[クール・デカ]
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「ふざけんな、バカやろう」
 双眼鏡を覗いている黒スーツの女が、そんなつぶやきを漏らした。

 ここはビジネスホテルの一室。
 俺は陣内 隆史(じんない たかふみ)。日本一クールなデカを目指す男。
 そして、窓の外を双眼鏡で覗いている女は、勝手に俺の相棒になった同僚の破耶摩 久宇(はやま くう)。
 破耶摩は警官としても女としても完璧超人だ。正義感が強くて冷静沈着、頭脳明晰のうえに格闘や射撃も優秀。しかも容姿端麗、抜群のスタイル。
 さらには本場仕込みの爆弾のエキスパートってんだからハンパねぇ。

 まあでも、今回は爆弾の出番はない。ただの張り込みだからな。
 破耶摩が双眼鏡で見ている視線の先には、本部の調べで怪しいと目星を付けている男の部屋があった。名字は矢津(やつ)。矢津は麻薬の取引に関わっているようだ。
 今は破耶摩の読唇術で矢津の発言をチェックしている。

「隆史。ちゃんとメモしてるか?」
 彼女が凛とした声で、姿勢を変えずに聞いてきた。
「してるよ! てか、名前で呼ぶな! 仕事中だぞ」
 俺は真っ赤になった。ったく。こいつはちょっと気を抜くと、すぐ馴れ馴れしい言葉を投げかける。
 それというのも、俺と彼女は今、ものすごく中途半端な付き合いになっているからだ。
 恋人同士でもない、ただの相棒でもない。そんな関係。

 どうしてそんなことになったのか。
 簡単な話だ。俺は以前、破耶摩に告白された。だが、まだちゃんとした返事をしていないからだ。
 あの時、破耶摩にも聞かれたっけ。
『ホモなのか?』
 これだけ良い女に言い寄られて断る男は、向こうじゃホモだと相場は決まっているらしい。だが、俺はホモじゃない。
 ただ、俺の場合は女に対する恐怖……おふくろと姉貴どものトラウマがあるから答えを出せないでいたんだ。破耶摩もそれを知った上で告白してくれたんだが、それでも俺はまだ、女と付き合うのが怖かった。
 あれは姉貴どもの愛情表現だった。そう、一度は納得した。頭でも解っている。だが、身体はいまだにそうはいかなかった。トラウマってのは、そうそう簡単になんとかなるもんじゃないんだ。

「こんな状況じゃなかったら、君を押し倒すんだがな」
「えーと、こんな状況じゃなかったら、君を……っておい!」
 俺は破耶摩の言葉を途中までメモって、破いた。
「なに言ってんだ! 真面目にしろよ!」
 メモを丸めて、破耶摩の背後に投げつける。それは彼女のアップにした髪に当たって転がった。
 破耶摩は双眼鏡を下ろすと、ゆっくり振り返った。
 眼鏡の奥から、冷静な眼光が俺を突き刺す。
 ありゃ、怒ったか? そう思ったとたん、身体に震えが走った。
『トラウマ発動ー!』
 そんな声が俺の頭の中にこだました。
「う、ううう」
 怖い。破耶摩が、女が、怖い。嫌な汗が出てくる。身体が固まる。
 ホテルの部屋に二人だけってのがそうさせるのか、激しい恐怖が湧き上がる。今まで破耶摩と居たからってこんなになったことはなかった。
 破耶摩がゆっくりと近づいてくる。

 ああ、押入れだ。押入れが見える。
 編み棒、なんで。
 うあ、ダメだよ……。
 やだよやだやだ!

