[ホワイト・バースディ] 03.
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 学年末テストは終わった。
 全ての科目の採点結果も返ってきた。
 しかし、それはわたしにとってさして重要ではない。
 重要なのは今日がホワイトディだ、という事だ。

 明信君にはこの前の『スーヴェニール』の帰りに、わたしの誕生日でもある事を告げておいた。
 そして、わたしの欲しいものも。

 その日の放課後。
 わたしは阿部さんと共に明信君の席に行った。
 そこには坂本君もいた。
「明信君。今回の成績も悪くはなかっただろう」
「ああ。うん、ありがとう。委員長のおかげだよ」
 わたしは頷くと、そばの椅子を借りて座った。
 阿部さんは机に腰掛ける。

「あたしも、涼夏様の個人授業受けたいなー」
「それは却下だ。わたしは明信君だけのガヴァネスだからな」
「ガヴァネス?」
「イギリス貴族のメイドの役職で、家庭教師の事だ」
「さすが涼夏様! なんでも知ってる、憧れるぅ!」
 両手をその豊満な胸の前で組んで、ふるふると身体を揺らした。
「そうか。ありがとう」
 わたしは彼女に微笑みかけた。

 次にわたしは坂本君に目を向ける。
「君は、ふゆなちゃんにはなにか用意したのか」
「ん? ああ。まーな。嫌々だけど姉ちゃんに聞いた」

 あの非常に胸の大きなお姉さんか。
 確か、ふゆなちゃんの顔は知っているはずだな。

「なんかすんごい勢いで、シロクマのぬいぐるみしかねーっていうから、そうした」
 わたしは微笑む。
「うむ。確かに似合うし、喜びそうだ」
 明信君も同意した。
「ああ。あいつ、そういうの好きだぜ。ま、俺はテキトーにコンビニのクッキーかな」

 わたしは明信君の瞳を見つめて、聞いてみる。
「それで、わたしにはどうなんだ?」

 彼は顔を赤らめて、とつとつと答える。
「え……と、それはその、この前答えたじゃん」
 わたしは黙って頷く事で、彼の言葉を促した。
「……はい。今日は何でも委員長の言う通りにします。誕生日も兼ねてって話だもんな」
 その返事を聞いて、わたしも僅かに頬が火照る。

 阿部さんと坂本君が驚いた。
「ええっ! 涼夏様なにそれ!」
「今日、誕生日なの?! ホワイトディが?」
「うむ。そう言えば、部のみんなにも言ってなかったな」
 坂本君が、舌打ちをした。
「ちぇっ! なんだよー。言ってくれれば、なんかみんなで用意したのに」
「ホントですよ! ったくもう」
「ありがとう。今年は気持ちだけ頂いておこう」
 わたしは二人に微笑んで立ち上がった。

「さて。明信君、今日は早めに部活動を切り上げて帰らなくてはな」
「あ、ああ」
 彼は、はにかみながらも、笑顔をくれた。

 放課後。
 わたしと明信君、坂本君、阿部さんの四人は調理実習室の前にいた。
 その扉には貼紙があった。

『本日は料理部の部活動を中止する。料理部部長 海原 悠』

 それを見て、わたしはつぶやいた。
「む。有言実行か……さすがだ、悠。わたしもがんばるぞ」
 阿部さんは顔を真っ赤にしている。
「ゆ、悠ちゃん……ホントにやる気なんだ。あっ、や、やるとか言っちゃった、うわっうわっ」
 顔を押さえて、豊満な身体を揺する。

「はっ! ってことは……」
 急にわたしを振り返って、抱きついた。
「やーん! 涼夏様もついに無垢な薔薇の蕾を蹂躙されてしまうのねっ!」
 わたしはツッコミ技のタイミングを発見した。
「それは一体、どこの官能小説だ」
「りょ、涼夏様……」
 阿部さんは、きょとんとしてわたしから離れた。
 む、また失敗か? 今のは完璧だと思ったのだが。

「ナイスツッコミです!」
 彼女は、びしっと音が出るほど親指を立てて、突き出した。
 わたしは安堵した。
 よし、今度は成功だ。

 成功?
 せいこう……
 性交?!

 わたしの身体が自然と熱くなる。

 いやいや。
 これではまるで、明信君の思考法じゃないか。
 もしかするとすっかり似通ってしまっているという事なのか?

 夫婦は、一緒にいるといつの間にか良く似るものだという。
 それならそれで、良い事かも知れないが……。
 複雑な気分だ。

 わたしが独り悶々と物思いに耽っていると、坂本君が手を上げて歩き出した。
「んじゃオレ、ふゆなちゃんにクマ、渡しにいくわ」
 明信君は軽く手をひらひらさせる。
「テキトーでいいからな」
「んー」
 彼は携帯電話を掛けた。
「……ん。あ、ふゆなちゃん? オレオレ。オレオレ詐欺。黒サギ、白サギ」
 またおかしな冗談を言っている。
「え、稲葉? それ、白ウサギじゃん。あ、それで今日だけどさ、今からでもいいかな……」
 彼流のトーク術を展開しながら、去っていった。

