らない。
 何か、哀しい出来事があったのかも知れない。
 でも、そんなことは今はどうでもいい。
 なぜなら、俺の胸にいるこの繊細な女の子が、勇気を持って、砦を、心を開いてくれたから。
 俺もこの子のその気持ちに対して、素直に受け入れたいと思うから。
 俺は彼女の頭を優しく撫でた。そんなこと、普段はドキドキしてできないはずだが、なぜかできた。
「引いてヘンし、思わヘン」
 俺はヘタな大阪弁で答える。
 彼女は、んふふ、と小声を出した。
 すると、急に何かを思い立ったように言う。
「あ! でもな」
「ん?」
「作り笑いやなしに、ほんまに笑うこともあるから、ちゃんと解ってな。そうせんと、怒るで?」
「今、俺の胸で笑ったみたいに?」
「バレるん、早っ!」
 俺たちはホントに笑い合った。

 ふたりで並んで帰る途中、ふと、空を見上げた。
 春の夕焼けが美しい。
 明日も天気が良さそうだと思った。


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