[夏休みの] 6.水平線


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「海だー!」
 わたしたちが駅を降りると、ふゆなちゃんが嬉しそうに言った。
 遠浅で穏やかな紺碧の水平線が目の前に広がっている。

 八月十九日。
 安藤部長の立てた予定通り、わたしの家で合宿していた料理部プラスアルファのメンバーは海に来た。
 この日、母のお盆休みが終わり、保護者がいなくなる。
 それはすなわち五日間続いた、わたしたちの合宿生活も終焉を迎えると言うことだ。
 部長によると、海水浴場も今日が最終日で花火大会もあるのだという。

 わたしたちは、海の家でそれぞれ水着に着替えた。
 わたしは更衣室に入ると、前をジッパーで留めるチューブトップの水着をカバンから出す。
 明信君の家に泊まらせてもらっていたとき、ふゆなちゃんと買ったものだ。

 髪をまとめ、ねじるようにして上げて、髪留めで留める。
「そう言えばずいぶんと髪を切っていないな……明信君は短くするのを嫌がるだろうか」
 髪を切らなかった理由……なにかあったはずだが忘れてしまった。

 着替え終えて浜辺に出ると、明信君と坂本君がすでに着替え終わっていた。
 男子は簡単で良いな。
 明信君は落ち着いた色合いの短パン、坂本君は逆に非常に派手な色合いのビキニを履いている。
 坂本君がわたしを見て声を上げた。
「うひょう! やっぱ委員長、女神のスタイルだぜ?」
 わたしは正直な意見を返す。
「君に褒められても、あまり嬉しくはないな。それよりも……」
 わたしは明信君を見つめた。
「もう一度、言ってくれないか。プールで言ってくれた言葉を」
 明信君は真っ赤になってうつむいてしまう。
「え、いや、その二人きりなら……」
 ちらりと坂本君を見る明信君。
 わたしは頷いて、坂本君に振り向く。
 渾身の力を眼に込めて、睨み付けた。
「ふ、ふひょっ?!」
 すくみ上がった彼は捨てゼリフを残して泣きながら走り去った。
「ちっくしょ――ッ! ザミのくせに――ッ!」

 わたしはそれを見送って、明信君に顔を戻す。
「これでとりあえずは、ふたりだけになったぞ。さあ、言ってくれ」
 彼が何かつぶやいた。
「む。聞こえない。もっとハッキリ言ってくれないか」
 明信君は意を決したようにわたしを見て、口を開いた。
「すすすごくっきききれいで、似合ってる、よ!」
 その言葉から、わたしに彼の鼓動が伝わる。
 わたしはそれを受けて、顔がほころんだ。
「ありがとう。とても嬉しい。ごほうびだ。ここ最近はみんなの目があって、してなかったしな」
 彼の頭を両手で挟み、顔を近づけた。
「ん……」
 彼がわたしの手から逃れた。
「わっ! こんなトコでやめろよ!」
 顔どころか全身を赤くして、抗議する。
「「む。そうか。しかたない」
 残念だが、無理強いしても意味がない。
 お互いがそういう行為を、受け入れられる気持ちのときでないとな。
「また完璧に二人きりになったときにはよろしく頼む」
「あ、ああ……」
 彼が曖昧に笑った。
 そういう、やや困ったような笑顔も可愛らしくて好きだな。

 ふいに、阿部さんが声を掛けてくる。
「涼夏様! 涼夏様は泳ぎも当然、巧いんですよね! 教えてくださいよぉ」
「ああ、それはそれなりに泳げるが……」
「はい、けってーい!」
 わたしは阿部さんに手を引かれ、強引に海のほうへ連れて行かれた。
 明信君は、軽く手を振っている。
「マリリンも構ってあげなよ」
 むう。しかたないな。


「ティンと来た! キター!」
 坂本さんが、かき氷を目一杯食べて頭痛に耐えてる。
「そんなにいっぺんに食べるから。バカじゃないの」
 あたしもレモン味のかき氷を、一口食べた。
 甘酸っぱくて冷たい。
 レモンってなんか夏って感じする。

 海の家の日陰であたしと坂本さんは、かき氷を食べていた。
 浜辺のほうで、佐藤さんや海原のお姉ちゃんズが立派なお城を造っている。
 海の浅瀬じゃ、涼夏お姉ちゃんと阿部さんが泳ぎの練習なんかしてる。
 んー。お兄ちゃんと部長はどこだろ。見あたらないなぁ。

