迷宮の森 [6]


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 俺は灰のまま、いつまでも居るわけにはいかない。
 そう思いながらも、三途の川にさしかかる。
 すると向こう岸に、じいちゃんがいた。

“囁き、詠唱、祈り、カエレ!”

 じいちゃんがどっかで聞いたような呪文を唱えると、俺はなんとか復活した。

 そんなドタバタを乗り越え、朝飯を食い、早めに出る。
 もしかすると、委員長はもう登校しているかも知れない。
 いつも彼女は早いからな。
 もし、もう登校していたら、教室でこれを渡すのは気恥ずかしいけど……。
 ま、その時はその時だな。

 交差点に差し掛かる。
 走りながら、まっすぐ前、駅のほうを見た。
 ウチの生徒がたくさん見える。中には妹の中学の制服も見える。
 このへんは大学もあり、電車から降りるのはほとんど学生だ。

 交差点に入り、立ち止まって目を凝らす……
 いるかな……?

 お、いた。委員長だ。ラッキー!
 俺は委員長に向かって走り出す。
「おはよう!委員長!」
 チラ、と俺を見る。
「おはよう、風光」
 高すぎず、落ち着いて澄んだ声。
 この声の感じ、機嫌は良さそうだな。

 俺は並んで歩く。妹以外で女子とふたりきりで並んで登校なんて、今までしたことない。
 委員長のきれいな横顔をちらちら見ながら、言葉を探す。
 えーと。
「昨日は、傘、貸してくれてありがとな」
 まずは、感謝の言葉。
「ん……ああ」
 委員長は前を向いたまま、顔色ひとつ変えず返事。
 相変わらずだな。
 俺はカバンから傘とクッキーを取り出し、同時に差し出す。
「それで、これ、借りた傘と感謝のしるしなんだけど」
 委員長は歩きながらその2つを見て、立ち止まる。
 しげしげと眺めるその目は、涼しげだ。
「感謝の徴(しるし)?」
「そうそう、まあ、もらってくれよ」
「そうか……ふむ……」
 その2つの物に目から目を離さず、しばし考える。
「ありがたく頂いておく」
 それらを受け取り、傘だけ、カバンにしまった。
 クッキーの箱は手に持って眺めている。
 そのまま歩き出す。

 しばらく歩いてから、彼女は聞いた。
「これは……」
 俺は、ちょっと誇らしげに答えてしまう。
「とりあえず、俺が作った、とだけ言っておこう」
 すると委員長は、ちょっと驚いた。
「この包装紙や箱を?」
 作れたらすげーよ。俺、職人ですか。違う違う。
「中身だよ、中身」
「そうか、中身か。それはそうだろうな」
 ひょっとして委員長、けっこう天然さんですか。
「それで、何だ? 中身は」
「昼休みにでも、弁当の後に食ってくれ」
「食品か……」
 その時の言葉の響き。
 俺にはそれが食べ物で嬉しいのか、がっかりなのか、解らなかった。

 俺と委員長に少しの間、沈黙が流れた。
 遠くから陸上部の連中のかけ声が聞こえる。

 ファイオー!ファイファイファイ!

 朝練か。大変だな、尊敬するよと、どこかでそう思いながら。
 俺は委員長を見ていた。
 彼女は朝の光を受けながら、ずっと手の中の箱を見つめている。
 ふと、その長い指に目が留まる。絆創膏が貼ってあった。
「指、どうした?」
「ん? これは単に爪を切り過ぎたんだ」
「大丈夫?」
「特に心配な要素はない」
「いや、委員長がそんなことするなんて、どうしたのかなって」
「ああ……それは」

 ファイオー! ファイファイファイ!

 陸上部が通り掛かった。
「……だ」
「え?今なんて?」
 聞き取れなかった。
「なんでもない。ほら、着いたぞ」
 彼女は俺に背を向けて、学校の門に入った。
 ええええー、そりゃねぇよ。
 でも、もう一度聞こうとしたら特有のクールなまなざしで睨まれたので、あきらめた。
 くおお! 陸上部め! 二度と尊敬してやらねぇ!

 その後、時々彼女の行動を見ていた。
 すると休み時間のたびに、俺のあげたクッキーの箱を机から取り出しては、見ていた。
 良かった。どうやら気に入ってもらえたみたいだな。
 ひと安心だ。


「慧眼……運命……」
 わたしはラッシュの電車に揺られながら、考えていた。

“あなたは考えすぎ”

 母の言葉を思い出す。

“女なら、バーンと”

 微苦笑。いやいや。それは普通、男なら、じゃないのか。
 しかし、本当に今の母らしい言葉だな、と思う。
 確かにわたしは、考え過ぎなのかも知れない。
“運命”という言葉を、信じてみても良いのかも知れない。

