[V.A.(バレンタイン・アンビバレント) ]

01.イヴ


02.ディ・サイドへ行く
03.ディズ・レイターへ行く
topに戻る
=涼夏の物語= topに戻る

 やっと寒さも緩んできた二月半ば、俺は放課後の教室でしばし、ぼんやりしていた。
「今日はバイトもないし、料理部の部活に行かないとな……」
 そう思ったものの、例の事を考えると、やや気分が沈んだ。
「明日はアレだもんな……どうすっかな……」

 やがて後ろから、まるでどこかのオネエ系なかたのように、男の猫なで声が聞こえた。
「ザミちゃん、明日はアレよねぇ」
 友達の坂本欣司、通称トキンだ。ふんふんと鼻歌交じりで俺の席に近づいてくる。
 俺はそれを無視して、窓の外を見るとも無しに見ていた。
「はぁ……」
 ヤツが真横にぬっと顔を出し、相変わらずの調子で話す。
「ひょ? どーしたん。悩みか? 明日はセント・ヴァレンタイン様ご光臨だってのによー」
 俺はヤツの顔をじろりと睨む。
「それが問題なんじゃねーか」
 トキンは怪訝な顔をする。
「なーにがよ? 委員長のラヴフォーエヴァーなスィートチョコ貰うんだろ、え?」
 俺の頬を自分のほうに引っ張った。
「っででで! 離ふぇひょ!」
 トキンは俺の顔を離すと、ちょっと探るように俺を見る。
「はーん。そか、なっちゃん先輩のことか」
「ふごっ?!」
 俺は鼻息を吹き出して驚いた。これは、いつもはトキンのすることだ。

 なっちゃん先輩とは、安藤 奈津子(あんどう なつこ)先輩のことだ。
 前の料理部部長で、三年生だ。
 今は受験勉強の追い込みが掛かっているせいで、部活以外、ほとんど学校に来ていない。
 料理部には二年が居ないため、心配してちょくちょく見に来てくれているんだ。

 そして先輩は……俺の彼女であるクラス委員長、花鳥 涼夏(はなとり りょうか)とライバル関係だ。
 ひょんなことから、俺と涼夏、安藤先輩の三角関係ができちゃって、ちょっと困っている。
 あの二人のことだ。
 今日の部活で顔を合わすようなことがあったら、きっとバレンタイン・イヴの惨劇を起こすに違いない。
 うう、胃が痛いー。見たくねー。

 俺はトキンの肩を掴んで驚きを口にした。
「お、おまえがそんな空気読むってか、他人をちゃんと見てるなんてオラ思わなかったぞ! スッゲーな!」
 なぜか思わず、某竜の玉なアニメの主人公口調になる。
 ヤツは髪を掻き上げ、ふっ! と笑う。
 見た目がイケメンなだけあって、それは似合うっちゃ似合った。
「この一年近く、おまえらと一緒にいたおかげさ! 俺だって成長してるんだ!」
 親指を突き出して、歯をきらりと器用に光らせた。
「だから! 今年のバレンタインは期待してるんだーぜー」
 よほど認められて嬉しいのか、教壇の前でクルクルとバレエのように踊った。
 と、にぶい音がした。
「おぎょっ?!」
 ヤツはその脚を教卓にぶつけていた。うん、やっぱりバカだ。安心した。
「ふーはー……」
 その場に座り込み、震えながら声にならない痛みをこらえている。
「しょーがねーな。ほら」
 俺は手を差し伸べた。
「ふぐぐ……」
 涙目で俺を見ながら手を取った。

 突然、開いていた教室のドアからクラスの女子が数人入ってきた。
「あっ……えっ……」
「ふーん。やっぱりね」
「そうかー、こりゃおいしいわー」
 俺たちを見て、それぞれに怪しい事を口走った。
 言葉とは逆に、彼女たちは皆一様に顔をやや赤くしいる。
 にやにやしながら自分たちのカバンを手にした。
「うふふ……」
「じゃあ、ごゆっくり」
「いやいや、おいしいわー」
 全員の言葉の語尾にハートマークがついているような口ぶりで去っていった。
「え、ちょ、ええっ?!」
 急に腕が重くなってきたので、そっちを見るとトキンが膝を崩してすがりつくような格好になっている。
「アホかっ!」
 俺は強く振り払った。
 どうやらあの子たちには、とんでもない勘違いをされたらしい。

