[深淵の記憶]  1/氷の勲章

[2/怯える兎]へ
[3/緑輝く草原]へ
=涼夏の物語= topに戻る
topに戻る

 闇。
 わたしは、闇の中にいた。

 今日も、わたしは独りだ。
 父母は共働きで、あの人はもういない。

 いつも、わたしを助けてくれたあの人。
 あの頃……小学生の頃、隣に住んでいた、慶太君。

 いつも元気で明るく、強く、面白い人だった。
 わたしの物心が付いた頃の思い出は、ほとんど彼と一緒だ。

 彼は公園のブランコに乗り、遠くまで飛んだ。
 飛び降りだ。大人はなんてあぶないことを、と言っていたが、わたしはかっこいいと思っていた。

 わたしが猫を拾って帰ったとき、親にひどく叱られて泣いていると彼は、真剣に飼ってくれる人を探した。
 優しい人だと思った。

 秋に自転車で二人乗りで遠くに出掛けた。疲れたわたしは彼の背中に寄りかかった。暖かだった。

 冬には雪でうさぎを作った。かわいい、と言ってくれた。
 彼も真似ようとしたが、結局、いくら教えても出来なかった。
 可愛いのは、慶太君だよ、そう思った。

 今思えば、あれが初恋だったのだろう。

 だが。
 彼は唐突にいなくなってしまった。

 ひどい風邪で休んだ日。
 いつもは、プリントや宿題を届けてくれる彼が来なかった。

 なぜ、と言う気持ち。不安と少しの怒り、悲しみ。
 熱の中で、寂しい、という気持ちを知った。

 2日後、風邪も治り、いつものように彼と登校しようと彼の家の前に行った。

 呼び鈴を鳴らす。
 鳴っているようすは、なかった。
 不思議に思って覗き込んでみると、家中の戸は閉まり、静まり返っていた。

 近所のおばさんが、わたしを哀しげな目で見ていた。

「涼夏ちゃん、慶太くんは遠くに引っ越したのよ」

 受け入れられない事実だった。よく頭が回らない状態で学校に向かった。

 学校に行くと私の机には一輪挿しが飾られていた。
 教室に広がる、失笑。

「もう慶太はいねーんだよ!」

 クラスを束ねる悪童が言う。そいつは、いつもわたしを目の敵にしていた。
 だが、いつも慶太君に返り討ちに遭っていた。

「あいつの親父は人殺しだ!」

 本当の事かどうか、解らない。だが、その言葉が私の胸をえぐった。

「お前も人殺しの仲間だ!天罰を受けろ!おるぁー!!」

 そいつは、わたしに殴る蹴るの暴行を加えた。
 クラスの誰も助けてはくれなかった。先生でさえも。

 もう本当に誰も助けてくれないんだな。
 わたしは、それ以来、笑い方も泣き方も、忘れてしまった。

 理不尽ないじめが始まってから、わたしに生きる価値はなくなっていた。

 慶太君。もう死んでもいいよね?

 いつも夢で彼を見た。彼は優しく微笑むだけだった。
 わたしは毎朝、誰もいない家で涙の目覚めを迎えていた。

 わたしはただただ、親のためだけに、学校に行っていた。
 わたしには、なにもなかった。

 だが、しばらくして自らを救うものがあることが解った。
 わたしに価値を与えてくれるもの。
 それは、成績。

 勉強に打ち込めば、嫌なことは忘れていられる。
 幸い、わたしは勉強が嫌いではなかった。
 もちろん、スポーツにも打ち込んだ。

 小学校を卒業する頃には、学年でトップだった。
 ある日、あの悪童がわたしを学校の裏に呼び出した。
 そいつは、うろうろと野良犬のように、そのへんを行ったり来たりしてから……ふいに思い切ったように言った。

「俺、ホントはおまえが好きだったんだ、慶太に盗られたくなかったんだ!」

 そいつは続けた。

「俺にいじめらてても、おまえ、慶太のことばかり考えてたんだろ! 俺を見ろよ、見てくれよ!!」

 わたしは呆れた。そして、わたしの中で急速に冷えるものがあった。
 やがて、口から出た言葉はこれだった。

「どこかで、バカという名の珍獣が吼えてるぞ? どこだ?」

 初めて口にする男口調で、キョロキョロと探す振りをしてみる。
 真っ赤になったそいつは思考が停止し、脊髄だけで動いて、わたしに突進してくる。

 わたしは何の躊躇もなく真っ直ぐに、拳を突き出した。
 顔面直撃。鼻血を吹いて、倒れ込む。

「二度と近寄るな。下衆」

 わたしは少し、気が晴れた。それ以後、誰もわたしに関わらなくなった。
 気楽だった。それが故の孤独と氷結だった。
 だが、それはわたしが、わたし自身で掴んだ勲章でもあった。


[2/怯える兎]へ
[3/緑輝く草原]へ
=涼夏の物語= topに戻る
topに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送