[夏休みの] 1.異邦人


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 ここは、どこなのだろう。
 来た事のない場所だ。
 わたしは、古めかしい映画に出てきそうな探検家の格好をしている。
 目の前には、民族的なデザインを凝らしたテントがいくつか張られている。
 村なのだろう。
 民族衣装に身を包んだ村人達がわたしを見て、笑顔を見せた。
 わたしを手招きしている。歓迎しているようだ。
 
 そこ以外は見渡す限りの平原。
 明るく静かで涼しい。
 とても気持ちが良い。
 思わず、大きく深呼吸をした。
 ふと、好きな人の匂いがする。
 彼の、明信君の匂い。
 しかし、それはより甘く女の子のような気がした。
 なぜ……

「んん……」
 目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
「あ……彼の家、か」
 意識がはっきりしない中で、先ほどの夢を反芻した。
「わたしは……ここでは異邦人、なのかもしれないな……」

 静かだ。空調の音だけが聞こえる。
 二段ベッドの上側に寝ていたわたしは、体を起こす。
 枕元に置いていた眼鏡を取り、掛ける。
 部屋を見渡すと、たくさんのぬいぐるみや男性アイドルのポスター、それに色とりどりの可愛らしいものに囲まれている。
 実に、ふゆなちゃんらしい部屋だ。
 壁の時計を見ると、午前六時。
 ベッドの下側を覗いてみると、ふゆなちゃんはまだ夢の中のようだ。
 寝間着代りのキャラクターTシャツが、めくれ上がってお腹が出ている。
 わたしは微笑むとベッドから降りて、それを直した。
 夏掛け布団を腰に掛けておく。
 ふわりと彼女の香りがした。
 彼の匂いに似ているが、もっと女の子っぽい。
 この香りだったか。
「ん……」
 彼女が寝返りを打った。
 その口元に緩いウェーブの髪が付く。
 それを取ってやる。
 本当に無防備だ。
 柔らかそうな頬に思わず、キスのひとつもしたくなる。
 わたしはちょっとその頬をつついて、洗面所に向かった。

「おはようございます。義母様(おかあさま)」
 わたしは持ってきた私服に着替えてキッチンに赴いた。
 卵の焼ける良い香りの漂う中で、明信君のお母さんに挨拶をする。
 彼女の勧めもあって、彼女を義母様と呼ぶと決めた。
 決めたが、それでも流石に少し気後れする。
 本当に良かったのだろうか。

 そもそも、わたしには兄弟姉妹もなく、親はほとんど家にいない。
 淡い初恋には裏切られ、友達も作らなかった。
 だから、わたしはなんでも自分で決めて生きてきた。
 わたしには、何かを聞いてくれる人は誰もいなかった。
 いつも独りだった。

 義母様はテキパキと朝食の用意をしながら、ちらっとわたしに微笑みを向けた。
「あら、さすがに早いのね。おはようございます。涼夏ちゃん」
 わたしは自分の気持ちを隠すように、反射的に微笑みを返した。
「なにか、お手伝いする事はありますか」
 彼女はお皿に出来上がったベーコンエッグを手早く盛りながら返答をする。
「じゃあ、カップスープ作ってくれるかな。インスタントがあるから、それを今日から五人分ね」
「了解です」
 わたしは、食器棚からスープカップを五つ取り出し、スープを用意し始めた。

「よし、っと」
 テーブルの上には、涼しげな青いランチョンマットが人数分並べられている。
 その上にトースト、コールスローサラダ、ベーコンエッグがある。
 それにわたしが作った……というほどのもではないが、オニオンスープもある。
 飲み物は、全員ミルクだ。さすがにバランスを考えてある。
 義母様がわたしに指示を出した。
「じゃあ、わたしはお父さん……聡家さんを起こしてくるから、涼夏ちゃんはアキくんとふゆなを起こしてきてくれる?」
「はい。了解です」
 わたしは、まず明信君の部屋に向かった。

