其ノ参
彼の服装はヒッコリーのジャケットに、白いタートルネックシャツ。下は普通のジーンズ、靴は白い布地のスポーツシューズ。
オシャレってほどでもないけど、充分、イイ感じだ。
物凄くキメられても、ちょっと引くしね。
あたしは、柔らかく微笑んで応えた。
「いいえ。こっちこそ今日しか空いてなくてごめんなさいね。武田君、今日、夜はバイトなんでしょう?」
彼は頭を掻くようにして、笑った。
「あ、いや、そんな。全然。気にしないでくださいよ」
デレデレしてるなぁ。なんかちょっと可笑しい。
「それで……華加(はなか)から聞いたけど、なぁに? あたしに話って」
小首をかしげて、彼の目を覗き込む。
「えっ……と、その……なんて言うか……」
小悪魔風に問いかけてみる。
「んん? なにかなぁ」
彼の顔がみるみる紅潮する。だが、言葉はどんどん出なくなる。
しょうがないなぁ。
「デート、する?」
「はひ?!」
若サマは、驚いてヘンな声を上げた。
「話って、そういうこと……でしょう?」
石のように固まっている彼の腕に、あたしの腕を絡める。
ちょうど肘があたしの胸に当たるように。
「さ、どこに行こっか」
とりあえず強引に、ファッションビルなんかがあるほうへ引っ張る。
「え、ちょ、ちょっとお姉さん!」
不意に立ち止まって、さも今、思いついたように言う。
「あ、そう言えば名前、言ってなかったね。あたし、秀香(ひでか)」
若サマがその名前に、ぴくり、と反応した。
「もしかして、秀でる、って書きます?」
「そうだけど?」
「僕の親父の名前にも、その字あるんです。奇遇、ですね」
奇遇でも何でもない。そこから取った偽名なんだから。
でも、そんなことは顔に出さない。
笑顔で受け答える。少し、華加に似せて。
「へぇ、そうなんだぁ」
あたしの返答を聞いて、彼はちょっと笑う。
「今の言い方、やっぱり、伊達さんとは姉妹なんだなって思いました」
「妹に似てた?」
「うん」
爽やかな微笑み。
よし。彼の返事は『はい』ではなく『うん』だった。つまり、これで彼の心は、かなり掴んだということだ。
でも。
よく解らない感情が、あたしの使う毒針のようにチクチクと心を突いた。
なんだろう、これは。
あたしは華加と彼を仲良くさせて、あたしの任務を遂行するために、得意の芝居をアドリブで演じている。
あたしの悪戯心のせいで、ちょっぴりややこしくなってるけど。
でも、これを、この舞台を巧く演じれば、より早く華加としての任務を全うできる。
だけど……。
とりあえず、よく解らないものは解らないので、放置して。
あたしたちはファッションビルで、あちらこちらを見て回り、はしゃいだ。
「ね、これ、似合うかなぁ」
「どれです……って、水着じゃないですか! まだ、早過ぎ! てか、もう売ってるってどういうことだよ!」
「えー、最近は春から、もう売ってるよ」
「マジで?! 知らなかった……。てか、女の子の水着なんて見に来ないしなぁ」
「彼女、いないの?」
真っ赤になる彼。
「い、いないッスよ! いるように見えますか」
茶目っ気たっぷりに応えるあたし。
「見えるなぁ」
さらに赤くなって顔を背ける。
「からかわないでください!」
そんな他愛もない、でも、楽しい会話を続けながら。
時間は、あっという間に流れた。
もう、夕暮れ時を過ぎて街には明りが灯っている。
「もうこんな時間か……。えと、俺、バイトに行くんで、そろそろ……」
あたしは彼の目を、潤んだ瞳で見上げる。
「あのコンビニだよね。始まるまで一緒にいちゃ、ダメかな」
彼はポカン、と思考を停止した。
すぐ次の瞬間、我に返って一気に赤くなる。これで何度目だろう。ホント、純情だなぁ。
「え、えええ?!」
あたしは彼の腕にすがりついて、胸を押しつける。
「ね、ダメ?」
少し眉をひそめて、小首をかしげる。
「お・ね・が・い」
これで落ちない男はいない。……らしい。
お館サマはいつも言っていた。
『くノ一の術はあらゆる男に対して無敵!』
でも、頭では解っているが、ここまで実践したのは初めてだ。
これから先のことも知っては、いるが……それは、彼の死を意味する。
例え守らないといけない対象でも、くノ一の術をやり遂げることは相手を殺すことだ。
なぜなら、わたしたちは人殺しの集団だから。
術も技も、全て相手を殺すための手段に過ぎない。
そして、あたしたちはそれ以外の生きる術を知らない。
若サマは、困ったように笑って。
うなづいた。
「解りました。じゃあ、バイト先まで、歩いていきますか」
あたしは、ぎゅっと彼の腕を抱き寄せた。
「ふふふ、ありがと!」
あたしたちは、彼のバイト先に向かって歩き出した。
商店街へは、ここからだと線路脇を辿るのが早道だ。
だがそれは、かなり寂しい高架沿いになる。街灯もまばらだ。
やはり都会とは言え、新月は危ないようだ。用心しておいて良かった。
