俺は灰のまま、いつまでも居るわけにはいかない。
そう思いながらも、三途の川にさしかかる。
すると向こう岸に、じいちゃんがいた。
“囁き、詠唱、祈り、カエレ!”
じいちゃんがどっかで聞いたような呪文を唱えると、俺はなんとか復活した。
そんなドタバタを乗り越え、朝飯を食い、早めに出る。
もしかすると、委員長はもう登校しているかも知れない。
いつも彼女は早いからな。
もし、もう登校していたら、教室でこれを渡すのは気恥ずかしいけど……。
ま、その時はその時だな。
交差点に差し掛かる。
走りながら、まっすぐ前、駅のほうを見た。
ウチの生徒がたくさん見える。中には妹の中学の制服も見える。
このへんは大学もあり、電車から降りるのはほとんど学生だ。
交差点に入り、立ち止まって目を凝らす……
いるかな……?
お、いた。委員長だ。ラッキー!
俺は委員長に向かって走り出す。
「おはよう!委員長!」
チラ、と俺を見る。
「おはよう、風光」
高すぎず、落ち着いて澄んだ声。
この声の感じ、機嫌は良さそうだな。
俺は並んで歩く。妹以外で女子とふたりきりで並んで登校なんて、今までしたことない。
委員長のきれいな横顔をちらちら見ながら、言葉を探す。
えーと。
「昨日は、傘、貸してくれてありがとな」
まずは、感謝の言葉。
「ん……ああ」
委員長は前を向いたまま、顔色ひとつ変えず返事。
相変わらずだな。
俺はカバンから傘とクッキーを取り出し、同時に差し出す。
「それで、これ、借りた傘と感謝のしるしなんだけど」
委員長は歩きながらその2つを見て、立ち止まる。
しげしげと眺めるその目は、涼しげだ。
「感謝の徴(しるし)?」
「そうそう、まあ、もらってくれよ」
「そうか……ふむ……」
その2つの物に目から目を離さず、しばし考える。
「ありがたく頂いておく」
それらを受け取り、傘だけ、カバンにしまった。
クッキーの箱は手に持って眺めている。
そのまま歩き出す。
しばらく歩いてから、彼女は聞いた。
「これは……」
俺は、ちょっと誇らしげに答えてしまう。
「とりあえず、俺が作った、とだけ言っておこう」
すると委員長は、ちょっと驚いた。
「この包装紙や箱を?」
作れたらすげーよ。俺、職人ですか。違う違う。
「中身だよ、中身」
「そうか、中身か。それはそうだろうな」
ひょっとして委員長、けっこう天然さんですか。
「それで、何だ? 中身は」
「昼休みにでも、弁当の後に食ってくれ」
「食品か……」
その時の言葉の響き。
俺にはそれが食べ物で嬉しいのか、がっかりなのか、解らなかった。
俺と委員長に少しの間、沈黙が流れた。
遠くから陸上部の連中のかけ声が聞こえる。
ファイオー!ファイファイファイ!
朝練か。大変だな、尊敬するよと、どこかでそう思いながら。
俺は委員長を見ていた。
彼女は朝の光を受けながら、ずっと手の中の箱を見つめている。
ふと、その長い指に目が留まる。絆創膏が貼ってあった。
「指、どうした?」
「ん? これは単に爪を切り過ぎたんだ」
「大丈夫?」
「特に心配な要素はない」
「いや、委員長がそんなことするなんて、どうしたのかなって」
「ああ……それは」
ファイオー! ファイファイファイ!
陸上部が通り掛かった。
「……だ」
「え?今なんて?」
聞き取れなかった。
「なんでもない。ほら、着いたぞ」
彼女は俺に背を向けて、学校の門に入った。
ええええー、そりゃねぇよ。
でも、もう一度聞こうとしたら特有のクールなまなざしで睨まれたので、あきらめた。
くおお! 陸上部め! 二度と尊敬してやらねぇ!
