[夏休みの]2.スーヴェニール


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 高三の夏休みが始まって十日も経ったある日。
 あたしは受験準備の合間を縫って、お気に入りの喫茶『スーヴェニール』に後輩のアベちゃんと一緒に来ていた。
「やっぱここのオリジナルスウィーツ、おいしいねぇ」

 このお店はあたしが訪れる以前、スウィーツブームに乗っかって大改装したらしい。
 あたしはその噂を聞きつけてて、物は試しってことで学校帰りに食べてみたんだ。
 そしたら噂通り、ううん、噂以上の味でびっくりした。
 それからはいつも財布と相談して、大丈夫なときにはなるべく来るようにしてた。

「おいしいですよね、ドーナツ部長」
 アベちゃんがあたしをあだ名で呼んだ。
 あたしの本名は安藤 奈津子(あんどう なつこ)。
 以前は、あんドーナツって呼ばれてた。
 でも近頃は省略されて、ただのドーナツだ。
 もっとも、あたしがそう呼ばせてるんだけど。

 ニッコリと笑うアベちゃんは、あたしの料理部の後輩で一年の女子。
 フルネームは阿部 茉莉(あべ まり)。
 特に発達した胸とお尻が目立つ子だ。
 全身から男が放っておけないようなフェロモンっていうか、そんなものが漂っている。
 だから、みんなは彼女をマリリンって呼んでる。
 彼女はそんな雰囲気のせいで、しょっちゅう痴漢にあってるんだそうだ。
 男嫌いになるのも無理はない。
 あたしはなんかそういう事情が引っかかって嫌だから、アベちゃんと呼んでいる。

『あたし、料理作りたいんです』
 最初、入部してきたときの彼女の表情は真剣だった。
 それはちょうど、二年の部員たちがあたしのやり方に反発して、みんな辞めたあとのことだった。

『ウチ、厳しいよ?』
 彼女に半ば、突き放すように言った。
 でも、彼女はいい目をして頷いた。
 あたしはそれを信じてみようと思ったんだ。

 話を聞いてみると、なんでも好きな人のためにお弁当を作ってあげたいって思ったそうだ。
 あとで知ったんだけど、その相手はリョウちゃんだった。
 そのときはちょっと驚いたけど、男が嫌いならそういうこともあるか、と思った。

 あたしはとりあえず、できるものを作らせようとした。
 でも返ってきた答えは、今まで一度もやったことがありません、だった。
 どうやら、お母さんに甘えて育ってきたようだった。

 それでも、彼女はマジメで行動力のある子だった。
 言われたことは、とにかくやってみる。
 だが甘えて育ったせいで自分の実力が計れず、ついつい背伸びしてしまう。
 結果、失敗してしまうことが多い。
 でもそれさえ直せば、他の一年部員と違って努力家だし、ちゃんとした料理も作れるようになる。
 そう思って、目を掛けている。

 あたしは笑い返す。
「これじゃあたし太っちゃうよー」
 アベちゃんは口をちょっと尖らせた。
「……どーせあたしは先輩と違って太ってますよぅだ」
 いじけるように、セットのオレンジジュースに入っているストローをかき回した。
「ありゃ。そんなつもりじゃなかったんだ。ごめん。ごめんなさい」
 頭を下げて謝る。
 彼女は、くすっと笑った。
「冗談ですってばぁ。そんなに真剣に謝らないで下さい」
「え、あ、そか。なんだ、良かった」
 お互い笑い合う。
 だが、あたしの笑いはぎこちなかった。

 いつもあたしは思うことがある。
 “女の子って難しいな”ってこと。
 あたしはどうも、世間の女の子とはズレてるからなぁ。
 スポーツや芸能人なんかどーでもいいし、あと食べ物関係以外は、流行にも疎い。
 まあ、恋愛については珍しく、片思い中の男の子がいたりするんだけど……
 ほとんどは料理とお菓子作りの青春って感じ。
 時々、これでいいのかなーなんて悩むけど、でもやりたいことだからなー。
 今、やりたいこと思いっ切りやんないで、あとで後悔なんて嫌だもん。

 ふと気付くと、アベちゃんが熱い眼差しであたしを見ていた。
「そんな不器用で、素直な部長も好きです」
 あたしは瞬間的に赤くなった。
「ちょ、あんたはリョウちゃんが好きなんでしょ!」
 彼女は口に人差し指をあてがって、考えた。
「んー……。別腹?」
「ばっかじゃないの!」
 あたしたちは爆笑した。