 トキンはまたオネエ化した。
「あん、優しくしてよ。ハジメテなんだからぁん」
「あーもー! 俺は部活に行く! おまえは来るな!」
 俺は怒ってるんだか恥ずかしいんだか解らない気持ちで、自分の机に向かうとカバンをひっつかみ、教室を出た。

 料理部の部活はいつも調理実習室で行われている。
 今日は思った通り、中から甘いチョコの香りがした。
 同時に安藤先輩の声もする。やっぱり来てるよ。うーん。

「ってことで、手作りったってそんなに難しいもんじゃないよ。じゃやろうか」
 俺は出入り口で戸惑っていた。
 先輩はこんな時期になってまで、陣頭指揮を執って手作りチョコの講習会をしている。
 それってやっぱ先輩自身のため、つまり、俺のため、なんだろうな……。そう思うと心苦しい。

「はぁ……」
 やっぱ、今日はサボろうかな……。
 でもなぁ……涼夏にはバレるよな。俺のバイトのスケジュール知ってるし。
 涼夏が委員会の時は、いつも俺の部活の後に来て貰って一緒に帰ってるしな。
 もしバレたら
『君が正当な理由もなく部活動をサボタージュするような人だとは思わなかった。別れよう』
 とか絶対言われるよー。

 涼夏を先輩に会わせないようにするって言ってもなぁ。
 涼夏は委員の仕事が早く終わったら、必ず部活に参加してるもんな。
 絶対、部活サボらないって。

「うーん」
 とりあえず、俺はもうちょっと考えるため、トイレに行こうと思った。
 うつむいて調理実習室の前から歩き出す。
 すると。
「うあっ?!」
「ひゃっ!」
 俺は思い切り誰かにぶつかって、倒れ込んでしまった。
 うつむいていたせいで、前から誰か来ることに気付かなかったんだ。
「うー……?」
 なんだか顔が柔らかいモノに包まれている。気持ちいい。
 ふにふにだー。

 ふいに、聞き慣れた冷静な口調と声がする。
「ふむ。確かに今、ここにはわたしたち以外いないが、廊下でここまでする、というのはどうだろう」
 これは……。
「はっ! りょ、委員長! ご、ごめ……」
 俺はちょっと残念、とか思いながらも急いで、その豊満な胸から離れた。
「いや、大丈夫だ。少し驚いたがな。明信君こそ大丈夫か」
「あ、ああ。俺も大丈夫だ」
 俺は彼女の手を取って、一緒に立ち上がった。
 涼夏はやや短めのスカートを払い、眼鏡をつ、と人差し指で直した。
 廊下に落ちたカバンを持ち直す。どうやら、委員の仕事は早めに終わったようだ。
 俺はそのようすをしげしげと見ていた。しぐさが全部、きれいだ。

 彼女が、美しい切れ長の眼で俺を見る。
「ん? どうした」
 俺はさっき思った事を口にした。
「いや、ぶつかったときの悲鳴がちょっと、その、か、可愛かったな、と、思って」
 俺を真っ直ぐ見つめる彼女の表情は変わらない。
 ただ、ほんのり頬を染めた。
「そうか。気に入ってもらえたなら良かった」
 そういうと、少し目を伏せた。

 ぱっとその表情がいつもの顔に戻る。
「それで明信君。今、帰ろうとしていなかったか? どういう事だ? よもやサボタージュしようとでも?」
「いやっ! ちょっとトイレに行って来ようかなーって」
 彼女は頷く。
「ふむ。では先に部活動に参加している」
 そういって踵を返して、調理実習室に入った。

 ふー。なんて鋭敏な嗅覚だ。犬よりすげぇかも知れない。
「さぁて、どーすっかなー」
 そうつぶやきながら、さっき涼夏の入った実習室の扉の前に佇んだ。
 こうなったら、もう逃げるワケにも行かないし……。
「とりあえず、ようすを見てから対処するか」
 俺は扉の前に座り込むと、細く開けて中を窺った。
 

