[ミヅキが、いる。] 3
◆好きなものは、好き。

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 その日。
 俺は退社後、千夏(ちなつ)に呼び出されていた。
 彼女は俺に会うと、微笑んで軽く会釈した。
 黄色のワンピース。俺が以前、似合うと言ったものだ。

 しばらく、無言で歩いて電気街の外れにある、ちょっと古い喫茶店に行く。
 千夏と良く来た店だ。
 ドアを開け、ウェイトレスの挨拶を聞きながら、適当な席に座る。
 ここの、ゆったりとしたソファは気持ちいい。
 おしぼりで、軽く手を拭きながら適当に飲み物を注文。
「それで。話ってなんだよ、千夏」
 多少、呼び捨てに抵抗感があったが、それでも……努めて明るく、そう呼ぶのが良いような気がした。

 千夏。
 もう、別れて三ヶ月近くなる。
 原因は、彼女の浮気……いや、俺の意志の弱さか。
 出会ったのは、相沢の先輩が主催した合コン。
 あの頃はまだ、相沢はレイちゃんとは知り合ってなかった。だからヤツも結構、ノリノリだったな。

 千夏は俺より年下で、ドングリまなこが自慢のカワイイ系OLだった。
 性格は基本的には明るいが、多少、感情の起伏が激しい。他はいたって平均的。
 身長も女性の平均身長と同じくらい。スタイルも悪くはないが、そんなに良くもない。
 彼女の話題は、テレビドラマや流行の歌、芸能ニュースばかりだった。
 俺は、あんまりついて行けなくて、ほとんど黙っていた。
 たまに話す事があっても、それは仕事柄、ネットやパソコン関連の事だけだった。
 でも、彼女はそれが気に入ったらしい。寡黙で知的だと言ってくれた。
 俺は彼女の屈託のない明るさに好感を持った。
 結局あの時、カップルになったのは俺と千夏だけだった。

 付き合ってみると彼女は、かなり子供っぽい感じだった。それがカワイイとも言えた。
 よく笑って、よくケンカして、よく泣いて……たくさん将来を語った。

 しばらくすると会社の状況が右肩上がりに良くなった。
 やがて社は手狭になり、この世界的に有名な電気街に引っ越した。それに合わせて、俺も別の広いマンションに移った。
 しかし、俺は仕事が忙しくなり、ほとんど彼女と逢う事ができなくなった。

 そして……彼女の浮気。
 現場を見たわけではないが、彼女がそう言ったんだ。
 千夏を責める事はできなかった。それよりも俺は、俺を責めた。
 そうやって、俺たちは別れた。

 それが今日の昼休み、急に呼び出された。
 俺はとりあえず、『遅くなる』とだけ家の留守電に入れておいた。

 ミヅキには、基本的に電話を取るなと言ってある。
 彼女の存在を他人に知られたくはなかった。後で色々ややこしい事になるかも知れないからだ。

 俺からの時は留守電に入れるから、その時だけ折り返し、俺の携帯電話に掛けるように言い聞かせておいた。
 やがてミヅキから連絡が入った。
『遅くなる件、了解した。今日の晩ご飯は肉じゃがだ。帰ったら温め直そう。じゃあ待ってる』
 と、それだけ言って切った。特に理由を聞き出そうとはしなかった。
 信用されているのだろう。
 もしかすると、疑うと言う事を知らないのかも、とも思う。

「そんなわけないか……」
「あるわよ」
「えっ」
 俺は全く千夏の話を聞いていなかった。
 それどころか、いつお互いの飲み物が来たのかさえ、知らない。我ながら酷いヤツだ。
「あるって、なにが」
 俺は、そう聞きながらも、なぜか彼女の視線を避けるように、テーブルに目を落とした。
 目の前のカップを手に取り、コーヒーをすする。
 彼女はテーブルの上に置いてあるタバコの箱を取って、中から出そうとした。だが、俺の視線に気付いて、その作業を中断した。
 いつの間にか、またタバコを吸うようになっている。昔から吸っていたのを、俺が吸わないから、と、止めていたのだ。
 千夏は何かに区切りを付けるように、息を吐く。
「だから、公宏(きみひろ)とヨリを戻すって事」
 俺はコーヒーを吹きそうになる。
 カップを置いて、口元を拭った。
「い、いまさら何だよ……!」
 自分の声が震えている気がした。
「ごめんなさい、公宏。あたし、やっぱりあなたじゃないとダメみたい、なの……」
 彼女の瞳が潤んでいる。
 俺は出来るだけ静かに質問した。
「浮気相手のヤツは、どうしたんだよ……」
「それも、ごめんなさい。あれは、嘘なの」
 俺は憤りを感じた。
「……なんだ、それ」
「公宏の気持ちが知りたかったの……試したのよ……ごめんなさい」
「じゃあ、なにか。俺があの時ブチ切れてたら、おまえは安心したのか」
 彼女はちょっと口を尖らせた。
「最初は軽い気持ちだったの。でも、公宏があきらめたみたいな事、言うから……あたし、大事にされてないんだって思っちゃって……」
 俺は深く背もたれに身を沈めた。
「そうか……俺のせい、なんだよな……」
 その言葉を聞いた彼女が突然、テーブルを叩いて立ち上がる。
「なによ! なんでもわかってるみたいに、自分で勝手に背負い込んで片付けようとして! そうよ! あんたのせいよ! あんたは人の気持ちなんて、なんにもわかってない!」
 俺はその剣幕に驚いた。
「あんたは優しいんじゃない! ただ、自分のせいって言って逃げてるだけ! ああ! もう! こんな事、言いに来たんじゃないのにぃ!」
 俺を睨み付けながら、ぽろぽろと涙をこぼす。
「き、公宏といると、な、なんでこうなるんだろ……」
 彼女はソファに座り込んだ。なんだか小さく見える。
 俺はその濡れた睫毛を見ながら、つぶやいた。
「やっぱり俺たち、別れて正解だった、って事じゃないかな」
 彼女が一瞬、びくっ、とした。
「そう、なのかな……」
 重い沈黙。

