「あンの、じいさんめ!」
長い廊下をドカドカと大股で歩く俺。
「若様!?これはご機嫌……」
「若様!いつ、お帰りに?!」
「若が、若が帰られましたー!」
周りで、執事やメイドたちが慌てふためく。
中には泣き出す者もいる。
そりゃそうだ、高校に入ってから一度も帰ってないもんな。
俺は、もうここの人間ではなくなったつもりだった。
普段はバイトで稼いだ金で、6畳一間のアパートに暮らしている。
平和で、のんびりした普通の高校生活。
だが、それがなんの前触れもなく壊された。
あの時、毒マムシ……いや、伊達さんは、あの黒い少女の一撃を免れた。
黒い少女は言った。若が止めろと言うのであれば、そう致します。
では、この毒マムシはどのように処置致しましょうか。
俺は、答えた。本家の医務室で治療しろ、と。
本当は本家にだけは頼りたくなかった。
だが、俺のクラスメイトが、酷い目に遭っているのに放っておけるわけがない。
例え……俺を殺そうとしていたとしても。
黒い少女は、御意、とだけ言って、指を鳴らした。
次の瞬間、黒い少女と同じ、黒ずくめの少女達が現れ、 伊達さんを抱えると消えた。
ほとんど一瞬だった。
残ったのは最初の黒い少女だけだった。青い瞳ですぐに解った。
彼女は俺に向き直ると、何ら感情の読み取れない表情で言う。
「若のご質問にお答えしていませんでしたね……」
スッと、俺の前で、ひざを突き、見上げた。
「わたしは、苦無衆(くないしゅう)がひとり、碧眼の空(へきがんのくう)
と、申します……今後とも宜しくお願い申し上げます」
うやうやしく俺に頭を垂れた。
「それでは、わたしも失礼致します」
その声が終わると同時に、彼女は消え失せた。
思わず、きょろきょろと見回したが、意味はなかった。
ただ、伊達さんの流した血の跡も折れた武器も、きれいに消えていたのが解っただけだ。
あとには、いやに白いコンクリートの床と、 秋の薄ら寒い空が、ただ広がるばかりだった。
教室に戻ってみると、伊達さんは早退したという。
みんなに色々、揶揄されりした。
だが、俺が深刻そうにしているのを見て、それ以上は誰も何も言わなくなった。
俺は放課後、本家に向かった。
こんなことに巻き込まれるのは決まって、本家のじいさん絡みだからだ。
じいさん――武田 信綱(たけだ のぶつな)。
今の頭首だ。
道々、俺は思いを巡らせていた。
苦無衆……。
昔、じいさんに聞いたことがある。簡単に言うと、本家の忍者部隊だ。
その任務は、本家の人間の身辺警護、敵対組織の情報収集、そして……敵の抹殺。
その存在は遡れば、戦国時代からあったという。
しかし、じいさんの代で、すでにそれは暗殺まで行うような実行部隊ではなく、
ちょっとした探偵のような組織になっていた。
俺の親父、武田 信秀(たけだ のぶひで)も武闘派ではなく、頭で勝負する男だったので、さらに苦無衆は弱体化した。
だが……そんな親父が、犠牲になった。
じいさんは自分を呪った。自らの認識の甘さを。
そして鬼になった。復讐と言う名の。
苦無衆を諜報部と実行部に分け、諜報部には敵の正体を調べ上げさせた。
それと同時に忘れ去られようとしていた秘術を自らが、実行部に叩き込んだ。
そして、敵――武田直系の企業と、些細な利害関係のある企業が、いにしえの苦無衆を真似て作った組織だった――それを殲滅した。
でも、そんな事は、絵空事だと思っていた。いや、そう思い込もうとしていた。
この現代社会で、そんなバカなことがあるはずがない、そんな組織の存在が許されるはずがない……。
しかし、非合法の組織というものは世界的に見ると、いくらでも湧いている。
“テロ組織”と言う言葉は今や、ニュースでも頻繁に耳にする。
苦無衆はテロ組織でこそないが、やっていることは似たようなものだ。
己の利を守り、敵の利を削ぐ事に終始し、そのためになら例え、相手を抹殺しても良しとする……。
普通の人は誰も知らない、そんな非合法組織というものは、実は相当数、存在するんじゃないか?
