[深淵の記憶] 2/怯える兎
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 しばらくして、わたしの家も引っ越した。
 父の事業が成功し、都会の近郊都市に一戸建てを建てる事ができたのだ。

 全てが新しくなった中学生活。
 わたしはその頃、平均より遅い生理が始まり、また、胸が大きくなり出した。

 第二次性徴。

 わたしは自分自身が“女である”と身を持って知った。
 急に背も高くなった。

 特にやりたいこともなかったが長身を買われて、バレー部に所属した。

 試合では、同級生や下級生の女子に黄色い声で声援を受けた。ラブレターを貰ったこともあった。閉口した。

 男子はわたしを同性のように扱った。
 それはわたしの口調のせいもあるだろうが、わたしは気が楽だった。

 だがある日、同じ部活の男子に告白された。
 わたしは彼のことが好きでも嫌いでもなかった。
 だから、誤解を招かないよう、ちゃんと断った。

 彼は夕日に向かって、泣きながら走っていった。
 そのこと自体には少し申し訳なく思ったが、わたしは自分の気持ちに素直に従っただけだった。

 次の日、わたしの机に一輪挿しが飾ってあった。
 今度はご丁寧に、黒い額縁に入ったわたしの写真まで飾ってある。

 またか。どこに行ってもこうなるのか。

 今度は、わたしが振った男子を好きだった女子が、首謀者になってわたしをいじめ始めたのだ。

 それまで仲が良かった子も、一緒にいじめられるのを怖がって離れていった。

 わたしは部活もやめ、友達も作らず、極力、自分を殺して生活した。
 それでも、いじめはやまなかった。そして、またわたしは勉強に没頭していった。

 ある日、彼女はわたしの頭から牛乳を掛けた。

「お前の態度、ムカつくんだよッ!」

 わたしは無言で濡れた眼鏡を拭き、ノートをしまい、出て行こうとする。
 そこで、彼女の取り巻きの1人が足を出した。
 眼鏡が牛乳の油分で曇っていたせいで、つい、引っかかってしまう。
 倒れるわたし。眼鏡にヒビが入る。
 教室中が爆笑した。
 だが、わたしは無言で立ち上がると、もう一度、そのまま教室を出ようとした。

 次の瞬間、わたしのスカートが後ろからめくられ、パンツが降ろされた。
 教室中が湧く。足下まで引きずり降ろされたわたしのパンツ。

 わたしは無言で、ゆっくり引き上げた。
 そして、彼女とその取り巻き連中を見た。

 彼女は薄笑いを浮かべて言った。

「うっわ、キモ!」

 また教室がドッと湧く。
 わたしは、この空気はなんなのか、不思議に思っていた。

 ただ漠然と、人間は信用できない生き物なんだな、そう思った。

 学年が変わり、彼女とは離れたが、やはり同じような人間はいる。
 また、新しい人間関係を始めないといけないと思うと、もう嫌になった。

 嘘をついてまで、好きでもない人間と仲良くしたりすることに意味はあるのか?
 後で、お互いがよけいに傷つくだけではないのか?

 わたしは自分に素直に、正直に生きたい。
 好きになった人と、なんでも言い合えて、お互いに信頼し合って……
 愛し合える。

 非現実的。

 理想主義。

 我が侭。

 そんな事は解っている。だが……そんなわたしを理解して、赦してくれる人は必ずいる。わたしはそう信じ込んだ。

 そう、あの日の慶太君みたいに……そんな風に思っていた、その時はまだ……。

 あれは……まだ肌寒い、春休みの午後だった。
 特に目的もなく、近所の商店街をブラブラしていた。
 アーケードの出口に彼……慶太君がいた。

 髪を短くしていたが、見間違えるはずはない。
 わたしは思わず、走り寄って声を掛けようと思った。
 言いたいことがたくさん溢れてくる。

 彼がわたしに気付いた。
 あの頃より男らしくなった彼の笑顔は、昔と変わっていなかった。

「涼夏……ちゃん? すげぇ背が伸びたな……だれかと思った」

 その時、わたしは笑顔を取り戻していた。
 体中が暖かくなった。

「慶太君! ひさしぶりだね! どうしてたの?」

 男口調ではなく、あの頃の口調が自然に出てきた。

「そだな……んまあ、色々あったよ」

 わたしは正直だった。そう、頭にバカの付く正直だった。
 その時、どうしても聞きたいと思っていたことを、聞いてしまった。
 彼の気持ちも考えずに。

「それでさ、慶太君のお父さんのことだけど」

「……誰に聞いた?」

「え……っ?」

 わたしはひどく驚いた。彼の表情が一変したからだ。

「ああッ?! おめぇ、誰に聞いたっつってんだよッ!!」

 彼はわたしの肩を強く掴んで、大声で怒鳴った。

「やめて! ごめんなさい、ごめんなさあい!」

 はっと我に返ったような彼。

「はぁはぁ……ごめん……ごめんな……」

 ひざに手を掛け、肩で息をする……やがて、泣き出す彼。

「慶太君……」

 わたしは彼を傷つけてしまった。
 素直で正直に生きるという事は、こういう事なのだ。
 わたしも泣き出しそうだった。

 その時、ふいに後ろから声がした。

「あらあら……痴話喧嘩ってヤツぅ?」

 年上の派手な女性が、にやにやしながら立っていた。
 短いヒョウ柄のスカートに、胸元の大きく空いた服。濃い口紅。髪は、ほとんど金髪だった。

「ふふぅん、慶太君もヤルわねぇ……」

 そう言って、彼の肩に手を回し、その豊満な胸に彼の顔を押しつける。

「よしよし、良い子ねぇ」

 こちらを向き、わたしをちょっと睨め付けるように見る。
 薄く笑いながら告げた。

「この子は、わたしの、モノ、よ」

 その言葉の裏に何が隠されているのか、なんの経験もないわたしには読み取ることはできなかった。
 だが、それでも、もう彼は……慶太君は、わたしの知っている慶太君ではないことだけは、解った。

「じゃあね、大きなカモシカちゃん」

 その人はそう言うと、彼を連れて街並みに消えていった。
 最後に見た彼の目の光は、まるで怯えたウサギだった。


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