 リョウちゃんというのは、アベちゃんのクラスにいるクラス委員長で色白の眼鏡ちゃんだ。
 名前は、花鳥 涼夏(はなとり りょうか)。
 長い黒髪を風になびかせ、いつもクールな目をしてる。小憎らしい。
 色白ってだけでも、色の黒いあたしから見ればムカつくってのに。

 あの子は先輩のあたしどころか、生徒会長、いや、先生にだって、堂々と思ったことをなんでも言ってのける。
 あんなに真っ直ぐな子、見たことない。
 しかも、その口にすることがいちいち正論で合理的で隙がない。
 だからって頭が固いわけでもなく、ちゃんと空気が読めて優しい。

 ああいう完璧タイプは、あんまり敵には回したくない。ホントは。
 でも……リョウちゃんの彼氏ってのが、ちょっといい男なんだよなぁ。

 風光 明信(かざみつ あきのぶ)クン。リョウちゃんと同じクラスの男の子。
 アベちゃんとのスウィーツ対決のときに彼を初めて見た。
 そのときは頼りなさそうな子だなーなんて思ったんだけど。
 彼のお菓子作りの腕は相当なモノだった。その時点であたしの中での好感度は急上昇。

 あたしは彼の目を確かめた。
 その眼の輝きには、強くて、優しくきれいな魂が宿っていることが見て取れた。
 あたしはこれでも人を見る目には自信がある。
 というのも、お姉ちゃんっていう反面教師がいるからだ。
 お姉ちゃんはいーっつも、ろくでもない男にばっか引っかかって、そのたびにヤバイ目に遭ってる。

 とにかく。
 あたしは十七年、もうすぐ十八年だけど、生きてきて初めて心を動かされる男の子に出会った。
 だから、リョウちゃんに宣戦布告させてもらった。
 リョウちゃんに負けないくらい、堂々と。

 あとで食べた彼の作ったお弁当もおいしかった。
 風光クンは、ちゃんと言葉を選んでしゃべることができるってのも、ポイント高いな。
 声も優しくて、でも、なよなよした感じでもなくて。

 ……リョウちゃんのことをホントに好きで。
 たぶん、彼はリョウちゃんのためなら、どんなに危険なときでも真っ直ぐ突っ込んで行くと思う。
 そんな人としても正しい男の子、そうそういないよ?

 だから、惚れたんだと思う。
 そんなふうにあたしが愛されるワケないんだけどね。
 でも、それでもあたしは彼のそばにいたいと思う。

 あたしは風光クンと接するにあたって、お姉ちゃんに相談した。
 ホントはお姉ちゃんに言うのって、ちょっとどうだろうって思ったんだけどさ。
 他の誰に相談するってのよ、こんなこと。

 お姉ちゃんが嬉々として語った話では、男の子ってのは基本的に甘えん坊。
 だから年上の女の子は実は結構、有利なんだそうな。ちょっと嬉しかった。
 それでお母さんから呼ばれるみたいに、下の名前で呼ばれるのはもちろん大好きだって。
 そんなわけでとりあえず、あたしは彼に好印象を与えるため、アキ君と勝手に呼んでいる。

「それで、部長のほうはどうなんですか。風光君とはあれから逢いました?」
「んにゃ」
 あたしは頭の後ろで手を組んで、小綺麗な高い天井を見上げた。
 そういえば、学校以外で逢ったことないんだよなー。
 そりゃケータイのメアドくらいは、あたし特製の入部届に書いてもらったから知ってるけどさー。
 二人きりで逢うってのは色々無理だよなぁ。

 やっぱ、この夏休みの後半戦で一気に巻き返すしかないかぁ。
 後半になれば、リョウちゃんの家で料理部合宿だ。
 ちょっと気合い入れて、対決してみっか。

「あ、そう言えば昨日、生徒会の仕事で学校に駆り出されたとき、リョウちゃんには会ったけどねー」
 あたしもリョウちゃんもクラス委員長だから、生徒会の会議や委員の仕事なんかでは会うことになるのだ。
 ま、あたしはそんなのテキトーだけど、あの子は違う。

