ここは、どこなのだろう。
来た事のない場所だ。
わたしは、古めかしい映画に出てきそうな探検家の格好をしている。
目の前には、民族的なデザインを凝らしたテントがいくつか張られている。
村なのだろう。
民族衣装に身を包んだ村人達がわたしを見て、笑顔を見せた。
わたしを手招きしている。歓迎しているようだ。
そこ以外は見渡す限りの平原。
明るく静かで涼しい。
とても気持ちが良い。
思わず、大きく深呼吸をした。
ふと、好きな人の匂いがする。
彼の、明信君の匂い。
しかし、それはより甘く女の子のような気がした。
なぜ……
「んん……」
目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
「あ……彼の家、か」
意識がはっきりしない中で、先ほどの夢を反芻した。
「わたしは……ここでは異邦人、なのかもしれないな……」
静かだ。空調の音だけが聞こえる。
二段ベッドの上側に寝ていたわたしは、体を起こす。
枕元に置いていた眼鏡を取り、掛ける。
部屋を見渡すと、たくさんのぬいぐるみや男性アイドルのポスター、それに色とりどりの可愛らしいものに囲まれている。
実に、ふゆなちゃんらしい部屋だ。
壁の時計を見ると、午前六時。
ベッドの下側を覗いてみると、ふゆなちゃんはまだ夢の中のようだ。
寝間着代りのキャラクターTシャツが、めくれ上がってお腹が出ている。
わたしは微笑むとベッドから降りて、それを直した。
夏掛け布団を腰に掛けておく。
ふわりと彼女の香りがした。
彼の匂いに似ているが、もっと女の子っぽい。
この香りだったか。
「ん……」
彼女が寝返りを打った。
その口元に緩いウェーブの髪が付く。
それを取ってやる。
本当に無防備だ。
柔らかそうな頬に思わず、キスのひとつもしたくなる。
わたしはちょっとその頬をつついて、洗面所に向かった。
「おはようございます。義母様(おかあさま)」
わたしは持ってきた私服に着替えてキッチンに赴いた。
卵の焼ける良い香りの漂う中で、明信君のお母さんに挨拶をする。
彼女の勧めもあって、彼女を義母様と呼ぶと決めた。
決めたが、それでも流石に少し気後れする。
本当に良かったのだろうか。
そもそも、わたしには兄弟姉妹もなく、親はほとんど家にいない。
淡い初恋には裏切られ、友達も作らなかった。
だから、わたしはなんでも自分で決めて生きてきた。
わたしには、何かを聞いてくれる人は誰もいなかった。
いつも独りだった。
義母様はテキパキと朝食の用意をしながら、ちらっとわたしに微笑みを向けた。
「あら、さすがに早いのね。おはようございます。涼夏ちゃん」
わたしは自分の気持ちを隠すように、反射的に微笑みを返した。
「なにか、お手伝いする事はありますか」
彼女はお皿に出来上がったベーコンエッグを手早く盛りながら返答をする。
「じゃあ、カップスープ作ってくれるかな。インスタントがあるから、それを今日から五人分ね」
「了解です」
わたしは、食器棚からスープカップを五つ取り出し、スープを用意し始めた。
「よし、っと」
テーブルの上には、涼しげな青いランチョンマットが人数分並べられている。
その上にトースト、コールスローサラダ、ベーコンエッグがある。
それにわたしが作った……というほどのもではないが、オニオンスープもある。
飲み物は、全員ミルクだ。さすがにバランスを考えてある。
義母様がわたしに指示を出した。
「じゃあ、わたしはお父さん……聡家さんを起こしてくるから、涼夏ちゃんはアキくんとふゆなを起こしてきてくれる?」
「はい。了解です」
わたしは、まず明信君の部屋に向かった。
「おはよう。明信君。朝食が出来ているぞ」
ノックしてみるが、返事はない。