 やがて、興奮の収まった千夏が、うつむき加減で聞く。
「ねぇ、公宏は……ホントにそう思ってるの。別れたほうが、良かったって」
 俺は冷めて不味くなったコーヒーを一口、飲んだ。
「正直、わからない……」
 コーヒーカップを皿に戻し、それを覗き込む。
 黒いコーヒーに、うっすらと俺が写り込む。俺はブラックが好みだった。

 そう。わからない。
 確かに今は、ミヅキがいる。
 彼女こそ、男が夢見る理想の女性と言っても良いだろう。
 母であり、恋人であり、そして娼婦であり……。
 だが、彼女は人間じゃない。
 結婚できるワケでもない、子供ができるワケでもない。
 思うように変身できて、空も飛べる。
 人の法どころか、物理法則にすら縛られない完全に自由な存在だ。

 このまま、そんな存在と同棲を続けて、それでいいのか。
 普通の人間……千夏と結婚して暮らすのが、本当は幸せなんじゃないのか。

 わからない。
 俺は千夏に聞こえない程度につぶやいた。
「俺は、ミヅキをどう思ってるんだ」
「それはわたしも知りたいところだ」
 ふいに、隣から聞き慣れた声がする。
 驚いて横を見ると、ミヅキが座っていた。

 いつもの不思議なスケスケネグリジェではなく、肩から胸元までが露出しているベージュのミニワンピースだ。襟にはひらひらが付いている。ミニなので、長い脚がほとんど全部見えていた。前からだと、下着も見えているに違いない。着けていれば、だけど。
 俺が好きだと言った、白いニーソックスも穿いている。足元は、服と同じベージュのショートブーツ。
 首には白い羽のフリルマフラー。
 顔には俺の好きなツーポイントの眼鏡も掛けていた。
 瞳は鳶色に変えている。耳も人間のそれと同じように変えていた。
 髪は美しいグラデーションの茶髪にしていた。サイドを軽く巻いて前に垂らし、後ろは緩くアップ。
 思わず、陶然と見とれてしまう。
 なんだ、このエロカワキュートな小悪魔ちゃんは。