 委員会での彼女の印象は冷たくマジメで無表情で、きれいだけど危うい感じの一年生、だった。
 でもある日を境に、あの子の表情がちょっと柔らかくなった。
 あれはたぶん、アキ君と付き合い始めた頃なんだと思う。

 その変化に、なんだかホッとしたのも事実だ。
 あの子のほうが年下なのにヘンなんだけど、今のあたしには同年代の友達みたいな感じ。
 ライバルで、でも尊敬できる友達。そんな関係。

 あたしがリョウちゃんと会ったって言葉に、アベちゃんは飲みかけのオレンジジュースを吹き出しそうになった。
「ちょ、それなんで先に言ってくれないんですか! 涼夏様に会えるならあたし学校行ったのに! 部長、頼みますよぉ!」
「あ、そか! いや、全然思いつかなかったよ、ごめーん」
 アベちゃんはまた、口を尖らせた。
 謝りながら、ふと出入り口に目をやると、見知った挙動不審人物がいた。
「あ、イヌキン! こっちこっち! 遅いよ、なにやってんの!」
 彼が駆け寄ってきて、びしっと真顔で敬礼した。
「サー! 実は宇宙人にさらわれそうになり格闘の末、友情が芽生えて夕日に向かって走り出し遅れました! 申し訳ありません! サー!」
 あべちゃんがまた吹いた。他のお客さんも失笑している。
 あたしもちょっとだけツボに入ったけど、ここは叱っとかないと。
「んなわけあるか!」
 彼は急に態度を崩した。
「ですよねー。でもちょっと笑えたでしょでしょ?」
 あたしは彼の顔に両手を伸ばし、その頬を横に広げた。
「憎ったらしーったら!」
 彼は泣きそうな声をあげた。
「ふひふぁへん! はんふぉーふぁん! ゆゆひへぇー」

 このふざけきった男子は、アベちゃんやみんなと同じクラスの一年、坂本 欣司(さかもと きんじ)。
 アキ君がリョウちゃんと付き合い出す頃に、アキ君と友達になったらしい。
 でもどうやら、あんまり親しいってほどでもなさそうだ。

 あたしは、アキ君に食べてもらおうと作ったお弁当をコイツに食べられた。
 頭に来たあたしはその放課後に呼び出して、小一時間、こんこんとお説教させてもらった。
 それがなんだか彼には嬉しかったらしく、まるでイヌのように懐かれてしまった。
 だから、あだ名はイヌキンと付けた。

 確かにこの子はこの子で純粋なんだろうけど、あまりにも常識が無い。無さ過ぎる。
 しかも、ふざけてばかりで中身がない。
 お説教もしおらしく聞いてたけど、ホントに意味が通じてるのか、疑わしい。

 ただまあ、背も高いし見た目もイケメンだし、それなりにお金も持ってる。
 ちゃんとこの性格さえ調教すれば、けっこういい男になるかも知んない。
 そんなちょっと育てゲーみたいな気分もあって、下僕にしている。

「イヌキン。とりあえず、遅れた罰としてここの払いは全部、あんた持ちってことでいいね?」
 元々、払わせるつもりだったんだけど。
 彼はまた、敬礼した。
「はっ! 喜んで!」
 あたしは頷くと、横の椅子をあごでさした。
「お座り」
「はい! 失礼します!」
 答えると、いきなり靴を脱いで椅子の上に体育座りをした。

 しばし沈黙。
 イヌキンはツッコミを待っているようだ。
 あたしは当然のごとく、無視。
「それでさ、アベちゃん。後半の合宿だけど」
「はい、楽しみですよねー」
 イヌキンが三角座りの膝に顔を埋めて泣いた。

「ふむ。ここが君のアルバイト先か。良い雰囲気じゃないか」
 なーんか、聞き覚えのある特徴的なしゃべりかたが聞こえるぞー。
 あたしとアベちゃん、イヌキンがいっせいに出入り口に顔を向けた。

