“ベランダから空飛ぶ裸の女がやってきて、エッチした”なんて言えるわけがない。
ドン引きされた上に同情の眼差しで、現実と妄想の区別は付けろよとかなんとか、諭されるのがオチだ。
ヤツが納得していない頷きを見せる。
「ふぅん……もしかして、千夏(ちなつ)さんが帰ってきたとか?」
俺はみそ汁を吹きかけた。
「ばかやろ、んなワケねーよ!」
俺はうつむいて、お椀を置いた。
「もう、あいつとは……終わったんだよ……」
相沢はちょっと黙った。
やがて、口を開く。
「ふむ。てっきりそうかと思ったが……済まなかった」
俺はその口調を聞いて、ちょっと口元が緩んでしまった。
顔を上げ、努めて明るく言う。
「あーあ。おまえは、レイちゃんと仲良くやってそうでうらやましいな。口調がそっくりだぞ」
レイちゃん、とは、ヤツの恋人の名前だ。彼女はヤツにはもったいないくらいの美人で可愛い、礼儀正しい子だった。
ヤツは真っ赤になりながら、サラダを仇のように頬張った。
「あ、う、そりゃまあ似るよ、多少は」
俺は、くすくすと笑いながら、ハンバーグの最後のひとかけらを口に放り込んだ。
そういえば、ミヅキも同じような口調だったな。
ミヅキ。
あいつはなんなんだろう。
妖怪、物の怪。たぶん、そんな存在。
でも、特に人間に危害を加えるわけでもなく、どちらかというと友好的……いや、かなり積極的だったな。うん。
アノの感じも人間と同じと言うか、もしかすると、より気持ちいいかも知れない。柔らかで温かで、ずっと抱いていたいような……それと、あんなテクニックまで……一体どこで覚えたんだろう……。ふ、ふふふ。
「おい、アホづらになってんぞ、桜庭(さくらば)」
相沢の声で、我に返った。
「あ、ああ、悪い。出るか」
支払いを済ませて、店を出た。
相沢と並んで社のほうへ歩く。ヤツは軽く言った。
「まあ、なんだか知らないけど、おまえがちょっとでも立ち直ったんなら、嬉しいよ。これでも心配してたんだぜ」
ヤツの顔をまじまじと見てしまう。
「ん、俺の顔になんかついてるか」
「おまえ、そんなキャラだっけ?」
ヤツはまた、顔を赤らめた。
「バッ……!」
バカ、と言おうとしたのだろうが、それを即座に遮って、言葉を次いだ。
「おまえを変えたのは、レイちゃんなんだろうな……。おまえにとってあの子の存在って、デカイんだな」
ヤツは、少し唸る。
俺は、にやにやした。
「ま、ありがとう、とだけは言っとくよ。レイちゃん、大事にしろよ」
「バーカ、言われなくても大事にするさ」
俺たちは、なんだか古い友人のように、社に入って行った。
夕刻。
今日は残業もなく、いつものように近所の電気街でうろつく事もなく、真っ直ぐマンションに帰った。
エレベータから降りて、玄関ドアの前に立つ。
軽い深呼吸をした。
ミヅキは俺が会社に出るとき、待っている、と言ってくれた。
本当だろうか。
何というか、あいつは野良猫みたいな感じだ。
来たときのように、また、ふいにどこかに飛んでいってしまっても、おかしくない。
そういう儚さというか、危うさを感じていた。
そんな不安感と同時に、彼女の顔がまた見られるという期待感も入り混じった、複雑な気分でドアのカギを開けた。
「ただいま……」
中は真っ暗だった。
返事もない。
俺は廊下に電灯をつけ、不安な足取りでリビングに入った。
「ただいまー! ミヅキー、いないのかー」
俺の声だけが、虚しく部屋にこだました。
俺は、うなだれて、つぶやいた。
「いないのか、よ……。待ってるって言ったじゃねぇかよ……」
廊下からの灯りで長い影ができていた。
その足元にぽたぽたと、涙が落ちた。
俺は酷い喪失感で、その場に立ち尽くした。
「ぬらーりひょーん」
突然、背中から俺の首に柔らかいものが巻き付いた。
「うわっ!」