 明信君は坂本君を見送ると、私を振り返った。
「そ、それじゃ……お、俺たちも、そろそろ行こうか……」
「うむ。そうだな。よ、よろしく頼む」
 わたしは彼の態度に緊張が増したせいか、珍しく言葉が滞った。

 わたしたちが歩き出すと、後ろで阿部さんが泣き真似をしていた。
「はうう! 涼夏様……傷ついたらあたしがいますから! ずっと待ってますから!」

 明信君が真っ赤な顔で反論した。
「傷付けたりしねーよ!」
 その言葉は、わたしの心に響いた。
 彼はそういう人だ。

 わたしは嬉しくなって、彼の腕に手を回した。
「ちょ……まだ校内だろ」
「もう放課後だ。少しくらいなら構わないだろう」

 わたしたちは駅のホームに到着し、電車を待った。
 人が多い。
 ほとんど最近は遭遇しなかった、ラッシュの時間だからだ。

 やがて、わたしの家の方面へ行く列車が滑り込んでくる。
 二人とも人波の勢いに巻き込まれながら、乗り込んだ。

 ドアの閉まる空気音がして、電車が緩やかに走り出した。
 わたしたちは乗車したほうから見て奥のドアで、肩を押し付けられるように向かい合っていた。
 身体は密着寸前だが、かろうじてお互いの意識が強く働き、それを凌いでいた。
 他の人たちの身体はすでに密着している。
 まさに鮨詰め状態だ。

 顔も身体も近い。息が掛かるほどだ。
 わたしはカバンを無意識の内に胸に抱いている事に気付いた。

 彼と触れ合う事が怖いのか?
 違う。これは代償行為だ。
 本当は彼を抱きたいに違いない。
 そう、あの大きな抱き枕にするような事をしたいのだ。

「だ、大丈夫? 委員長」
「うむ。問題ない」
「そ、そう……」
「うむ」

 お互い、必要以上に意識しているのだろう。
 どちらからともなく、視線をずらす。

 恥ずかしくて顔がまともに見られない。
 彼の鼓動が、いつもより強く伝わる気がした。

「んっ?」

 わたしは腰のあたりに違和感を感じた。
 何かが触れたような気がしたが……。

「んん!」

 今度は股間に硬い棒のようなものが押し付けられた。
 これは電車の揺れで偶発的に触れている類のものではない感じがする。

「んぁ!」

 明らかに意図的に股間を突き上げようとした。
 痴漢に間違いない。

 彼がわたしの異変に気付いた。
 小声で耳打ちをする。

「どうした、委員長?」
 わたしも同じように小さな声で返答した。
「うむ。どうやら、痴漢らしい」
「えっ!」
 彼が怒りの表情を露わにした。

 これは……あのときの顔だ。
 わたしを慶太から助けてくれたときの。

「どこのあたりを?」
「お尻のほうだ、ん! まただ。なにか硬い棒のようなものが押し付けられている」
「く! じっとしてろ! 俺の手がちょっと触れるかもしれないけど大丈夫だから」
 わたしは、こくりと頷いた。

 彼はゆっくりと、手をわたしの臀部のほうへ伸ばしていく。
 その手の指先がお尻の表面を撫でるように進む。
「ん……」
 わたしはそれに反応してしまい、思わず目を瞑ってしまう。

「これか!」
「きゃぁあっ?!」

 わたしのものではない悲鳴が、彼の声と共に車内に響いた。

「あ、あれ?」
 彼が手にしていたのはテニスのラケットだった。
 そしてその所有者であろう女子は、ラケットに持ち上げられたスカートを、紅潮した顔でひたすら押さえている。

「こ、この人、痴漢ですぅーっ!」
「ちょ、えええっ?」
 車内が一気に騒然となる。
 とんでもない事になってしまった。
 わたしは素早くその女子のほうを向いて謝罪した。

「すみません。わたしの勘違いでした。この人はわたしの恋人です。痴漢をするような人ではありません。許して下さい」
 満員電車の中で精一杯、頭を下げた。

「はぁ? 何を勘違いしたっていうのよ!」
 彼女はラケットを明信君から奪い取ると、スカートを直した。
 わたしは状況を素直に説明した。
「最初、何かがわたしのお尻に触れました。何なのだろうと思いました」
 順を追って述べていく。

「すると今度は、何か硬い棒状のものがわたしのお尻に押し付けられました」
 思い起こすだけで不快だった。

「それがあなたのラケットの柄の部分だったのです」
 物を使って痴漢行為に及ぶなど、どんなヘンタイだと思ったぞ。全く。

「さらにラケットの柄は揺れの為か、ちょうどわたしの股間を強く突き上げるように動いて……ん?」
 周りの人間は老若男女問わず、なぜかみな顔を赤くして聞き入っていた。

「い、委員長! もう良いからさ! そ、そんなわけで俺は痴漢じゃないから!」
 ラケットの女子も口元を押さえて顔を赤らめている。
「は、はあ。そうみたいですね。すみませんでした……」

 彼女と和解したとき、ちょうど電車が駅に着いた。
「じゃあ、委員長! 降りるぞ!」
「あ、うむ」
 わたしは腕を引っ張られるように、強引に電車から降ろされた。
 なぜ慌てているのか、よく解らないが彼の疑いが晴れたので良かったとしよう。

