わたし達は明信君の父の友人である、和頴(わえい)住職の寺に到着した。
さすがに正月なだけあって、かなり人が多い。
明信君はわたしを連れて、本堂へ向かった。
「去年は初詣、別のトコに行って、しかも店長には挨拶したのに和頴さんの事はすっかり忘れてたからなぁ……」
「うむ。わたしも気が回らなかった。済まない」
店長とは彼のバイト先、喫茶とスィーツの店『スーヴェニール』の木暮店長の事だ。
彼もまた、明信君の父の友人である。
わたし達は、お参りを済ませた。
和頴住職に新年の挨拶をする為、社務所のほうへ向かうと、その角の向こうから聞いた事のある声がした。
「おい。お守り補充しておけよ」
和頴住職だ。
「あ、はい!」
それに答えた声は、若い男性のものだった。
その早い足音が近づいて来る。
角から飛び出したその男性を見て、わたし達は息を飲んだ。
「慶太(けいた)……君?」
それはわたしが幼い頃、淡い恋をした相手だった。
その後、ずいぶん経って……わたしが一年生の時、偶然、再会した。
だが、慶太はその時にはすっかり荒れていて、もはや別人だった。
彼はナイフをちらつかせてわたしを襲って来たのだ……。
明信君が素早くわたしの前に出て叫ぶ。
「ってめぇ! こんなトコで何してやがんだ!」
明信君の態度も無理はない。
彼はわたしが慶太に襲われたその時、王子様のように颯爽と現れて、助けてくれたのだ。
慶太は驚いた顔をして、視線を地面に落とした。
そして、唐突にぽろぽろと涙をこぼすと土下座をした。
「その節は本当に申し訳ない事をしました。すみませんでした」
「えっ」
明信君が声を上げた。
まるで憑き物が落ちたようなその態度に、わたし達は呆気に取られた。
「ん、なにやってんだ」
そこに和穎住職が、見事に毛を剃り落とした美しく丸い頭を撫でながらやって来た。
住職はわたし達を見て、お、と声を出した。
「なんだ、明信と涼夏ちゃんじゃねェか。あけおめことよろ。ってか、涼夏ちゃんの着物、また綺麗だな。ええ?」
わたしはその人懐っこい笑いにとりあえず、答えた。
「ありがとうございます。明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします……」
明信君も続く。
「よ、よろしくお願いします……」
「んで、なんでケイタイは二人に土下座なんかしてるんだ」
ケイタイ……そうか、慶太の音読みだ。
僧の呼び名は皆、名前を音読みにすると聞いたことがある。
だから例えば、明信君ならメイシン、となる。
慶太――ケイタイは頭を上げて、住職を見た。
「和尚。わたしはこの二人に謝罪していたんです。いつか謝らなければならないと思っていた事があって……」
「……ふぅん。何か色々とあったみてぇだな。ま、おめえがヤンチャもんだったってぇのは知ってるから今更驚かねぇが。まあとりあえず忙しいんだから、お守り補充しに行けよ」
「は、はい。それでは、失礼します」
慶太は手を合わせ、お辞儀をして、社務所に入って行った。
彼はまたすっかり別人になっていた。今度は良い方に。
明信君が住職に話しかけた。
「和穎さん、えーと……去年は来なくてすみません」
「あ? ああ。まあ、うちのボロ寺より良いトコはたくさんあるからな。気ィ遣うなよ」
「はは……それで、さっきの若いお坊さんは……」
「うん、あれはちょっと知り合いに頼まれてな。今年からここで預かる事になってたんだ。まあ、ヤンチャだった頃の人間関係とは縁を切ってるし、心を入れ替えたってんでな」
「そうだったんですか」
「てか、それはこっちも聞きてぇな。どういう知り合いだ? 只事じゃあない感じだったけどよ」
「あ、うん。それが……」
明信君はわたしをチラッと見た。
わたしは頷いた。
「……涼夏が以前、襲われたんです、あいつに」
住職は溜息と共に暗い目をした。
「……そうか。すまんな。涼夏ちゃん」
「いえ……。二年も前の話ですから、住職の謝る事ではありません。それにあの時は、明信君が助けてくれましたから」
「ほう? 本当か、明信」
「ええ、もちろんです。俺だって、その、好きな女の子くらい、守れますよ」
わたしの胸が高鳴った。
顔が一気に熱くなる。
「明信君。珍しいな、君がそんな事を言うなんて。嬉しいぞ」
「そ、そりゃあ良かった。まあ、たまには、な」
「わはは。二人とも赤くなっちまって。若いもんはええのう」
住職はいつものように朗らかに笑う。
明信君が照れ笑いを浮かべて、その後、少し真面目な顔をした。
「それにしても、あいつ……慶太だっけ。ホントに心を入れ替えたのかな。真面目そうに見せかけてるだけじゃあ……」
住職は軽く答えた。
「ん。そりゃあ、ねえな。なんつってもあの姫さんの所から来たからな……」
「姫さん?」
「おっと。いやまあ、色々な。あるんだよ。とにかく、もう奴の事で心配はいらねぇぜ。俺もいるしな。涼夏ちゃんも安心していいぞ」
住職が親指を立てて、ウィンクする。
その自信の根拠はよく解らないが、住職が慶太を監視しているならそれだけは安心材料と言えるかも知れない。
わたしはお辞儀をした。
「はい。解りました。ありがとうございます」
ふいにやや乱暴な言葉づかいの男性の声がした。
「あ、和尚。あけおめ。どうだ、あの男。その後」
振り返ると、大きくがっしりとした体躯の男がいた。
黒い皮のジャンパーでダメージジーンズを履いている。
短く刈り込んだ金髪頭で片眉を上げるような薄笑いの表情。
いかにも不良といった感じだが、不思議と目は澄んでいた。
隣には着物の女性がいた。
見事な黒髪を綺麗に結っている。色白で驚くほどの美貌だ。
彼女もまた背が高く、まるでモデルのようだ。
二人は左手の薬指にリングを嵌めている。
夫婦、と言う事か?
