[壱之巻]
朝の教室。
いつもの風景。
俺は自分の席に座り、教室の入口をヤル気なーく見ている。
やがて、みんなに明るく挨拶する、地味な女子が入ってきた。
ニコニコ顔で、こっちに走り寄ってくる。
「おはよっ! 武田君!」
「……うい」
彼女は、伊達 華加(だて はなか)。
昨日までは、俺の彼女候補。
「はな……いや、伊達さん、昨日のことだけど……」
「あ、今、名前で呼ぼうとしなかった? きゃ! 恥っずかしいぃ〜!」
乙女ティスト全開で、クラス中にハートマークをふりまく。
クラスがざわつく。男子から怒号・罵声・悲痛な声が飛ぶ。
「おまえら、昨日、なんかあっただろー?!」
「あそこだけ温暖化現象が起こってやがる!!」
「地球に優しくしろよ! バカヤロー!!」
女子からは、あからさまな質問が飛ぶ。
「昨日の昼にやっちゃった?」
「ほぅそれでそれで? どうだったの?」
聞かれた彼女は、ちらっと俺を見て、意味ありげに答えた。
「うふふー。ひ・み・つ」
どうにでもしてくれってな気分の俺。
……昨日。
俺の平和な高校生活は突然、崩壊した。
一年半ほど前、俺は“本家”と呼ばれる俺の家、武田家を飛び出した。
武田家は日本有数の大企業を擁する。
それが故に家を取り巻くうす汚い陰謀と、血生臭い世界があった。
俺はそれに嫌気が差したのだ。
家を出てからは本当に独り気ままな、アパート暮らしだった。
しかし昨日、本家の現当主である信綱(のぶつな)じいさんが武田の血に連なる者を襲撃しようとする、敵の動きを察知した。
そこで俺の身柄保護のため、忍者部隊・苦無衆(くないしゅう)を使い、俺を騙してまで、本家に連れ戻したのである。
確かに本家にいれば、俺にとってはこれ以上ないぐらい安全だろう。
しかし……
「やってられねぇ……」
それが今の正直な気持ちだ。
昨日聞いた話によると、実はアパート暮らしの間も、苦無衆は俺を警護・監視していたらしい。
そして……その中の1人が彼女、伊達 華加だった。
彼女は俺と同じクラスになってから、やたらと俺に懐いてて、 俺もまんざらじゃないと思ってた。
時々は、登下校も一緒にするくらいの仲だったのだが……それも警護と監視のためだったのだ。すっかり騙された。
苦無衆でのコードネームは“顔無しの華(はな)”。
毒と潜入、変装のエキスパートだ。
自称、演技派女優。
彼女は女子たちの質問をのらりくらりと見事にかわして、俺に振り返る。
「で、今日もおべんと、作ってきたから!」
「え」
俺の耳元に、口を近づけて小声で言う。
「大丈夫、今日のは毒、入ってないハズだから」
俺も小声でツッコむ。
「ハズなのかよ!! てか、今日はってどーゆーことだよ!!」
「えっとね、昨日のはぁ、真剣にお芝居するためにぃ、入れといたの!」
俺はさらにボソボソッと小声でツッコむ。
「それ、力の入れかた間違ってるだろ!」
動じない華。
「てへ!」
「てへ、じゃねーよ!」
「だーいじょうぶ。そこんトコ、空(くう)ちゃんは、カンペキな仕事するから。実際そうだったでしょ?」
空……それは昨日、初めて会った苦無衆のリーダー、“碧眼の空(へきがんのくう)”の事だ。
彼女は名前のとおり、蒼い眼の印象的な、色白でやや背の低い美しい少女だった。例えるならば、黒髪のフランス人形か。
ただし、目はもっと冷たいが。
さすがにリーダーだけあって、全ての術法に長けているそうだ。
中でも体術と探査を最も得意とし、主人の命令には絶対服従。
顔色ひとつ変えず、冷徹・完璧に仕事をこなす。
同じ苦無衆の中でも、誰も笑ったところは見たことがないと言う。
確かに彼女は芝居も完璧だったけど……でも、やっぱり、最初から毒弁当は違うと思うぞ。
予鈴が鳴った。
みんなが席に着く。
担任がやってきた。物理の鈴田 美芽(すずた みめ)先生。
黒いタートルネックにGパン、白衣姿。
髪はレイヤーボブで長身、巨乳で気品のある美人。
妙な姫様言葉を操る、不思議な人だ。
しかしその妙な姫様言葉がウケたのか、みんなは親しみを込めて、「リンダ姫」と呼んでいる。
そのリンダ姫の後ろに誰かいる。
転校生……?
