[クール・デカ]
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 俺は日本一クールなデカを目指す男。
 陣内 隆史(じんない たかふみ)。
 今日も朝から刑事課は、バタバタと慌ただしい。
 ボロいエアコンは、効いてるのかどうかも解らない。
 俺は自分の席でカップコーヒーをすすりながら思っていた。
 こういうときこそ、クールにしないとな。ふっ。

 しばらくして黒いパンツスーツの大女がデカ部屋に入ってきた。
 破耶摩 久宇(はやま くう)が外から戻って来たのだ。
「お疲れさまです」
 凛とした声がデカ部屋の空気を変えた。
 髪をアップにした眼鏡美人。
 ローヒールの靴音を響かせて俺の前を通り過ぎた。
 ほのかな甘い香りが広がる。
 片側に垂らした前髪が揺れてフレームのない眼鏡に幾度も触れる。
 そのままデカ長の前に行った。
「デカ長。わたしの相棒は今日から童貞陣内にしてもらえないですか」
 コーヒー吹いた。
「そんなあだ名、いつ付いたんだよ!」
 俺は立ち上がって抗議した。しかしデカ長は無視した。
 白い物が混じった頭を掻き上げて、八百屋のほうが似合うんじゃないかと思えるダミ声で答える。
「おう、破耶摩がそう言うなら別にかまわんぞ。なんなら、そいつの童貞、もらってやってくれ」
「はい。いずれ近いうちに」
 真顔で答える。俺は耳まで赤くなって、ぐったり座り込んだ。
 くそ、デカ長までこいつに染まってるよ。

 破耶摩は正義感が強く冷静沈着、頭脳明晰のうえに格闘や射撃も優秀。
 さらには本場仕込みの爆弾のエキスパート。
 まさに警官として完璧。
 コイツが男なら、もう一生付いていくんだが。
 もちろん、女性としても容姿端麗だし、人間としても悪いヤツじゃない。
 でも。
 俺は、女が、苦手、なんだ。

 破耶摩がそばに来て、かがむ。
 小声でささやいた。
「君はもしかしてホモなのか?」
 俺はコーヒーを取り落とす。机と床に全部ぶちまけた。
「うわぁ! ぞうきん、ぞうきん!」
 破耶摩が素早くそのへんにあったバケツとぞうきんを持ってきて、2つあるぞうきんの片方を俺に渡す。
 彼女は床を拭き始める。俺は机を拭きながら、答える。
「ホモじゃねぇよ、単に女が苦手なだけだ」
「そうか。ホモでないのは良かった」
 彼女はぞうきんをバケツに絞り、もう一度広げ、バケツの端に掛ける。
「ふぅむ……」
 あごに片手を当てる優雅なしぐさ。こいつがなにか考えるときのクセだ。
「じゃあ、なにかトラウマでも?」
 俺はぞうきんをバケツに絞る。
「さぁな」
「母親は厳しかったか? お姉さんにいじめられたか? 中高生の時、振られた?」
 俺は立ち上がって、ぞうきんを握りしめた。
「俺のこと、根掘り葉掘り聞くな!」
 彼女は少し目を見開いた。俺の剣幕にちょっと驚いたのかも知れない。
 すぐ目を伏せ、謝った。
「すまない。だが……」
 バケツを持って立ち上がった。俺より、デカイ。やや見下ろす感じだ。
 静かな声で話しかける。
「バディ、つまり相棒のことをよく知っておくのも大事な仕事だろう」
 仕事。
 そうか。仕事、なんだな。
 なんだろう、このガッカリ感は。
 俺はふてくされた気分になった。
「……全部」
 破耶摩が珍しく聞き返す。
「全部……とは?」
 俺はカッとなって叫んだ。
「今! お前が俺に聞いた事! 全部、当たりなんだよっ!」
 デカ部屋が一瞬、静まり返った。
 だが、すぐにいつもの喧噪に戻った。
 ああ、また陣内がキレてるのか、くらいの空気だ。
 破耶摩が済まなそうに頭を垂れた。
「そうだったのか……」
 俺は無言でバケツを手に取り、出口に向かった。
 破耶摩が同じくバケツを持って慌てて付いてくる。
「本当に、済まない」
 俺はその言葉を無視して1階の駐車場に向かう。そこに水道の蛇口があるからだ。
 ぞうきんなんかはそこで洗うことになっている。

