闇。
わたしは、闇の中にいた。
今日も、わたしは独りだ。
父母は共働きで、あの人はもういない。
いつも、わたしを助けてくれたあの人。
あの頃……小学生の頃、隣に住んでいた、慶太君。
いつも元気で明るく、強く、面白い人だった。
わたしの物心が付いた頃の思い出は、ほとんど彼と一緒だ。
彼は公園のブランコに乗り、遠くまで飛んだ。
飛び降りだ。大人はなんてあぶないことを、と言っていたが、わたしはかっこいいと思っていた。
わたしが猫を拾って帰ったとき、親にひどく叱られて泣いていると彼は、真剣に飼ってくれる人を探した。
優しい人だと思った。
秋に自転車で二人乗りで遠くに出掛けた。疲れたわたしは彼の背中に寄りかかった。暖かだった。
冬には雪でうさぎを作った。かわいい、と言ってくれた。
彼も真似ようとしたが、結局、いくら教えても出来なかった。
可愛いのは、慶太君だよ、そう思った。
今思えば、あれが初恋だったのだろう。
だが。
彼は唐突にいなくなってしまった。
ひどい風邪で休んだ日。
いつもは、プリントや宿題を届けてくれる彼が来なかった。
なぜ、と言う気持ち。不安と少しの怒り、悲しみ。
熱の中で、寂しい、という気持ちを知った。
2日後、風邪も治り、いつものように彼と登校しようと彼の家の前に行った。
呼び鈴を鳴らす。
鳴っているようすは、なかった。
不思議に思って覗き込んでみると、家中の戸は閉まり、静まり返っていた。
近所のおばさんが、わたしを哀しげな目で見ていた。
「涼夏ちゃん、慶太くんは遠くに引っ越したのよ」
受け入れられない事実だった。よく頭が回らない状態で学校に向かった。
学校に行くと私の机には一輪挿しが飾られていた。
教室に広がる、失笑。
「もう慶太はいねーんだよ!」
クラスを束ねる悪童が言う。そいつは、いつもわたしを目の敵にしていた。
だが、いつも慶太君に返り討ちに遭っていた。
「あいつの親父は人殺しだ!」
本当の事かどうか、解らない。だが、その言葉が私の胸をえぐった。
「お前も人殺しの仲間だ!天罰を受けろ!おるぁー!!」
そいつは、わたしに殴る蹴るの暴行を加えた。
クラスの誰も助けてはくれなかった。先生でさえも。
もう本当に誰も助けてくれないんだな。
わたしは、それ以来、笑い方も泣き方も、忘れてしまった。
理不尽ないじめが始まってから、わたしに生きる価値はなくなっていた。
慶太君。もう死んでもいいよね?
いつも夢で彼を見た。彼は優しく微笑むだけだった。
わたしは毎朝、誰もいない家で涙の目覚めを迎えていた。
わたしはただただ、親のためだけに、学校に行っていた。
わたしには、なにもなかった。
だが、しばらくして自らを救うものがあることが解った。
わたしに価値を与えてくれるもの。
それは、成績。
勉強に打ち込めば、嫌なことは忘れていられる。
幸い、わたしは勉強が嫌いではなかった。
もちろん、スポーツにも打ち込んだ。
小学校を卒業する頃には、学年でトップだった。
ある日、あの悪童がわたしを学校の裏に呼び出した。
そいつは、うろうろと野良犬のように、そのへんを行ったり来たりしてから……ふいに思い切ったように言った。
「俺、ホントはおまえが好きだったんだ、慶太に盗られたくなかったんだ!」
そいつは続けた。
「俺にいじめらてても、おまえ、慶太のことばかり考えてたんだろ! 俺を見ろよ、見てくれよ!!」
わたしは呆れた。そして、わたしの中で急速に冷えるものがあった。
やがて、口から出た言葉はこれだった。
「どこかで、バカという名の珍獣が吼えてるぞ? どこだ?」
初めて口にする男口調で、キョロキョロと探す振りをしてみる。
真っ赤になったそいつは思考が停止し、脊髄だけで動いて、わたしに突進してくる。
わたしは何の躊躇もなく真っ直ぐに、拳を突き出した。
顔面直撃。鼻血を吹いて、倒れ込む。
「二度と近寄るな。下衆」
わたしは少し、気が晴れた。それ以後、誰もわたしに関わらなくなった。
気楽だった。それが故の孤独と氷結だった。
だが、それはわたしが、わたし自身で掴んだ勲章でもあった。
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