[君のために] 2

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 「さて、始めようか」
 涼夏が紅茶のカップを静かに置いた。
「最初は保健体育からだ」
 そう言って、俺の横へ猫のようにやってくる。
 驚く俺。
「えっ、ちょ……」
 俺の頬に彼女の手が伸びた。そのキレイな顔が急接近。
 息が掛かる。くすぐったい。
 鼓動が加速する。
 涼夏は薄く、しかし魅力的に笑って――。
「好きだ、明信君」
 キス。
 そしてそのまま、押し倒される……

「なにをぼんやりしている?」
 涼夏が俺の顔を不思議そうに見ている。
「……はっ! あ、いや、その、うん。勉強、始めましょうかねー」
 俺はついつい、エロい妄想に浸ってしまった。顔を赤くしながらなんとか取り繕う。
 涼夏が俺のようすにちょっと首をかしげた。
「さっきからずっと顔が赤いが。熱でも出たか? だったら無理は……」
「いや! 大丈夫。スーパーベリー元気だからっ」
 俺は親指を立て、わざとらしく突き出す。確かに元気だ。特にエロ方面だけど!
 涼夏が軽くうなずく。
「ふむ。それでは最初は今日の復習も兼ねて、数学からだ」
 彼女は飲みかけの紅茶セットをお盆に載せて横に移動させ、勉強スペースを作る。
 カバンから教科書とノート、筆記用具を取り出した。
 俺も同じようにそれらを出そうとカバンを開けた。
「あ」
 はらり、とマリリンの手紙が落ちた。
 涼夏が俺の声に反応して、聞いてくる。
「ん? どうした。なにかあったのか」
「あああ、いや! なんでもない、なんでも」
 俺は手紙を手に取ってカバンに戻そうとした。だが、涼夏の鋭い視線はもうそれをとらえていた。
「それは……手紙か? ずいぶんと可愛い感じだな」
「えっと、これはその」
「ふゆなちゃんからのもの……にしては、不自然だな。君たち兄妹はなんでも言い合える仲だから、わざわざ手紙など書かないだろう」
「その、あんまり気にしないで」
「別の可能性は……そうだな。君がわたしに何か書いてくれたとも考えられる」
「えっ? いや、そりゃ可能性はあるかも知んないけど」
「ふむ。やはりそうか。明信君は奥手だからな。そこが愛しいところのひとつでもあるんだが」
 そう言って、俺の横へ猫のようにやってくる。
 驚く俺。
「えっ、ちょ……」
 俺の頬に彼女の手が伸びた。そのキレイな顔が急接近。
 息が掛かる。くすぐったい。
 鼓動が加速する。
 涼夏は薄く、しかし魅力的に笑って――。
 そこまでは、さっきの俺の妄想と全く一緒だった。
 だが、次のセリフは違っていた。
「見せてくれないか。その手紙」
 俺の手にその柔らかで細く白い指が触れたかと思うと、素早く手紙が抜き取られた。
「あっ! ちょ、おまえ! ダメだって!」
 伸ばした俺の手は、涼夏の華麗な身のこなしによって避けられ、宙を掻いた。
 彼女は立ち上がって俺に背を向けた。
「ん? かなり厳重にのり付けされているな。何もこんなにしなくても良いのに」
「だから、それは違うんだって!」
 彼女は聞く耳を持たない。こんな涼夏は初めてだ。
 俺はなんとか手紙を取り返そうと何回も手を出すが、まるで武術の達人のように全弾回避された。
 その運動神経はさすがとしか言いようがない。

 彼女はついにその封を開けた。俺は思わず頭を抱え、叫んでしまう。
「わぁ――っ!」
 涼夏は俺をわざと無視するように、それを読み上げる。
「なになに……、風光君へ……ん? これは一体どういうことだ……」
 終わった。何もかも。
 俺はテーブルに戻って正座した。甲子園の土を集めるような気分で紅茶を飲み干す。
 さようなら。俺の青春。俺の夢。
 ああ、そう言えば人の夢と書いて、“儚(はかな)い”と読むんだよな。
 儚いな、うん。夢なんて、儚い。
 一息吐いて、カバンを持って立ち上がる。
 涼夏は手紙を読み終えたようだった。
「ふーむ……これは全く想定外だな……」
 その声からは感情を推し量れない。いつものように淡々とつぶやいただけだった。
 俺は彼女の前に行って、頭を下げた。
「隠してて、ごめん。正直に言うよ。今日の放課後、委員長が来る前に阿部さんが来てさ。その手紙をくれたんだ。でも、俺はそれを捨てて、明日ちゃんと断ろうと思ってたんだ。それはホントだ。それだけは解ってくれ。じゃあ……さよなら」
 彼女に背を向けた俺の手が掴まれた。
「確かに隠していたのは、君が悪い」
 うう。心が痛む。
 そうだよな、好きな子がいるのに、別の子からラブレターなんかもらっちまって、浮かれてた俺が悪いんだ……。
 彼女は続けた。
「だが、この内容はたぶん君の想定しているものとは違う」
「え……どういうこと?」
 振り返った俺に、涼夏が手紙を差し出した。
「これは果たし状だ」
 よく解らない。俺は手紙を読んでみた。
「えーと……」
 一枚目は俺に向けて、どれほど阿部さんが涼夏を好きかが切々と訴えられていた。
 ちょっと赤面するほどの内容だった。
「うわぁ……そ、そうだったのか……」
 二枚目にやっと本文があった。
「『そういうわけで風光君にわたしの涼夏様を取られたくないので、明日の放課後、スィーツ作りで勝負してください。判定は涼夏様にしていただきますので、そうお伝え下さい。逃げたら、あらゆる手段を使ってイジメます。 阿部』……えええ――ッ?!」
 涼夏は口を開いた。
「そういう事だ。阿部さんはわたしの事が本当に好きらしい。確かに、誰かを好きになる気持ちに性別は関係ないと思う。だが」
 涼夏が俺の目を真っ直ぐに見る。
「わたしは君が好きだ」
 そう言って、俺に軽く抱きつく。
 髪から甘い花の香りがした。
 俺の胸元に彼女の声の振動が伝わる。
「ただ、負けたらわたしは阿部さんと付き合うぞ?」
「マジで?」
「うむ。マジ、だ」
 そうですか。うーん。もし俺が負けたら――