「やめてーっ!」
 俺は思わず目をつぶって、両手を突き出してしまった。

 ふにゅ。
 あれ。なんだ、この感触。
 目を開けると俺の手は破耶摩の両乳房を思い切り押していた。
 破耶摩はちょっと眉を上げて微笑む。
「やっとその気になった……という感じでもないな」
 慌てて手を離すと、ひざにひたいを付けるくらいの勢いで謝った。
「うあっ! いや、これはそのっ、なんだ、ごめん!」
 破耶摩の脚が俺のそばから少し離れて、窓のほうへ戻る。
「ふむ。ちょっとからかってやろうと思ったが、これは深刻だな……」
 頭を上げて彼女を見ると、あごに手を当てている。これはいつも破耶摩が考えごとをするときのクセだ。
「うん。そうだな。一度、君のご家族に面会するべきかもしれない」
「って、なんでそうなる?!」
 破耶摩はあごから手を離すと、また双眼鏡を持って窓のほうを向いた。
「君をそんな風にした人たちとは、キッチリ話を付けたほうが良いと思ってな。それに、いずれご挨拶をしないといけないとも思っていたんだ。ちょうど良いじゃないか」
 マジか! それってどう考えても全面対決とかそんな感じじゃねーか!
「おまえはウチの女どもの怖さを知らないから、んなこと」
 俺の言葉をさえぎって、破耶摩がしゃべった。
「わかった。今晩十時だな」
「は? 誰もそんなこと言ってねぇし、今晩ってそれは無茶だろ。いやそりゃ、なんとかできないこともないけどさ」
 破耶摩が双眼鏡を外し、俺を睨んだ。だから怖いって!
「何をしてる。本部に今の情報を伝えろ」
「えっ? あ、そうか、すまん」
 そうそう。勤務中、勤務中。危うく忘れるところだった。
 俺はすぐ本部に、今、破耶摩が言った矢津のセリフを伝えた。

 それが終わると、破耶摩はすぐに帰り支度を始める。
「これで今日の仕事は終わりにしよう」
「ん? まあ確かに他の事件は、おまえのおかげでだいたい片がついてるけど、なんでそんなに急ぐんだ」
 彼女は部屋のドアまで行くと、俺を振り返った。
「今夜十時に、会わせてくれるんだろう?」
 そう言って、いたずらっ子のように俺を見つめる。
 やられた。
 まあ、破耶摩もウチの女どもに会えば、ちょっとは俺に遠慮してくれるかも知れない。
 しかたないな。俺はうなずいた。
「わかった」
「うむ」
 破耶摩は口元を緩めた。踵を返し、廊下に出る。
 俺は、ドアを閉めて後に続く。
 あまり感情を表に出さない彼女の足取りが、やたら軽やかだったのを見て上機嫌だと気付いた。
 うーん、不安だ。

 で。
 夜十時。
 たぶん矢津は今頃、麻薬取引の現場を取り押さえられてるはずだ。
 だが、俺はもっと恐ろしい現場にいる。
 古い団地の三階にある俺の実家。
 そのリビングでは俺の家族と破耶摩が談笑していた。
 俺を上座にテーブルを挟んで、右に陣内三姉妹。そして、左に破耶摩。
 どちらも穏やかそうに俺の出した紅茶をすすっている。
 だが、どちらの目も笑っていない。
 おふくろはパートで遅くなるらしい。まさにラスボス。

 一番上の姉、ほのか姉がにこやかに挨拶をした。
「えーとぉ、破耶摩さん。改めてお聞きしますけどぉ、隆史なんかのどこが気に入りまして?」
 肩まである髪。前髪はカチューシャで押さえている。丸顔に眼鏡。カントリー風の洋服は手作りだ。その持って産まれた柔和な雰囲気は天然パワーを発散している。
 破耶摩は、カップを静かに置いて答える。
「彼は警官として、素晴らしい男です。まず、現場ではとにかく真面目でよく頑張ります。正義感も強い。それに真っ直ぐで熱い。人間としてもいい男だと思います。それに可愛いところもあって」
 俺は慌てて彼女の言葉をさえぎった。もう顔から火を噴きそうだ。
「ちょっと待て! 恥ずかしいだろ! なにベラベラそんなウソばっかり」
 破耶摩は軽く首をかしげた。
「全て事実だが、何か問題でも?」
 そこにいた破耶摩以外が赤面した。
 ほのか姉はその中でも特にそういった純粋な恋愛感情にはとても弱かった。もはやひとりの世界に入って、良かった良かったとつぶやきながら、木綿のハンカチで顔を覆っている。
 まさか、破耶摩はそれを見破っていたのか……?