俺は、そんな血で血を洗うような、死闘を見る血生臭い世界に居たくはなかった。
だから、家を出た。
しかし。
ここに来て、また別の敵が動き出したのだろう。
武田の血に連なる者の命を狙う、敵。
俺は、覚悟していた。もし、やられるならそれでも良い。
あんな血生臭い世界に戻るくらいならいっそ……。
大きな音を立て、木の扉を押し開けた。
「俺がいつ、助けてくれって頼んだよ?!」
じいさんのいる、通称“翁の間”に飛び込むと同時に吼える。
だが、じいさんは動じるようすもなく。
キセルを一服して、一言。
「信人(のぶひと)。お前には使命があるのじゃ」
超然と言い放つ。
「使命?! この家を守れとかそんなこと、俺の知ったことじゃねぇぇぇぇっ!」
いきなり、老人とは思えない動きで俺に迫り、怒鳴る。
「この大うつけがッ! 貴様がなぜ、守られるか、解らんのかッ!! この家のためでも、死んでしまった信秀のためでもないッ!!」
そう叫ぶと……急に肩を落として、うつむき、静かにつぶやく。
「……お前に……お前には、死んで欲しくないのじゃ……」
じいさんが、急に小さく見えた。
「お前は、信秀と同じ目をしておる……優しい目じゃ……故に心配なのじゃ」
目に涙を溜めて、俺を真っ直ぐ見て言う。
「お前の使命とは……生きる事じゃ。生きて、生きて、生き抜く事じゃ」
俺の肩に手を乗せた。
それは、震えていた。
「そして……お前の目で、見て、考え、何が正しいのか、間違っているのか……答えを出す事じゃ」
はらはらと、じいさんの目から涙が零れた。
俺は、感動した。こんなに俺のことを考えていてくれたのか。
俺も、涙が出てきた。止まらない。
「じいさん……解ったよ! 俺、生きる! 生きるよ!」
俺は思わず、じいさんと抱き合ってしまう。
やがて、じいさんは涙を拭いながら、離れた。
「うむ、解ってくれたか」
頷きながら、微笑む。
「ならば……空! 華(はな)!」
じいさんが呼ぶと、いきなり後ろから二人の女の声がした。
「武田くん!いや、若サマ!これからよろしくねー!」
「若。ふつつか者ですが、よろしくお願い致します」
振り返ると、空と伊達さんがいた。二人とも同じ黒ずくめのゴスロリだ。
空は正座で三つ指を突いている。まるで、お嫁さんだ。
いっぽうの伊達さんは、ひざを内側に入れ、すねを外側に出して座る、いわゆる女の子座り。
胸の前で、手を小さく振っている。
顔に異常はなかった。
「え、伊達さん、目、大丈夫なの?!」
伊達さんは、ふふーん、と誇らしげに笑って立ち上がる。
「見ててー」
伊達さんは両手を広げ、その目立たない地味な顔立ちを、一瞬、遮るように覆った。
すると、彼女は目鼻立ちのハッキリした、美少女に変わった。髪も茶髪で、ポニーテイルになっている。
「わたしの本当の名前は苦無衆がひとり、顔無しの華。演技派女優なんだよー」
……まさか。
じいさんが突如、にんまりした。
「では、二人は信人に付いてもらう。これから奥の離れで暮らすが良い」
俺は、ワケが解らず、慌てる。
「え、どういうこと? アパートは?!」
じいさんは、したり顔で平然と言い放つ。
「お前はここで暮らすのじゃ。アパートは解約した」
一瞬、放心しかけてしまう。
「ええー?! じゃあ、俺は……」
騙されたのか?!
「なんじゃ、この二人では不満か?」
「いや、そういうわけじゃないけど、って、そうじゃなくて、わぁ!」
空と華は、ふいに俺の腕をとり、騙されたと悟った俺を引きずっていく。
華は跳ねるように言う。
「若サマ、じゃあこれから新居に行きましょーねー」
ほほを染めて、笑う。
「まずはぁ、お食事にします? それともお風呂ですかー? ……そ・れ・と・もぉ……」
空が突然、割り込んで来る。
「わたしをご所望ですか?」
「あ、空ちゃんが、あたしのセリフ盗ったぁー!!」
……えーと、それって……
「えぇぇぇぇぇーーーっ?!!」
俺の複雑で雑多な感情の入り交じった叫びは、むなしく廊下に木霊した。
END
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