「ん……やっぱ、美味いな」
彼……明信君は、それをまた一粒、つまんで口に入れた。
わたしがヴァレンタインのときに作ったチョコだ。
わたしは、その彼のいつも優しい横顔を見つめる。
「ふむ。それは良かった」
彼はわたしと目を合わせることなく、やや頬を染めた。
わたしと彼、明信君は学年末テストの対策を行っていた。
つまり、今回もわたしの家で勉強会を開いていたのだ。
一学期に引き続き、二学期も中間及び期末に勉強会を行った。
わたしはもちろんだが、特に彼の結果は上々でその成績の上昇は目覚ましかった。
彼はそういう意味ではとても変わったと思う。
しかし、性格は全く変わっていない。
いつも優しく、柔らかにわたしに接してくれる。
見た目は確かに、やや頼りないかも知れない。
だが、見る目のある人が見ると、やはり光っているのだろう。
現に、安藤先輩のように気持ちを告白する人までいたのだから。
あのヴァレンタインの日。
安藤先輩はわたしのせいで傷ついただろう。
わたしは正々堂々と戦おうとしていたはずだ。
だが、いざとなると、どうしても自分を抑えられなかった。
冷静になろうとしても、気持ちが身体に変化を及ぼしてしまう。
わたしは、彼が安藤先輩のチョコを口にしようとしたとき、泣きそうになってしまったのだ。
わたしは卑怯者だ。
例え、わたしと彼の間に別ち難い強い『絆』があったとしても、それは許されない。
あの場で、わたしは自分を抑え切るべきだった。
わたしは謝りたい。
今更、遅いかもしれないがそれでも、わたしは謝罪したい。
しかし、安藤先輩はあの一件以降、現れない。
三年には学年末テストはない。
だから、もう卒業式まで登校しないだろう。
できることなら、それまでに謝意を表明しておきたいと思うのだけど……。
「でさ、このYなんだけど……って、どうしたの?」
彼の言葉で、我に返る。
「ん? ああ。いや……」
わたしは、彼の横に顔を寄せて、その設問を見た。
「ふむ、これか。これは公式を使えば簡単に……」
彼が近づけたわたしの耳元で話す。
「なにか考え事?」
彼の息が耳に掛かり、くすぐったい。
「ん……ちょっとな」
「もし、安藤先輩のことなら、言っておかないといけないことがあるんだ」
彼には、わたしの心が解っていた。
彼のことが、わたしに解るように。
だが、その口ぶりに何か言い知れない不穏なものを感じて、動揺した。
わたしはできるだけ静かに、聞き返す。
「言っておかないといけないこと、とは?」
彼は少し頭を掻いてから、口を開いた。
「実は先輩、うちの店で働き出したんだ」
彼のいう“うちの店”。
それは彼がアルバイトをしている、喫茶とスィーツの店『スーヴェニール』の事だろう。
そこで、あの安藤先輩が働き出したと言う。
それはつまり、まだ彼の事を諦めていないと言う事なのだろうか。
だとしたら、彼女こそ嘘吐きだ。
彼の言葉が続く。
「あ、別に俺のことでってワケじゃないんだって」
わたしは肩透かしをされた気分になった。
どういう事だ。
「先輩は以前から純粋においしい店だから、バイトできる時期になったら働きたいって思ってたそうなんだ」
なるほど。
うちの学校は原則、アルバイト禁止だから、大体は三年で卒業間近にならないと許可されない。
明信君のように、お父さんの友達が店長をやっていて信用がある、というような特殊な場合を除いては。
わたしは安心すると同時に、少し不安も覚えた。
「だが、いずれにせよ、わたしの知らない時間に安藤先輩が君のそばにいるという事だな」
彼は笑って首を振った。
「確かにそうだけど、でも大丈夫だよ」
わたしは怪訝な顔をしつつ、彼を見つめた。
「先輩はさ。俺のこと、キッパリ諦めたって言い切ってくれたんだ」
わたしは自分が恥ずかしくなった。
やはり、わたしは明信君の事では、すっかり理性が感情に負けてしまうようだ。
だが、先輩は違う。
あれほど強い想いを明信君に持っていたにも関わらず、ちゃんと気持ちを切り替えられたのだ。
「そうか……。強い人、だな」
彼も頷いた。
「うん。そうだね。……そ、それでさ……」
「ん?」
「俺は、俺自身は、そんなに強くないと思うんだよね」
そうなのだろうか。
そう言えば、そういった観点で彼を見た事がなかった気がする。
「で、でもさ」
「ふむ?」
彼の顔が急速に赤みを帯びていく。
「りょ、委員長がいてくれると俺、すっげぇ強くなれる気がしてて……」
彼の鼓動が伝わってくるようだ。
「りょ、委員長は、ど、どうなのかなって思ってさ」
りょ委員長。
彼の話の内容とは関係なく、つい、その言葉に引っかかってしまう。
たぶんそれはわたしの名前『涼夏』と言いかけて、言い直しているのだろう。
最近、彼はよくそれをする。
たぶん、心の中ではもう呼び捨てになっているに違いない。
彼のそんな気の遣い方がとても可愛いと思う。