 リョウちゃんとアキ君だ。それに背の低いポニーテイルの女の子も一緒だった。
 あたしはダッシュでそのそばに行った。
「やぁ! バカップル! 偶然だねー!」
 彼がわたしに気付いて、挨拶をした。
「あ、安藤部長じゃないですか。 なんでここに?」
 あたしはとびっきりの笑顔を向ける。
「うん。ここ、おいしくってさ、最近のお気に入りなんだよねー。って、さっきリョウちゃんが言ってたの聞いちゃったけど……」
「ああ。はい、俺のバイト先ってここなんですよ」
 なんという嬉しい誤算。
 彼が明るく続ける。
「そっか、先輩も来てたんだ。ありがとうございます。俺、裏方なんで客席とかは全然見てなくて気付きませんでしたよ」
 アキ君がお弁当だけじゃなくて、おいしいスウィーツも作れる理由が分かった。
 リョウちゃんが間に割って入って来て、会釈する。
「こんにちは。安藤部長」
 動きは優雅で上品だが、目はあたしを凍り漬けにしそうな光を放ってる。
「ところで、一つ言わせてもらいます。人の上に立つ立場の人間が、他人の話を盗み聞きとはいかがなものでしょう」
 うわ、来たよ。正論攻撃。
 あたしはあんたみたいにいっつも理論武装してないっての。
「いや、それはその別に聞こうと思って聞いたんじゃなくて……」
 突然、横からアベちゃんが飛び込んできて、リョウちゃんに抱きついた。
「涼夏様ぁ! 逢えなくて寂しかったですぅ」
「ああ。阿部さんもこんにち、あ、だから胸に頬ずりは、やめてくれ」
 ふう、助かった。ナイス! アベちゃんアタック!

 あたしはリョウちゃんをアベちゃんに任せて、アキ君のそばにいたポニーテイルの女の子に目を向けた。
「その子は?」
 アキ君が何か言う前に、彼女が挨拶をした。
「こ、こんにちは。風光 ふゆなです。風光の妹で、中三です。よろしくお願いします」
 ちょっと鼻に掛かった可愛い声だ。
 勝ち気そうなツリ目は澄んでいる。
 この子もやっぱりきれいな心なんだろうな。
「はい、こんにちはー。あたしは明信君の部活の部長で、安藤って言います。よろしくね」
 もう一度、彼女はお辞儀をした。
 あたしはニッコリと笑い、アキ君に話しかけた。
「こんな可愛い妹さんがいたのねー」
「いや、全然可愛くないッスよ」
 ふゆなちゃんが、彼をギロリと睨んだ。

 次の瞬間、ふゆなちゃんは悲鳴を上げた。
 見るとイヌキンがひざまづいて、その手の甲にキスをしようとしていた。
「おお! なんとお美しい姫君。わたくしはひと目であなたの恋の奴隷になりました」
 あたしとアキ君が同時にイヌキンの頭をはたく。
「トキン! てめ、俺の妹に手ぇ出すたぁ、いーい度胸だ! 表ぇ出ろ!」
「こんのバカイヌ! ロリコン! セクハラ魔人! 表に出な!」
 さらに、リョウちゃんまでもがイヌキンに冷凍光線を喰らわせた。
「ふゆなちゃんを汚す行為は許さない。即刻、立ち去れ」
 彼はすくみ上がりながらも、反抗した。
「ひょほうううーっ! みみみんなしてなんだよー! だって可愛いじゃんかよー! 男の本能が疼くのよー!」
 今度は三人でまたその頭をはたいた。
「あ、止めてあげて下さい。あたし全然、気にしてないし」
 ふゆなちゃんが、まるで浦島太郎がカメを助けるようにイヌキンの前に立ちはだかった。
 それを見たあたしたちはお互い顔を見合わせ、なんとか怒りを収めた。
 いい子だなぁ。ふゆなちゃん。

 アキ君の、出入り口付近にいると邪魔になるという発言に促され、あたしたち六人は奥の広いテーブルに移った。
 あたしはイヌキンに命令した。
「イヌキン、あんた、みんなの注文取りなさい。みんな、今日はこいつのおごりだからなんでも注文して」
 誰もが頷いた。
 彼は半泣きで、みんなの注文を取る。みんな一様にケーキセットを頼んだ。
 ふゆなちゃんは彼をちょっと可哀想に思ったのか、よしよしと言ってイヌキンの頭を撫でた。
「ふゆなちゃん……えぐっえぐう……い生きてて、よ、良かったよぅ」
 アキ君が物凄く嫌そうな顔をしている。
 リョウちゃんは水の入ったコップを手にしているが、飲む気配はない。
 視線は相変わらず冷たくイヌキンを見据える。
 たぶんイヌキンが何かしでかしたら、あの水をぶっかけるつもりだろう。