 真ん中の姉貴、早紀(さき)が口を開いた。
「へ、へぇ。でもそれ、買いかぶりすぎじゃないかな? だって、コイツ中学生の時までおねしょしてたんだよ」
 早紀姉は良く鍛えられた引き締まった腕を上げて、自分の頭を抱えるように組んだ。
 短髪で強い輝きの目。服はジャージだ。まさに体育会系。真っ直ぐで、感情のままの言動をする野獣だ。
 俺をいじめていたのは、ほとんどコイツだと言っても良かった。

 破耶摩は、早紀姉を見つめて返事をした。
「それは、あなたがたが彼を追いつめたからではないですか」
 早紀姉は脊髄反射で立ち上がった。
「なんだと! あんたに何が解るってんだ!」
 破耶摩は冷静に眼鏡を直すと、ゆっくり立ち上がった。だが、ハッキリ言って破耶摩は背が高い。早紀姉を見下ろす格好になる。
「解ります。現に彼はあなたがたに怯えています。それが例え、あなたがたの愛情の裏返しだったとしても、実際に隆史さんの心には傷が残っているんですよ」
 早紀姉は上から見下ろされ、さらに冷静で押しの強い言葉を浴びせられ、見る見る弱っていった。
 それを見て俺はピンと来た。これはいわゆる“マウンティング”だ。
 “マウンティング”とは、猿山のボスが他の猿に自分がボスであると教えるためにする、相手の上に乗りかかる行動だ。
 破耶摩め。早紀姉の本性も、すでに見抜いてるってワケだ。すげぇ。

 破耶摩は言葉を続けた。
「さあ、どうか彼に謝って下さい。それで少しは傷も癒えるでしょう」
 早紀姉は戸惑った。
「う、うう、でも」
 破耶摩が睨め付けた。
「さあ、早く」
 すくみ上がって俺に謝る早紀姉。
「ご、ごめん! 今まで悪かったよ!」
 しっかり頭を下げている。
 あ……。なんだかすごくスッとした。
「いや、うん。解ればいいんだよ」
 瞬間的に顔を上げて、怒りの表情を見せる早紀姉。
「てめ、調子にのんなよ!」
 腕を振り上げ、殴りかかろうとしたその手を破耶摩が掴んだ。
「やめてください。隆史さんに手を上げるなら、わたしが相手になりますよ?」
 早紀姉は、まるで花が枯れるようにしぼむ。
「はい。ごめんなさい……」
 力無く椅子に座り込んだ。

 最後に残っているのは一番下の姉、美優(みゆ)。年齢は俺のひとつ上だが、かなり子供っぽい容姿だ。あえて、それを強調するかのようなロリータファッションをいつも着ている。胸まである長い髪は真っ黒く染めている。
 美優姉は基本的に何を考えているのかさっぱり解らない。破耶摩よりさらに無表情だが、唐突な言動が混乱を招く難敵だ。

 美優姉は、じーっと破耶摩を見つめた。
 破耶摩も、目を逸らすことなく、見つめ返す。

 しばしの沈黙。
 ふいに美優姉が口を開いた。
「黒酢ダイエット」
 意味が解らない。
 だが、破耶摩は返答した。
「ほう。よく解りましたね。そうです。やってます」
 美優姉は、にこりと笑う。話が通じてるようだ。
「新しい義妹、ハヤマヌーン爆誕」
 微妙に意味不明な言葉を吐いて、破耶摩の手をなでなでした。
 すげぇ! すげぇぜ、破耶摩! 俺の姉貴どもをこんなに短時間で手懐けるとは!
 だが……まだ、ラスボスが控えている。おふくろだ。
 おふくろは、親父が死んでから女手ひとつで俺たちを育ててくれた。
 そのせいで、いつもぴりぴりしていたように思う。だから、あまり甘えたりした記憶がない。
 おふくろは俺にとって怖いだけではなく、なんだか哀しく遠い人のような気がしている。

「ただいまー! 今日も疲れた疲れたー。お、ああ、あんたかい、破耶摩さんてのは!」
 おばちゃんパーマを掛けた年配の女性、つまり俺のおふくろが買い物袋をたくさん下げて、どかどかと廊下を歩いてきた。
 俺と姉貴達が一斉にお帰り、と声を掛けた。
 俺は破耶摩をお袋に紹介した。
「そう、こちらが破耶摩さん。こっちは俺のおふくろ」
 破耶摩が頭を下げた。
「隆史さんとお付き合いさせて頂いている、破耶摩 久宇です。よろしくお願いします」
 俺はびっくりして破耶摩の脇腹をつっついた。
「って、おい。まだちゃんとは、その、つ、付き合ってないだろ」
 おふくろが笑う。
「なーに言ってんだい、この子は! こんなきれいな娘さんが付き合ってるって言ってくれてんだ。その気になってれば良いんだよ!」
 そう言いながら、いったん台所に買い物袋をおいて、テキパキとそれを冷蔵庫にしまう。
 ほの姉がすっと立ち上がって、それを手伝った。
「お疲れ様。母さん、破耶摩さんってすごく真っ直ぐ隆史のこと好きなの! 隆史に嫉妬しちゃう」
 早紀姉は紅茶を下げて、入れ替えた。
「破耶摩さん、すっげカッコイイし強いんだよ」
 美優姉はいつものように何もしない。てか、自分だけお茶請けの菓子をぽりぽり食ってる。
「破耶摩義妹、確定情報」