「ああ、涼夏様。マリリン嬉しいです」
 阿部さんは涼夏を抱きしめる。
「うむ。彼があんなに不味いものを作るとは思わなかった。では、今日からわたしは君と恋人同士だ」
「はい! 涼夏様」
 そう言って顎を上げ、目を閉じる阿部さん。
 涼夏の唇が阿部さんのそれにゆっくりと重なる……。

「わーっ! ダメだダメだ!」
 俺は妄想を振り払った。
「ん。なにがダメなんだ」
「ああ、いや、負けたらダメだよなーって」
「ふふ。そうだな」
 少し、いたずらっ子のような瞳の色を見せて離れる涼夏。
 彼女はテーブルに戻って、教科書を開いた。
「さて、今度こそ勉強を始めるぞ。早く席に戻れ」
 俺は半分笑いながら、元の場所に座る。
「ここって俺の席なんだ?」
 涼夏は軽くうなずく。
「これからしばらくは、そこが君のための場所だからな」
 優しい微笑みを俺に向けた。
 ホントにもう、涼夏ってヤツは……。
 俺の顔が赤くなりっぱなしなのは、おまえのせいなんだからな。

 それから俺たちは、けっこうマジメに勉強した。
 涼夏にとってはいつものことだろうけど、俺にとっては初めてと言ってもいい。
 涼夏は俺の質問に的確に答えてくれた。とにかく、ものを教えるのがうまい。
 全てを教えるわけではなく、ちゃんと考える余地を残してヒントを与える。
 涼夏は先生に向いているのかも知れない。

 女教師・涼夏。
 放課後、夕暮れ迫る教室。
 一人で涼夏先生に補習を受ける俺。
 はち切れそうなスーツ姿の涼夏先生は、俺のそばに来て、その大きな胸の下に腕を組んだ。
「君はいつも補習ばかりで、先生は哀しいぞ」
 俺はシャーペンを置いて、立ち上がると、彼女の目を見て告げた。
「だって、俺、先生と少しでも一緒にいたいから……!」
 彼女はやや、目を見開いた。驚いたようだ。
「そうだったのか。実はわたしも君のことが好きだったんだ」
 俺は彼女の胸に飛び込む。
「先生!」
「明信君」

「……明信君? やはり、今日の君はぼんやりし過ぎだぞ。熱でないのなら、スィーツ勝負のことを気にしてるのか」
「あっ、いや。その、あれは大丈夫。うん。ちょっと自信もあるし」
 なんだか俺、今日は妄想が激しいな。それに涼夏もさっきの感じからして、少しはしゃいでいるように見える。
 やっぱ、二人っきりって状況のせいかなぁ。
 そう考えると、ドキドキしてしまった。
「そうか。確かに君にもらったクッキーはとても美味しかった。どこかで習ったのか」
「ああ、言ってなかったっけ。俺、手伝いってか、バイトしてるんだ。あ、もちろん学校にはちゃんと届けてあるぜ」
 彼女の目が興味を示すように輝いた。
「ほう」
 俺はちょっと得意げに話した。
「おやじの知り合いが喫茶店の店長でさ。おやじとよく行ってるうちに料理とか作るの、おもしろくなって手伝うようになってたんだ。今は店長の考えたケーキを中心にスィーツがメインになってる。それを覚えてるから、ちょっと自信があるんだ」
 涼夏は深くうなずいた。
「ふーむ。それは、ぜひ行ってみたい。場所と店名を教えてくれないか」
「ああ。場所は学校と反対側にある駅前商店街の入り口だよ。名前は『スーヴェニール』」
「ふむ、把握した、ありがとう。そう言えば、あちら側には一度も降りたことがなかったな。また、寄らせてもらおう」
 表情はあまり変わらないが、彼女の背後からウキウキという擬態音が聞こえる気がする。
 やっぱり、ちょっとテンションが高いようだ。
「それで今日のバイトは休みなのか?」
 俺はケータイを見た。
「お、もうそんな時間か。ごめん、委員長。俺、バイト行くわ」
 勉強道具を片づけて、立ち上がった。

 玄関まで涼夏が送ってくれた。
「それじゃ、バイト行って帰るよ。明日の勝負は公平な判断でよろしくな!」
 涼夏は応えた。
「うむ。もちろんだ。それでは……」
 ほんのり顔を赤らめて、言った。
「行ってらっしゃい。明信君」
 俺は彼女より更に赤くなった。
「って俺、バイトの後は、こここじゃなくて、じ自分ちに帰るんだけど、その」
 涼夏が微笑む。
「いや、解っている。ただ……」
「ただ?」
「言ってみたかっただけだ」
 俺はその時。
 彼女の表情に初めて、はにかみを見たのだった。


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