 頭痛から立ち直った坂本さんが話しかけてきた。
「ふゆなちゃんは、ザミとか委員長のところに行かねーの?」
 少しドキッとした。
 ホントはちょっと坂本さんが気になるからここにいるんだけど……。
 そんなこと言えない。
「あたしがここにいるのが邪魔なんですか?」

 あうう! ヘンな空気が流れたじゃん!
 よりにもよってあたしってば、なに言ってんの!
 坂本さんは、でもおどけて答えてくれる。
「いえいえ。姫君がそばにおられるだけで……――震えるぜッ! ハートォッ! 刻むぜッ! 魂のビートォォォッ!」
 その前と後ろのテンションの違いに思わず大笑いしちゃった。
 このひと、ホントおっかしいの。
「お、受けた受けた。やるじゃん、オレ」
「坂本さん、おかし過ぎるよー」
「わーい」
 素で喜んでる。ホント子供みたい。

 わたしはまた、かき氷を食べながらちょっと聞いてみた。
 この前から気にしていることだ。
「あ、あのさ。坂本さん。今、その好きな人とか……いるのかな。ほら、真帆さんとか?」
 坂本さんは、かき氷の溶けたところをちょっとすすった。
「ん……。ふゆなちゃん、鋭いねー? まあ、気になってるって言やあそうかもな。ねーちゃんのほうはキッツいからアレだけど……あああっ」
 坂本さんがふいに頭を抱えた。
 お風呂覗き事件の後の、お仕置きの記憶が蘇ったんだろう。
 一晩中、庭の木に縛り付けられてたもんなぁ。
 坂本さんは気を紛らわそうとするように、ほとんど溶けたかき氷を一気に飲み込んだ。
「ふーっ! いやーあんときはマジ勘弁してくれって思ったぜ。あっついし、体中、蚊に喰われまくるし、トイレもずっと我慢してたし……もう涙でねずみ描いちゃおっかなーなんてな」
「それなんて偉いお坊さん?」
 思わずツッコミを入れる。
 お互い笑い合った。

 でも、あたしの心は沈んでた。
 そっか……やっぱ真帆さんのこと、気になってたんだ。
 うう、ショックー。

 あたしは溶けきったかき氷を口に運ぶでもなく、その器を揺らしながらボンヤリしていた。
 坂本さんが見知らぬ女の子を見てつぶやいた。
「お。あの子、ツインテかわいいな」
「ツインテ?」
「ああ。ツインテールって言って、こう髪を左右に分けて、まとめて垂らす髪型さ」
 自分の髪を使って真似てみせる。
「けっこう好きなんだよな。かわいいじゃん。あ、ふゆなちゃんもやってやろうか?」
 急に手を伸ばしてきたから、反射的にそれを払う。
「ちょ! 女の子の髪、勝手に触んないでよ! バカ! ヘンタイ!」
 ついでにかき氷をぶっかけた。
「ふひょっ?!」
「じゃあね! ごちそうさま!」
 あたしは自分の気持ちがよくわからなくて、ただなんかムカついてその場を後にした。


 海の家の裏にある路地。
 そこの自販機で、あたしはアキ君にコーラを買ってあげていた。
「はい、どうぞ」
 飲み物をおごるってのを口実に、さっき独りになったアキ君をちょっと強引にここまで連れてきてたんだ。

 彼はよく冷えた缶を受け取ると、お礼を言った。
「あ、ありがとうございます。部長」
 あたしは笑顔でそれに答えると、同じものをもう一本買う。

 人通りの少ない路地を、あたしたちはぶらぶらする。
 彼が缶を開けて口を付ける。
「じゃいただきます。……ん、うめぇ……ごくごく……」
「あたしも飲もうかな」
 ちらっと彼を見ると、その喉仏が上下していた。
 なんだかドキリとした。
 あたしは缶を開けずに、ほほに押し当てた。