「おはよう。明信君。朝食が出来ているぞ」
 ノックしてみるが、返事はない。
 しかたがない。ドアを開けて中に入った。
 彼の匂いが濃い。
 しかし、空気は澱んでいない。
 たぶん、クーラーに空気清浄機能があるのだろう。
「明信君?」
 彼のベッドへ足を向けた。
 左腕を下に、壁を向いて眠っている。こちらから見ると顔が見えない。
 彼もまた、Tシャツを寝間着代りにしている。
 お腹のあたりにだけ、タオル地のブランケットが掛かっていた。
「んー」
 彼が寝返りを打った。
「あ……っ」
 わたしは“それ”を見た瞬間、声が出てしまった。
 “それ”は彼の股間の位置にある、ブランケットの大きな盛り上がりだった。
「これが……いわゆる朝勃ちというものか……」
 わたしはそのそばに座って、しげしげと見た。
 なんとも形容し難い隆起だ。それでも敢えていうならテントだろう。
 ん? まさか、今朝の夢はこれの正夢だったのか? いやいや、そんな事はあるまい。
 わたしは自分の鼓動が早くなるのを抑えながら、初めて目にするそれをまじまじと見つめた。

 ちらりと彼の顔を覗く。起きる気配はない。
 わたしは眼鏡を直して、またその現象を見つめる。
 こんなになるものなのか……ふーむ。ひょっとして、触ると痛いのだろうか。
 それとも、気持良いのか。たぶん、総合的に考えて気持良いのだろう。

 しかし本当に、こんな大きなものが入るのか?
 いや、入るのだろう。大人の男女間の付き合いとなれば、ごく一般的な行為だ。
 だが、例え大好きな彼のものだとしても、生物として最初は痛いに決まっている。
 今まで、した事の無い行為なのだから。
 怖い。まだまだ、本当に覚悟はできない。
 男はずるい。最初から痛くないというのだから。

 なんとなく機嫌が悪くなったので、彼の顔をつねってみた。
「起きろ。朝食が出来たと言っている」
 彼が寝転がったまま、寝惚けた返事をした。
「うひょい? あ、いいんちょう……なんでここに?」
 その言葉にわたしの機嫌は更に悪くなった。
「昨日から泊まりに来ているだろう。起きろ」
 キスで起こしてやろうかとも思っていたが、やめた。
 かわりに、彼の大きくなっているものを強く平手打ちした。
「起きるんだ」
 それは、わたしの手をはね除けるように反発する。思った以上に硬い感触だ。
 なにやら憎らしい。
「起きろ、このヘンタイめ」
 二、三度立て続けに叩く。
「うはぅえっ!」
 彼は頓狂な声を上げて、飛び起きた。
 さすがにあまり叩かれると痛いようだ。

 彼が頭を振りながら、まだ半分寝惚けた調子で問い掛けてきた。
「な、なにすんだ! って……えっ、委員長? 今、あれ? どうなってるんだ」
 わたしはその意味が明瞭ではない問いを無視して、立ち上がった。
「おはよう。明信君。では五分以内に顔を洗って、ダイニングに来るんだ。良いな」
 それだけ言い残して、わたしは踵を返した。
「さ、サーイエッサー!」
 彼のすくみ上がった声が、ドアを閉めるわたしの背後から聞こえる。
 ちょっとやり過ぎだったかも知れない。

 次にふゆなちゃんを起こす。
 部屋に入って、眠っている彼女の肩を揺らした。
「ふゆなちゃん、朝食が出来たぞ。起きよう」
 彼女は薄く目を開けて、猫のように伸びをした。
「にゃー……ん!」
 体を起こすと、もう元気いっぱいだ。
「おはようございます、お姉ちゃん!」
 そう言って、わたしに抱きついてきた。
 わたしが返答に戸惑っていると、彼女は上目遣いで聞いてきた。
「お姉ちゃんって呼んだら、ダメ、かな?」
 ふんわりとした抱き心地とその甘い声にわたしは、彼に対するそれとはまた違う火照りを感じた。
 本当に、弱い。食べてしまいたいとはこの事だ。
 彼女の頭を軽く掻きながら、答えた。
「いや、駄目じゃない。嬉しいよ」
 彼女は、にふふーと吐息の混じった声を漏らした。
「あたしも嬉しいー」
 彼女の笑顔に溶かされてしまう前に、わたしは言葉を掛けた。
「それじゃあ、顔を洗っておいで。みんなとダイニングで朝食を食べよう」
「うん! あ、はい!」
 彼女は返事を言い直して、跳ねるように洗面所へ向かった。

