[シズカな彼女 3]
ジル・オ・ランタン


[1]へ [2]
●topに戻る
連作のトップに戻る

 秋深い日の放課後。
 寒さの増した夕暮れ。高校の校舎が長い影を落とす。

 僕たち三人は帰り支度を済ませると、教室から校庭に出た。
 僕と彼女と、その親友。

「ね、国友(くにとも)。今日、何の日か知ってる?」
 右隣の茶色いショートレイヤーボブの女子が、僕の名字を呼び捨てにする。
 彼女は、相川 マミ(あいかわ まみ)。
 僕の彼女の、小さい頃からの大親友でクラスメイト。
 ちょっとお調子者で姐御肌。それ以外は顔もスタイルも背丈だって、ごく普通の女子だ。
 ヤツは何だかニヤニヤしている。

 僕は訝しく思いながらも、首をかしげた。
「んにゃ。何かの記念日だっけ?」

 左隣にいる僕の彼女が袖を引っ張った。
 周防 シズカ(すおう しずか)だ。

 彼女は背が低く、身体も全体的に未発達な感じだ。
 肩よりやや長い黒髪で、細い楕円の黒縁眼鏡を掛けている。
 まるで日本人形のような美少女。
 人形のような、とは、ただ単に愛らしいからだけじゃない。その表情からは、いつも感情が読み取れないからだ。
 それでも最近は少し笑うようになった。

 彼女が常に肩から掛けているポシェットには、十二色の水性ペンが入っている。
 その中からオレンジと黒を取り出すと、いつも持っているスケッチブックに魔法のような速さで何かを描いた。

 彼女は無表情に小さく頷いて、それを僕に見せる。
 そこには独特のポップさでカボチャが描かれていた。
 ガイコツのように目と口が黒く塗られている。
「ああ。えーと、ハロウィンか」
 シズカは無言で大きく頷く。
 そう、彼女は無表情の上に無口なんだ。
 彼女と長い付き合いのマミによると、無表情なのは昔からだけど、喋るのは良く喋るらしい。
 でも僕の前ではとんでもなく緊張してしまい、全く言葉が出ないという。
 これが電話とか間に何かがあれば、まだ少しは話せるみたいだ。それでも聞き取れないことも多いんだけど。

 シズカからの告白の時も、彼女は無口だった。
 最初はマミに“シズカが国友君に話があるから”と屋上に連れ出された。
「シズカ……って誰?」
「あたしの大親友でね。可愛いくてイイ子よー」

 初めて見た彼女の印象は、きれいで可愛いけど、その表情があまりにも少ないせいで冷たい感じだなと言うものだった。
「ほら、シズカ。言いたいこと、あるんでしょ」
 シズカは、うつむいてチラチラと僕の顔を見る。
 その視線は表情に乏しいせいで、まるで嫌悪して睨んでいるように思えた。
 そうやってしばらく何も言わないまま、ついにはマミの影に隠れてしまった。
「ちょっと、シズカ……」
 僕は溜息を吐いて、その場を去った。

 でも二回目があった。その時はもうウンザリしていたから、断ろうとした。
 だけどマミはいつもと違って、かなり真剣に頼んできた。
「待って。今度はあの子、ちゃんと伝えるから。それでもダメなら、その時に断って」

 あの日。
 屋上でシズカはスケッチブックを取り出して、今みたいに絵と文で、想いを伝えてきた。 それを見て、最初は何かの冗談なんじゃないかと思ったが、シズカの眼差しは無表情ながらも、本当に必死に見えた。
 彼女は、とにかく自分の気持ちをありのままに素直に伝えようと、何枚も何枚も今までの僕に対する想いを書き連ねた。
 それを僕に見せるときの強い目の光に、嘘も誤魔化しもない誠実さを感じた。
 それで付き合う事にした。

 実際、シズカは素敵な女の子だった。
 彼女はとても真っ直ぐで、純粋だ。不器用って言ってもいい。

 いつも僕に対して思った事、疑問、なんでもその場でぶつけてきた。
 まあ正確にはスケッチブックに、だけど。
 僕はそんな彼女にちゃんと答えたいと思い、色々勉強した。おかげで僕の成績も上がった。

 そうやって半年、付き合ってきた。
 彼女の事が少しずつ解って、そのたびに好きになっていった。
 表情にはあまり出さないから解らないけれど、本当は多感で傷つきやすいって事や、シズカって名前とは反対に、いつも元気でけっこう慌てん坊な事。

 確かにちょっと変わってるけど、本当は普通で……僕にとっては特別な女の子。
 たぶん、僕は彼女がかなり好きだと思う。でもまだ、キスもした事ないんだよな。

 マミが笑う。
「って事で今晩八時、シズカのウチでハロウィンパーティします!」
「あ、そうなんだ。てか、それなら前から言っといてくれよ。ま、当然行くけどさ」
 ちょっと唐突な気もしたが、シズカと少しでも長く居られるならと思い、了承する。