 しばらく歩くと、海の家が途切れた場所に木陰があった。
 あたしたちは、その下に座って海を見た。
 波と風の音が緩やかに流れていく。

「あのさ。アキ君」
 彼はあたしのほうを見て、いつものように屈託無く返事をする。
「はい、部長」
 あたしはその優しげな瞳に顔が赤くなるのを感じた。
 だから、その瞬間の想いを率直に言葉にする。
「好き」
 彼は飲もうとしていたコーラを吹いた。
「ななな、いや、それはその知ってますけど、えーと……」
 あたしは真顔で彼の手を取り、あたしのビキニの胸に乗せた。
「リョウちゃんよりは少ないけど、でも、それなりにあるんだよね」
 さらに彼の手の上から、力を入れる。
「揉んでもいいよ」
 彼はあたしの手を払った。
「や、やめてください!」
 彼が少し離れて睨む。
 あたしはそれを無視して彼の股間を見た。
「ははっ、反応無しかー。エライねー」
 彼は急いでそこを手で隠すようにした。
「どこ見てんスか! もう!」
 可愛いな。ホント、可愛い。
「はははっ。アキ君はさ、ホント真っ直ぐで裏表が無くて前向きで……いい子だよ」
 あたしは目線を足元の砂に落とした。
「あのリョウちゃんと、お似合い過ぎるほどお似合い……」
 視界が歪んだ。あ、泣きそう。泣く。あー、もういいや、泣いちゃえ。
「ふふっ、なんで、なんでもっと、早く出会えなかったのかな……こんな気持ちに、なるんだったら、いっそ、出会わないほうが良かったかも、なんて思うよ……」

 しばらく、あたしの嗚咽だけがそこにあった。
 やがて彼がそばに来て、優しい言葉を掛けてくれた。
「いいえ。俺は出会わなかったより、こうして出会って、話してるほうがずっといいって思います」
 わたしは顔を上げて、彼に抱きついた。
「うわっ?!」
 彼を抱きしめる。
「少しでいいからこうさせてよ……大好きだよ、アキ君」
 彼は振り払ったりはしなかった。でも抱き返してもくれなかった。
 それでもいい。あたしの想いを身体ごとぶつけたから。
 ああ、このまま時間が止まればいいのに。

 だけど、現実にそんなことは起こらない。
 さらに彼を抱きしめた。
「ちょ、苦しいですって、部長……」
「いいじゃん、ケチ。もっとアキ君の身体、感じさせてよ……」
 自分の言った言葉で急に鼓動が早くなる。
 彼も同じなんだろう、触れている頬が熱くなった。
「あ、部長? も、もういいでしょ。あ、暑いし、ね?」
「ダーメ」
 にひひ、と笑ってお尻を触る。っていうか撫でくり回す。
「うひゃ?! や、やめてやめてください! ひぃー! これってなんて逆セクハラー!」
 彼のしっかりした大臀筋をたっぷり堪能して、背中に手を戻す。
「ふー。でもこれでも、アキ君の、反応しないなんて……かたくなねぇ」
「え、ええ。まあ……」
 ちぇっ! 勝てないなぁ。

 あたしは彼を抱いたまま、その心地良さからか、つい、家のことなんか話してしまう。
「あたしね、リョウちゃんと似たような家庭事情なんだよね。両親、共働きで。お姉ちゃんも居たけどだいぶん前に家、出てるんだ」
 彼の肩にあごを乗せた。
「でも時々は寄ってみたりしてるし、あとウチはチビの弟たちがいるから、そんなに寂しくはないんだけどさー」
 彼は黙って聞いてくれている。
「なんか気が付いたらあたし、家ではみんなのお母さんでさ。でも、お父さん役の人はいないんだよ」
 自嘲気味に笑う。
「好きな人に甘えたかったのかなぁ。自分じゃそんなの有り得ないなんて思ってたんだけど」
「部長……」
 ちょっと身体を離して、笑いかけた。
「あたしさ、三年じゃん。文化祭終わったら、もう部長じゃなくなるんだよね。奈津子に戻るんだ」
「はい」
「だから、ね。ちょっとそう呼んでみて?」
 彼は苦笑いした。
「委員長にも、まだ名前で呼んでないんで遠慮しときます」
「もう! 頑固者! そんな子には、ちゅーしちゃうんだから!」
 あたしは彼の頭を固定して顔を近づけた。
「うわわ!」
 顔を背けようとするが、がっつりホールドしているので動かせない。
 ふふ、あと数センチ……。
 んー……

 と、そこへビーチボールが飛んできて彼の頭を直撃した。
「はわっ?!」
 飛んできた方向を見ると、ふゆなちゃんが仁王立ちしていた。
 髪型が来たときと違って、ツインテールになっている。
「お兄ちゃん! バカでヘンタイだとは思ってたけど、そこまでダメダメだったなんて!」
 彼女は猛ダッシュで駆け寄ってくると、飛んだ。
「男なんてみんな死んじゃえ――ッ!」
 見事な両足蹴りがアキ君の腹部に決まった。

