迷宮の森 [1]


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 なにを

 しているんだろう。

 わたしは今、帰りの電車を待っている。
 いや、そんなことは解っている。そうじゃない。

 わたしは、彼に傘を貸した。
 歩道橋の下で、彼が来るのを待ってまで。 彼。
 風光 明信(かざみつ あきのぶ)の言葉を思い出す。
 彼は、あの呼び出した日に、3つの言葉をわたしに与えた。

“無理をするな”

 無理をしていたつもりはなかった。だが、彼にはそう見えた。
 そして、そのひと言でわたしも気が付いた。
 わたしは疲れていた。疲れ切っていたのだ。

“過去は忘れろ”

 彼がわたしの過去など知るはずもない。本人も言っていた。
 だが、それでも彼には何かが、解ったのかも知れない。

“自分を赦せ”

 確かに、わたしはわたしに縛られていた。わたしの過去に。
 強く固く氷のように生きなければ、素直に生きる資格はないと、思っていた。
 しかしそれは、わたしが好きだった人を傷つけたという罪の意識の裏返しだった。
 そんな自分が赦せなかったのだ。

 あの日……わたしは解放された。
 そのお礼のつもり、だったのか。自分の行動がよく解らない。
 交差点で、ずぶ濡れの彼を見た時、わたしの中で何かの感情が動いた。
 彼は傘を渡した時、本当に普通に“ありがとう、借りるよ”と言った。
 みんなから疎まれているわたしに、全く臆する事もなく……
 あの呼び出したときと同じ、自然体で。

 わたしに対して無視したり、卑屈な態度を取る人間はたくさんいた。
 だが、彼は違う。誰とでも分け隔て無く普通に接する。

 わたしは、その態度に……どう対応して良いか解らなかった。
 だから、すぐに踵を返した。

「まもなく、2番線に電車がまいります」
 アナウンスが流れて、我に返った。
 夕方のラッシュ。人波に押されて乗車する。
 わたしの降りる駅までは2駅ほどだ。
 窓の景色が雨粒と共に流れていく。
「はぁ……」
 ため息をついた。窓ガラスが少しだけ曇る。

 わたしは

 なにを

 しているんだろう。

 彼に聞くべきだったかも知れない。
 ……なぜ、君にはわたしのことが解るのか。
 わたしには、解らない。
 この気持ちは、なんなのか。
 わたしには、解らない。
 まるで、森に迷い込んだみたいだ。
 出口が見えない。


 俺は、やっと家に到着した。
 どこにでもある分譲マンションの9階。
 まだ、ローンが相当、残っているらしい。
 玄関を入って、すぐに風呂場に向かう。
 ふゆなは、あんまり濡れてないから後でいいと言うので、先にシャワーを浴びることにした。

 風呂場に入り、カランを回す。
 熱めのシャワーを頭から掛ける。
 あー、生き返るー。
 落ち着いて来たら、ふゆなの言ったことを思い出した。

 ……委員長が俺のことを好き……

 そう思った瞬間、なぜか、彼女の体操着姿が浮かんだ。
 体育の時の、あの足と腰つき……。
 そんなことを考えていたら、俺の血流がアマゾンのポロロッカ現象を起こす。
 向かう先はもちろん、股間の海綿体。
「うお、ヤバ! 出よう」
 俺は慌てて、シャワーを止め、振り返って風呂の扉を開けた。
 それと同時に、ふゆなが着替えを持って、現れた。
「もう、バカなんだから、着替え忘れん……」
 なぜ、人間は裸の人を見ると、必ず一度は股間を見てしまうのだろう。
 ふゆなも、いったん俺の股間を見た。
 瞬間的に、ふゆなの顔が赤くなる。
「このスケバカぁぁぁぁッ!!」
 ふゆなが、体重計を神速で手に取り、俺に投げつけた。
 そいつは、俺の大事なニンジャタートルをかすめて、腹にヒット!
「ぐほ!」
 俺はよろけて、湯船に背中から落ちた。

 大きな水音が立った気がする。
 だが、水中では聞こえなかった。
 俺は思い切り、もがく。
「ぶふぉあっ!」
 溺れて死ぬって! でも、よかった。我が息子が無事で。
 俺は湯船の縁に手を掛け、全身の筋力を使って身体を起こした。

「ふゆなぁぁぁーッ!」
「ちっ、もう出てきた」
 そう言いながら、ふゆなは、手に持っていた風呂洗い用のデッキブラシを置いた。
 お前、それで溺れてるトコ突いたら、マジ死ぬよ? てか、助けると言う発想はないのか?
 そう思っていると、ふゆなは目をそらしながら、手のひらを上に向けて突き出す。
 なんだ、ちょっとは良いトコもあるじゃないか。
「ありがとう」
 その手を取ろうとしたら、振り払われた。
 また、湯船に落ちそうになる。
「なにすんだ!」
「バカ、慰謝料払えってのよ。い・しゃ・りょう! そんなきったないモノ見せられて、あたしの乙女心は深く傷ついたの!」
「汚くないし、だいたい乙女心持った人間が慰謝料、要求するかよ!」
「それはそれ、これはこれ!」
 ぬぅ……しばし膠着状態。ふと、俺は我に返った。
 なんでいつも、コイツとはこうなんだ。
「……アホらし。俺、部屋に戻るわ。お前もシャワー浴びろ」
「じゃあ、ツケといてあげる。今、そーとー溜まってるけどねー」

 俺は馬耳東風で、部屋に戻った。
 途中、台所から、肉の焼けるスパイシーな良い匂いがしていた。
 今日はハンバーグかな。母さんのハンバーグは旨いからなぁ。


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