 外に出た。
 日射しがまぶしい。
 駐車場の水場はやや日陰になっていた。
 二階部分を支える柱が規則正しく並んでいる。
 それに沿って立てられた水道の蛇口まで無言で行く。破耶摩も無言で付いてきた。
 カランを思い切り捻った。
 勢いよくバケツに水が溜まる。
 俺はそれを見つめながら、小さな声でつぶやいた。
「そう。あの頃はおふくろにも姉貴どもにも、さんざんいじめられてたな……」
 後ろに立っている破耶摩は相変わらず、無言だった。
 振り向いて顔を見上げると、すっかり意気消沈の面持ちだ。
 バケツを持つその姿は、まるで罰を受けて教室の外に立っている子供みたいだ。
 さっきはちょっと言い過ぎたかな、と思った。
 だが、俺は謝らなかった。
 溜息をひとつ吐いて、バケツに目を戻す。
「今でも……あいつらを許せてないんだ……」
 俺は水が一杯になったバケツを横にどけて、カランを戻す。
 彼女のほうに手を差し出した。だが、無反応。
「バケツ」
 俺がそう言うとハッとして、バケツを渡す。
 それを受け取り、蛇口の下に置いた。
 今度はカランを軽く回した。
 バケツに水がゆっくりと溜まっていく。
「でさ。そんなふうにいじめられてたクセに、どういうワケか中学で、いっちょまえに恋なんかしたんだ」
 水面がきらきらと陽光を反射しながら、ゆらゆらと揺れている。
「でも、失敗した。近寄るなって言われて。そん時はなんでなのか、分からなかった」
 淡い面影が水面に浮かんで消えた。
「そのまままた、女を好きになった。高校の時だ。で、やっぱり、こっぴどく振られた」
 水面の反射がまぶしい。
「彼女はなんて言ったと思う?」
 破耶摩のほうを向かず、自嘲気味に声だけで聞いてみる。
 後ろで少し服が擦れるような音がした。
 たぶんいつものしぐさで、考えているに違いない。
 そう思った矢先、ふいに何か柔らかいものがふたつ、背中に当たった。
 次の瞬間、黒いスーツの腕が俺を抱く。
「マザコン……と、言われたんじゃないのか?」
 俺はそれが当たりだったことより、この状況に驚いて声がうわずった。
「ちょ、なにやってんだよ、は、放せよ!」
 彼女は自分の額を俺の後頭部につけていた。声が響く。
「君のことがもっと知りたい」
 俺は顔が紅潮した。
 半分パニック状態で叫ぶ。
「ど、どうせ、仕事だからだろ!」
 彼女の少し笑うような息づかいを感じた。
「仕事と言うのは、嘘だ」
「はぁ? おまえ、なに言って……」
 彼女は俺の肩越しに顔を近づけて、俺の口をその艶やかな唇で塞いだ。
 バケツの水が溢れ出した音がした。

 彼女は口をゆっくりと離す。
 あごを引いて、眼鏡を中指で上げた。
 その顔はなぜか、いたずらっ子のように見えた。
 膝を立て、ぺたんと尻を地面に付けた。いわゆる三角座りだ。
 俺は地に足がつかない気持ちで、彼女を見る。
 俺を真っ直ぐ、だが、優しげに俺を見返す瞳。
 彼女は少し首をかしげた。
「どうした?」
 俺は水道に向き直り、水を止めた。
 最後の一滴がバケツの水面に波紋を広げる。
 俺は低い声で吼えた。
「もう、からかうのはやめろ……ッ!」
 古い心の傷が、疼く。
 後ろから破耶摩の真剣な声が聞こえた。
「本気だ」
 その言葉を聞いて、俺の心の中には驚きと不安が交錯する。
 ゆっくり彼女のほうに向いて、あぐらをかいた。
 彼女は背中の柱に身体を預ける姿勢になる。
「わたしが誰にでもキスすると思っていたら、大間違いだぞ」
「……最初から、か?」
「そうだ。一目惚れだ。よもや、わたしがそんな恋に落ちるとは思わなかった」
 冷静に淡々と、だが素直に思った事を言っているように思えた。
 俺は仕事柄、その瞳に嘘がないと感じた。
「……解った。だが、時間をくれ」
 彼女は少し目を見開き、息を飲んだ。
 ゆっくり頷き。また、俺の目を見つめた。
「そうだな。君には、わたしを受け入れる時間が必要だ」
 微笑むと姿勢を変えた。膝を地面につき、猫のように身を乗り出す。
「これだけは覚えておいてくれ」
 両手で俺の頬を包む。俺の額と自分の額を付けて、目を覗き込んだ。
「わたしは、決して君を拒否しない」
 俺はその真摯な言葉があまりにも真っ直ぐで耐えられなくなった。
 後ろのバケツから水を掬って、破耶摩に掛ける。
「ひゃんっ?!」
 いつもの破耶摩らしくない声が飛び出した。
「やったな! 童貞陣内!」
 彼女も俺の後ろのバケツから水を取ろうとして、さらに身体を乗り出す。
 俺はその勢いにバランスを崩して、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「うわっ?!」
 バケツに背中が思い切り当たって飛び、水がぶちまけられた。
 俺自身はもちろん、俺の上に覆い被さるような姿勢になった破耶摩にも掛かった。
 もう、ふたりともびしょ濡れだ。
「陣内……」
 俺の胸の上で声が響く。
 この声は……怒っているのか?
 腕立て伏せの要領で、身体を持ち上げる彼女。
 顔を上げると微笑んでいた。
「こういう感じは久しぶりだ。少し、楽しいな」
 そう言うと、また俺の後ろに手を伸ばし、今度はカランを捻って、すかさず親指で蛇口を押さえた。
 激しく俺の顔に水が当たる。
「ぶわっ?!」
「ふふふ……」
 破耶摩は少し笑っていた。
「わぷ、は、破耶摩、やめろー!」
 その行為は昔、姉貴にやられたことがあった。
 だが、もう心の古傷は痛まない。
 俺は解った。
 これは、いじめじゃない。
 そう、愛情表現……。
 今まで気付かなかったなんて。俺はとんだマヌケだ。

 破耶摩、ありがとう。

 ……今はまだ、心の中だけで言っておく。
 抜けるような青空に、はじける水しぶきが小さな虹を作っていた。

 


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