あたしが若サマをデートに連れ出したおかげで、たぶん敵は混乱したはずだ。
でも、すぐさま、あたしの素性を調べて新しい作戦行動に出ているだろう。
だから、気を抜くわけにはいかない。
ふいに道沿いの公園から、怪しい男達が近づいてきた。
バタフライナイフを持ったドレッドヘアの男が、いやらしく顔を歪めて笑う。
「いい女、連れてるじゃんよぉ」
「な、なんだよ」
若サマが、あたしをかばうように前に出た。
足が震えてるじゃん。無理しちゃって。
でも。
あれ? なんだろ、今、心臓が一瞬、止まったような感じがした。
いやいや。
あたしは、すぐ気を取り直して状況を把握しようとした。
ドレッド男を含めて五人。態度から考えて明らかにプロじゃない。
敵企業に雇われたか、単なる暇な連中。
敵だとしたら、苦無衆もずいぶん甘く見られたものね。それとも、単に作戦が間に合わなかったのかな。
そんなことはまあいいや。
こいつらみんな、武器持ってるなぁ。いずれにせよ、若サマがヤバイ。
作戦通りに動こう。
「信人君……」
あたしは、彼の背中に隠れる。
若サマが前を向いたまま言った。
「秀香さんは逃げて下さい! 早く!」
言い終わらない内に、ドレッド男が襲ってきた。
ナイフを振りかぶって、怒号を上げている。
チャンス到来。
あたしはスカートの裏から、即効性の麻酔針を取り出して、若サマに打った。
「う……?」
あたしは、ぐったりした若サマを支えるようにしゃがんだ。
ドレッド男のナイフが宙を切る。
よろける男。
「っと、なんだ、のびちまったかぁ!」
振り向いて叫んだ男に、あたしは容赦なく針を投げた。
男は、静かに崩れた。
しゃがんだまま、ゆっくり他の男達を見回す。
彼らは、戦闘意欲が削がれているようだ。
だが、金属バットを持っている男だけは奇声を発して、殴りかかってきた。
呆れながら、もう一度、針を放つ。
バット男は勢いのまま、前のめりに倒れた。
あたしは、残りの男達に言い放った。
「次は誰が死にたいの」
男達は、悲鳴を上げて逃げ去った。
あたしは、左手の小指にある指輪に、口を付けて吹いた。忍笛だ。人の耳には聞こえない周波数の音が出る。
あたしたちのピアスは、これの音を受信すると振動するのだ。
ゴスロリ服の仲間達が、音もなく現れた。
「若サマをちょっとお願い」
その内のひとりに彼を預け、倒れた男達の針を抜き去った。
しばらくしたら、元に戻るだろう。
こんなヤツらでも、一般人だ。あたしたちは、一般人を殺したりはしない。ちょっと麻痺してもらっただけだ。
もちろん、目も耳も、全身なんだけどね。
あたしは仲間から若サマを返して貰うと、彼を背負って彼の家に向かって跳んだ。
「それにしても、なんもない部屋ねぇ……」
あたしは彼の部屋で開口一番、そう言った。
六畳一間の安アパート。
家具と言えば机と小さな本棚、それに洋服タンスだけ。しかも、それも押入に入っている。
あたしは布団を引っ張り出して、彼を寝かせた。
先にポケットから取り出していた、彼の携帯電話からバイト先に掛けた。
あたしは若サマの声色を完璧に真似する。
「はい、すみません……ちょっと風邪がひどくて……はい、ありがとうございます。失礼します」
店長にすごく信頼されてるみたいだったなぁ。
携帯電話をポケットに戻しながら寝顔を覗き見る。
「う……ん」
寝返りを打った拍子にその腕が、あたしの手に当たった。
あれっ? またなんか心臓がドキッとした……。
“恋ってそういうものよ”
突然、お母さんのセリフが頭をよぎった。
え、これ、この気持ちが……?
若サマはうなされている。
「ううん、秀香さん、にげ、て……」
その言葉があたしの気持ちをハッキリさせた。
同時に、涙が溢れてきた。
そっか。これが。
あたしは、でもまだ自分が信じられなかった。
そこで自分を試すことにした。
彼の唇に、あたしの唇を近づけてみる。
くノ一の術として考えるなら、キスなんて出来て当然だ。うん。
ゆっくり、近づける。
ドキドキ……。
あと十センチ。
クラクラ……。
あと五センチ。
プルプル……。
あと一センチ。
「うわー! ダメだぁ!」
あたしは後ろに転がって、手足をばたばたした。
ひとしきり暴れて、一息吐く。
「これが恋、なのね」
やっと、解った。
なんで、秀香が褒められるとやな感じだったのか。
単純に秀香が気に入らなかったんだ。
即興で尾行用に作った秀香は、あたし自身から程遠い。
でも華加は、ビジュアルはおいといて、遙かに本当のあたしに近い。
うん。そうだ。この秀香は、居ない方がいい。
こんな小細工しないで、華加で若サマにアタックしよう。
それが任務を遂行することになるなら、一石二鳥じゃん。
あたしは、書き置きをすることにした。
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