俺は驚いて、それを振りほどく。
よく見るとそれは腕だった。
「お帰り。驚いたか?」
振り返ると、ミヅキが天井から手を伸ばしていたのだった。
「ば、ばかやろ! ビビるに決まってんだろうが!」
俺は半泣きで、突っかかった。
彼女はふんわりと俺を胸に抱いた。
「それは済まなかったな。いや、人間の言う妖怪みたいなことを、一度やってみたかったんだ」
俺は呻いた。
「なんなんだよ、どういう理由だよ、それは」
その胸に顔を埋めて泣いてしまう。
「そんなに怖かったのか……よしよし、良い子だ」
そう、怖かった。彼女のファンキーな行為が、ではない。
大事なものを失う、それが怖かったんだ。
「子供じゃねーよ……」
言葉とは裏腹に、俺の心は子供に戻っていた。
甘えん坊で泣き虫だった俺は、いつもお袋に甘えていた。
思春期には、その反動で辛く当たってしまった。
それでも、お袋は、本当に俺と親父、それに妹の面倒をよく見てくれた。
大学を卒業する頃には俺もやっと、お袋との距離が分かり、良い関係が築けた。
だけど。
それは短い間だけだった。
お袋は脳溢血で倒れた。
その後、長い闘病生活が続いた。
俺と父親は、できるだけ看病したが、お袋は日に日に弱っていった。
あの日。
俺が手を握ると、お袋は淡い意識の中で、かすかに笑ってくれた。
それが最期のふれあいだった。
「キミヒロ」
彼女は優しく、俺の顔を撫でた。見上げると、その瞳は優しい色を湛えていた。
ちょっと顔を前に出して、俺の額にキスをする。
「不思議な気持ちだ。ずっとこうして、あなたを抱いていたいような……そう、春の日射しのような気持ちだ」
「うん。俺もだ。もう少し、このままでいてくれないか」
ほんの少し、彼女の口元が緩んだ。
「良いぞ。あなたの望むだけこうしていよう」
俺は目を閉じた。
気が付くと俺は、ベッドに寝ていた。
「ミヅキが、運んでくれたのか……」
なんだか、焼き魚の良い匂いがする。
とたんに、腹が鳴った。そういえば、帰ってから何も喰ってない。
俺はベッドから身体を起こした。
廊下に出ると、キッチンに灯りが点っていた。
良い匂いの原因はここか。
あいつ、料理なんかできたのか。なんでもできるんだな。とにかく素直に嬉しい。
俺は、早足で廊下を進んだ。
キッチンに呼びかける。
「ミヅキー」
「おはよう」
女の声で返答があった。しかし、それはミヅキの声じゃない。
廊下に、ちらっと顔を出したのは。
千夏だった。
眼鏡を掛けてはいるが、間違えようがない。
「なんで、おまえが……!」
俺は彼女のそばまで走って行った。
彼女の姿を見て、唖然となる。
「裸エプロン・ニーソックス付きぃ?!」
彼女はきょとん、とした。
「これはダメなのか。ふむ」
眼鏡とエプロン、ニーソックスがぼんやりと霞む。
やがて全部がまとまって、謎のふわふわした透ける服になった。
ちょっと待て。
「おまえ、ミヅキか」
「いかにも」
俺はがっくりとうなだれ、ひざをついた。
「どうした。大丈夫か」
「ああ、大丈夫だ」
精神的には、相当、ダメージを受けた気もするが。
「……それで、なんで千夏になってるんだ」
「この姿も気に入らないか。写真立てに飾ってあったものだから、こういう容姿が好きなのかと思って、なってみたんだが」
「声は? 声も千夏の声じゃないか」
「当然だ。人間の声の基本は骨格でだいたい決まる。同じ容姿ならば、声も似るものだ」
俺は大きく溜息を吐いた。
立ち上がって、椅子にどっかりと座り込む。
寝起きなのに、一気に疲れた。ものすごく。
顎を上げて天井を見る。
そう、コイツには悪気はない。俺のためを思ってやったんだろう。
「じゃあ、さっきの眼鏡とか裸エプロンはなんだ?」
