迷宮の森 [2]

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 家の門まで帰って来ると、ちょうど母も帰って来た。
「お母さん、お疲れ様。今日早かったんだ」
「あ、涼夏。お帰りなさい。たまには早く帰る日もないと、やってらんないわ」
 からからと笑った。いつも陽気な人だ。
 この人の落ち込んだ姿は、見たいことがない。

 二人で玄関に入る。
 母は床を大理石にするんじゃなかった、冷たいし雨の日は滑る、などと文句を言っている。
 すると、急に話題を変えた。
「涼夏、夕飯作るの、手伝ってくれないかな」
「はい、着替えてくるから待っていて」
 階段を登り、自室に行く。
 母は料理というものが得意ではない。大雑把過ぎるのだ。
 会社では重役なのにそんな事で大丈夫なのか、とも思う。
 母に言わせると、“それはそれ、これはこれ”なのだそうだ。

 クローゼットから、適当に服を出し、手早く着替える。
 黒いTシャツとGパン。これが良い。料理で多少汚れても大丈夫だ。
 制服を脱いでハンガーに掛け、Tシャツをぐいっと着る。
 おや……胸が、きつくなっている。
 Gパンを穿く。
 こっちは、お尻がきつい。入らない。
 これらを着ていない間の体重は変わっていないから、また部分的に成長した、という結論に達する。

「ふむ……」
 Tシャツは問題になるほどではないので、良しとしよう。
 Gパンは……仕方ない、スカートにしよう。
 スカートこそ相当の期間、穿いていないが……。

 赤いタータンチェックのタイトスカートを出し、穿いてみる。
 腰回りは成長していなかった。それどころか以前より緩いくらいだ。
 特に問題になりそうにないので、これで良い。
 母の元へ向かう。

 一時間後。
 ほとんど、わたしが作った夕食が食卓に並ぶ。
 ビーフカレーと、アボカドとキャベツのコールスローサラダ。
「ごめんね、母親らしいこと、ひとつもできなくって」
 母が苦笑する。
 わたしは気にしないで欲しいと思った。
「でも、お母さんはお母さんに出来ることを、精一杯やってるから良いと思う」
「あら珍しい、涼夏が笑うなんて。ありがとう」
 母は、はにかむように微笑んだ。
 そう言えば……今、少しわたしも微笑んだような気がする。
「じゃあ、冷めないうちに食べましょ。いただきます!」
「はい、いただきます」


 俺の部屋。
 狭いパイプベッドに転がる。
 リサイクルショップで3千円で叩き売られていたものを、バイトして買ったものだ。
 やっぱ、ふとんよりカッコイイし。

 目を瞑る。
 委員長が俺を好き……そのフレーズがパワーローテーション。
 俺の中でCD売り上げ100万枚の大ヒットだ。
 あり得ないっスよ。実際。
 まさに高嶺の花って言うのは、あの人のことだよな。
 それもただ手が届かないだけじゃなく、儚げに、寂しげに、それでも凛と美しく咲く。そんな花。
 俺なんかが手を触れると、壊れてしまう気がする。
 でも……なんだろう、何かしてあげたい。
 俺に何かできるなら。

 だけど、人を寄せ付けない性格だしな……
 あれ? でも俺には傘、貸してくれたよな……うーん……?
 あ、お礼しなきゃな……

 あー! もーなんだ! どうすればいいんだ!?
 思わず、起きあがって脳内ギターを手に、無意味に歌ってみる。
 ♪いいんちょうがぁ〜、おれをぅおうぉ〜すぅきいぃ! いえい!

 部屋の出入り口のドアから、ぱち、ぱちと、やる気のない拍手が聞こえる。
 シャワーを浴びたのか、着替えたふゆなが立っていた。
「見事なバカ歌、ご披露ありがとう。夕食できたってさ」
 そう吐き捨てるように言って、廊下を進んでいく。
「うおー!見てんじゃねーよぉぉ!」
 俺は真っ赤になって、ふゆなを追う。

 リビングの食卓には、母さんの旨そうなハンバーグが並んでいた。
「あらあらまあまあ、ふゆな、あんまりお兄ちゃんをからかっちゃダメよ?」
「だって、バカなんだもん」
 意味が解らない。俺は無視して食卓につきながら、母さんに聞いた。
「今日も父さんは遅いの?」
「そうねぇ、残業、多いそうよぉ」
 ちょっと寂しそうな母だった。
「まあ、でもそのおかげで俺たち、食えてるんだから感謝しなきゃな」
「なによ、バカのくせに良い子ぶって」
 ふゆなも席に着く。
「ふゆな、いいかげんにしなさい……」
 母は声は優しげだが目が笑ってない。
 ゴゴゴゴ……と言う擬音が聞こえそうだ。
 さすがのふゆなも、母さんには弱い。黙りこくる。

「はい、それじゃあ、食べましょうか。いただきます」
「いただきまーす!」
「まーす!」
 さっそくハンバーグにかぶりつく。がぶ、もぐもぐ……。

「うンめぇー!!」
 表面のぱりっとした感触の後、口いっぱいに広がる肉汁と、鼻から抜ける肉のスパイシーな香り、肉の旨味が凝縮されたこの味はまさに! ハンバーグのIT革命やぁーっ!!
「あらあら、まあまあ、良かったわ〜」
 一気にご飯を三杯お代りしてしまった。合間にみそ汁をすする。
 これも旨い。旨いよ、母さん。ずずーっ……

「あのね、お母さん、聞いて聞いて」
 ふゆなが、横でちまちま、食べながら言う。
「このバカ兄貴ね、好きな人がいるみたいなの!」
 俺、鼻からみそ汁噴出。
「うわっ! バカ! きったなーい!! さいてー! 不潔ー! ありえなーい!」
 ガタァッ! とばかりに立ち上がり、俺に罵倒の言葉を好きなだけ投げかける。
「あらあらまあまあ」
 俺は、謝りながら、ティッシュで飛び散ったみそ汁を拭きまくる。
 俺の怒りの矛先は当然、ふゆなに向かう。
「おまえ、いったい何言い出すんだよ!」
 ふゆなが何か言う前に、母さんが割り込む。
「あき君、ほんとなの?どんなひと?」
 なぜか、ふゆなが答える。
「眼鏡のね、背の高い、すっごい綺麗なひと! 絶対、バカ兄貴なんか相手にしてもらえないよ!」
「あらあら、まあまあ、へぇ、今度連れてらっしゃいよ」
「だーから、バカには無理だって、釣り合わないもん!」
「そんなことないわよお、あき君、こう見えても案外しっかりしてるし」
「えー! どこがー? お母さん、疲れてるんじゃない?」
 ……俺にも何か言わせろ。てか、言わせて下さい。お願いします。


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