言葉には“力”がある。
人の心を動かす“力”。
人はそれを呪文と呼んだりする。
俺は今、妹という名の魔女に呪文を掛けられた憐れなアヒルだった。
それまでは全く考えてもいなかった事なのに、不意にそれを言われると今度はその事ばかり考えてしまうようになる。
「ああー、ダメだダメだ! 耐魔法防御! 秘技、明鏡止水!」
とかなんとか、どこかのゲームに出てくるような意味もよく知らない事をつぶやいて、頭を振った。
妹の放った呪文。
それは単純で短いものが二つだけだった。しかし、攻撃力は抜群だった。
『下着とか探しちゃダメだよ』
『あと、お風呂も覗いちゃダメだよ』
ただでさえ、あの委員長の部屋にいるんだ。行動に移すかどうかは別として、妄想しないはずがない。
ほのかに鼻腔をくすぐる彼女の薫り。
妹とは全然違う、ちょっとオトナっぽい感じ。
ふかふかのじゅうたんが敷き詰められた部屋の中央で、やっぱりふかふかのクッションに座ったまま悶々とする。
「……このクッション……委員長も座ったりしてんだよな」
自分の鼓動が早くなるのが解った。
思わず、手にとって顔を埋めたくなる。
いやいや! そんなトコ見られたら、絶対立ち直れない。そりゃ、そんな早くは戻って来ないと思うけどでも、やっぱりそんな事で嫌われたくはない。
俺はなんとかその誘惑に耐えて、気を紛らわそうと周りを見渡した。
彼女の部屋は、実にシンプルだった。
ベッドと机、椅子。そして壁に備え付けの本棚。他にクッションが幾つか。それ以外の家具はなかった。奥にはウォークインクローゼットに続くドア。その隣の大きな出窓にはレースのカーテンが掛かり、小さな観葉植物が置いてある。
藍色のベッドはクィーンサイズだろう。その下は整理箱が付いている。
「あああの中に、もももしかしてパンツとかあるのかな……」
いやいやいや。もう一度、頭を振る。
机と椅子は、どう見てもその辺の量販店で買ったようなものじゃない。モノトーンで統一された、ちょっと未来っぽいエルゴノミックデザインだっけ、そんな高そうでカッコイイ機能的なものだ。オシャレなライトも付いている。
キレイに整理整頓されていて委員長らしいな、と思う。
本棚には、マンガや雑誌のたぐいは一切ない。辞書や事典、文庫本。それもライトノベルとかはなく、授業で習った事のあるような文豪や大作家の本ばかりだ。
「そう言えば俺、全然あんな本読まないな……」
俺が読むのなんて、本当にマンガと雑誌くらいだ。それも本棚にあるワケじゃなく、その辺に散乱している。
それもそのハズで、俺の部屋にある本棚には、親父の買ってきたDVDがぎっしり入っているんだ。たぶん、三百枚はあるだろう。
もちろん、中にはエロいのもたくさんある。
だが、親にはもちろん、俺の部屋に不法侵入してくる妹にもバレてはいないだろう。
木を隠すには森の中。
俺は完璧な偽装をしているのだ。
まずDVDが複数入るケースを買ってきて、それに映画のジャケットを付け替える。エロいジャケットは注意深く捨てる。
次にケースの中に元の映画とエロいものを入れる。で、その入れ方にコツがあって、エロ以外も含めて全てのDVDは二枚目を裏向きに入れてある。これはパッと開いた時、エロエロなレーベルが見えないようにするのと、全部がそうなっていればそういうものなんだと思わせる効果がある。
パソコンにはどの映画のケースに、どのエロいのが入っているか、対応表を作って保存してある。
ふふ。妹よ、エロに多大な興味のある男子高校生を舐めないで頂きたい。
しばらく一人で得意になっていたが、ふいに我に返った。
「俺……ふゆなの言うとおり、バカかも知んない……」
わたしと、ふゆなちゃんは浴室に入った。
わたしの家のお風呂は二十四時間、いつでも清潔に保たれた湯が張られている。
これはさすがにもったいないかも知れないと思うのだが、母は夜中に帰ってもお風呂さえあれば極楽だ、という人なのでその意見を尊重してこういう状態なのだ。
ふゆなちゃんは執拗に前全体をタオルで隠している。だが、それでもその天真爛漫な態度は変わらない。
「わぁ……お風呂も広ーい! 温泉みたいだー」
ちょこちょこと前に出る。わたしはふと、その背面の様子に目が奪われた。お尻が丸見えだったのだ。“頭隠して尻隠さず”とはこの事だろう。やっぱりこの子はとても可愛い。
「ほら、まず掛け湯をしてから入るんだぞ」
わたしは腰の辺りだけタオルで隠しながら後を追う。
湯船のそばまで行くと片膝を突いた。
桶で湯船から軽く湯を掬うと肩から掛け流す。
近くでわたしを見ていたふゆなちゃんが何度も頷く。
「掛け湯……ってそういうものなんですね。うち、いつもシャワーしてから入るんで知らなかったです」
「そうか。なるほど。じゃあそれでも良いぞ」
彼女は笑いながら首を横に振ると、わたしの隣に膝を突いた。すると、わたしの真似をしようとした。さっと桶を湯船に入れる。
「う? うー! お、重い……です」
桶に湯を目一杯、掬っている。
「いや、そんなに要らない。半分くらいで良いぞ」
言われた通り、半分ほどに減らして桶を持ち上げた。
それを肩のほうに持って行き、湯を掛けようとした。
「わぷっ!」
彼女は顔に湯を掛けてしまう。
「にゅー……これ、けっこう難しいですねー」
なんて愛らしいのか。
しっかりしているかと思えば、ちょっと抜けているところもあって。
わたしは暖かい気持ちになった。
「君たちは本当に良く似ている。良いな、兄妹というのは」
ふゆなちゃんは、わたしのその発言に食ってかかった。
「ええー! そんなことないですよ! あんなバカ、そばに居るだけでうっとーしいしぃ!」
わたしは彼女の発言に反論する。
彼女の目を真っ直ぐ見据えた。
「ふゆなちゃん。そんな事を言っては駄目だ。明信君はあなたの家族なんだからな」
彼女は、ふん、とばかりにちょっと顔を背ける。わたしはその頬を手で優しく挟んでこちらに向けた。
「ふゆなちゃん。本当は明信君の事を大好きなんだろう?」
彼女は目を少し見開く。頬の熱が上がる。それがわたしの指に、手のひらに伝わってくる。ふゆなちゃんは眉を困ったようにひそめて、目線を下げた。
「はい……」
わたしは微笑んだ。
「素直でよろしい」
彼女はわたしをしばしの間、見つめる。
「……涼夏さんは、どう、なんですか」
わたしは頷く。
「もちろん、大好きだ」
わたしの気持ちを正直に告げた。
彼女は花がほころぶような笑顔になる。
「良かった」
彼女は嬉しそうに立ち上がる。
「入りましょう」
相変わらず前全体を慎重に隠しながら、湯船に足を沈めるふゆなちゃん。
わたしもそれに続いた。
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