 シズカが、ふいに僕の前に回り、カバンから何かビニールに包まれた赤い服のようなものを差し出した。
「え、これを着て来いって事?」
 無表情にコクコクと頷くと、スケッチブックのページをめくり、また何か描いた。
 それを見て、僕は顎が外れそうになった。
 その絵は赤い全身タイツにツノとシッポが付いた、悪魔だった。
「マジで?」
 コクコク。今度は心なしか、嬉しそうに見える。
「ええー」
 嫌がっては見たものの、シズカの目の輝きに負けた。
「しかたないな、わかったよ。とりあえず何かの下に、ちゃんと着ていくから」
 彼女が微笑んだ。
 さらさらと、悪魔の絵の横になにか文字を書いて見せる。
「ん、“Trick or Treat”(トリック オア  トリート)の言葉も忘れないで? ああ、そのセリフを言うのがしきたりだっけ。それもわかった」
 マミが横から付け加える。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、って意味よ。知ってる?」
「そ、それくらい、知ってるよ!」
 実はあんまり、意味はわかってなかったんだけど。

 その夜。
 僕は、駅からシズカの家まで歩いていた。
「ちょっと暑いな……」
 悪魔のコスプレを隠すために、ロングコートを着込んできたからだ。
「やっぱ、やめときゃ良かったかな」
 今更ながら後悔した。家を出る時も、家族に異様な目で見られたし。
「でも、シズカが喜ぶなら……」
 そう思い直して彼女の家の前まで、さらに歩いた。

 彼女の家に到着した。
 豪邸、というほどではないが、それでもかなり立派な一戸建てだ。
 壁面にはハロウィンの飾り付けがあり、魔女や、あのカボチャ頭が色とりどりに光っている。
 周りの家を見回すと、それらしい飾り付けがあるのは、その住宅街ではシズカの家だけだった。
 さすがに日本では、まだまだ普及していないようだ。

 僕は少し緊張しながらインターホンを押した。
「こんばんは。国友です」
『……こ、こんばんは。……門は、開いてま、す。入って……少し待って……て』
 向こうから、消え入りそうなシズカの声が聞こえた。
 珍しい。いつもよく来ている時間帯なら、彼女のお母さんが出るんだけど。
 パーティの準備でもしてるのかな。

 小さな門を開け、敷地に入る。門を閉めて玄関まで何歩か進み、ドアの前で待った。
 しばらくして、玄関の扉が少し開く。
 中からシズカが無表情な瞳でチラリと覗いて、小さくちょいちょいっと手招きをする。
 そのしぐさのせいで、なんだか一瞬、僕は警察に追われる犯人になったような気分になった。
 別に何も悪いことしてるワケじゃないんだけど。

 玄関に入ると、僕は息を飲んだ。
 彼女がセクシーな魔女の格好で佇んでいたからだ。
 シズカの黒髪に、黒の衣装がよく合う。
 肩ひもがなく、少し丈が短い。柔らかく光る細い肩と、長い足に穿いている黒い網タイツが、かなり色っぽい。
 頭には、つば広の三角帽。コウモリの飾りが付いている。

 彼女はうつむいて、後ろ手にスケッチブックを持ちながら、なんだか体を揺らしていた。 もじもじしてる、のかな。
 彼女はうつむいたまま、スケッチブックを前に突き出して、書いてある文字を見せた。

“どう?”

 そりゃあもう、可愛いに決まってる。僕はドキドキしながら、それを口にしようとした。
「か、か、かわっ、かわっ……」
 うわー! ダメだ! 口が渇く。喉が張り付く。頬が熱い。
 確かにこれじゃあ、喋れない。彼女の気持ちが少しわかった。
 彼女はそれを察したのか、微笑むと次のページを開き、文字を書き込む。

“国友君も、見せて”

 僕は少しホッとしながら、でも、言いたいことが言えなかった悔しい思いもありながら、コートを脱いだ。
 背中側に垂らしていた、ツノ付きの被り物も頭に着けた。
「えーと、それでセリフ……あ、そうそう」
 僕はマミの言葉を思い出し、さっきの鬱憤を晴らすかのように思い切りおどけて言ってみた。
「お菓子くれなきゃ、イタズラしちゃうゾ!」
 手を大きく開いて、何かくれ、と差し出すようなポーズまでして止まる。
 彼女はやや目を見開いて、しばらく僕を見つめた。

 いや、えーっと、無口なのは分かった。
 でも、その、やっぱ、こういう時は何か言ってくれないとつらいんですけど。

 そう思った時、彼女の顔にほんの少し、何かをたくらんでいるような笑みが浮かんだ。
 次の瞬間。
 彼女はふんわりと僕のそばに近づいて、耳元で囁いた。
「……イタズラ……して」

 その魔女の呪文が僕を虜にするまで、時間はそう掛からなかった。

 僕が写り込んでいる彼女の瞳が潤んで、閉じられた。
 彼女の少し震える吐息が聞こえる。
 その淡いピンクの口紅が艶やかに、輝く。

 僕はゆっくりと、彼女の頬に手をやる。
 僕も震えている。
 息が荒くなる。

 もし今、この瞬間に誰か彼女の家族が、奥から来たらどうしよう……。
 いや! 構わない! ここで僕がリードしないとダメだ。男なんだから!