「おごっ! おごぉぉぉっ!」
 苦悶して、のたうち回るアキ君。
 ビーチボールを回収して、捨て台詞を残すふゆなちゃん。
「ふんっ! 涼夏お姉ちゃんに言いつけてやるんだからっ! 覚悟しなさいよ!」
 あたしは彼女を引き留めた。
「ふゆなちゃん、それはやめてあげて。これは全部あたしがやったことだからさ。ね、お願い」
 彼女がいぶかしげに見つめる。全く彼を信用していない態度だ。
「こんなクズ、かばう必要なんてないんですよ。襲われたんですよね。キッチリ落とし前は着けさせますから大丈夫です。あ、それとも何か弱みでも握られました? だったらちょうどいいや。このまま、おもり付けて海に沈めます」
 うーん。この子もアキ君に対してだけは相当、屈折してるなぁ。

「ふゆなちゃん。探したぞ。こんなところにいたのか。……ん? なにがあったんだ」
 リョウちゃんとみんながやってきた。
 ぐったりと砂の上に転がるアキ君と、ふくれっ面のふゆなちゃんを見ている。
 あたしは素直に謝った。
「リョウちゃんごめん。ちょっとアキ君の身体、弄んじゃった」
 この暑い中、どこかで氷が張るような音がした。
 どこか、じゃないな。リョウちゃんからだ。
「く。うかつだった。部長の動きに細心の注意を払うべきだったのに。海に来た高揚感ですっかり舞い上がっていたようだ」
 ひとしきり反省すると、あたしを氷の眼差しで睨み付けた。
 まるで水着の雪女が現れたみたい。
「それで。どこまでやったんですか」
 あたしは怯まないように、ニッコリと笑う。
「あなたと同じレベル、ってトコね」

 海原姉がつぶやいた。
「花鳥さんから吹雪が吹き出してる! なんという猛吹雪なんだ……っ!」

 リョウちゃんがほんの少し口元を上げた。
「実はあなたに言ってない事実がある」
 あたしは驚いた。まさかリョウちゃんが隠し事を出来るとは思わなかったからだ。
「おっと。誤解を招かないように言っておこう。あなたの発言で今、思い出したんだ」
 あ、そうなんだ。やっぱりこの子に隠し事は出来ないよね。

「あれは明信君の家に泊まっていた時のことだ」
 うう! やっぱり彼の家でなにかあったのか! くぅっ!
 リョウちゃんは勝ち誇るように言い放った。
「わたしは彼の陰茎を何度も触った」
 あたしを含めたみんなが顔を赤らめて、どよめいた。
「な、なんだってーっ?!」

 アキ君がなんとか回復して、声を上げた。
「あ、あん時はおまえが俺の、ナニを叩いただけじゃんか!」
 リョウちゃんはその抗議に涼しい顔で答えた。
「ふむ。しかし、触ったことには変わりない。触れねば叩けないからな」
 あたしはアキ君に聞いた。
「どういうことよ」
 彼は照れながら、ぼそぼそとつぶやいた。
「あ、その、あ、朝にですね、俺が起きなくてですね、でもナニは物凄くアレで……ソレを委員長がこう何度も叩いてですね、俺を起こしたっていうことなんですよ」
「あー。朝勃ちを殴られたんだ」
「そ、そんなハッキリ……」
 これで真相が判った。
 リョウちゃんに向き直る。
「さすがに詐欺師並みに言葉がお上手ね。でも、それならあたしだって彼のお尻を撫でたよ! いいえ、揉み倒したね!」
 リョウちゃんが、ぴくっと眉をひそめた。
「明信君。それは事実か」
 聞かれた彼は、びくっとしてこくこくと佐藤のアネさんみたいに無言で頷いた。
 リョウちゃんがスタスタと彼に向かって足早に歩いていく。
「え、あ、ご、ごめん。ごめんなさい!」
「立て。立つんだ、明信君」
「へ? は、はいっ!」
 まるでなにか軍事モノの映画に出てくる新兵みたいに直立した。
 リョウちゃんは、後ろに回るといきなり彼のお尻を揉みしだいた。
「あひょはへー!」
 ヘンな声を上げて悶えるアキ君。
 さんざん臀部を陵辱されたあと、彼はその場に崩れ落ちた。

