迷宮の森 [4]

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 ダメだ。
 どうしても勉強が手につかない。予習しなければいけないのに。
 こんな夜は初めてだ。

「はぁ……」

 ふと、手の爪が気になる。しかたない、ちょっと休憩しよう。
 爪切りを机から取り出し、小指から順に切っていく。
 鋭く響く音が幾つか、虚ろな部屋に木霊した。
「痛ッ」
 しまった、深く切り過ぎた。薄く血が滲む。
 すぐ爪の消毒をして、絆創膏を貼る。
「はぁ……」
 ブルーのクイーンサイズベッドに転がる。
 三年前こっちに来た時、大きいほうが安心出来るような気がしてわざわざ買って貰った。
 そう言えば、これが最後に父に頼んだものだったな。

 目を瞑る。
 母は言った。きっと幸せにしてくれる、と。
 母は幸せだったのだろう。父に愛されて。
 ただ、わたしには……両親に愛されたと言う感覚は乏しい。
 そのせいか、それとも今まで友達らしい友達を作らずに来たせいか……
 愛情というもの、それ自体、よく解っていない。

 だから……好きだった人を傷つけたのだ。
 本当に好きならば、愛しているのならば、どんなにその人が変わっていようと受け入れられるはずだ。
 だが、わたしには出来なかった。

「……ふ」
 自嘲。彼に、風光に言われた事がまだ、できないようだ。
 まだ、過去に縛られている。すまないな。風光。

 わたしが風光に掛けられた言葉と、同じものを父に掛けられた母。
 そんな両親の馴れ初めを聞いて、確かに“運命”という言葉が脳裏をよぎった。
 しかし……その言葉を信じても良いのだろうか。
 解らない。
「はぁ……」
 ため息。今日何度、ため息を吐いただろう。
 切り過ぎた爪が鼓動に合わせて、痛む。

 わたしは

 どうすれば

 良いのだろう

 こんな時、数学や物理なら簡単だ。答えはハッキリと出る。
 だから、勉強が好きなのだ。
 だがしかし、今やそんな勉強にも逃げ込めない。

 心の問題に明確な答えはない。だから、避けていたのかも知れない。
 たぶん……怖いのだろう、人を好きになるのが……。
 傷つけるのも、傷つけられるのも哀しい。
 だからこそ、間違った事や、人を貶める嘘は許せなかった。
 わたし自身も含めて……。

 何やら思考が堂々巡りになっている。
 どうやらすっかり、心の森で迷ってしまったようだ。
 心細い。全くの独りみたいな気がする。

 彼は……風光は、わたしをこの森から救い出してくれるのだろうか。
 この前のように……。

 彼の言葉が……声が、聞きたい。
 わたしの今の素直な気持ちは、それだけだ。

 それ、だけ……。


「はぁ……」
 俺は部屋のベッドに転がる。

 静かだ。ふゆなが居なければ、こんなに静かなのか。
 長い間、忘れていた気がする。

 はっ! しまった!
 俺は素早く起き上がり、ドアの鍵を閉める。
 ノブをガチャガチャと回し、鍵が掛かったことを確認する。

 ふいー……。焦ったぜ。
 これで、安心だ。これ以上、ヤツに借金を増やされたくない。
 たいてい、人間ってのは誰も見ていないところではバカな行動を取っていたりするもんだ。
 ヤツはそれをしっかり見た上で、それに合った、的確で非情な攻撃をする。
 一体、どこで覚えたんだろう。……友達は選べよ、ふゆな。