 安藤先輩が涼夏に話しかけた。
 俺にはそれが静かなゴングに聞こえた。
「あ、リョウちゃん。アキくんは?」
「いきなり彼の事ですか。さきほどトイレに行きましたよ」
「そう。じゃもうすぐ来るね。んでさ、明日は何の日か知ってるよね?」
「もちろんです。明日はバレンタイン・ディです」
「ふふー。お互い、心を込めて作ろうね?」
「ふ、当然です」
 二人の間に氷の微笑が交わされる。
 あ、痛い。痛いよ、胃が。
 さすがに他の部員たちはもう慣れているのか、自分のチョコを作るのに集中していた。
 この部はちょっと特殊な構成だ。
 三年の先輩を除くと部員は一年生ばかり七人で、しかも俺とトキン以外の五人はみんな女子だ。

 マリリンこと、阿部 茉莉(あべ まり)さんが、そのむっちりした身体を揺らして涼夏に手を振った。
「涼夏様、明日は絶対受け取ってくださいね!」
 マリリンは男嫌いで、涼夏のことが好きなんだ。
 涼夏は、微笑んでそれに答えた。
「ああ。解った」
 マリリンは元気に、はしゃいだ。
「うふふっ! がんばりましょ! ね? サトちゃん!」
 サトちゃんと呼ばれた背の低い女の子は、こくり、と首を縦に振った。
 佐藤 美馬(さとう みゅうま)さんだ。
 まるで小学生みたいな可愛い感じの子だけど、涼夏によると実は彼氏がいて、性的な意味で相当、経験豊富らしい。
 ホント、人は見た目で判断できない。

 別のほうに目を向けると、ちょうど海原姉妹の妹、真帆(まほ)さんが姉で現部長の悠(ゆう)さんに話しかけていた。
 二人は双子で、顔つきや体つきが良く似ている。喋らないと本当に区別が付かない。
 真帆さんは、いつものほんわかしたような天然系の口調で言う。
「ふぉおー! おねえちゃん、チョコとろーってなってきたよー! おいしそー。あたし自分で食べてもいいかな」
 悠さんは、チョコを湯煎している鍋の中を真剣に見つめながら答える。
 悠さんの口調は、なぜか涼夏とそっくりだ。
「それではバレンタインの意味がないじゃないか。とは言え、我が妹にはあげる相手はいなかったか」
「ひっどーい! おねえちゃんだっていないクセに!」
「いや、あたしはいるぞ」
 な、なんだってー!
 俺が驚くと同時に、中のみんなも驚いていた。
 先輩がすかさず話に切り込む。だが、チョコを刻む手は止めない。さすがだ。
「えー! 夏の時はいないって言ってたじゃん! いつの間に?」
 悠さんは、溶けたチョコに少しずつ生クリームを混ぜる。
「文化祭のときに知り合いました。それで良い子だったから、付き合うことにしました」
 なんともあっさりと言う。
 先輩はボウルに刻んだチョコを入れた。
「よい子、って……もしかして年下?」
「はい。今年、中ニです」
 また、全員驚いた。

「な、なんだってー!」
 いきなり耳元で、かすれた声がした。
 トキンだった。
 俺は小声で注意した。
「来るなつっただろ!」
 でも、ヤツにはそんなの関係ねぇ。
「ひょぉ、マジかよー。悠姉、やるなぁ……ところでさ、あの真帆っちの、あれ、ぜってー俺にだよな? な?」
 どこからその自信が湧いてくるんだ。
 俺は冷淡に言い放った。
「いや、あれ、あげる相手いないから自分で食うってさ」
 ヤツが瞬間的に石のように固まる。
 だが、めげない。即、復帰した。
「え、いやいや、それってツンデレだって。そうそう、ツンツンデレデレってな、うん」
 ぜってー違うと思うぞ。

 しかし……悠さんの彼が俺の妹、ふゆなより年下ってのは……。
 てか、今年中二って、知り合ったときは中一じゃん。
 うーん。悠さん、マニアック?

 真帆さんが雰囲気に似合わず、なかなかの手際でテンパリングを始めた。
「そーなんだー。ふーん。あたしも今回は間に合わないけど、今度の一年生、見てみよっかなー」
 うわー。なんて事を。
 あ、トキンが石になった上にヒビまで入ってる。
 そのまま風に吹かれてサラサラと粉になっていく……んじゃないかと思うほど、風化したように動かない。
 真帆さん……罪作りな人だ。