「これでまた、わたしが一歩リードです。部長」
 彼女は握手をするように手を差し出した。
「まだ決着は付いてません。これからもまだまだ、闘いましょう。卒業までよろしくお願いします」
 きれいに微笑む。
 あたしはちょっと唖然とする。
 この子は……こんな三角関係さえも繋がりで、友情で……大事なものだと思ってるんだ。
 こりゃ、あたしも応えなきゃなんないな!
「ええ! よろしく!」
 がっちりと握手を交わした。


 夕方になった。
「委員長、みんなー。こっちこっちー」
 明信君が海の家の縁側で呼んでいる。

 わたしたちは花火大会を待ちながら、浜辺で過ごしていた。
 海の家も最終日の上に花火大会があるということで、閉まらなかった。
 さすが明信君だ。かなりいい場所が取れている。
 みんなは思い思いの所へ腰を下ろした。

 だんだんと辺りに人が集まってくる。
 やがて、開始の時間が来た。
 高い音と共に花火が水平線の向こうから打ち上げられる。
 わたしたち九人は、一斉に見上げた。
 ぱっと大輪の華が咲く。
 そして、大きく独特な花火の音が響く。
 歓声が上がった。
 引き続き、色々な花火が打ち上げられていく。
 青、赤、オレンジ。色とりどりの華。
 潮風に乗って、仄かに火薬の香りがした。

 わたしは隣の明信君の肩に頭を預ける。
 もちろん手も繋ぎ、腕も絡めている。

 今、わたしは幸せだ。
 友達がいて、仲間がいて、愛する人がいて。
 去年までは考えられないことだ。

 出会いは時に残酷だ。
 出会わなければ良かったと思う事もある。
 あの男……慶太との出会いみたいに。

 だが、出会わなければ幸せもないという事を、明信君は教えてくれた。

 初めて出会ったとき、哀しい色の瞳でわたしを見つめたこの人。
 その光には、同情でもなく蔑みでもなく、ただ慈愛があった。

 この人は他のクラスメイトもわたしも分け隔て無く普通に接してくれた。
 あれほど他人を拒絶していたにも関わらず、いつも柔らかく、軽く、優しい言葉を掛けてくれた。

 わたしはこの人のことを好きにならずに、いられなかった。
 そう、運命という言葉を信じてしまうくらいに。

「きれいだな、明信君」
「ああ。全部、最高だ。去年の俺に見せつけてやりてぇくらいだ」
 そう言って明るく笑う。
 わたしも釣られて、微笑んだ。

 やや離れたところで、ふゆなちゃんと坂本君の声が聞こえる。
「おー! やっぱ日本の夏は花火だぜ! なあ、ふゆなちゃん!」
「うっさい。きれいな花火が台無しになるじゃない」
「あ、そういえばそのツインテ、似合うぜ。可愛いよ」
「べ、別に坂本さんが好きだって言ったからじゃないんだからね! ほっといてよ!」

 なにやら、二人の間に変化があったようだ。
 微笑ましい。
 坂本君はああ見えて、もしかすると少しはちゃんとしているのかも知れない。

 そうだ。不意に思い出した。
 髪を切らなかったのは、慶太が長い髪が好きだと言っていたからだ。
 わたしは心を決めた。
「髪を切ろうと思うんだが、君は短い髪の女は嫌いか」
 彼を上目遣いで見上げる。
「ん? 女って言うか、委員長は委員長だからさ。委員長が一番気持ちいいなって思えるようにするのが、いいんじゃないかな」
 彼の言葉はいつも優しくわたしを認め、癒してくれる。

 彼の義母様が言っていた。
『涼夏ちゃんの考え方や感じ方はあなた流なんだから。それでいいのよ』
 『わたし流』で良い。
 わたしの生き方は間違っていない。
 わたしの選んだ道は間違っていない。
 義母様は、全面的に肯定してくれたのだ。

 わたしは得心した。
 やはり、あの義母様があるからこそ、この明信君があるのだ。

 彼が照れながら、言葉を継いだ。
「それに……たぶん、どんな髪型でも似合う、と思うし、さ」
 わたしは目を瞑り、彼の腕をぎゅっと抱いた。
 今の幸せと共に。

《end》


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