にわかに教室が浮き足立つ。
その子は戸の影で、立ち止まった。こちらからはよく見えない。
「あー、皆の者、静粛に、静粛に!日直、挨拶せよ!」
日直の号令でいつもの起立、礼、着席が終わり、リンダ姫が口を開く。
「それでだな、皆の者。もはや見てしまった者もいるようだが……今日は、なんと転校生が我がクラスに来たのだ」
リンダ姫は、教室の戸の影に向かって呼びかける。
「苦しゅうない、入って来るがよい」
軽く会釈をしながら、入ってきたその姿を見た俺は、目を疑った。
それは右斜め前にいる、華も同じだった。
「初めまして、モート・唐沢・クーロエです。クーって呼んで下さい」
教室中に高揚感が漲った。
まず声を上げたのは女子だった。
「かわいー! ちっちゃーい!」
「きれーい! お嫁さんに来てー!」
「すてきー! ハーフなのー?!」
次に興奮した男子たち。
「惚れたー! うおー!!」
「激萌えー!!」
「クーちゃん祭りだ!! わッしょーい!!」
俺と華は、その空気とは全く違う思いで同時に立ち上がり、叫びそうになる。
空じゃん!!
ウチの学校の制服は着ているものの、あの背丈と蒼い眼は間違いない。マジかよ?! なんで?!
リンダ姫がチラッと俺たちを見て言う。
「……いつも仲が良いな、そなた達は。して、この唐沢と知り合いか?」
あうあうあーえー、言葉にならない俺たち二人。
クーがすかさずフォローした。
「ええ、先生。ここに来る少し前、校庭で迷っておりましたところ、そちらの武田君に、道をお教え頂きましたもので……」
「ふむ、そうであったか。なるほどな。さて、では唐沢の席は」
クーは先生の言葉を遮って、きっぱり言い切った。
「武田君の隣がいいです」
珍しく気圧されるリンダ姫。
「っと、そうか。確かに少しでも知っている者が、近くにおるほうが良かろうな。 ならば、武田の隣へ行くがよい。ちょうど左隣が空いておろう」
クーは、はい、ありがとうございます、と言って、カバンを持ってツカツカと俺の左前まで来る。
そこでふいに立ち止まって、俺を見下ろす蒼い瞳。
彼女の背が低いとは言え、座っている俺よりは高い。見上げてみる。
が、全く表情が読めない。
俺は、コイツがどういうつもりなのか、小声で聞こうと思った次の瞬間、クーは、あり得ない事を言った。
「武田君、一目惚れしました。結婚を前提にお付き合いください」
一瞬、静まり返る教室。
ここにいるみんなの脳が、クーの解き放ったスペルを言葉として理解するのに、かっきり五秒かかった。
突然、野球のスタジアムに放り込まれたかのような喚声が上がった。
教室中が揺れる。大騒動だ。
女子が叫ぶ。
「伊達さん、かわいそー!!」
「がんばれ! 伊達さん!」
「武田! アンタ、どーすんのよ?!」
「唐沢さん、武田のどこがいいワケー!! そんなのより、駒井くんのほうがずっとステキじゃ……あっ!」
思わず、告白してしまう女子。名前を呼ばれた男子も反応する。
「え、僕?! あ、ああの、よかったらよろしくお願いします!」
「あ、はいっ!! ふつつかものですが!」
いきなりカップル成立。その勢いに乗ってさらに告白する別の女子。
「あああああたしだって、武田なんかより、河村くんのことが!!」
「ええ?! おおお俺?! そうだったの! これであんパン卒業だー!」
「ああああたしだってねー、佐藤くんのこと……!!」
「なんだってー!!」
どうやらクーの発言にあてられて、あちこちでカップルが誕生しているようだ。
なんだ、この教室。
そのよく解らなくなった喧噪を、リンダ姫が良く通る声で一喝した。
「皆の者!! 静粛にせよ!! 静粛にせぬ者はそれを悪習と見なし、矯正するぞ!!」
矯正って、何するつもりなんだこの人は。
姫って言うより女王だな。
しかし、おかげで教室は静かになった。
すると目立ったものがある。俺を挟んで立つ、女子ふたり。
クーと華だ。
なんだか、二人とも闘気というかオーラというか、そんなものが音を上げて、足元から立ち昇っているような……。
華がにこにこしながら、しかし毒を含めて言う。
「あたしの武田君に、どおぉぉいうつもりぃぃ?」
怖い。さすが演技派女優。伊達 華加の役に完璧に入ってる。
クーは華を少し見上げて、顔色ひとつ変えず返答する。
「昼休みにでも、屋上で話しましょう。もうすぐ授業も始まることですし」
続けて俺の顔を見下ろして、言い放つ。
「武田君のほうのお返事も、その時によろしくお願いします」
そのまま、俺の左の席にちょこんと座る。
華はその様子を見て、ぷいっと顔を背けた。
「ふん!分かったわよ!!」
彼女も自分の席に、ドカッとばかりに座る。
顔が真っ赤で鼻息が荒い。悔しそうだ。
本当に俺のことが好きみたいに、見える。
ホントに演技か?