 イヌキンが立ち上がって、執事のようなしぐさで頭を下げた。
「それではしばらくお待ち下さい、お嬢様」
 そう言って注文を伝えに行った。てか、店の人を呼べばいいのに。
 アキ君が彼を見送って、大きな溜息を吐く。
 リョウちゃんは、ホッとしたのか手に持っていた水を一口飲んだ。
「それで、部長。疑問があるんだが」
「なに、リョウちゃん」
「なぜ、彼はインキンと呼ばれているんだ?」
 彼女以外の全員が吹き出した。ついでに隣のお客もコケた。
 そ、そうだった。リョウちゃんはそういう下ネタ部分の知識がまだまだ発展途上だったんだ。

「いいいインキンじゃねぇぇぇよぉぉぉっ!」
 イヌキンが泣きながら駆けてきた。
 まあ、似たようなモンな気もするけど。

 アキ君が苦笑いで、リョウちゃんに耳打ちしている。
 リョウちゃんの頬がほんのり紅色に染まった。
「間違えてすまない。それはそういう意味だったのか。しかし、ある意味合ってるかも知れないな」
 わたしは思わず、笑った。
「あっはっはっ! ヒドイ! ヒドイよリョウちゃん! ま、あたしも似たようなモンだと思ったけどね!」
 イヌキンはまた、ふゆなちゃんに慰めてもらっていた。

「お待たせしました」
 声のとってもいい、目の細い男性がわたしたちの注文した品を運んできた。
 とても器用に六人分のケーキをプラスチックのトレイに乗せている。飲み物はあとなのだろう。
 アキ君がちょっと驚いて挨拶する。
「あ、店長! すみません。ここは俺がやりますから」
 店長と呼ばれた男の人は、ニコリと笑う。
「まあまあ。君は今日はお客様なんだから」
 ていねいにそれぞれの注文を確かめながら、手際よく注文の品をテーブルに並べた。
 それが終わると彼はウェイトレスを呼んだ。
 テーブルにホールまるごとのアップルタルトが置かれる。
「えっ、店長これは……」
「いや、せっかく君の友達がたくさん来てくれたんだ。店のおごりだよ」
「ええ! そんな。俺、これの分、払いますよ」
 店長さんは和やかな笑みで、話を変えた。
「いいっていいって。それで、どの子が君の彼女なのかな?」
 あたしと同時に、リョウちゃんが立ち上がって答えた。
「あたしです! 安藤 奈津子っていいます! よろしくお願いしまーす!」
「わたしです。花鳥 涼夏と申します。いつも明信君がお世話になっています。これからも彼共々よろしくお願いします」
 深々とお辞儀をした。
 やられた。このそつない落ち着いた大人の対応。
 あたしにはないものだ。ホントにこの子は一年生なの?

 唐突にイヌキンが両手の指を組んで、くねくねと気持ち悪い動きをした。
「あたしもぉ、アキタンのことがぁ、好きなのぉ!」
 アキ君がすかさず、彼のみぞおちに鉄拳制裁。
「アキタンだけはやめろ!」

 店長はくすくすと笑った。
「どうやら、アキ王子はプレイボーイのようでいらっしゃる」
 真っ赤になって、ぶっきらぼうにつぶやくアキ君。
「だから! 王子ってのはやめてくださいよ」
 店長はリョウちゃんとあたしに、それぞれ挨拶した。
「アキ君から名前は聞いていたよ。花鳥さん。噂通りの美人だねぇ。アキ君をよろしく頼む」
「はい。お任せ下さい」
 彼女が気品溢れるお辞儀をした。
 敵わないなー。

「安藤さん、だったね。君の事は知らなかったけど、君も素敵な女の子だ。三年生かい? アキ君はまだまだあんな調子だから、よく導いてやってくれ」
「あ、は、はい! がんばります!」
 なんだろ。この声、ドキドキする。優しくて落ち着く。
 アキ君への感情とはまた違う、気持ち。
 あたしってホントは惚れっぽかったのかなぁ。
 やだ、なんかお姉ちゃんと同じ血が流れてるみたいで、ちょっと気持ち悪い。