「おはようございます」
 ダイニングテーブルに戻ると、彼のお父さんらしき人物が席に着いていた。
 明信君のお父さんは昨日の夜遅く帰ってきたようで、結局、わたしは会えなかったのだ。
「お、おはよう……」
 きょとんとした顔で、わたしを見つめる。
 それをいぶかしく思いながらも、ちゃんと挨拶をした。
「明信さんとお付き合いさせて頂いている、花鳥 涼夏です。よろしくお願いします」
 お辞儀をして頭を上げると、まだ、ぽかんと見ている。
「わたしに何か、おかしな所でもありますか」
 義母様が溜息と共に席に着いて、その男性を紹介してくれた。
「この人がアキくんの父親の聡家(としいえ)よ。涼夏ちゃんが噂以上に美人で驚いてるのよ。ほら、あなた!」
 明信君のお父さんは我に返った。
「あ、う、はい。えと、風光 聡家です。普通の会社員です。これといって趣味もなく、強いてあげるなら映画鑑賞でしょうか……」
「お見合いかよ!」
 背後から、明信君のツッコミが飛んだ。
「改めておはよう。委員長」
 首にかけたタオルで顔を拭きながら、わたしの隣に座る。
「そ、そのさっきは起こしてくれてあ、ありがと……でも、もうちょっとその優しくしてくれても……」
 その言葉を遮るように、ふゆなちゃんがやってきて端のほうに座った。
「お姉ちゃん、よく寝られた?」
 明信君がまた素早くツッコミを入れた。
「お姉ちゃんってなんだよ。おまえ、馴れ馴れしいぞ」
 わたしがそれを制した。
「いや、良いんだ。さっき、そう呼んでも良いと言ったんだ」
 明信君が口を尖らせて、抗議した。
「えー。なんだよー、ふゆなばっかり。あ、んじゃあ俺も、お姉ちゃんって呼んでもいいかな?」
「却下する」
 間髪入れず、拒否した。
 拗ねる明信君。
 すると、明信君のお父さんが自分を指さしてニッコリと笑った。
「じゃあ、俺は?」
「あなた!」
 義母様が物凄い形相で、明信君のお父さんを睨んだ。
 わたしは、頭を下げた。
「申し訳ありませんが、そちらも却下します」
 明信君のお父さんと明信君本人が、ふたりで拗ねた。
 本当に似た者親子だ。

 義母様がその場を仕切る。
「さぁさ、馬鹿な事ばかり言ってないで食べましょ。聡家さんは夏休みなんてないんだし。はい。いただきます」
 わたしも含めて、全員が声を揃える。
「いただきます」
 その時、ふいにわたしは、ずっと以前からこの家で生まれ育ったような錯覚を感じた。

 ああ。そうか。
 自分を異邦人だと意識してしまう、わたしの心自体が異邦人なのだ。
 そんな意識を捨て去ってしまえば、わたしも皆と同じただの人間に過ぎない。

 そう思ったとたん、ぽろぽろと涙が溢れた。
 明信君が驚いて、わたしに声を掛ける。
「ちょ、どうした、委員長! 何泣いてるの。コショウきつかった?」
 わたしはなんとか返事をした。
「いや……嬉しくて」
 明信君のお父さんは、頷いてニッコリと笑った。
「うちはいっつもこんなだからさ。気楽にな」
 義母様が、優しい口調で話した。
「焦らなくてもいいの。涼夏ちゃんの考え方や感じ方はあなた流なんだから。それでいいのよ」
 涙が止まらない。
 ふゆなちゃんがティッシュの箱を取ってくれた。
「はい、お姉ちゃん! 泣きたいときには泣かないとね!」
 明信君は無言で、背中をさすってくれている。

 今、わたしは孤独ではない。
 そう感じた。


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