しかたがない。ドアを開けて中に入った。
彼の匂いが濃い。
しかし、空気は澱んでいない。
たぶん、クーラーに空気清浄機能があるのだろう。
「明信君?」
彼のベッドへ足を向けた。
左腕を下に、壁を向いて眠っている。こちらから見ると顔が見えない。
彼もまた、Tシャツを寝間着代りにしている。
お腹のあたりにだけ、タオル地のブランケットが掛かっていた。
「んー」
彼が寝返りを打った。
「あ……っ」
わたしは“それ”を見た瞬間、声が出てしまった。
“それ”は彼の股間の位置にある、ブランケットの大きな盛り上がりだった。
「これが……いわゆる朝勃ちというものか……」
わたしはそのそばに座って、しげしげと見た。
なんとも形容し難い隆起だ。それでも敢えていうならテントだろう。
ん? まさか、今朝の夢はこれの正夢だったのか? いやいや、そんな事はあるまい。
わたしは自分の鼓動が早くなるのを抑えながら、初めて目にするそれをまじまじと見つめた。
ちらりと彼の顔を覗く。起きる気配はない。
わたしは眼鏡を直して、またその現象を見つめる。
こんなになるものなのか……ふーむ。ひょっとして、触ると痛いのだろうか。
それとも、気持良いのか。たぶん、総合的に考えて気持良いのだろう。
しかし本当に、こんな大きなものが入るのか?
いや、入るのだろう。大人の男女間の付き合いとなれば、ごく一般的な行為だ。
だが、例え大好きな彼のものだとしても、生物として最初は痛いに決まっている。
今まで、した事の無い行為なのだから。
怖い。まだまだ、本当に覚悟はできない。
男はずるい。最初から痛くないというのだから。
なんとなく機嫌が悪くなったので、彼の顔をつねってみた。
「起きろ。朝食が出来たと言っている」
彼が寝転がったまま、寝惚けた返事をした。
「うひょい? あ、いいんちょう……なんでここに?」
その言葉にわたしの機嫌は更に悪くなった。
「昨日から泊まりに来ているだろう。起きろ」
キスで起こしてやろうかとも思っていたが、やめた。
かわりに、彼の大きくなっているものを強く平手打ちした。
「起きるんだ」
それは、わたしの手をはね除けるように反発する。思った以上に硬い感触だ。
なにやら憎らしい。
「起きろ、このヘンタイめ」
二、三度立て続けに叩く。
「うはぅえっ!」
彼は頓狂な声を上げて、飛び起きた。
さすがにあまり叩かれると痛いようだ。
彼が頭を振りながら、まだ半分寝惚けた調子で問い掛けてきた。
「な、なにすんだ! って……えっ、委員長? 今、あれ? どうなってるんだ」
わたしはその意味が明瞭ではない問いを無視して、立ち上がった。
「おはよう。明信君。では五分以内に顔を洗って、ダイニングに来るんだ。良いな」
それだけ言い残して、わたしは踵を返した。
「さ、サーイエッサー!」
彼のすくみ上がった声が、ドアを閉めるわたしの背後から聞こえる。
ちょっとやり過ぎだったかも知れない。
次にふゆなちゃんを起こす。
部屋に入って、眠っている彼女の肩を揺らした。
「ふゆなちゃん、朝食が出来たぞ。起きよう」
彼女は薄く目を開けて、猫のように伸びをした。
「にゃー……ん!」
体を起こすと、もう元気いっぱいだ。
「おはようございます、お姉ちゃん!」
そう言って、わたしに抱きついてきた。
わたしが返答に戸惑っていると、彼女は上目遣いで聞いてきた。
「お姉ちゃんって呼んだら、ダメ、かな?」
ふんわりとした抱き心地とその甘い声にわたしは、彼に対するそれとはまた違う火照りを感じた。
本当に、弱い。食べてしまいたいとはこの事だ。
彼女の頭を軽く掻きながら、答えた。
「いや、駄目じゃない。嬉しいよ」
彼女は、にふふーと吐息の混じった声を漏らした。
