[ミヅキが、いる。] 4
◆甘口タルト

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 俺と千夏は電気街の外れにある、ちょっと大きな石橋の上に来ていた。
 両端が歩道。内側は車が四車線で渋滞もせず、緩やかに流れている。
 欄干の凝った石細工が、明治や大正のような古い時代を彷彿させた。
 広い川面は、緑色で波もない。深さも動きも、まるで解らなかった。

 千夏は、引っ張ってきた手を離した。だが、向こうを向いたままだ。
 オレンジ色の夕日が、彼女の輪郭を片側だけ輝かせている。
 俺は息を整えた。
 ゆっくり、そばに寄って。
 その背中に話しかける。
「千夏。俺も……もう一度やり直したい」

 無言。
 橋を通る車の音に、俺の声が全てかき消されてしまい、届かなかったんじゃないか。
 そう思うほど、彼女は反応しなかった。そんな距離じゃないのに。

 やがて、ぽつりと、つぶやいた。
「……バカじゃないの」
 彼女は振り返る。
「バカそのものよ!」
 怒りで顔を夕焼けより赤く染めて、叫んだ。
「人が頑張って素直に言ったときは断っといて! 後から、やっぱり好きとか言って!」
 その瞳から、銀色のしずくがこぼれた。
「許さないんだからね! これからも……ずっと付き合ってくれなきゃ、絶対許さないんだから!」
 そう言うと、俺の胸に飛び込んできた。
 無言で彼女の頭を撫でた。

 俺の部屋の前。
 千夏とふたりで、ここに着いたときには、すっかり日が暮れていた。

 ミヅキは、どうしたんだろう。駅から出るときは確かにいた。
 だけど、橋の上では、どこにもその姿は見えなかった。
 まさか。
 あれは……あの告白は。
 もしかして、さようならの代わりだったのか……?
 俺と千夏が、元に戻って……それで身を引いた?

「どうしたの? なんで入んないのよ」
「ん、ああ……」
 千夏の言葉に背を押され、俺は扉のカギを開けた。
 良い匂い。肉じゃがの匂いだ。
「あれー、公宏、いつの間に料理なんてできるようになったのよ」
 まるで、自分の家のように廊下を進む千夏。
「あ、え、いや」
 俺は慌てて後を追った。
 部屋を、ざっと見回すが誰もいない。
 千夏はキッチンで鍋のフタを開けている。
「んー、良い匂い! ……だけどおかしいな、なんで出来立て? あんた、会社終わってすぐ来たはずよね」
 うう、鋭い。
「あ、え、いや」
 さっきと同じ音声を繰り返す。
 やっぱりミヅキはいなくなったのか……。
 寂しい。
 千夏がそばにいるのに。
 俺は、ダメなヤツだ。
 俺はミヅキのことも、こんなに好き、だったんだな。
 これじゃ千夏じゃないけど、浮気してるようなもんだ。
 忘れよう。
 何年かかっても、忘れよう……。