 さて、委員長へのお礼、考えるか。
 何がいいかなー……
 今から何か買うのはなぁ。
 コンビニとかの物じゃちょっとサムイだろ。

 俺が何かできること……
 委員長に……

 委員長……

 ……

 ぐぅ……

 はっ!ダメだ、寝ちまう。
 てか、こんなに頭使うこと、ふだんないからなぁ。

 そう思っていると、ふいにドアをノックする音が聞こえたんだな。うん。
 アタシどきーっ、しちゃってね、ええ。
 真っ青んなって、ガータガタ震えて、ブールブル冷や汗かいてる。
 あり得ない、あり得ないんだ、ふゆなは部屋に戻って寝たはずなんだ、尋常じゃない、この世の者と思えないんだ!
 開けちゃいけない、開けちゃダメだ開けちゃダメだ。
 お帰り下さいお帰り下さい、なんまんだぶなんまんだぶ……
 もう、必死ですよ。

「もう寝たのか?」
 なんだ、親父か。ビビって損した。
「お帰りー。どしたの?」
 安心して、ドアを開け……
「開けたなぁぁぁッ!!」
 ふゆなが現れた。その後ろで親父が、半笑いで立っている。
「うわぁぁぁーッ!!」
 その瞬間、意識がすぅーっと……消えないっての。
 爆笑する、ふゆな。
「ぎゃははは! 本当のバカヅラ見ちゃった!!」
 真っ赤になって怒る俺。
「うっせー! さっさと寝ろ!」
 親父がぽつりと言った。
「明信、お前よっぽど、ふゆなに……」
 そんなかわいそうな子を見る目で見ないでくれ、親父ー!

「うぉっほん」
 親父は、わざとらしい咳払いをして、ふゆなに言った。
「さ、気が済んだろ。ふゆなはマジでもう寝ろ。おやすみ」
「はいはい、おやすみ。お父さん、バカ兄貴!」
 ふゆなは、満足げに自室のドアと鍵を閉めた。

 親父は俺のほうを見ると、ちょっといいか? と聞く。
 ああ、と言いながら俺は親父を部屋に入れる。
 親父は注意深くドアを閉め、鍵を掛ける。
 そして、おもむろに懐からDVDのケースを出す。
「これ、見るか?」
 最新のハリウッド映画だ。けっこう見たかったヤツ。
 親父はかなりの映画マニアで、よくDVDを買ってくる。
 しかし、母さんからは家計に響くから買ってはダメと言う禁止令が出ているのだ。

 そんなわけで、買ってきたブツは母さんに見つからないうちに俺に回されることになる。
 俺はバイトをしているので自由になるお金はある。
 DVDを買っても、なんら不自然ではない。
 見事なカラクリだ。
 そう考えると、ふゆなは親父の血を超高濃度で引いているのかも知れない。

「へへー、ありがたく」
 両手で受け取り、DVDの棚に並べる。
 昔のVHSも含めるとすでにかなりの数がある。
 けっこう壮観だ。
 どれもひと通り鑑賞した。親父の観るものは相当幅広い。
 悪く言えば節操がない。何でも観る。
 でも、そのおかげで色々な世界観や物の見方、考え方を知ることができた。
 ホントに映画って、イイですねぇ。

 独り悦に入っていると、親父が言った。
「それで……母さんから聞いたんだが、おまえ、気になる子がいるんだって?」
 アタシどきーっ、しちゃってね、ええ……って、それはもういいか。
 実際、どきっとしたんだけど。
「うん、まあ」
 あいまいに答える俺。
「それも、すごい美人なんだって?」
「うん、まあ」
「そうか……そうだな……なんだ、その、おまえのやりかたで、がんばるんだな」
 似た者夫婦というか、母さんと同じ意味のことを言う。
「うん、まあ」
「じゃあ、がんばれ」
 そう言って、立ち去ろうとした。

 だが、ふと何か思いついたのか、真顔で俺の目を見下ろす。
 落ち着いた声が響いた。
「どんなことがあっても、絶対、彼女を信じろ。それと……絶対、彼女を大事にしろよ」
 親父……夫婦揃ってそんなセリフ吐くなんて、ずるいぜ。
 俺、ちょっと泣きそうだ。
「大事にするってことを具体的に言うなら……」
「うん」
「ゴムを付けろってことだ」
 俺は親父を蹴り出して、ドアを閉めた。
 親に向かって何しやがる! と叫んでいたが無視した。


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