「あたしも嬉しいー」
彼女の笑顔に溶かされてしまう前に、わたしは言葉を掛けた。
「それじゃあ、顔を洗っておいで。みんなとダイニングで朝食を食べよう」
「うん! あ、はい!」
彼女は返事を言い直して、跳ねるように洗面所へ向かった。
「おはようございます」
ダイニングテーブルに戻ると、彼のお父さんらしき人物が席に着いていた。
明信君のお父さんは昨日の夜遅く帰ってきたようで、結局、わたしは会えなかったのだ。
「お、おはよう……」
きょとんとした顔で、わたしを見つめる。
それをいぶかしく思いながらも、ちゃんと挨拶をした。
「明信さんとお付き合いさせて頂いている、花鳥 涼夏です。よろしくお願いします」
お辞儀をして頭を上げると、まだ、ぽかんと見ている。
「わたしに何か、おかしな所でもありますか」
義母様が溜息と共に席に着いて、その男性を紹介してくれた。
「この人がアキくんの父親の聡家(としいえ)よ。涼夏ちゃんが噂以上に美人で驚いてるのよ。ほら、あなた!」
明信君のお父さんは我に返った。
「あ、う、はい。えと、風光 聡家です。普通の会社員です。これといって趣味もなく、強いてあげるなら映画鑑賞でしょうか……」
「お見合いかよ!」
背後から、明信君のツッコミが飛んだ。
「改めておはよう。委員長」
首にかけたタオルで顔を拭きながら、わたしの隣に座る。
「そ、そのさっきは起こしてくれてあ、ありがと……でも、もうちょっとその優しくしてくれても……」
その言葉を遮るように、ふゆなちゃんがやってきて端のほうに座った。
「お姉ちゃん、よく寝られた?」
明信君がまた素早くツッコミを入れた。
「お姉ちゃんってなんだよ。おまえ、馴れ馴れしいぞ」
わたしがそれを制した。
「いや、良いんだ。さっき、そう呼んでも良いと言ったんだ」
明信君が口を尖らせて、抗議した。
「えー。なんだよー、ふゆなばっかり。あ、んじゃあ俺も、お姉ちゃんって呼んでもいいかな?」
「却下する」
間髪入れず、拒否した。
拗ねる明信君。
すると、明信君のお父さんが自分を指さしてニッコリと笑った。
「じゃあ、俺は?」
「あなた!」
義母様が物凄い形相で、明信君のお父さんを睨んだ。
わたしは、頭を下げた。
「申し訳ありませんが、そちらも却下します」
明信君のお父さんと明信君本人が、ふたりで拗ねた。
本当に似た者親子だ。
義母様がその場を仕切る。
「さぁさ、馬鹿な事ばかり言ってないで食べましょ。聡家さんは夏休みなんてないんだし。はい。いただきます」
わたしも含めて、全員が声を揃える。
「いただきます」
その時、ふいにわたしは、ずっと以前からこの家で生まれ育ったような錯覚を感じた。
ああ。そうか。
自分を異邦人だと意識してしまう、わたしの心自体が異邦人なのだ。
そんな意識を捨て去ってしまえば、わたしも皆と同じただの人間に過ぎない。
そう思ったとたん、ぽろぽろと涙が溢れた。
明信君が驚いて、わたしに声を掛ける。
「ちょ、どうした、委員長! 何泣いてるの。コショウきつかった?」
わたしはなんとか返事をした。
「いや……嬉しくて」
明信君のお父さんは、頷いてニッコリと笑った。
「うちはいっつもこんなだからさ。気楽にな」
義母様が、優しい口調で話した。
「焦らなくてもいいの。涼夏ちゃんの考え方や感じ方はあなた流なんだから。それでいいのよ」
涙が止まらない。
ふゆなちゃんがティッシュの箱を取ってくれた。
「はい、お姉ちゃん! 泣きたいときには泣かないとね!」
明信君は無言で、背中をさすってくれている。
今、わたしは孤独ではない。
そう感じた。
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