 千夏が背をかがめて、俺を覗き込む。
「ちょっ、どうしたの? なに? なんで泣きそうなのよ! あんた、ヘンよ」
 俺は無理に笑顔を作った。
「いや、なんでもない。喰おう」
 そう言って、キッチンの鍋に向かう。
「なんでもないじゃないわよ! おかしいよ! なんで」
 千夏の言葉を、突然の呼び鈴が遮った。
「ああー、誰だぁ。こんな飯時に」
 俺はわざと大げさに言って、玄関に行った。
 ドアを少し開ける。
「デザートを買い忘れていたので、買ってきたんだ」
 ミヅキだった。
「え、おまえ、どっか行ったんじゃ……」
 彼女は、わずかに眉を上げて、きょとんとしている。
「いや。買い足しに行っていただけだが」
 奥から千夏が来る。
「どうしたの。誰?」
 まずい。
「あ、え、いや」
 うろたえる俺。今日、三度目の音声を発する。
 だが、ミヅキは平然とのたまった。
「公宏。彼女とも、これから同居するのだから、挨拶をしておきたい」
「はぁっ? まだ決まったわけじゃ、てか、そういう問題じゃなくて!」
 ミヅキはドアを開けようとした。俺は必死でそれを食い止める。
「なにか、問題があるのか?」
「いやだから、微妙かつ繊細な問題があるんだよ!」
「ん? どういう問題だ。教えてくれないか」
 俺とミヅキが押し問答していると、千夏がその状況を見てしまった。
 怒気のオーラが見える。
「へー! そう! おっかしいと思ったんだぁ、あんなおいしそうな料理とか作ってあるし。あんたって女の子と別れたら、すーぐ次の彼女とか作っちゃう人だったんだ! へー、そう! ふーん!」
 ドカドカと俺の目の前にやってきたと思った、次の瞬間。
 俺の股間には、千夏のひざが入っていた。
「ぐふ……っ」
 断末魔の悲鳴を上げることも出来ない。そのまま崩れ落ちた。
 千夏はドアを強く押して、外に出た。
「どいて!」
 そこにいたミヅキを突き飛ばそうとする。
 ミヅキは、軽く頷いた。
「ああ、そういう事か」
 千夏の突き出した腕をひらりとかわし、彼女を後ろから抱えると、まるで円を描くように、玄関に入った。
 ミヅキの背中側で、ドアが閉まる。
 赤面しながら慌てる千夏。
「えっ、ちょっ、なに? なんなの、あんた!」
 ミヅキは、無言で抱きしめた。
「あ……なに……この感じ……懐かしい……あったかい……」
 千夏の目から、涙が溢れた。
「なんだかワケわかんない! ワケわかんないけどぉ……っ!」
 ミヅキの胸にすがり、号泣した。

 しばらくして、千夏は泣きやんだ。
 ミヅキは慈愛の眼差しを向けた。
「よしよし、良い子だ」
「子供扱いしないでよ……」
 ああ、そうか。千夏は俺と、どこか似てるんだ。
 だから、惹かれ合って、反発し合うんだ。

 やがて、千夏の攻撃からなんとか回復した俺は立ち上がった。
 ミヅキが静かに、千夏へ語りかける。
「わたしは、ミヅキ。公宏が名付けてくれた」
「はぁ? どういうことよ」
 ふいに、ミヅキの輪郭がぼやけた。
 次の刹那。
 いつものエロティックな姿に戻っていた。
 スケスケネグリジェに銀髪、牛耳。そして銀の瞳。
「ひゃっ?」
 千夏は驚いて離れた。ミヅキの裸体が恥ずかしいのだろう、赤面しながら、震える手でミヅキを指差す。
「ああああんた、何モンよ!」
 千夏は、俺が初めてミヅキに逢ったときと同じ言葉を口にした。ちょっと笑ってしまう。
 俺はそばに行って、千夏の肩を抱いた。
「彼女は……ミヅキは、なんていうか、人間じゃないんだ」
 ミヅキは、ふんわりと浮遊して挨拶した。手を差し出す。
「改めて、初めまして。千夏。よろしく」
 千夏は口をぽかん、と開けている。
「あ、え、いや、えーと……」
 俺は千夏の手を強引に、ミヅキの手に重ねさせた。
 ミヅキが口を開く。
「すまない、千夏。君の彼氏を盗ったみたいな形になって。だが、心配しなくても良い。わたしは人間ではない。人の法の中では生きられない。彼に罪を背負わせてしまうからな。だから、彼の配偶者は千夏、君だけだ」
 千夏は握手を乱暴に離し、また真っ赤になった。
「な、ちょっ、まだ決まったわけじゃないわよ!」
 ミヅキは、微笑んで続けた。
「しかし、わたしは彼を、君の想いと同じくらい愛している。そして、彼の愛している君も、好きだ。だから」
 ミヅキは、千夏のほほに優しく手を当て、音もなく近づく。
「君の事も愛そう」
「え、なに……ちょっ」
 ミヅキは千夏の唇に自分の唇を重ねた。
「んん……!」
 千夏は最初、ミヅキから離れようと、もがいていた。しかしやがて、うっとりとして、もがくのを止めた。
 ミヅキは身体の力が抜けている千夏を支えながら、俺を見た。何かを促すように頷く。
 やっぱりこういうことになるのか。
 しかたない。
 いや、まあそりゃ、これで丸く収まるんなら、嬉しいんだけど。
 体力、持つかなぁ……。