 彼女の唇に僕の唇を、ゆっくり近づける。
 僕の鼓動が彼女に聞こえそうで恥ずかしい。
 あと、ほんの数センチ。
 お互い、これが、ファーストキス。
 やっちゃっていいのか? いいのかぁぁぁ!

「トリック オア トリートォー!」
 突然、玄関ドアを開けてカボチャ頭が乱入してきた。
「うわっ!」
「ひゃっ!」
 僕とシズカは、同時に驚いた。
 そいつはしばらく僕と彼女を見下ろして、言った。
「ありゃ……ちょっと早かった……?」
 カボチャ頭を取った顔は、マミだった。
 シズカは無表情で立ち上がると思い切り腕を伸ばし、マミの頭を両拳で挟んだ。
 そのこめかみに拳をグリグリと押しつける。
「あだだだ! ごめん、ごめんって!」
 シズカの拳から解放されたマミは、涙目で僕に八つ当たりしてきた。
「そもそもアンタが悪いのよ! 国友、ノロノロし過ぎ!」
 って、それなんだよ? どういう事だ。
 シズカが頭を下げた。
「……ごめん、なさい……」
 小さな声で謝る。
「……え、えと……う、うう……」
 言葉に詰まったのだろう、彼女はスケッチブックのページをめくり、サラサラとなにかタイトルのような物を書いていく。

“ハロウィンだよ! Trick or Treat”(トリック オア トリート)で、イタズラされちゃおう大作戦”

 僕は、それを見て全てを理解した。
「どうせこんな事、考えるのはマミだろ!」
 僕はカボチャ頭を手に持つ女を睨んだ。
 彼女は悪びれもせず、答える。
「残念でしたぁ。作戦自体は、ほとんどシズカが考えたの。あたしは、そのタイトルを考えただけー」
 まさかと思って、シズカを見た。

 彼女は一瞬、びくっとして。
 まるで子犬のように潤んだ瞳で上目使いを返す。
「……ご、ごめん、なさい……」
 ほとんど聞こえない声でつぶやく。
 僕はその可愛らしさに、胸が高鳴った。
「あ、いやその……」
 彼女は僕の返事を聞かず、顔を真っ赤にしながらスケッチブックに向かった。
 大きく腕を動かしてまた何かを書き出す。

 ページ一杯に、デカデカと書かれた言葉を見て、僕も真っ赤になった。

“でも、キスして欲しかったの!”

 マミも真っ赤になっていた。
「あ、う、えーと、アンタたち、もう付き合って、半年じゃない? 国友も、もうちょっと女の子の気持ち、分かってあげないとね」
 うう、確かに僕は何もしてない、と言うか、ごめん、ホントはできなかったんだ。
 だって、女の子と付き合うのなんて初めてだし、そんなタイミングとか分からないし……。
「はいはい!」
 マミがパンパンと二回、手を叩いた。
 玄関横に置いていたシャンパンや食料のコンビニ袋を持ち上げて、自分の家のように入って来る。
「あとはレッツパーティー! 実は今日さ、シズカん家、誰もいないんだよねぇ。惜しかったねぇ、国友ぉ!」
 僕に舌を出して、通り過ぎて行く。

 僕は、なんだか無性に悔しくなった。
 ふいに、シズカが僕の手を取る。
 僕の目を見て優しく微笑むと、片手に持ったスケッチブックを見せた。
 そこには、カボチャ頭の絵から矢印が引いてあり、説明が書いてあった。
 たぶん、僕に分からせるために書いておいたものだろう。

“カボチャ頭=ジャック・オ・ランタンは、ウィル・オー・ウィスプとも呼ばれ、天国にも地獄にも行けない呪われた彷徨う魂の事。でも、ハロウィンのジャック・オ・ランタンは、その怖い顔で悪霊を払い、旅人を迷わせずに、ちゃんと道案内するという”

「へぇ、そうなんだ」
 彼女は頷いて、僕の耳に囁いた。
「……たぶん、彼女は、わたしたちの、ジャック・オ・ランタン」
 思わず、僕は吹き出してしまった。
 マミが振り返って、ちらりと見た。
「ん? どしたの」
「いや、なんでもない」
 彼女は訝しげに、ふぅん、とだけ言って、前に向き直った。
 僕が笑いを抑えていると、シズカが何か思いついたのか、スケッチブックにペンを走らせた。

“Jack(ジャック)は男の子の名前だから、この場合は、Gill(ジル)・オ・ランタンかな”

「あ、ちょっといいね、それ」
 僕たちは微笑み合った。
 マミがカボチャ頭を指でくるくると回しながら、廊下を進む。
「あ、そうそう、あと、うちのクラスの女子が何人か来るよ。面白い子ばかりだから、きっと楽しくなるわ……」
 僕とシズカは、お互いの手を握って奥へと入っていった。
 ジル・オ・ランタンの後をついていきながら。

END


[1]へ [2]
●topに戻る
連作のトップに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送