[君のために] 1

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 誰もいない放課後の教室。
 俺はひとり、自分の机でニヤけていた。
「やっぱり、二人きりだよなー。ふ、ふふふ……」

 一時間ほど前。涼夏はいつものようにクールに言った。
『これから期末試験前日までの間、わたしの家で勉強会をしないか』

 グゥレイトォォォッ! なんというハッピー! 恐ろしいほどラッキー!
 そんなの、断るヤツぁこの世界のどこを探してもいないだろう。俺はもちろん、即座にオーケーした。
 それを見て涼夏は俺だけにしか分からないほど、わずかに口元を緩めた。
『じゃあ、委員会の仕事を早めに終わらせてくるから、待っていてくれ』
 長い黒髪をふわりと翻して、颯爽と委員会へ向かう彼女。
 傾きかけた日の光は、その髪が残した優しい花の香りをキラキラと輝かせるようだった。

 涼夏。彼女はウチのクラス委員長で俺と付き合っている。
 あれほどキレイでステキな女の子が今、俺の彼女なんだもんなぁ。うーん。素直に嬉しいぜ。
 俺はニヤニヤしながら、何気なく教室を見渡す。

 そうだ。この教室で涼夏は、みんなが居る前で公開告白をしてきたんだ。
 その時、確かに俺の気持ちはハッキリしていたけど、コクる自信はなかった。
 でも涼夏から言ってきてくれた。公衆の面前にも関わらず。
 俺のためにそれだけのことをしてくれたんだ。
 これはもう全力でオーケーでしょ。恥ずかしさも頂点に近かったけど、それ以上にその想いが俺の心に響いたんだよ。

「いやぁ、それにしても両想いだったなんてなぁ。一緒に登下校したりしてると、付き合ってる――って感じだよなぁ……ふふふ」
 俺はそんな風にずっとデレデレしながら、委員会が終わるのを今か今かと待ちわびていた。

 ふいに。
 同じクラスの女子、阿部 茉莉(あべ まり)が周りに誰もいないのを確かめてから、教室に入ってきた。
「あのさぁ。風光(かざみつ)君。ちょっといいかなぁ」
 俺の返事も聞かず、スタスタと距離を縮めて、ついには俺の机の真ん前に来た。

 阿部さんはいつも元気で明るい。
 丸顔で目は垂れ目、唇は厚くて、ぽってり。愛嬌のある可愛い感じだ。
 背が低いせいか、よけいにエロく発達したように見える体型に、いつも着崩した感じの制服と短いスカートがよく似合う。
 特に委員でもないし、成績も普通だったと思う。あだ名はマリリン。
 俺が彼女について知ってることはそれだけだ。部活も何をやっているか知らない。ホントにただのクラスメイトだ。

 俺は阿部さんを見上げて、軽めに返答した。
「ん? なんかあったの?」
 いつもとどうも違うようすだ。なんか思いつめた感じ?
 マリリンは、ちょっと困っているように、ふりふりとそのグラマラスな体を振った。
「んーとさぁ……」
 彼女は肩までの長さがある茶髪の両サイドを軽く巻いて前に垂らしている。
 それを指に巻き付けながら、だんだんその丸い顔を赤くしていく。
 しかし、その声はちょっと沈んでいた。
「風光君はぁ、やっぱりぃ、委員長と付き合ってんだよねぇ……あんなコトあったもんねぇ」
 うう。ひとに言われるとやっぱり恥ずかしい。
 俺は羞恥心を抑えながら答えた。
「あ、う。ん、まあ、そうだけど……」
 阿部さんは俺の目をちらりと見て、すぐ目線を外す。
「取られたくないんだよねぇ」
 言っていることがよく解らない。頭に浮かんだ疑問をそのまま、口にした。
「なにを?」
 彼女はうつむきながら下に向かって指先を組んだ。大きな胸が、その腕の間でぎゅっと変形する。
 ふりふり。スカートがひらひらと舞う。パンツが見えそうで見えない微妙な高さだ。
 急にその動きを止めて。
 阿部さんはひとりうなずいた。
 スカートのポケットに手を突っ込んで、可愛らしい色合いの封筒を取り出す。
「風光君、これ……」
 それを、俺の机の上におずおずと置いた。
「ちょっと考えてみて。じゃあね!」
 それだけ言うと、燃えるような顔色で走り去っていった。

