彼を見送って……ため息。
クッキーに目を落とす。
またひとつ、口に運んだ。
「文字にすればたった二文字なのに、なぜ言えないんだろう……」
今朝みたいな勇気が出ない。
今思えば、あまりにも軽々しかったかも知れない。
相手の、彼の事も考えず、勝手に告白するなど、迷惑……
いや、それ以上の事、彼を傷付ける事になったかも知れない。
そう、もし彼に彼女がいたら……
彼に彼女?
自分の言葉に、胸が苦しくなる。
彼女……か。
彼が特定の女子と付き合っている、と言う話は誰からも聞いていないが、それはこの校内での話だ。
もしかすると校外には、いるのかも知れない。
風光には好きな人が、いるのだろうか。
ふいに、慶太君を自分の“物”だと言い張った、あの派手な女性を思い出す。
確かめたい……。
“君には、好きな人がいるのか?”と。
恐らく、この質問をすると明確な答えが返ってくるだろう。
それを知って、傷付くかも知れない。怖い。
だが、それ以上に彼を傷付けたくはない。
だからわたしが彼を傷付ける、その前に答えを求めたい。
「委員長、ほい」
ふいに彼の声がして、目の前にパックのジュースが差し出された。
「おごりだぜ」
彼を見上げた。
そこには柔らかい微笑みがあった。
わたしは質問をためらった。
「ありがとう」
ジュースを受け取り、やはり小さな声で礼を言った。
さやさやと風が流れる。
わたしは最後のひとつを食べ終えると、パックジュースも飲み干した。
「ごちそうさま。おいしかった。ありがとう」
礼を言うと、彼はニッコリした。
「いえいえ、どういたしまして」
そう言って、わたしの前にあったクッキーのラッピング一式を、ゴミ袋に入れようとした。
それを見ると、急に何か記念に取っておきたくなった。
「このリボンだけ、貰ってもいいかな」
彼は軽く返事をして、快くそれをくれた。
わたしは大事に胸ポケットへと、しまった。
ゴミ袋を捨ててきた彼は、ごろりと横になった。
「気持ちいい風だなぁ」
そのまま、頭の上に目を向ける。
「お」
腕を伸ばし、芝生をつまんだ。
「うーん、生き生きしてる」
指を放し、自分の頭を後ろから抱えるようにした。
「雨ってさ、うっとおしいって思うけど、でも、ホントは大事なものなんだよなぁ」
手を太陽にかざし、目を細めた。
「太陽でもなんでも、そうやって、良い面や悪い面があるもんなんだろうな」
それを聞いて急に、母の言葉が蘇る。
“彼には慧眼があるのよ”
慧眼。物事の真実を見抜く力。
彼には、本当にそんな心が備わっているのかも知れない。
そう思いながら、彼を見つめた。
それに気付いた彼は、冗談めかして嘆いた。
「委員長が俺をかわいそうな子を見る目で見てるよー、うえーん」
わたしの目つきのせいか、勘違いされたようだ。
「あ、いや、そんなことは思ってないぞ」
今度は、ちゃんと声が出た。
その勢いで、さっきの質問をぶつけようと思った。
「それでだな、風光」
「ん?」
ふいに、風が強くなった。
わたしは自分の髪を押さえながら。
彼の目を見て。
聞いた。
「君には、好きな人がいるのか?」
風が凪ぐまでのほんの少し間、沈黙が続いた。
やがて、彼は、答えた。
「いるよ」
わたしの息が一瞬、止まる。
彼は続けた。
「家族は好きだ」
わたしは力が抜けて、放心した。
「……って、おい、委員長? 委員長!」
肩をゆすられた。
我に返ると、憤りが湧いてきた。
できるだけ、それを抑えるようにゆっくり告げた。
「わたしが、聞きたいのは、そんな事じゃ、ない」
逆効果だったようだ。彼は蒼くなった。
「いや、ごめん、解った、今、解った。ごめん、ホント、ごめん」
手を合わせて拝むように謝る。
「で……その、それは、えと、まだ、解らないんだ」
拝むような手を祈るような形に組み変えて、乙女のように赤くなった。
これでさらに黄色くなったら信号機だ。順番は違うが。
わたしは彼の答えを繰り返した。
「解らない……?」
彼はやや落ち着いたようだ。
「そう。うん。解らない。俺自身の気持ちがまだ、解らないんだ」
まさか、そう答えるとは想定していなかった。
いるか、いないか、それだけしか選択肢はないと思い込んでいた。
「そう、なのか……ふむ」
困っていると彼がわたしをチラチラ見ながら、同じ意味合いの質問をしてきた。
「で、委員長は、その、いるの? 好きな人」
ドキリとして、彼を見つめた。
「あっ、いや、ごめん、睨まないでくれよ」
また、誤解されたようだ。
本当に慧眼があるのだろうか。疑わしくなってきた。
昼休みの終わりを告げる、予鈴が響いた。
「お、戻ろうか」
「そうだな」
わたしと彼は立ち上がる。
彼は、手際よくレジャーシートを畳んだ。
この場所から離れるのが、名残惜しく感じられた。
中庭から教室に戻る道すがら、彼は話しかけてきた。
「今日は楽しかったよ。委員長と色々話が出来て」
嬉しさと、気恥ずかしさで、彼の顔を見ることができなかった。
「わたしもだ。クッキーはおいしかったし、リボンももらったし。ありがとう」
何を言ってるんだ、わたしは。
これじゃあ、ただ、物に釣られて、お昼に付き合ったみたいじゃないか。
何か、何か、フォローしなければ。
「……風光。もしよかったら、今度は君の作った弁当を食べてさせてくれないか」
あああ、違う。なんて厚かましいんだ。そうじゃなくて、わたしの作った、だ。
わたしの作った弁当を食べてくれないか、だ。
顔から火が出そう、とは、まさにこの事だ。
だが、彼は朗らかに笑って答えた。
「俺のクッキーに味を占めた? うん、じゃあ明日は俺の弁当を食ってくれ」
嬉しさと恥ずかしさで、足を速めた。
「うん。期待しておく。さ、早く入らないと本鈴が鳴るぞ」
「はーい」
のんびりした返事。
さっきまでの、優しい時間を残したような。
わたしたちは、そんな空気をたぶん共有しながら、教室に戻った。
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