 駅を出て、わたしの家の方面へ向かう。
「委員長、なんか助けるつもりが逆になっちゃったな。ありがとう」
「いや。こちらこそ勘違いして迷惑を掛けた。済まない」
 お互い、微笑みを交わす。

「しっかし、ラッシュってすげえな。俺、朝晩が毎日あんなだったら、ぜってー電車通学できないよ」
「そうかもな。だが毎日だと逆に慣れも出てくるものだぞ」
「あー。そうか。そうだなぁ」

 何と言うこともない普通の会話。
 夕暮れの街をぶらぶらと、愛する人と一緒の方向へ帰る。
 風はもう冷たくはなく、春を告げている。
 去年切ったわたしの髪は、やや風になびくほどに伸びてきていた。

「そう言えば来週はもう卒業式で、春休みだね」
「二年になっても、明信君と同じクラスになれると嬉しいな」
「うん。俺もおまえと一緒がいい。目一杯、祈っとこう」
「そうだな。わたしも一生懸命、祈ろう」
「でも、何の神様だろ。まあ、和頴(わえい)さんとこの寺じゃあ無理そうだけどな」
「いや。案外、大丈夫かも知れないぞ」
「えー。そうかなぁ」

 和頴さんとは、彼のマンションの近所にある真浄寺の次期住職だ。
 『スーヴェニール』の店長、小暮(こぐれ)さんと同じく、彼の父との旧友にあたる。
 わたしは一度だけ、とある件で会ったことがあった。

「そう言えば和頴さんには、あの子の事を良くして貰ったな」
「ん? ああ、あの猫な……」

 道端で自動車に轢かれていたオレンジ色のあの子。
 わたしは、その死体を見て涙が溢れた。

 可哀想だと思ったのかどうかは解らない。
 ただ、命は思ったより簡単に奪われてしまうものなのだと言う事を見せつけられて、切なくなった。

 わたしも明信君に出会わなければ、慶太の思い出を胸に命を捨てていたかも知れない。

 事故と自殺では全くその意味は違う。
 そんな事は解っているはずだ。
 だが当時は、あの子の遺体にどこか自分自身を重ねていた。

「また、折を見てご挨拶に伺わないといけないな」
「ああ。まあ、ウチの親父とたまに飲み会してるから、その時に寄ってくれよ」
「了解した。その時は教えてくれ」

 緩やかな坂道を登っていく。
 この坂の頂上はT字路になっている。
 その頂上を奥に少し下ったところが、わたしの家だ。

 坂道を登り切ったとき、ちょうど街灯に光が入った。
 まだ空に比べて弱い灯が、下から一斉に点いていく。

「お、すげ。俺、初めて見たよ」
「うむ。わたしはたまに見るが、この坂道の一番高いところから見るのは、わたしも初めてだ」

 明るさがまだ残る、しかし夕闇もひっそりと近づく、そんな時間。
 街の喧噪も普段より静かな気がする。
 風が優しい。

 わたしは彼に寄りかかった。
 彼は頭を撫でてくれた。
 極上の安心感だ……。

「ふ……ふあぁ……」

 はっ! しまった!
 油断した。

 彼が笑いを含んだ声を掛けてくる。
「大きなあくびだなぁ」
 わたしは抗議した。
「ちゃんと口は隠したじゃないか」
「ん、それはそうだけどねぇ」

 ううむ。
 意地の悪い答えが返ってきた。
 これはどう思われているのか。

「もしや、わたしのことを間抜けな女だと思ったのか?」
「いや。可愛いなって思ったよ」
 わたしの心臓が高鳴った。
「そうか。そう思っているなら良いんだ」

 ホッとした。
 まだ、彼を信じ切っていない自分がいることを認識してしまう。
 だが、それも今日限りだろう。

 わたしは彼の腕を引っ張る。
「さあ、そろそろわたしの家に行こう」
「あ、ああ」
「まずは少し早いが一緒に夕食を作らないか」
「そりゃいいな! 今日は時間もあるし、委員長のお母さんの分も作ろうよ」
「うむ。そうしよう。なんなら、三人で食事はどうだ?」
「そうか。それもいいな。家に連絡してみよう」

 ふと、良い事を思い立つ。
「ふむ。ならば夕飯はもう少し遅くて良いな。先にお風呂はどうだ?」
「え、ええ? まさか、その、い、一緒に?」
「嫌か?」
「えええ! ま、マジで? いやでも、それはちょっとその……」

 わたしは微笑んで、彼の胸に飛び込む。
「この前の『スーヴェニール』の帰りに言ったはずだぞ?」
 彼の心音が急速に早くなる。

「今日は君の全てを貰うと」

「う、うん……あ」
「んん?」
 どうやら、彼の身体はかなり正直者のようだ。
 わたしは彼の手を取って歩き始める。
「明信君。君のその反応は、了解したと受け取っておくぞ」
「しょ、しょーがねぇなぁ……」
 わたしはきっとその時、彼と鼓動を共有していたに違いないと思った。


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