その後、時々彼女の行動を見ていた。
すると休み時間のたびに、俺のあげたクッキーの箱を机から取り出しては、見ていた。
良かった。どうやら気に入ってもらえたみたいだな。
ひと安心だ。
「慧眼……運命……」
わたしはラッシュの電車に揺られながら、考えていた。
“あなたは考えすぎ”
母の言葉を思い出す。
“女なら、バーンと”
微苦笑。いやいや。それは普通、男なら、じゃないのか。
しかし、本当に今の母らしい言葉だな、と思う。
確かにわたしは、考え過ぎなのかも知れない。
“運命”という言葉を、信じてみても良いのかも知れない。
学校のある駅に到着した。人波に押されながら降りる。
この駅前からまっすぐ、大きな交差点まで三分歩いて、左に曲がって五分で到着。
最も合理的かつ解りやすい道。
わたしは、少し遅めに歩く。考え事……彼の事を考えているからだ。
ふいになぜか、自分自身が同じ制服の生徒達に紛れている事に、違和感を感じた。
……ああ、そうか。皆はいつも、この位の早さで歩いているのか。
いつも、わたしだけが早すぎたのだ。その事に今まで気が付かなかった。
「おはよう!委員長!」
一瞬、硬直する。彼だ。彼の声だ。
なぜだろう、動悸がする。
彼が走り寄ってきた。
「おはよう、風光」
わたしは出来るだけ冷静に、いつものように返事を返す。
しかし、目を見る事は不可能だ。理由は解らない。
彼と並んで歩く。
こんな風に男子と二人だけで並んで登校する事など、今までなかった。
慶太君以外は。
風光が話しかけてきた。
「昨日は、傘、貸してくれてありがとな」
そう、そうだった。色々考えていて、忘れかけていた。
わたしは、
「ん……ああ」
と、忘れかけていたせいで、間抜けな返事をしてしまう。
走って逃げてしまいたい気分になる。
だが、彼は気にしていないようだった。
微笑みながらカバンからわたしの傘と、何か綺麗にラッピングされた箱を取り出し、同時に差し出した。
「それで、これ、借りた傘と感謝のしるしなんだけど」
わたしは、その2つを見て立ち止まった。
傘は解るが……もう一つの箱が非常に気になった。
わたしは問う。
「感謝の徴(しるし)?」
彼がいつもの口調で、答える。
「そうそう、まあ、もらってくれよ」
軽いが、温かみのある響き。
わたしはそのふたつの物から目が離せなかった。
いや、正確には箱から、だ。
中学の時、後輩の女子からこう言う雰囲気の物を貰った事がある。
あれは……バレンタインだったか。
確か、ラッピングの素材自体、全て手作りだと言っていた。
「そうか……ふむ……」
これは好意、と思って受け取って良いのだろうか……。
いや、本人は感謝の徴だと言っているのだから、普通に感謝の徴なのだろう。
受け取らないのは、礼を欠くと言うものだ。
「ありがたく頂いておく」
それらを受け取り、傘をカバンにしまう。
箱は、カバンに入れると潰れそうなので手に持っておこう。
わたしはそのまま、歩き出す。
ふと、彼がこの箱をも、作ったのか気になった。
案外、紙というのは手でも作れる物だ。
「これは……」
「とりあえず、俺が作った、とだけ言っておこう」
ほう、やはりそうなのか。確認してみる。
「この包装紙や箱を?」
彼はちょっと、唖然とした。
わたしは、何かおかしな事を言ったのだろうか。
「中身だよ、中身」
と返事。
「そうか、中身か。それはそうだろうな」
男子はそんな事まではしないか。
いや、よく考えるとこれはただの礼なのだし、そこまでするはずがない。
少し、恥ずかしい。
しかし、中身を作ったとなると何だろう。気になったので聞いてみる。
「それで、何だ? 中身は」
ちょっと、声がうわずった。なぜだろう。
彼はそれを特に気にする様子もなく、
「昼休みにでも、弁当の後に食ってくれ」
と、言った。なるほど。
「食品か……」
この重さと温かさ、香り。
それなりに数が入っていそうな箱の空間の感じから考えて、たぶん焼き洋菓子。
そう、クッキーなのだろう。
いつもの栄養補助食品に、少し彩りが加わったな。
しかし、あまり甘いと困るな。バランスが悪くなる。
だが、食べたい。せっかくわたしに作ってくれたのだし。
しかし、食べてしまうと、勿体ない気もするな……。
……
「指、どうした?」
彼の言葉に、我に返った。しばらく沈黙が続いていたようだ。
わたしはなぜか、若干慌てて答えた。
「ん? これは単に爪を切り過ぎたんだ」
昨日はずっと、君との関係について考えていて手元が狂ったんだ。
予習もしなかったしな。
「大丈夫?」
癒される響きがある。その声に、わたしは弱いようだ。
「特に心配な要素はない」
事実を述べる。二、三日もすれば治るだろう。
「いや、委員長がそんなことするなんて、どうしたのかなって」
優しい言葉と響き。
それを耳にしたとたん、また一瞬、硬直し、動悸がする。
これは……
そうか。これは、胸の高鳴り、と言うものなのか。
理解した。
たぶんわたしは、今、彼の事を好きなんだろう。
頭で考えた結論ではなく、身体が、そう言っている。
今、鬱々と彷徨った迷宮の森の出口へ、彼によって導かれた気がした。
わたしの思った通り……いや、希望通り。
“女なら、バーンと”
母の言葉を思い出す。
素直に、今、言いたい事を言葉にしよう。
「ああ……それは君を好きになったからだ」
ファイオー! ファイファイファイ!
ちょうどその時、陸上部が通り掛かった。
陸上部が通り過ぎた後、すかさず彼は聞いてくる。
「え? 今なんて?」
どうやら、聞き取れなかったようだ。
わたしは彼から顔を背けるように、学校の門に入る。
「なんでもない。ほら、着いたぞ」
彼はもう一度、聞いてくる。
「なあ、なんて言ったんだ」
わたしは今はまだ、二度も告白するような勇気はなかった。
それに何やら腹立たしい気分と……少しホッとしたような複雑なだった。
だから何も言わず、ただ彼を見つめてしまった。
「……解ったよ」
彼は、気を落としながら諦めたようだ。すまない、風光。
もう少し勇気を持てたら、また言うからな。
わたしたちは、並んで校舎に入っていった。
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