[クール・デカ]
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 「はぁ、はぁ……」
 ホテルのロビー。
 ゴミ箱の裏。
 そこにあったもの。

 爆弾。
 ホテルから借りたニッパーを握りしめる。
 取り付けられたデジタルタイマーから伸びる、赤と青のリード線。
「どっちだ、どっちを切ればいいんだ……」
 タイマーに表示されている数字が、一秒ごとに減っていく。
 そのたびに、小うるさい電子音を鳴す。
 気が狂いそうだ。
「はぁ、はぁ……くそ、なんでこんなことに……!」
 いやいや、落ち着け俺。俺はクールな刑事。そう、クールデカ、陣内 隆史(じんないたかふみ)なんだろ!
 たまたま張り込みの途中で、たまたまトイレに立寄ったこのホテルのロビーが、たまたま爆弾事件の現場になっただけだ。
 そう、全てはたまたまだ。俺はクールデカとして、この爆弾をクールに処理しなければならない。
 ホテルの関係者や客には早急に避難勧告を出した。今はもう誰一人いない。
 当然、空調も止まっている。
 暑い。
 くそ、なんでこんな夏に……ああ、あと二分しかない。
 爆弾処理班はもう間に合わないだろう。
 タイマーの刻む無機質な電子音が、静まり返っているフロアに響く。

 ふいにそれとは違う音がした。靴音だ。
 思わずそっちを見ると女子トイレから赤いハイヒールの脚線美が、こちらに向かって来ていた。
 目を上げると黒いドレスの眼鏡美人だった。デカい。胸も尻も色々と。

「君。これはどうなっているんだ」
 態度もデカいようだ。不思議そうに問いかける。
 どうやら逃げ遅れたようだ。
 俺は叫んだ。
「バカ! なにやってんだ! とっとと逃げろ!」
 彼女はまったく動じる様子がない。
 ふむ、と優雅なしぐさで手をあごに当てる。
 俺を含め、辺りを軽く見回す。
「……ああ、そういう状況か。把握した。その爆弾、見せてみろ」
「バカ! 素人女に何ができるってんだ!」
「君は差別的だな。まあいい、そこをどけ」
 冷静で威圧的なその言葉に、俺は気圧された。
 どうなっても知らねぇぞ! と怒鳴って場所を空ける。
 ニッパーを要求するので、しかたなく渡す。
 彼女は軽く礼を言って、爆弾をチラリと見た。
「ふむ」
 また、手をあごに当てる。
 耳障りな電子音が刻一刻と、俺たちの終わりを告げる。
 あと、一分。

 彼女は体をかがめ、膝をつく。
 まるで踊るように、さまざまな角度から爆弾を眺める。
 突き出した尻と、ドレスの裾からチラチラ見える足が、なまめかしい。
(こんな時に何考えてるんだ、俺は!)
 俺は頭をぶるぶると振る。
「君!」
 唐突に声を掛けられ、何もしていないのに謝りそうになる。
「な、なんだよ」
 彼女はニッパーを床に置いたまま立ち上がると、ほこりを払う。
 俺に目を向け、静かな声で言った。
「そのへんでお茶でも飲まないか」
 呆気にとられ、間抜けな声が出る。
「はぁー? 何言ってんだ! わけわかんねぇよ、ったくだから女ってヤツは……」
「君のその差別的な発言について! 説教したいんだがな!」
 ぐいっと襟首を捕まれる。ものすごい力だ。
 彼女の瞳はまっすぐで冷たい。
 少しビビった。
 目をそらし爆弾を見ると、残りはあと5秒。
「う、うわぁあーっ! ヤヤヤバイって! このまま童貞のまま、死にたくねぇーよぉ!」
 マジで泣けてきた。こんなとこで、美人だけどわけのわかんない女と死ぬなんて!
 彼女は、少し呆れたように溜息を吐いて。
「落ち着け。心配ない」
 俺にキスした。
 その瞬間、電子音が止まった。

 ……何も起きない。と言うより、なにが起きたんだ?
 彼女は俺から唇を離すと微笑んで、手の力を緩めた。
「フェイクだ」
「は……?」
 俺はさぞかし間抜けな顔をしていたのだろう。
 彼女は笑いそうになって、口元を手で押さえた。
「あの爆弾自体は本物だがデジタルタイマーは、ただの目くらましだ」
「どういうことだ?」
「赤と青のリード線は、タイマーから出ているように見せかけているが実際は、直接爆弾に繋がっている」
 彼女の綺麗な形の唇は艶やかに動きながら、淡々と恐ろしい事を述べた。
「つまり、どちらか一方でも切ると即、爆発する仕掛けだったんだ」
 ゾッとした。
「人間というのは、刷り込みがあるからな」
 彼女の瞳が、眼鏡の奥で光る。
「テレビや映画のせいでどちらかを“切る”と助かる、そう思い込んでいる。だろう?」
 俺は顔が赤くなるのを感じた。
「それは自分自身で選択の幅を狭めてしまっているんだ。実際は“どちらも切らない”と言う選択肢もあるじゃないか」
 確かに言われてみればその通りだ。
「これはその心理を利用した、なかなか巧妙なトリックだったワケだ」
 この女、それを観察しただけで見抜いたっていうのか……?
 彼女は俺を解放した。同時に俺の体の力が抜け、その場にへたり込む。
 そこにどやどやと、爆弾処理班と警官が入って来る。
 彼女はその喧噪の中を泳ぐように去っていった。
「また、機会があれば会おう」
 そんな言葉と、唇の感触を残して。
「いったい、何者だったんだ……」

 数日後。
 彼女は俺の署にやってきた。
 同僚として。
 デカ長が市場のほうが似合うような、しわがれた声で紹介する。
「あー、知らないヤツも多いだろうから改めて紹介する。彼女は、破耶摩 久宇(はやま くう)君だ」
 先輩達は、よく帰ってきたな、とか、男はできたか、とか思い思いに声を掛けた。
 デカ長は軽く咳払いをして、続ける。
「先日アメリカで爆弾処理の免許を取得して帰ってきた。爆弾のエキスパートってわけだな」
 破耶摩は頭を下げる。
「また、よろしくお願いします」
 頭を上げたとき、俺と目が合った。
 猛禽類が獲物を発見したような視線が鋭く刺さる。
 にやりと片ほほを上げ、ずばっと俺を指差した。
「そこの君! 君はここの新人だったのか。また会えて嬉しいぞ」
 女にまた会えて嬉しいなんて言われたことはない。少しドキリとする。
 彼女は一呼吸置いて、続けた。
「今日こそは説教してやるぞ! 童・貞・君!」
 デカ部屋が一瞬静まり返り、すぐに爆笑の渦になる。
 俺は猛烈に恥ずかしくなって脱兎のごとく逃げ出した。
「あ、待て! 逃げるな、そこの童貞男! 逮捕するぞー!」
「ちくしょー! おまえそのものが爆発物じゃねーか! この爆弾女ぁぁぁっ!」
 俺は悪態を吐きながら署内から飛び出した。
 外は夏の光がまぶしかった。


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