「旨い! ミヅキ、旨いよ!」
 俺たち三人は、ミヅキの作った肉じゃがを食べていた。正確には、ミヅキ以外だが。
 俺と千夏は、すっかりパジャマに着替えていた。
 まあ、事後だから当然といえば当然だよな。
 千夏は肩にかかる淡い茶色の髪を、首でちょっと直しながら感想を述べた。
「ふん……不味くは、ないわね」
 言葉はキツイが、それでも響きは穏やかだった。
 俺たちを見ているミヅキは、頷いた。
「ふむ。それは良かった。二人分だと思って、たくさん作ったから、どんどん食べてくれ」
 表情こそ変わらないが、いつもよりウキウキした感じだ。
「しかし……ミヅキ、あんな事もできるんだな」
 俺はさっきの情事を思い出してしまう。
 あれは、人間じゃないからこそできる秘技だった。うん。
 頬を赤く染めた千夏が素早く、俺を肘で小突く。
「うご!」
「バッカじゃないの! あああんなの、絶対、普通じゃないわよ!」
「そう言うわりには、おまえ、けっこうスゴイことになってなかったくぁ!」
 言い終わらないうちに拳が飛んできた。
「なってない! なってないわよッ!」
 俺が殴られた頭をおさえていると、ミヅキが小首をかしげて、微笑んだ。
「人間にはそういう愛のかたちも、あるんだな。とても興味深い」
 俺と千夏は言葉に詰まる。
「うっ……うう……」
 ふたり同時に顔を赤らめ、うめいてしまった。

 夕食が終わり、ミヅキの買ってきたデザートを食べた。
 フルーツタルトだった。
「ああ、ここの、旨いんだよな」
 ミヅキは俺を見て、微笑む。
「あなたのパソコンで検索した甲斐があった」
 俺は、その言葉を聞いて、とあることを思い出した。
 そして、もう一度だけ確かめたいと思った。
「俺のお宝画像フォルダ……」
「見た。あなたの好みがよく解った」
 俺は真っ白な灰になる思いで、タルトをむさぼり食った。
 千夏が口の端にクリームを付けながら俺を見て、きょとん、としていた。
 ミヅキが、なにか閃いた、とでもいうように手をパンと鳴らした。
「千夏」
「え、な、なによ」
「君も見ておいた方が良い。あれはキミヒロの好みを知る事において、重要なヒントに成り得る」
 俺は、タルトを吹いた。
「うっわ、きったなーい! さっさと拭きなさいよ!」
 俺はパニックになりながら、ティッシュでそのへんを拭き取った。
 千夏は俺を見下しながら、ミヅキに応えた。
「へぇ、そーなんだぁ。それは参考にしないとねぇ」
「ふむ。では、さっそく見てみよう」
 ミヅキがふわりと、俺の部屋に向かう。千夏も、にやにやしながら、あとに続く。
「ちょっ、待て、おまえら! 俺のプライバシーはどーなるんだ!」
 ミヅキは、空中で静止した。いつもの考えるポーズで俺のほうを向く。
「ふむ、それは確かにそうだ。すまない、考えが及ばなかった。お互い、全てさらけ出した気になっていたようだ」
 千夏がミヅキの手を引っ張って、笑う。
「いーのよ、ミヅキ。公宏にプライバシーがあるワケ無いじゃない!」
「それはどういう事だ?」
 千夏はミヅキの疑問に、腕を組んで得意気に答えた。
「だって、あたしたちのペットだもん!」
 一瞬、沈黙。
 ミヅキは、珍しくハッキリと口元をほころばせて、言った。
「そうか。なら、問題ないな」
 ふたりは、また俺の部屋に向かった。
 おーい、おふたかたー? って、全く聞いちゃあいませんね。
 溜息を吐きながら椅子に座り込んで、頭を横に振る。
「てか、なんでこんなことになってんだ、俺は」
 タルトの残りを頬張った。
 今までで、一番、甘かった。


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