 放置された俺の頭の中は大きな“?”で占められてしまった。
「なんだろ……手紙……?」
 それを手にとって眺めてみる。
 考え中。考え中。考え中……。

 はっ! まさか俺にラブレター?! マジでー?
 え、なに俺って実はけっこうモテモテ?
 これが高校生デビューってヤツなのか! それとも噂のモテ期に入ったのか!?
「すげぇ! すげぇぜ!」
 俺は嬉しさのあまり思わず立ち上がって窓側を向き、叫びそうになった。
 この素晴らしきディスティニーに乾杯ーッ!
「って、いやいや待て待て!」
 俺は頭を振って、深呼吸した。落ち着こう。うん。落ち着こう。
 そう、涼夏という俺にはもう、もったいないくらいの立派な彼女がいるんだ。
 涼夏を裏切るつもりはない。断ろう。
 でも……それはそれ。これはこれ。せっかくもらった初めてのラブレターだ。あとでゆっくり読もう。
 俺は自分のカバンを机の上に載せて、手紙を突っ込んだ。
 次の瞬間。
「明信(あきのぶ)君。待たせたな。さぁ、帰ろう」
 背後から俺の名前を呼ぶ、清々しい響きの声が聞こえた。涼夏だ。
「お、おう。思ったより早かったね」
 ドキッとして振り返って見ると、彼女はほんの少し目を細めた。とたんに柔らかい顔になる。
 いつも無表情だと思ってたけど、実はけっこう表情があるんだよな。
「うむ。君のためにでき得る限りの処理能力を発揮してきたからな」
 ちょっと誇らしげだ。なんだか可愛い。
「そか。えらいえらい」
 俺は涼夏の頭に手を伸ばした。
 彼女は一瞬、びくっとした。
 俺もびくっとして、手を止める。叱られるかな、と思った。
 涼夏の瞳は、俺の目を不安そうな、それでいて興味深そうな色で見つめる。
 俺はそれに笑って答えた。止めていた手を伸ばす。
 彼女は拒否しなかった。
 彼女の頭を撫でる。髪はほのかに、ひんやりとしていた。
「ん……」
 涼夏はおとなしい猫のように、撫でられるままになっていた。
「良いものだな、好きな人に褒められて……頭を撫でられるというのは……」
 目を閉じて、静かにつぶやく。俺はサラサラとした髪の感触にうっとりしていた。
「そうだよね……俺も昔、父さんに撫でられたことがあったなぁ。あれは、なにして褒められたんだっけ……」
 彼女がゆっくりと頭を俺の鎖骨のあたりへ預けてきた。涼夏の額がぽす、と軽い音を立てた。
「明信君。やっぱり君が好きだ」
 俺は膝から力が抜けそうになる。心臓が高鳴る。でも、なんとか気持ちを言葉にした。
「おおおおれも、すすすきだヨ」
 彼女の後頭部に手を持って行く。優しく撫でた。
 彼女は俺の背中に手を回し、抱きしめてきた。涼夏の頬が俺の胸に押しつけられる。
「うむ。嬉しい」
 うーん。至福だぁ……。
 うん。やっぱり俺は涼夏が本当に好きだ。涼夏以外の女の子のことなんて考えられない。
 マリリンには悪いけど、手紙は読まずに捨てておこう。
 それで明日、ちゃんと断ろう。期待させちゃよけいに悪い。うん。そうしよう。

 涼夏が溜息と共にささやく。
「はぁ……気持いいな」
「ん、そうだね」
 夕暮れの教室に、今。俺たちだけの時間があった。

 涼夏の家の前。
 涼夏が玄関ドアの鍵を開けて俺を中へ促す。
「どうぞ」
 俺は勧められるまま、玄関に入る。
 誰もいないとは解っていても、ちゃんと挨拶はしないとな。
「お邪魔しまーす」
 俺の声が広い玄関ホールにこだました。涼夏が後から入ってきた。
「先にわたしの部屋へ上がっていてくれ。お茶を持って行く」
「あいよ。ありがとう」
 俺は靴を脱いで、二階へ向かった。

