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 昼休みの始まるチャイムが鳴った。
 わたしは、このときを待ちこがれていた。
 机の上を素早く片付けて、栄養補助食品と言う名の弁当と、彼にもらったクッキーを手に取る。
 勇気を出して、自分の気持ちに正直に行動する。
 彼のそばに行き、声を掛けた。
「風光(かざみつ)、ちょっといいか?」
「ん、どうした、委員長」
 彼は、彼の母親が作ったであろう弁当を出して机に置き、わたしを真っ直ぐに見つめる。
 屈託のない瞳。
 わたしは、声が詰まった。

 本当は、お昼を一緒に食べようと提案したかった。
 彼の作ったクッキーを、彼と共に味わいたい。
 だが、ああ、駄目だ。勇気が出ない。
 まだ、わたしの気持ちをちゃんと伝えていない相手を、誘っても良いものだろうか。
 わたしのお昼が、栄養補助食品とサプリメントのみで構成されているのを見て、変に思われないだろうか。
 それよりなにより、彼のクッキーは、ただのお礼なのだから、それ以上を期待してはいけないのではないか。
 それ以上? 期待? わたしは何を期待しているというんだ。
 さまざまな想いが交錯する。

「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
 わたしは努めて、平静を装った。
 そのまま、きびすを返し教室を出ようとする。
「あ、おい、委員長?」
 その声に、わたしの足は止まる。
 止まったものの、どうすれば良いのか、解らない。
 彼に背を向け、立ちつくす。
「良かったら一緒に、食うか?」
 自分の心臓の音が、聞こえた気がした。
 一瞬、ひざから力が抜けて、よろめきそうになる。
 わたしはなんとか落ち着きを取り戻し、振り返る。
「嬉しいぞ」
 それだけ言うのが、やっとだった。
 風光は微笑んだ。彼は自分の弁当を持って、わたしのほうに来る。
「全然、嬉しそうな顔に見えないけどなぁ」
 普通なら、少し傷つくような言葉。
 だが、彼の声の響きには、わたしを非難するような感じは全くなかった。
 彼の言葉は額面通り受け取れば良い。裏はない。
 わたしも、思ったことを答える。
「表情を作るのは苦手だ」
「うん。俺だって作るのは苦手だ。でも、表情は作るもんじゃないよな」
 教室の出入り口まで歩く。
「こう、何と言うか、自然に出るもんだ。だから、無理しなくていいよ」
「ん、ありがとう」
 ありがとう。素直に言える。穏やかだ。
 彼は、また微笑んで告げた。
「さ、中庭に行こう」
 わたしたちは途中にある自販機からそれぞれ、お茶のミニペットボトルと野菜ジュースのパックを買った。

 中庭には、明るい陽光が満ちていた。
 だが、座るべき芝生は昨日の雨のせいで、まだ湿っている。
 彼は、ポケットからレジャーシート取り出し、芝生に掛けた。
 わたしは少し驚いた。
「用意が良いな」
「今日は最初から中庭で食べるつもりだったからさ」
 彼は、さらりと言う。
「さ、座って座って。メシメシと」
 わたしは言われるがままに座った。だが、彼は怪訝な顔をする。
「……何でそんな端っこに?」
 そばに座るのは恥ずかしかった。わたしの弁当を、見られるのが怖かった。
「別に君のそばが嫌だとか、そういう事ではないぞ」
 まずい事を言った、と思った。
 まるで、嫌いだと言ってるようなものだ。
 ああ、どうしてわたしはこうなんだ。うまく言葉が選べない。
 焦っている、わたしがいる。
 だが、彼は特に気にする様子もなく笑う。
「うん。いや、いいよ、そこで」
 安堵の溜息を吐く。以前、こんなに慌てたのはいつだっただろう。
 あの時……慶太君にまずい事を言ってしまったとき……以来かもしれない。
 あの日、わたしは自分の言葉が好きな人を傷付けると言う事実を、思い知った。
 そう、好き、だった……いや、もう忘れよう、あの人のことは。
 今、わたしは風光が好きなのだから。