「あれは、あなたを移動した際にベッドの下にあった、性的趣向を凝らしたゲーム類のパッケージにあった画像の傾向から、あなたが好きそうだと推測し、判断した結果だ」
「見たのか」
「見た」
うう。俺はうつむいて、こめかみを押さえた。頭痛がする。
「とにかく、千夏の姿はやめてくれ……お願いだ」
「うむ」
素直に頷いた彼女の姿は、輪郭がハッキリしなくなった。
そう思った次の瞬間には、いつもの容姿に戻っていた。
光の加減で青から銀色に変わる瞳と髪。
人間のものではない形の長い耳。
無表情だが、綺麗な顔立ち。
メリハリの効いた扇情的なボディ。
うーん、改めて見ると……やっぱりいいな。うん。
思わず、男の生理的な反応が起きてしまう。
彼女が、その美しくナチュラルな赤さの唇を開いた。
「それでキミヒロ。料理というものを初めて作ったんだが、食べてみてくれないか」
「あ、ああ。食べるよ。ありがとう」
リビングテーブルに並べられる幾つかの料理。
みそ汁に、焼き魚、漬け物。純和風だ。
「旨そうだな」
「ああ、きっと美味しいと思うぞ」
しかし、皿が並べられたのは俺の前だけだった。
「あれ、ミヅキは?」
「わたしは今まで、ものを食べたことはない」
「じゃあ、おまえの生きるエネルギーはどこから摂ってるんだ」
「解らない」
まあ、人間からじゃないことは確かだろうな。人に触れるのは昨日が初めてだって言ってたし……。
でも、触れずに吸い取るってことも考えられるな。もしかして、俺、その内、ものすごい勢いでミイラになったりして……。
そう言えば、仙人は霞を食べて生きるっていうなぁ。でも、コイツ、そんな高尚な生き物なのかな……。
俺がそんな失礼なことを考えていると、彼女が声を掛けた。
「どうした。冷めてしまうぞ」
「あ、ああ。いただきます」
彼女が俺の顔を覗き込んでいる。表情には出ていないが、たぶん、俺の言葉を期待と不安を持って、待っているのだろう。
とりあえず、大根のみそ汁をすすった。
「ん! 旨い」
続けて、ご飯を頬張る。
「これも、旨いな」
うーん、俺の調理法が下手だったのか、ウチにある材料で、これほど差があるとは。あとで教わろう。
彼女を見ると、微妙に口元を緩めている。
俺は魚に箸を進めた。
切り身の焼き鮭。これはウチにはなかったはずだ。そのへんのスーパーでよく見かける感じだが、買ってきたのか……。だとしたら、お金は? まさか盗んだ?
そんな不穏なことを思いつつも、身をほぐし、口に入れた。
「おお、これも旨いよ!」
彼女は、ほんの少し得意気に話す。
「良かった。ちょっと遠出しただけのことはあったようだな」
「へぇ、どこに行ったの」
「カナダ」
ご飯粒を吹いた。
彼女は即座にテーブルをティッシュで拭く。
「なんだ、おかしなことを言ったか」
「いや、予想外の答えだったから……ごめん。え、えーと、カナダの河で獲ってきたの?」
「うむ。ちょっと手間取ったがな」
さすがワールドワイドなヤツだ。スケールが違う。
彼女は、思い出したように言った。
「ああ、そうだ。それで残りの分で冷蔵庫が結構、埋まってしまった。済まない」
「そうか、いいよ。そのくらい。独り暮らしで冷蔵庫の中も、ほとんど何にもなかったし。でも、今度からはお金を渡しておくから、必要な物は買ってきてくれ」
彼女は、俺をぼんやりと見て、しばらく考えた後、頷いた。
「おお。そうか。そうだな。そのほうが人間らしいやり方だな」
解ってるんだか、どうだか。
「くわー! 旨かった。ごちそうさま!」
俺は手を合わせた。
彼女が、少し首をかしげながら言った。
「おそまつくん?」
「それじゃ、古いアニメだ」
「ああ、そうか。お粗末様、だったな」
そう言って、皿を下げる。
ミヅキは結構テレビ好き、と言うかアニメ好きなのかも知れない。
「ああ、皿は俺が洗うよ。置いといてくれ」
「そうか。ありがとう」