 学校のある駅に到着した。人波に押されながら降りる。
 この駅前からまっすぐ、大きな交差点まで三分歩いて、左に曲がって五分で到着。
 最も合理的かつ解りやすい道。

 わたしは、少し遅めに歩く。考え事……彼の事を考えているからだ。
 ふいになぜか、自分自身が同じ制服の生徒達に紛れている事に、違和感を感じた。

 ……ああ、そうか。皆はいつも、この位の早さで歩いているのか。
 いつも、わたしだけが早すぎたのだ。その事に今まで気が付かなかった。

「おはよう!委員長!」
 一瞬、硬直する。彼だ。彼の声だ。
 なぜだろう、動悸がする。
 彼が走り寄ってきた。

「おはよう、風光」
 わたしは出来るだけ冷静に、いつものように返事を返す。
 しかし、目を見る事は不可能だ。理由は解らない。

 彼と並んで歩く。
 こんな風に男子と二人だけで並んで登校する事など、今までなかった。
 慶太君以外は。

 風光が話しかけてきた。
「昨日は、傘、貸してくれてありがとな」
 そう、そうだった。色々考えていて、忘れかけていた。
 わたしは、
「ん……ああ」
 と、忘れかけていたせいで、間抜けな返事をしてしまう。
 走って逃げてしまいたい気分になる。
 だが、彼は気にしていないようだった。
 微笑みながらカバンからわたしの傘と、何か綺麗にラッピングされた箱を取り出し、同時に差し出した。
「それで、これ、借りた傘と感謝のしるしなんだけど」
 わたしは、その2つを見て立ち止まった。
 傘は解るが……もう一つの箱が非常に気になった。
 わたしは問う。
「感謝の徴(しるし)?」
 彼がいつもの口調で、答える。
「そうそう、まあ、もらってくれよ」
 軽いが、温かみのある響き。
 わたしはそのふたつの物から目が離せなかった。
 いや、正確には箱から、だ。

 中学の時、後輩の女子からこう言う雰囲気の物を貰った事がある。
 あれは……バレンタインだったか。
 確か、ラッピングの素材自体、全て手作りだと言っていた。

「そうか……ふむ……」
 これは好意、と思って受け取って良いのだろうか……。
 いや、本人は感謝の徴だと言っているのだから、普通に感謝の徴なのだろう。
 受け取らないのは、礼を欠くと言うものだ。
「ありがたく頂いておく」
 それらを受け取り、傘をカバンにしまう。
 箱は、カバンに入れると潰れそうなので手に持っておこう。
 わたしはそのまま、歩き出す。

 ふと、彼がこの箱をも、作ったのか気になった。
 案外、紙というのは手でも作れる物だ。
「これは……」
「とりあえず、俺が作った、とだけ言っておこう」
 ほう、やはりそうなのか。確認してみる。
「この包装紙や箱を?」
 彼はちょっと、唖然とした。
 わたしは、何かおかしな事を言ったのだろうか。
「中身だよ、中身」
 と返事。
「そうか、中身か。それはそうだろうな」
 男子はそんな事まではしないか。
 いや、よく考えるとこれはただの礼なのだし、そこまでするはずがない。
 少し、恥ずかしい。
 しかし、中身を作ったとなると何だろう。気になったので聞いてみる。
「それで、何だ? 中身は」
 ちょっと、声がうわずった。なぜだろう。
 彼はそれを特に気にする様子もなく、
「昼休みにでも、弁当の後に食ってくれ」
 と、言った。なるほど。
「食品か……」
 この重さと温かさ、香り。
 それなりに数が入っていそうな箱の空間の感じから考えて、たぶん焼き洋菓子。
 そう、クッキーなのだろう。

 いつもの栄養補助食品に、少し彩りが加わったな。
 しかし、あまり甘いと困るな。バランスが悪くなる。
 だが、食べたい。せっかくわたしに作ってくれたのだし。
 しかし、食べてしまうと、勿体ない気もするな……。

 ……

「指、どうした?」
 彼の言葉に、我に返った。しばらく沈黙が続いていたようだ。
 わたしはなぜか、若干慌てて答えた。
「ん? これは単に爪を切り過ぎたんだ」
 昨日はずっと、君との関係について考えていて手元が狂ったんだ。
 予習もしなかったしな。
「大丈夫?」
 癒される響きがある。その声に、わたしは弱いようだ。
「特に心配な要素はない」
 事実を述べる。二、三日もすれば治るだろう。
「いや、委員長がそんなことするなんて、どうしたのかなって」
 優しい言葉と響き。
 それを耳にしたとたん、また一瞬、硬直し、動悸がする。
 これは……
 そうか。これは、胸の高鳴り、と言うものなのか。

 理解した。
 たぶんわたしは、今、彼の事を好きなんだろう。
 頭で考えた結論ではなく、身体が、そう言っている。

 今、鬱々と彷徨った迷宮の森の出口へ、彼によって導かれた気がした。
 わたしの思った通り……いや、希望通り。

“女なら、バーンと”

 母の言葉を思い出す。
 素直に、今、言いたい事を言葉にしよう。

「ああ……それは君を好きになったからだ」

 ファイオー! ファイファイファイ!

 ちょうどその時、陸上部が通り掛かった。
 陸上部が通り過ぎた後、すかさず彼は聞いてくる。
「え? 今なんて?」
 どうやら、聞き取れなかったようだ。
 わたしは彼から顔を背けるように、学校の門に入る。
「なんでもない。ほら、着いたぞ」
 彼はもう一度、聞いてくる。
「なあ、なんて言ったんだ」
 わたしは今はまだ、二度も告白するような勇気はなかった。
 それに何やら腹立たしい気分と……少しホッとしたような複雑なだった。
 だから何も言わず、ただ彼を見つめてしまった。
「……解ったよ」
 彼は、気を落としながら諦めたようだ。すまない、風光。
 もう少し勇気を持てたら、また言うからな。

 わたしたちは、並んで校舎に入っていった。

end



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