「じゃあ、食べようぜー! いっただきまーす」
 彼は弁当を開いた。おかずとごはんが彩りよく、きちんと並んでいる。栄養バランスも良さそうだ。
 わたしはチラリとそれを見て、背を向けた。
 彼のことは知りたいのに、自分のことは知られたくない。
 なんて我が侭で矛盾してるのか。だがそれでも、それが正直な気持ちだった。
「いただきます……」
 こそこそと、栄養補助食品を取り出し、封を開ける。
 ひとつ取り出して、口に入れた。
「委員長……」
 背後から彼が呼びかけた。
 びくっとする。
 ああ、見ないでくれ。頼む。
 わたしは決して、料理が出来ないわけじゃないんだ。
 これは栄養的に不足もなく合理的だし、そもそも人間は相当にケミカルな存在であって……
「それだけなんだー、小食だなぁ。さすが女の子」
 それだけ言うと、彼は自分の弁当を頬張った。
 わたしは、ほっとすると同時に、かなり自意識過剰になっている事に気が付いた。恥ずかしい。

 穏やかで、心地いい時間が流れる。ふたりの、時間。
 わたしは栄養補助食品を食べ終えて、野菜ジュースをサプリメントと共に飲んだ。
「ごちそうさま」
 その言葉に、彼がわたしを見た。
「お、早いね」
 そう言うと、何かに気づいたような顔をし、わたしの胸のほうに、手を伸ばしてくる。
 え、ちょっと待て、そんな、まだなにも、でも、それは、いや、その……
 パニックになった。
「粉が付いてるぞ」
 さっきの栄養補助食品が、こぼれていたようだ。
 軽く、手の甲で払ってくれた。
「あ」
 わたしは、その手から目を上げて彼をみつめてしまう。すると、彼が謝罪した。
「あっ……えと、ごめん、気になったんだ。なんか勝手に手が動いて、その、決して、ヘンな気持ちじゃなくて」
 赤くなって弁明している。
 わたしも、同じように赤くなっている気がした。
「いや、ありがとう……」
 彼は、そそくさと自分の弁当を食べるのに戻った。
 わたしは何か言わなければと思い、ちょっと気になっていた質問をした。
「その弁当は、君のお母さんが?」
 彼はお茶でご飯を飲み下し、答えた。
「ん、今日は母さんなんだ」
 やはりそうか。彼の、母親。その内容から見て、相当キッチリとした人のようだ。
 今日は、と言うことは、たまには彼も作ると言うことか。それは一度、食べてみたいな……。

 彼はお茶を一気に飲み干して、手を合わせた。
「ごちそうさまー!」
 わたしもパックの野菜ジュースを飲み切ると、改めて手を合わせた。
「ごちそうさま」
 彼はゴミをまとめて、わたしの栄養補助食品が入っていたコンビニ袋に詰める。
 なるほど、即席のゴミ袋だ。
 彼が、わたしの空になったパックを渡してくれ、と言うので礼を言って差し出した。
 それを詰め込むと、ゴミ袋をちょっと横に置いた。
「さて……」
 その顔を見ると、ニコニコしていた。
 その表情から、わたしが彼のクッキーを食べるのを期待しているのが解った。
 わたしは少し目を逸らし、クッキーを手に取り、彼のほうに向く。
「では……いただきます」
 ドキドキする。
 彼はにっこり頷いて、まるで執事のような手の仕草をする。
「はい、どうぞ」
 わたしは促されるまま、和紙の包装をまとめている金色のリボンを解き、箱を開ける。
 ココア色のクッキーが顔を出した。チョコチップが混ざっている。
 やや香りは失われているが、それでも、甘い芳香が立ち上がる。
 思わず、つぶやく。
「おいしそうだな」
 彼は微笑んだまま頷いた。
「旨いよ」
 相当、自信があるようだ。
 わたしは、ちょっと格好良いと思った。
 それが恥ずかしくて、素早く目を落とす。
 箱からひとつ、つまみ上げ……
 かじった。
「……おいしい」
 ココアの味と配分、程良い焼き具合、チョコチップの量と滑らかさ、どれをとっても申し分ない。
 プロの味、と言って差し支えないだろう。
 わたしはすぐ二つ目を食べ、さらに三つ目に手を出した。
 彼は無邪気な笑みを投げかける。
「慌てなくてもいいよ、誰も取らないからさ」
 それは輝く笑顔だった。
 わたしも思わず少し、顔がほころんだ。
「それも、そうだな」
 ちょっと驚く彼。
「お、笑ったね。うん、やっぱり、そのほうがいい」
 わたしはどう答えれば良いか解らず、ただ、彼を見つめた。
 顔が熱い気がする。
「……よけいな事言っちゃったかな」
「え、いやそんなことは……」
 なぜか小さい声しか出せなかった。
「あ、飲み物買ってくるよ。のど、詰まるだろ」
 彼はわたしの声に気付かず、さっさと立ち上がって自販機に向かって行った。


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