[邂逅の海:4]

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 わたしは、ぼんやりと駅から吐き出される人々を見ていた。

 街は、海。

 人は、波。

 この海で、それぞれの波が邂逅し、渦巻き、また、流れていく。
 深い感情を、その海底に沈めながら。

 ……わたしはいつから、詩人になったのだろう。
 不意に風光の顔が浮かんだ。
 彼のせいかもしれない。

 彼の事を考えるようになってから。
 わたしは、自分自身の事も考えるようになった。
 わたし自身を取り巻く世界。
 わたしは、彼と出会って。
 彼の言葉を聞いて。
 それまで、見ようとしなかった世界を見ることができた。
 それは彼が、この世界と彼自身の関係を、独特の距離感で見ているからなのだろう。
 そこに……彼の見ている世界に、わたしは居ても良いのだろうか。
 あの年下の彼女がいるだけで、充分なのではないだろうか。

 わたしは、ほんの少し邂逅しただけの流れゆく波にしか、過ぎないのではないか……

 嫌だ。
 素直にそう思った。
 そばに、居たい。
 我が侭かもしれない。
 強引かもしれない。
 だが、この想いをちゃんと伝えないまま、海底に沈めてしまっては彼に出会う前と同じだ。
 わたしは彼に出会って、変わったと感じた。
 思考よりも、身体が、感じたのだ。
 そう、彼が好きなんだ。

 ここで沈没船の残骸を漁って、過去の幻影を探している場合ではない。
 新しい島を見つけに行かなければ。
 例え、それすら幻影であっても、手が届かなくても良い。
 少なくとも、それは未来だ。

 わたしは顔を上げ踵を返した。
 その途端、誰かにぶつかった。
「痛ってぇな、どこ見てんだ。あぁ?」
 真っ赤な地に墨絵調の昇り龍が描かれたシャツが目に入った。
 やや痩せ型で、シャツの襟を黒いジャケットから出している。ズボンも黒。
 あごの下にちょっとだけヒゲを生やしている。
 目はサングラスをしていて見えない。耳には銀色のピアス。
 髪は金髪で、ファッション誌に載っているようだ。
 明らかに、まともではない。
 わたしは、かなりムッとなったが即座に謝罪した。
「すみません。急いでいたもので……」
 相手の顔を見上げると、なにやらポカンとしている。
「おまえ……涼夏じゃね?」
 サングラスを外して、顔を見せた。
「俺、俺。慶太だよぅ」
 まさか。
 しかし、その瞳には確かに、面影があった。
 だが、それを認めた時、わたしの中で何かが音を立てて崩壊した。
「三年前も確かここで逢ったよな。へへへ、運命を感じるねぇ」
 息がタバコ臭い。
「そうだったかな。じゃあ、わたしは急いでるから」
 彼がわたしの腕を掴んだ。
「待てって。もうすぐ仲間も来るからさ、一緒にカラオケでもどうよ? ん?」
 わたしは彼を睨み付けた。
「離してくれないか」
 彼は少し、苛ついたようだった。
「んだと……ちょっと幼なじみだと思って優しくしてりゃ……なめんじゃねぇぞ」
 ズボンのポケットから、バタフライナイフを素早く取り出した。
 それを開くと、上着で隠しながら、わたしの脇腹に突きつける。
 これが、あの、慶太君なのか……。
 これが……。
「ん? 泣いてンのか? はっ、それでいいんだよ、おとなしくしてろっての」
 わたしは彼を睨んだまま、これだけは言ってはならないと、心に固く誓った事を口にしてしまう。
 彼があまりにも、哀しい人になっていたから。
「そうやって、あなたのお父さんも、誰かを傷付けたのか」
 彼の顔が強ばった。
「三年前もそんなこと聞いたな、おまえ。……ああ、そうだ。無期懲役だ。ついカッとなって、だとよ!」
 唾棄するように言った。
「ああ、あの後、おまえにそれ言ったヤツ、あのデブ、半殺しにしてやったぜ。俺も同じ血ぃ引いてるからなぁ」
 喉の奥で嗤った。
「そうそう、あの頃、おまえも見ただろ、俺は子供好きのお姉さんに、たいそう可愛がられてましたよ?」
 あの派手な女性のことか。
「今は俺、高いけどね」
 それが性的かつ違法な行為を示している事は、今なら解る。
 そして、その歪んだ優越感も。
「しっかし、遅いな……なにやってんだ」
 彼はナイフを巧妙に隠しながら突きつけ、わたしをエレベータに促した。
「ほれ、行けよ。下で待つから」
 わたしはおずおずと、歩みを進めた。