普通なら全く釣り合わないように思えるものだろう。
だが、この二人は不思議に良く似合っている。
住職が急に態度を変えて、女性のほうにうやうやしく頭を下げる。今までの態度が嘘のようだ。
「これはこれは……姫。わざわざ御足労ありがとうございます。改めて、明けましておめでとうございます」
姫、と呼ばれた女性はちらりと住職を見る。
無表情で冷たい視線だ。
昔のわたしによく似ているが、わたしにはない、まさに姫と呼ばれるのにふさわしい高貴な魅力が備わっている。
「うむ、めでたいな。そう言えば、お前は去年末から住職になったそうだな。今年からミコトと呼んでも良いぞ。これからも世話になる」
「はい、ありがとうございます。ミコト様」
またうやうやしく頭を下げる住職に金髪頭の男が軽く言った。
「って俺は無視かよ」
その声に和尚はまたガラリと態度を変えた。いつもの通り、いや、いつも以上にフレンドリーになった。
「ふん、正隆(まさたか)。お前はしょせん使いっ走りじゃねーか。てか、家畜? いや、非常食か」
「ひでーな、おい」
正隆と呼ばれた男は、言葉とは裏腹に豪快に笑う。
住職も快活に笑った。二人は似ていると直感した。
「ま、とりあえず、さっきの質問に答えてやるか。慶太は真面目にやってるぜ」
「ふん、そうかよ。解った。しっかし、言いたいこと言いやがって。なんでこんな奴が住職なんだよ」
明信君は呆気に取られていたが、その言葉には大きく頷いた。
ミコトさんがその明信君を見て、口を開く。
「ん……そこの男子、少し目を見せろ」
ふわりと彼に近づくと、瞳を覗き込んだ。
わたしの心に仄暗いものが僅かに広がる。
「ふ……ん。やはり、慧眼(えげん)の相が見受けられるな。完全ではないし、正隆の法眼(ほうげん)ほどではないが、いずれにせよ、浮世に現出する事は稀だ。そこの女子」
突然、呼ばれてやや驚いた。
「はい、なんですか」
「この男子はお前の男か」
わたしはミコトさんの眼力に圧倒されつつも、ハッキリと返答した。
「はい。そうです」
彼女は微笑んだ。
「なら、夫婦(めおと)になれ。きっとお前もこの男子も幸せになる」
「えっ」
わたしと明信君は同時に声を上げた。
住職がまた、笑う。
「すげえ、ミコト様の御神託が出るなんて……羨ましいぜ、明信!」
「え、え?」
わたし達はよく解らない。
ミコトさんが明信君のあごを指でつまむと押し上げた。
そして、妖艶とも言える笑みを浮かべる。
わたしの心の中で、仄暗いものが更に広がった。
「正隆より先に出会っていれば、君をわたしの伴侶にしても良かったな」
当の正隆さんは呆れたように溜息をついている。
わたしはついに行動した。
明信君をミコトさんの前から押し退けて、彼女を睨みつける。
「やめて下さい」
住職が慌てた。
「お、おい、涼夏ちゃん! それはマズイって……」
ミコトさんは少し驚くと、ふっと微笑んだ。
「……気丈な娘だな。名はリョウカ、か。覚えておこう。慧眼の嫁としてな。正隆、帰るぞ」
「ああ」
彼はミコトさんの後を追いながら、すれ違いざまに軽く笑った。
「リョウカちゃん、気にすんな。彼氏に言った事ぁ、ミコトの冗談だ。あいつは俺以外の男にゃ絶対なびかねぇ。俺にベタ惚れだからな」
それを聞きつけたのか、ミコトさんは物凄い速度で振り返ると正隆さんに近づいて、その勢いのまま、みぞおちに拳を叩き込んだ。
「ぐぼ……っ!」
ミコトは仄かに頬を赤らめて言った。
「このうつけ者が。恥を知れ」
「……へ、へへ。ミコト」
「なんだ」
「お前、ホント、可愛い女だぜ」
「うるさい」
ミコトさんはもう一度、拳を振り上げた。
だが、今度はその拳を正隆さんが握り込んで止めた。
不敵に笑う正隆さん。
すると、ミコトさんも笑みを見せた。
彼女は、ぐいっと正隆さんを抱き寄せ、唇を重ねた。
正隆さんの慌てるような、くぐもった声が聞こえる。
住職と、わたし達は呆然としていた。
やがて、二人は離れた。
ミコトさんがさっきより顔を赤らめて、目を逸らすように言う。
「……ふん。今度こそ帰るぞ」
「ふぅ、全くよ。……そんじゃ和尚。今年もヨロシク」
「あ、ああ。じゃあまた……」
わたし達は二人を見送った。
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