「それにしても、明信君は遅いな……」
 三角巾をしてエプロンを着けた涼夏がちらっとこっちのほう、つまり出入り口を見た。
 だが、すぐにボウルに挿した温度計に目を戻した。
 一番早くチョコをハートの型に流し込んだ悠さんが、それを冷蔵庫に入れながら言った。
「あたしはこれで手が空くから、様子を見てこよう」
「そうか。ありがとう。よろしく頼む」
「うむ。了解した」
 この二人が会話すると急に、ここが軍隊になったみたいに感じる。
 って、言ってる場合じゃない。隠れなきゃ。
 俺は石になっているトキンを当然のごとく放置して、トイレのほうの廊下の角に行き、隠れた。
 調理実習室の引き戸が開く音がする。

「ああっ! ま、真帆っち! ショタの悠姉みたいに年下とか言わずに俺を見てくれよ!」
 トキンはその顔を見て、生き返ったようだ。
 だが、残念。おまえの目の前にいるのは、その悠さんだ。

「さぁかもとぉぉぉ! まぁた、おまえかぁぁぁ――っ!」
「ふ、ふひょっ?!」
 そう。この時、現場は期せずして、夏合宿の風呂場覗き事件と同じ構図になってしまっていたのだった。
 今度は俺のせいもあるから、助けてやらないと。
「あ、悠さん。どうしたの」
 俺はまるで今初めて戻ってきたかのように、挨拶した。
 悠さんのトキンを蹴り上げようとしていた脚がピタリと止まった。
 トキンのあごの下、三センチ。
 悠さんは脚をそのままにして答えた。
「またこいつが覗きをしていてな。今、懲らしめようと思っていたんだ」
 トキンが震えて子犬のような眼で助けを求めている。
「あ、そうなんだ。でも、今回は夏の時みたいに、こう、ね、あー、は、裸ぁとか見られたワケじゃないんだし」
 俺はちょっと顔を赤くして愛想笑いをする。
 悠さんは脚を降ろして、軽く溜息をついた。
「まあ、ここは風光(かざみつ)君に免じて許してやろう。涼夏もお待ちかねだしな」
 悠さんは踵を返して中に入った。

 トキンが俺の脚にしがみついてくる。
「こあかったよー、えぐえぐ……ひでーよーザミー! もう二度と置いてかないって約束して!」
「あー、解った解った」
 俺は大の男を慰めて立たせた。
「ほれ、ティッシュ使えよ。おまえ、持ってねーだろ……ん?」
 気が付くと、みんなが俺とトキンを見ている。
 テンパリングの作業が済んで、後は冷蔵庫で冷やす段階になっているのだろう。
 安藤先輩がヘンな笑いを浮かべた。
「あんたたち、怪しいんじゃないの」
「えっ、ちょ」
 マリリンが思い出したようにいう。
「そーいえば、風光君と坂本君、噂になってるなってる。だったら涼夏様と別れてよ!」
「待てよ、どこでそんな噂が」
 涼夏が腕を組んで一歩前に出た。
「ほう。それは想定外だった。確かにあり得る話だ」
「ねぇーよッ!」
 悠さんと真帆さん、それに佐藤さんは、奥のほうでにやにやしている。
「涼夏。あたしもあり得ると思うな。風光君は押しに弱そうだしな」
「ねーねー、佐藤さん、どー思うー?」
 佐藤さんはこんな時だけ珍しく言葉を発した。
「……有り、得る」
「さ、佐藤さんまでー!」
 横で、トキンがくーねくね、キモイ動きをし始めた。
「あらぁ、やだ、バレちゃったみたいよぉ、明信くぅん」
「顔、赤くしてんじゃねぇーよッ!」
 女子全員が俺のそばに来て、覗き込んだ。
「う、うわー!」

 と、その時、ひときわ大きく先輩が笑った。
「あっはっはっ! 冗談よ、じょーだん! からかい甲斐あるわー」
 他のみんなも、一緒に笑った。
「うー、なんだよ、みんなして!」
 涼夏が微笑みながら眼鏡を直した。
「すまない。今、瞬間的に演劇でいうアドリブというか、そんなものが理解できたんだ。だから乗ってみた」
 他のみんなも、ごめんごめん、というジェスチャーをした。
 だが隣のトキンは俺の目を見て言った。
「俺は本気だよ……」
 背中に悪寒が走った。
「黙れッ!」
 今度は俺がヤツの股間を蹴り上げる番だった。


02.ディサイドへ行く
03.ディズ・レイターへ行く
topに戻る
=涼夏の物語= topに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送