 ひととおり片づいて、おふくろも座った。俺の真正面だ。
「それで、破耶摩さん」
 低く落ち着いた真面目な声。破耶摩とは違い、少ししわがれている。
「あなた、隆史と結婚する気があるならふたつ条件があります」
 俺はビックリして立ち上がった。
「いきなり結婚って! ちょっと待てよ!」
 おふくろと三姉妹が、ギロリと俺を睨んだ。俺は二の句が継げなくなって、座り込む。
 おふくろは続けた。
「まず一つ目は、刑事を辞めることです。あなた、それが出来ますか」
 破耶摩もそう来るとは思っていなかったのだろう。一瞬、目が見開いた。だが、すぐに冷静な顔に戻った。
「はい。辞めます」
 破耶摩の声に嘘はなかった。マジかよ……。
 おふくろはうなずくと、さらにもうひとつの条件を提示した。
「次に、隆史が早死にしても、あなたは家族を守って必ず生き抜くこと。出来ますか」
 俺は息を飲んだ。いや、俺だけじゃない。姉弟全員が、ハッとしたんだ。
 俺は思わず、言葉が口からこぼれ落ちた。
「おふくろ、それは……」
 おふくろは、軽くうなずいた。
「そうさ。あたしたち、家族の話だよ」
 おふくろは破耶摩に向かって、とつとつと話して聞かせた。

 俺の親父も、刑事だったこと。
 そして、その正義感から子供を交通事故から助けて、そのせいで死んだこと。
 それから、おふくろは女手ひとつで一生懸命、俺たちを食べさせてきたこと。

「隆史が刑事になるって言ったときには、やめさせようと思ったんだけどね……。お父さんの血かねぇ、一度言い出したら言うこと聞きゃしない。お父さんみたいになったらどうするんだい、って言っても、だからお父さんの気持ちを継ぎたいんだ、なんて言うもんでねぇ……」
 おふくろは寂しそうに笑った。
 破耶摩はうつむいて、そのほほを銀色の雫で濡らしていた。
「そう、でしたか……」
 コイツも、自分に素直だよな。冷静で理性的なだけじゃない。あんまり見せないけど、やっぱり熱い気持ちを持ってるんだよ。

 破耶摩はタオル地のハンカチで涙を拭うと、顔を上げた。
 おふくろの手を強く握る。
 破耶摩の瞳には見たこともないくらい真剣な光が輝いていた。
「はい。隆史さんのお母さん。彼が先に死んでも、必ず家族を守って生き抜きます」
 おふくろは微笑みながら、何度もうなづいた。
 まあ、俺が死ぬなんて縁起でもねぇけど、それでも俺だって刑事だ。覚悟はある。破耶摩もそれを覚悟してくれた。
 俺のこと、そんなに好きなんだと思うと、俺までちょっと泣けてきた。

 破耶摩も含めて、俺の家族全員が本当に穏やかな空気に包まれていた。
 その時。
 突然、俺の携帯電話が鳴った。
「はい、陣内です! え、矢津が逃げた? はい、はい。解りました、急行します!」
 俺は携帯電話をしまい、破耶摩に声を掛けた。
「行くぞ! 矢津が現場から逃走中だ!」
「解った。では、今日のところは失礼します」
 破耶摩は俺の家族に一礼をして、すぐ俺の後からついてきた。
 俺たちは階段を駆け下りる。
 夏の夜道に飛び出す。
「破耶摩。とりあえず、駅に向かおう」
「ああ、解った」
 月が明るい。
 暗い歩道をその光が照らし出す。
 俺たちは走りながら、お互い、どちらともなく手を握り合った。
 駅まで無言だった。
 だけど、言葉じゃないところで、俺たちは心が通じているのを感じていた。

end


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