「って、いやいやいや! こんなとこにいきなり現れるなんて、それにその服、いや、そもそも、なんでここに、っていうか……」
 俺は小声でパニクった。
「落ち着け。大丈夫だ。まず、わたしの姿は彼女には見えていない。いや、正確にはあなた以外の人間には認識されていない」
「ど、どういう事だ」
 彼女は俺の手を取り、それを自分の太ももに持って行く。
「触って」
 突然の誘いに、俺はドキドキしながらも、そこに触れた。
 マシュマローン! と叫びたくなるほど、柔らかい。
 彼女は、優しく微笑んで俺を見た。
「柔らかいだろう。そう、今のように人間は、いや、動物は全て、五感で受けた刺激を脳で一度、統合、処理する事によって、そこに何があるのかを認識している。つまり、それをあなた以外に遮断すれば、誰もわたしを認識する事はできなくなるわけだ」
 理屈は解った。だが、そんな超絶秘技が使えるのは人間を超えた存在のみだ。
 彼女は続ける。
「次に、この服装は買い出し用だ。あなたのパソコンで今時のファッションを検索してコーディネイトしてみた。似合うか」
 俺はうなずくしかできなかった。
「ふむ、良かった。とても嬉しい」
 俺は、俺のパソコン、と聞いて、物凄く気になった事を聞いてみる。
「見たのか」
「見た」
 俺の中の何かが音を立てて崩壊し、全てが無になった気がした。
 ミヅキは何事もなかったかのように続ける。
「それで次に、ここに来る事ができた理由だが……」
 ぐったりしつつも、また、なにか有り得ない方法を言い出す気だろうと、思わず身構える。
 だが、彼女の口からは思いがけない言葉が飛び出した。
「愛だ」
 俺はしばらく、呆気にとられて、そのあと真っ赤になった。
 何を言い出すんだ。このやや乱れて妖精娘は。
「正確には、匂いだが。わたしと交わった人間はあなただけだ。だから、あなたの匂いはすぐ解る。例え、世界の果てに居てもな」
 真っ直ぐな瞳で俺を見据えた。
 俺の顔が更に紅潮する。
 ミヅキの眼は、こんなにピントが合って、視線がハッキリしていただろうか。
 いや、けっこう、ぼんやりしていたはずだ。じゃあなぜ……ちょっと考えると、すぐその答えが出てきた。
「ああ! 眼鏡!」
 大きな声で、言ってしまう。しまった、と思ったが遅かった。
 千夏が、怒りの表情で俺を見ていた。
「ああ、そうですか、解りました! あたしの事なんかどーでもいいんだ! 窓の外の眼鏡っ子のほうが大事なんだ!」
 彼女は立ち上がると、コップの水を俺に浴びせた。
「一生、めがねめがね言ってなさいよ! バカ!」
 大股で店を出て行ってしまう。
 横からミヅキが、涼しい顔で聞いた。
「後を追わなくて良いのか」
 俺はその言葉の真意を掴めず、聞き返した。
「はぁ? おまえは、俺にどうなって欲しいんだ。ここであいつを追えば、俺と千夏は元の鞘に収まるかも知れないんだぞ」
 彼女は小首をかしげ、ほほに拳を当てる。いつもの考えるポーズだ。
「良い事じゃないか。何か問題でもあるのか」
 俺は気が抜けた。
「……とりあえず、出よう。みんな、俺のこと、ヘンな目で見てるし」
 俺はふたり分の支払いを済まし、店を出た。

「さあ、どうするんだ。千夏を追うのか。それともこのまま、帰るか」
 店の前で千夏の姿を、きょろきょろと捜した。
 だが、見つからない。
「ふむ、追うんだな」
 ミヅキがちょっと考えて、意見を出した。
「彼女にとって、もはや用は済んだはずだし、また、怒ってもいる。人間というものは、同時に何かをするとき、どうしてもかたほうは、あまり考えずに出来る事をしてしまうものだ。つまりこの場合、家に帰るため、真っ直ぐ駅のほうへ行った可能性は高いんじゃないか」
 確かに。彼女はこの街に対して、特に興味がある子じゃないし。
 俺はうなずいて駅に向かった。ミヅキも横を飛んで付いてくる。
「ミヅキ」
 俺は走りながら、問いかけた。
「ホントに俺と千夏が元鞘で、それで、いいのか。さっき、その、俺に対して、愛とか言ったよな」
 ミヅキは地面と水平に飛びながら、まるでそこに寝そべっているように、俺のほうに身体を向けた。
 豊満な胸の膨らみが、そのワンピースからこぼれそうだ。
「うむ。わたしは、あなたを愛している」
 真顔で言われると、どうしていいのか解らない。走っている以上に血圧が上がる。
 だが、その襲いかかる羞恥心に耐えながら、俺はさらに疑問をぶつけた。
「じゃあ、なんで、俺と千夏が元鞘になってもいいって思うんだよ?」
 ちょっと、きょとんとして。
 彼女は、柔らかく微笑んだ。
「あなたが好きなものは、わたしも好きだから」
「ミヅキ……」
 人間の盗った盗られたというような、ちっぽけな好き嫌いとはスケールが違う。
 彼女の愛はシンプルで大きかった。
「そうか……そうだな、好きなものは、好きでいいんだな!」

 俺が駅に駆け込むと、千夏の後ろ姿が見えた。ちょうど、改札に入ろうとしている。
「千夏!」
 彼女が俺の声に立ち止まった。
 だが、すぐにまた、進もうとした。
「待ってくれ!」
 俺は急いで駆け寄り、彼女の手を掴んだ。
「はあっ、はあっ……お、俺は、俺もまだ、おまえのこと、す……好きだ」
 彼女を見上げていると、ゆっくり振り返った。
 俺はその顔を見て思わず、声を出した。
「あっ……」
 真っ赤になって、怒っているような、泣き出しそうな、その顔には。
 眼鏡が掛けられていた。
「何よ! あんたのために掛けたんじゃないんだからね! もうこの眼鏡、捨てようかと思ってたんだけど、せっかく買ったし、もったいから、一応、掛けようと思って掛けてただけなんだから!」
 改札の周りの人垣から、なにか、どよめきが起きた。
 俺は、彼女の言っていることがよく解らない。 
「と、とにかく! 恥ずかしいから場所を変えるわよ!」
 俺は千夏に連れられ、その人波を縫って駅の構内から出て行った。ミヅキも高いところから、ふわりと付いてきていた。
 人だかりの中から、どこからともなく、ツンデレだ、ツンデレだと声が上がっていた。


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