一瞬、疑ってしまうが……いや、昨日の対決を見たらコイツの芝居が、どれほどのものかは、解る。純粋にすげぇよ。
でも、芝居だと解ると、これほど虚しいものはないんだが。
始業のチャイムが鳴った。
リンダ姫と入れ替わりに、数学の先生が来る。
彼は特にキャラが立っていない。
俺は教科書とノートを、お義理で出して開いた。
しかし、クーは何考えてんだ……。
チラッとその整った横顔を見ると、俺の視線に気が付いてこっちを見返す。
軽く会釈してから小声で聞いてきた。
「教科書、見せて頂いてよろしいでしょうか?」
ちょうどいい、俺にも話はある。
ここに来た理由と、爆弾発言の真意を聞こうと思っていたところだ。
彼女は返事も聞かずに、俺の机に自分の机を寄せる。
その音に敏感に反応したのは、華だ。
目から、レーザービームが発射されているかのような視線を、クーに注ぐ。
クーはそれをまるで反射するかのように、軽く無視して俺の肩のほうに寄る。
「ごめんなさい、よく見えなくて……」
クーはそう言って、顔を近づけ、髪を軽くかき上げる。
ふわっと、フローラルな香りが漂った。
これは、この攻撃は、ヤバイ。
さらに、クーは顎を引いて、やや頭を傾け、上目使いで俺の目を覗き込む。
無表情なのに目に力がある。きらきらと蒼く妖しく輝く瞳。
スゥッと彼女の頬に紅がさし、濡れたような唇が、ゆっくり半開きになる。
蠱惑的で、たまらなく艶っぽい。
しまった……これが噂に聞く、女の武器を使って男を誘惑するという、“くノ一(くのいち)”の術か……。
ああ……キスしたい……
俺がふらふらと、クーの色香に惑わされようとした瞬間。
俺の顔の一部が、焼け焦げた気がした。
「う熱っ?!」
一気に術から覚めた。
何事かと思って、その方向を見ると……華の視線があった。
胸ポケットから、細長く光るものを出して、投げつけようと構えている。
ああ、あれは昨日見たな、えーと、そうそう、毒針。毒針だ。
てか、毒針かよッ?!
なんで、俺を狙うんだよ!
……ん? そうか、これは嫉妬を表現する演技なのか。
クーを見ると、彼女もまた、細長い刃物……棒手裏剣を構えている。
「主(あるじ)に手を挙げるとは、見下げ果てた根性だな……」
ボソッとつぶやく。
こっちはこっちで、勘違いしてるし。あーもー!!
俺は素早く華に向かって、大きく腕をクロスして、見せる。
次に頭を下げて謝るしぐさ。
それを見た華は、怒りの目をしつつも、毒針をしまい前を向く。
すぐさま、俺はクーに、華の行動の意味を説明する。
クーも手裏剣をしまった。
「ふむ。よく解りました。ですが、芝居ならば消しゴムを使うなど他の方法がいくらでもある、と思います」
淡々と分析しする。
「それをよりによって、毒針を使おうとするとは言語道断。やはり、のちほど再教育は必要かと思います」
冷静な解答を出す。
てか、再教育って、再教育って、何する気だーっ!!
俺は頭を抱えて、深い溜息を吐いた。
……はぁぁぁー……誰か俺の静かな生活を返してくれ……。
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