彼女は流しに皿を置くと、俺の横にやってくる。
ふわりと、俺のひざに乗った。
花のような草原のような、爽やかな香りがする。
「いつもは、食事の後、どうしてるんだ?」
パソコン立ち上げて、エロ画像とか見て、オナ……いやいや、そんなことは言えない。
「ん、まあテレビ見たり、DVD見たり……話題の映画はとりあえず、見るかなぁ」
「そうなのか。わたしはてっきり、パソコンで女性の裸体画像を見て、性的な欲望を満たしているのかと思ったぞ」
「ごめんなさい。僕は嘘をつきました。本当は、あなたの仰るとおりです」
彼女は、目を細めた。笑ったのだろう。
俺の肩に手を伸ばし、顔を近づけた。
「正直で良い。じゃあ……するか?」
その囁きが俺の下半身に直接、響いた。
俺の顔が紅潮するのが解った。
「あ、ああ」
ふと、さっきの食事の時、浮かんだ疑問が脳裏をよぎった。
「もしかして、おまえの食事って……」
彼女は焦点が合っていないような目で俺を見つめる。
「ふむ。わたしも考えてみたんだが、確かにあなたの精液は、この肉体を維持するのに蛋白質として役立つようだ。だが、それは微々たるもので、どちらかというと精神的な交換と言うか霊的な循環に意味がある。言葉にすると難しいが……気、とでも言うのか。そういった流れが食事と言えば、そうかも知れない」
よく解らない。
「うーん、要するに俺とおまえで、エッチなことをするとなにか、気みたいなものが流れて、それで、おまえは生きていけるってこと?」
「うむ。今までは、この世界からそれを行っていた。そしてそれで充分だった。しかし、わたしはあなたと触れ合って、人間の力強い生命の流れを得ることができるようになった。これは、とても素晴らしいものだ」
彼女は、微笑む。
だが、俺は少し不安になった。
「それって……おまえの世界を、大事なものを壊したんじゃないのか。それで良かったのか? 俺みたいなヤツに関わって、おまえは何かを失ったんじゃないのか」
俺はまた、泣きそうになる。
彼女もまた、俺の頭を胸に埋めた。
「大丈夫だ。わたしは、わたしの命じるままに生きてきた。もし、それで何かを失っても、それはわたしの判断だから後悔はしない。また、それ以上に得るものがあれば、それで良いと思う。そして、わたしは何も失うことなく、あなたを得た。幸せ、とはこういうことを言うのだろう?」
涙が溢れてきた。俺は子供の頃とちっとも変わらない、泣き虫だ。
彼女は静かに話を続けた。
「昨日のベランダで、あなたがわたしを見つめる瞳は、純粋だった。わたしが見てきた世界の子供たちのように……そう。今、解った。だから、わたしは望んだんだ。あなたに触れたいと」
「ミヅキ……ッ!」
俺は思いきり抱きしめた。
その豊満な肉体が、柔らかく反発した。
涙が止まらなくなった。
「よしよし、良い子だ」
彼女は俺の背中を、幾度も優しく撫でた。
ひとしきり泣いて、興奮が収まってきた。
俺は顔を離し、ゆっくり、彼女を見上げた。
彼女は俺の髪に指を絡めていた。
俺の視線に気付くと小首をかしげて、聞いてくる。
「ん、このまま眠るか? それとも……するか?」
俺は、その優しい瞳に、なんだか照れ臭くなったが、それでも、思った通りに返答した。
「……したい」
彼女は、素直に頷く。宙に浮くと俺の手を取り、ベッドに誘った。
俺は彼女に連れられながら、おずおずと言ってみた。
「それで」
「ん、なんだ」
「眼鏡とか、その、さっきの格好、して、欲しいんだけど……」
彼女の片方の眉が上がった。
「ふむ、解った。やはり、わたしの判断は間違ってはいなかったようだな」
俺は消え入りそうな声で、はい、とだけ答え、寝室に入った。
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