わたしはなぜだか、その“りょ委員長”にツッコミを入れたくなった。
明信君が坂本君や、ふゆなちゃんにするのを見て覚えた技だ。
円滑に会話を進めるのに役立つ。
「りょ委員長とはなんだ?」
彼の顔が燃え上がるように一段と赤くなった。
「なにそれツッコミ? それともボケなの? てか、俺の話、ちゃんと聞いてた?」
む、しまった。どうやら失敗したようだ。
ツッコミ技は諸刃の剣といったところか。
「いや、これは済まない。許してくれ」
「ちぇッ!もういいよ。なんだよ。あーあ!」
彼は不貞腐れて、ごろりと向こうを向いて寝転がってしまった。
これはまずい。
どうしたものだろうか。
「明信君、本当に済まない」
わたしは彼のほうへ四つんばいで近寄って、その顔を覗き込んだ。
「……」
無言だ。
どう見ても怒っている。
こんな明信君を今まで見た事はない。
わたしはすっかり困惑してしまう。
どうすれば良いのか。
どうすれば……。
そのわたしを拒絶するような横顔を見ていると、だんだん涙が込み上げて来た。
「わたしは……わたしは以前より弱くなった気がする」
言葉がその雫と共に溢れる。
「君と出会って、君を好きになって、君と付き合って……」
声が吐息混じりになって、震えた。
「もう君がいなくては、何もできないんだ。だから……」
彼に覆い被さるようにして、強引とも言えるキスをした。
「んん!?」
彼は驚いた。
だが、わたしはキスをやめない。
彼の唇を舐めるようにしながら、言葉を紡ぐ。
「……だから」
もうほとんど身体を預けるようにして、彼の唇を求め続ける。
「だから、わたしを……嫌いにならないで、くれ」
どのくらいそうしていただろうか。
彼はもう、仰向けになってしまっていた。
その彼の唇に重ねていた、わたしの唇をゆっくりと離す。
「っはぁぁ……」
二人の間から、ため息にも似た呼吸が起きた。
わたしは身体をずらし、彼の胸板に頭を乗せる。
彼の早かった鼓動が徐々に緩やかになっていった。
わたしは、まだ哀しい気持ちでつぶやいた。
「明信君……好きだ。愛しているんだ。だから……」
彼はわたしの髪を優しく撫でてくれる。
「大丈夫。嫌いになんかならないって」
その言葉に、まるで子供のように反応してしまう。
「本当に?」
「うん。本当さ」
彼の声の響きに、わたしは安堵した。
その中に嘘は感じなかったからだ。
彼は少し自嘲気味に続ける。
「さっきのは、なんて言うか、ちょっと拗ねてみただけだよ」
「……そうだったのか」
彼の両腕が柔らかに、わたしを包んだ。
「本当に、ごめんな。その、委員長をそんなに追い込むなんて思わなくて」
彼の温かな腕の中で、目を閉じる。
「こちらこそ、済まない。君の態度にすっかり気が動転してしまった」
「うん。……ごめん」
ほっとしたせいか、泣いてしまったせいか、それとも温もりのせいなのか……いや、全てが原因なのだろう。
わたしは、だんだんと眠くなってくる。
そもそもわたしは最近、彼と部屋にいると必ず眠くなるのだ。
「でも、意外だったよ。委員長が俺と付き合って弱くなったって思ってるなんて」
「いや……それは相対的に強くなった部分も、あるという、ことで……」
ん?
わたしは急に意識がハッキリしてきた。
下腹部に異物感がある。
わたしが脚を掛けているそのちょうど中間に、むくむくと隆起するものがあるせいだ。
これは……
「君の陰茎が勃起しているようだが」
わたしは彼の上で上半身を起こした。
「「う! あ、それはその、どうしようもないって言うか」
彼はあたふたとする。
ああ、いつもの彼だ。
わたしは、少し気分が高揚した。
下半身を動かし、敢えて跨るようにしてみる。
わたしのスカートが彼の腰を覆った。
「てか、なにまたがってんだよ! それ、マズイって」
彼の陰茎を、わたしの股間が感じる。
熱くて、硬くて……太い。
これが、彼の男の部分か……。
以前、朝勃ちを見たときには、なにやら憎らしい気もした。
だが、こうしてわたしの下にあるとなぜか可愛い感じだ。
「あ、あのさ」
「ん」
「俺、これ以上このままだと、その、我慢できなくなるけど……いいのか?」
彼の低い声に、ハッとした。
その声の奥底には畏怖すべき獣の臭いがした。
そうだ。
男の中には制御し切れない野獣が棲むという。
特に若い男子高校生なら、もはやそれは猛り狂う魔獣にも勝るだろう。
それを彼はここまでされても我慢しているのだ。
それはまさしく奇跡といっても良いかも知れない。
「す、済まない。調子に乗り過ぎたようだ」
わたしは、おずおずと彼から降りて自分の定位置に戻った。
彼も体を起こして、勉強をするような姿勢に戻る。
だが、わたしたちは無言でうつむいたまま、何もしなかった。
いや、できなかった。
とにかく物凄く気まずかった。
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