 涼夏の部屋に入る。
 この前来たときと全く変わらない、整然として生活感に乏しい部屋。
 部屋の中央にやや大きめのガラステーブルがある。以前に見たことがないから、どうやら今日からの勉強会用に出してるんだな。
 何気なく部屋を見渡す。
「ん? これも前に見たことなかったな……」
 大きな青いベッドの上に、なんだか長くて太い棒みたいなデカいクッションがあった。
 俺はベッドに膝を突いて、それを手に取ってみた。けっこう重い。長さは一メートルくらいあって、直径は三十センチくらい。
 俺は急に剣道の真似をしてみたくなった。涼夏の部屋は広いから、何かにぶつける心配もない。ベッドからそれを持って降りる。
 端のほうを持って、正眼の構えみたいな感じで立つ。
「うおりぁー! めーん、どーう、こてー!」
 ……ぜぇぜぇ。息が切れた。うーん。さすがに太いし重いな。
 俺はクッションの端のほうを持ったまま、立ち尽くした。
「明信君、お茶が」
 涼夏がトレイにティーセットを載せて入ってきて。
 固まる。
 表情はいつもどおり無表情。全く読めない。ただ、動きが完全に停止していた。まるでマネキン人形だ。
 しばらくして、口を開く。
「なんだ、わたしの抱き枕だったのか。君の陰茎がそんなに大きいのかと思って驚いてしまった」
「はぁッ?!」
 俺は頭のてっぺんから声を出してしまう。同時に顔に血が急激に上って、くらくらした。
「い、いんけいって、その、おまえ、なに言ってんだ!」
 彼女がその言葉に反応して、俺を睨んだように見えた。
「今、君はわたしのことをおまえ、と呼んだか?」
 しまった。
「え、あ、つい妹に言うみたいに……ご、ごめん」
 彼女は軽く首をかしげる。
「ん? いや、むしろ、そう呼んでくれたほうが良い。より身近になった気がする」
 うーん。ザ・勘違い。涼夏の感情を読み取るには、まだまだ修行が足りないようだ。
 涼夏はガラステーブルにトレイを置いた。
「それで」
 手慣れた動きで、ポットから紅茶を注いでいく。
「何かわたしは、可笑しな事を言ったか?」
 俺は抱き枕をベッドに戻し、テーブルの前に座った。
「いや、あんまり普通、女の子が……そ、そのい、陰茎とか、言わないだろ」
 涼夏は、真顔で答えた。
「そうか。しかし、立派な学術用語だぞ。他の言い方はやや卑猥過ぎて、それこそ女子の口にすべき言葉ではあるまい?」
 いやいや、論点がズレてるって。
「そりゃあ、そうなんだけどさ……」
 まあ、いいや。それも涼夏の好きなトコだし。
 俺は話題を変えることにした。
「そう言えば、あの抱き枕って前は無かったみたいだけど」
 彼女はテキパキとお茶の用意を進め、ちょうどそれが終わった。
「ああ。この前、買ったんだ。さぁ、召し上がれ」
「へぇ、そうなんだ。はい、いただきまーす」
 俺は軽く相づちを打ちながら、紅茶に口を付けた。
「ん、旨い! すっげ、いい香りだなぁ」
「ありがとう」
 彼女はちょっと口元を緩めて続ける。
「それで何故あれを買ったのかというと、実は君と恋人同士になれた日から、どうにも寝付きが悪くなってしまっていてな」
 初耳だ。
「え、そうだったんだ。それで抱き枕、効果あった?」
 彼女も紅茶を一口、飲んで答えた。
「うむ。君の事を想いながら、あれを股間に抱きしめて眠ると体の火照りが静まる」
 紅茶吹いた。
「どうした、何をやっている? ほら、ティッシュで拭くと良い」
 涼夏は高級ブランドのティッシュカバーに覆われたティッシュの箱を取ってくれた。
 涼夏さぁぁぁん! 頼みますよぉぉぉ! その天然っぷりは国宝級だよ?
 俺はホントに今日から涼夏と二人きりで勉強できるのか?
 こんな、こんな素のエロトークを美人の彼女から放たれる状況でッ!
 男として我慢できるのか、今はもう自信がないッ!
 俺だって男なんだ! ヤりたい盛りなんだよ! うわーん!
 そんな思いを胸の中で渦巻まかせながら、こぼした紅茶を惨めに拭き取る俺だった。


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