「店長さん。あんたの声ってさー、声優みたいだって言われね?」
 復活したイヌキンが横柄な態度で口をきく。
 あたしとアキ君、それにリョウちゃんの三人が一斉に彼を睨んだ。
 店長は笑いながら、彼のそばにきた。
「ああ、そうだね。よく赤いのとか三倍のとか、仮面の男とも言われるね。ぼくにはなんの事やらだけど」
 ひょいっとイヌキンの手にトレイを渡す。
「ところで君は、目上の人間に対する口のきき方が成っていないようだねぇ。ちょっと、それを縦に持っていたまえ」
 不思議そうにそれを持つイヌキン。
 わたしたちも何が起こるのか、怪訝な顔で見守った。

 店長はそのトレイを撫でるように、すっと手で切るしぐさをした。
 すると。
 ホントに真っ二つになってしまった。
「し、しぇ――ッ?!」
 イヌキンが悲鳴を上げた。
 店長はそのトレイを回収しながら、笑った。だけど、今度のそれはまるで悪魔みたいだった。
「次はないからね。よく覚えておくように」
「は、はひ! 失礼しましたっ!」
 イヌキンは素早く床に降りると、額を擦りつけるように土下座して謝った。
「よろしい。それじゃあ、みんな、ゆっくりしていってください」
 そう言って、何事もなかったかのようにふわりと、立ち去る。
 てか、店長何者――?

 あたしたち、みんなは楽しくそれぞれの頼んだものを食べた。
 するとグッドタイミングで店長が飲み物を運んできた。
 品物を確認しながら、空いたケーキのお皿を見事な手際で飲み物と入れ替える。
 それが終わると、トレイをテーブルに置いて話し始めた。
「さて。ぼくからちょっとみんなに言っておきたいことがあるんだ」
 なんだろ。みんなは飲み物に口付けずに、彼を見た。

「みんなは、ここにいるアキ君のことが好きなはずだ。もちろん、それぞれその度合いは違うと思うけれど、でも嫌いではないだろう」
 アキ君が、驚いて立ち上がりそうになる。
 でも、店長はそれを手で制した。
「アキ君、まあ最後まで聞いてくれ。それで、このアキ君もまた、みんなのことが好きだと思う」
 あたしを含めたみんなが、アキ君に目を向けた。
 彼は赤くなってうつむいてしまう。
 店長は続ける。
「人と人は不思議な巡り合わせで惹かれ合う。しかし、それを放っておけば何も出来ないまま、その関係は終わってしまうんだ」
 なぜだか分からないけど、でも、その言葉には重い響きがあった。
「努力をしなければより良くはならない。行動をしなければ何も産まれない。だから、努力と行動だけは忘れないで欲しいんだ」
 声に哀しみが混じる。
 この人は何かつらいものを背負っている。そう感じた。
 しん、と静まるあたしたち。
「ぼくが言いたかったのは、それだけだ。すまないね、こんな繰り言。それじゃあ失礼するよ」
 一礼して、軽やかに去っていった。

 少しの間、沈黙が続いた。
 それぞれ、思うところがあるのだろう。
 アベちゃんが、ぽつりと言った。
「店長さん、校長先生みたい」
 その一言で、場が和んだ。
 あたしは笑って、コップを持ち上げた。
「乾杯しよ! この出会いにさ!」
 イヌキンがげんなりした口調で言葉を吐いた。
「うわダッサ! やめてくださいよ、そういうの。店長さんもなんであんなつまんねー話、俺たちにすんだぁ?」
 うーん。まだまだ、こいつは鍛えないとダメだなー。
 あたしがイヌキンに制裁を加えようとしたとき、アキ君が真剣な表情で彼の胸ぐらを掴んだ。
「てめぇ、マジで言ってのか。店長の話はつまんなくねーんだよ」
 ふーん。アキ君はなにか店長の事情を知ってるみたいね。
「まあまあ、アキ君。そいつがバカなのは今に始まったことじゃあないから、許してやんな」
「ちっ」
 舌打ちしてその手を離した。
 あたしはもう一度、仕切直す。
「じゃ、この出会いとあたしたちのこれからに乾杯!」
「かんぱーい!」
 イヌキンもとりあえず、形だけはグラスを合わせた。
「はいはい、乾杯と」

 あたしはその日、好きな人たちに囲まれていた。
 それはあたしの大事な、そして素敵な思い出の一ページになった。
 そう、お店の名前と同じ、未来へのお土産《スーヴェニール》に。


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