「委員長!」
 不意に脇のエスカレータから、風光が現れた。
 その時、慶太は動揺したのか、少しナイフがわたしの脇腹を掠めた。
「うぐっ!」
 思わず、うずくまる。
 服が切れただけで、血は滲む程度だ。
 だが、うずくまるわたしと慶太のナイフを見たエレベータの客が、悲鳴を上げる。
 他の客も混乱する。逃げ出す者もいた。
 風光がエスカレータから駆け上がって、吼える。
「なんだ、てめぇはっ! 委員長に何した!」
 慶太が風光に襲いかかるのが見えた。
「るせぇ!」
 風光が素早く手を上げた。
 そこには、底の分厚いちょっとくたびれたスニーカーがあった。
 それが彼の物だと、すぐに解った。見覚えがある。
 風光は、スニーカーを“手で履いて”いたのだ。
 風光はナイフを、その靴底で受け止めた。
「なんだぁっ?」
 慶太が頓狂な声を上げる。
 靴の盾。たぶん、慶太もそんなものは経験したことがないだろう。
 風光が慶太を睨み付けて叫んだ。
「委員長は、俺が守るんだよ!」
 慶太は凄んだ。
「涼夏はなあ、昔っから俺のもんなんだよぉッ!」
 ナイフがスニーカーの厚底に食い込む。
 風光が負けじと、言い返す。
「委員長は委員長自身のものだろ! 他の誰のものでもねぇぇぇッ!」

 そうだ。わたしは、わたし自身のものだ。
 わたしの行く末は、わたし自身で決めないといけない事なのだ。
 わたしは、傷を押さえて、立ち上がり。
 慶太に向かって突進した。
 人間同士のぶつかる大きな音がして、慶太が床に転がり倒れ込んだ。

「う……涼夏……俺はおまえが……」
 わたしは彼のそばにしゃがんで囁いた。
「ごめんなさい。わたしは、今、そしてこれからもずっと、彼が……あの、風光明信だけが、好きなんだ」
 慶太は寂しそうに微笑んだ。

 その後、どやどやと警官たちがやって来た。
 慶太を担いだ警官が、またコイツかとつぶやいていた。
 わたしが切られた事を正直に告げると、警官は溜息を吐いた。
「傷害か……また、詳しいことは後々聞かせてもらうから、今日はもう帰りなさい」
 わたしたちは挨拶をして、並んでエスカレータで下った。

 雨は止んでいた。
 なぜか何もお互い言い出せず、無言で駅に向かう。
 その改札口で、あのポニーテイルの少女がふくれっ面で立っていた。
 相当な量の荷物に囲まれている。
「遅い! おにいちゃん! これって、どういう……あ、イーンチョーの人だ! わぁ、やっぱキレー!」
 わたしがその言葉に混乱していると、走り寄ってきて抱きついた。
「イイにおーい! どんなシャンプー使ってるんですかぁ?」
 わたしはさらに戸惑った。
 それを見て、風光が彼女を叱った。
「こら! ふゆな! ちゃんとご挨拶しろ!」
 彼女は離れると悪態を吐いた。
「なによ、お兄さんぶって」
 こほん、と芝居がかった咳払いをして、明るく挨拶した。
「あたし、このバカ兄貴の妹で、風光ふゆなって言います。よろしくお願いします!」
 わたしは、つぶやいた。
「妹……さん……」
 勘違い。
 そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
 そうか、勘違いだったのか。
 わたしは込み上げる笑いを抑えて、ふゆなちゃんと同じように咳払いをした。
「わたしは、花鳥 涼夏(はなとり りょうか)。普段は委員長って呼ばれている。それと……」
 ふたりがちょっと不思議そうな顔をした。
「わたしも、相当、馬鹿だよ」
 うん、本当に。
 ふと見ると、ふゆなちゃんの目が輝き出していた。
「涼夏さんのしゃべり方、カッコイー! マネしてもいいですかっ?」
 どうやら、わたしは彼の家系自体に弱いようだ。
 その裏表のない真っ直ぐな眼差しに、とてもくすぐったい気持ちになる。
 風光……この場合、明信君が呆れて口を挟んだ。
「やめろよ。ほら、委員長が迷惑してるだろ!」
 わたしは微笑んで、それを否定した。
「いや、そんなことはない。いいよ。気に入ったなら、真似してくれても」
「わー! やったー! ありがとうございますー!」
 明信君が、しかたないなぁと苦笑いをした。
「じゃあ、俺たち帰るけど……委員長は?」
「わたしは、ここからちょっと行った所なんだ」
「あ、そうなんだ。じゃ、送ろうか? 怖い思いしたもんな」
 わたしは思っても見ない提案に少し戸惑ったが、勇気を持って応えた。
「そうしてくれると……嬉しい」
 彼はにっこりして頷いた。
 ふゆなちゃんも喜んでいる。
「わー、ラッキー! 涼夏さんの家が見れるー! どんなだろう」
 彼がふゆなちゃんの荷物を半分持った。
「あとはおまえが持てよ、おまえのなんだから」
「うわ、涼夏さんの前だと思って超強気。帰ったら覚えときなさいよ」
 彼女は文句を言いながらも、荷物を持った。
「じゃ、行こうか。委員長」
 わたしは頷いた。
 三人並んで、歩き出した。
 この波の集まりは、もう海の一部だ。離れることはない。
 そう思った。

END


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