迷宮の森 [3]

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「涼夏、これ、おいしいわ」
 母がにこにこと食べる。
「良かった。ありがとう」
 わたしもひと口。
 ふむ、それなりにおいしくできている。
「涼夏もね、もっと笑えば良いのに。美人が台無しよ。 あたしたちの教育が足りなかったせいかな」
 目を落として、話す。
「やっぱり無理してでも、あなたと一緒に家に居るべきだったかしらね……」
「いや、そこまでしなくてもいい。わたしは、自分でなんとかするから」
 その言葉を聞いて、困ったような笑みを浮かべる母。
「ほんとにあなたは手の掛からない子だったわ……いつもあたしたちに気を遣って……それで良かったの? あなたの人生」
 いつになく母は絡んでくる。
「わたしは……わたしの選んだ人生を歩いているつもり。だから、心配しないで」
「そう……でさ、男の子とかの方面はどうなの?」
 にへら、としか表現しようのない顔で聞いてくる。
 この人の話題転換が唐突なのは今に始まったことではないが、それでも一瞬、喉が詰まりそうになった。
「確か……慶太君だっけ、前の家の隣に住んでた。昔はあの子に、ぞっこんだったじゃない?」
「その話は、やめて」
 わたしが低く言い放つと、素直に謝る。
「ごめん。色々あったみたいだもんね、あの子の家……」

 今、気付いた。母は酔っている。
 いつの間に出したのか、ワインのデカンターがある。
 しかもすでに半分になっていた。母はまた、にんまりとして言う。
「それより今ね。今はどーなの? 好きな人とかどーなのよ?」
 しかたない、付き合うか。
 こんな風に母と語る機会は滅多にないのだから。
「好きかどうかは、解らない。でも……気になる男はいる」
「にょほほー!どんな子、どんな子?!」
 奇声を上げて、わたしに食い入るように近づく。
 そう問われると、改めて彼の事を考えないといけなくなる。
「……誰にでも分け隔て無く、優しい言葉を掛ける男」
「えー、それって遊び人じゃないの?」
「いや、それでいて正直者なんだ。たぶん嘘は下手だと思う」
「ふーん……その子に、なんか言われた?」
 なんて鋭い事を言うのか。
 わたしが答えに窮していると母は言った。
「なんか、言われたね? そう、例えば……無理するな、とか」

 びっくりした。なぜ、解るのか。
「その顔は図星みたいねー。だって、お父さんが言ってくれたんだもん。あたしに!」
 デレデレする母。
「お父さんは今でこそ、やれニューヨーク出張だなんだで、ほとんど帰ってこないし、社長だから偉そうにしてるけどぉ」
 まるで、乙女のようだ。
「ホントはね、すっごく優しい人なの! あたしがつらい時や落ち込んだ時、いつもそばにいてくれた。時には冗談言ったりね」

 わたしの知っている父は、寡黙で、他人にも自分自身にも厳しい人だ。
 ただ、物だけはいつも買ってくれていた。
 それが唯一の優しさだった。
 だが、それが父の贖罪だと気が付いてからは、父に物をねだったことはない。

 母の父に対する印象は、わたしの持っている父のイメージとはかけ離れていた。
 また、母のイメージも違った。
 母はいつもパワフルで明るく、落ち込んだりなどしない人だと思っていた。
 酔った母の口から出る言葉は、どれも驚く事ばかりだ。

「お父さんはまだ只の同僚だった時、キャリアアップばかり考えてたあたしに無理するな、って言ってくれたの」
 ふと、気になって聞いてみる。
「他には……何か言われた?」
「うん、昔のことは忘れろ、自分を赦せ、ってね」
 わたしは愕然とした。
「あたしのこと、知りもしないくせにって思ったんだけど、でもお父さんの目は真剣で……慈愛に満ちてた」
 そう、確かにそうだった。
 彼の目は真剣に、わたしを見ていた。

 運命。

 そんな言葉が脳裏をよぎった。
「それで……お父さん、最後に“俺に付いて来い”って!! きゃー!」
「それは言いそうにないな……」
 思わず口に出してしまった。すごく恥ずかしい。
 母に冷やかされるに違いない。そう思っていたが……反応がない。
 不思議に思って母を見ると、母は椅子の背にもたれ掛かって軽いいびきをかいていた。
「やれやれ……だらしがないな」
 わたしは母に声を掛け軽く起し、肩で支えながら母の部屋まで連れて行った。

 どさっとばかりにベッドに倒れ込む母。
 暖かい時期とは言え、梅雨だ。風邪をひかないよう、薄手の毛布を掛ける。
 母は枕に顔を埋めたまま。
 不意に、わたしの手にそっと触れてきた。
 静かな声でささやく。
「涼夏……その子、きっとあなたを幸せにしてくれるよ……だって……お父さんと同じ……だもん」
「……そう、かもしれない。おやすみなさい」
 わたしは、後ろ手でドアを閉めた。


 俺は、父さんの分だけ残して、食事の後片づけをしていた。
 母さんと皿を洗う。
 ふゆなは、当然のように何もしないで、テレビを見ている。
「おまえ、ちょっとは手伝えよ」
「三人もキッチンに立ったら、効率悪くなるでしょ」
 減らず口め。でも、俺は知っていた。
 俺がバイトや学校行事で、遅くなったりしたときには、それなりに家事をやってるってこと。
「あき君にはあき君、ふゆなにはふゆなのやり方が、あるのよねぇ」
 母さんはクスクスと笑った。
 しばらくしてふゆなが部屋に戻り、俺は洗い物を片づけ終わった。
「ご苦労さま」
「ん、じゃ部屋に戻るよ」

 踵を返すと、後ろで母さんが俺を呼び止めた。
 振り返ってみるといつもの母さんと違って、目が真剣だ。
「もし、さっき言ってた彼女と付き合う気があるなら、あなたは男の子なんだから精一杯、大事にしなさい。精一杯、守りなさい」
 母さんがこんなこと言うなんて、思っても見なかった。
「そして人間として、嘘のないあなたの気持ちを、あなたの言葉でぶつけなさい。真っ直ぐにね」
 その迫力に驚きながら答える。
「……まだ……解らないけど……その時はそうするよ」
 母さんは俺の目を数秒、覗くように見てから
「そう。なら、がんばってね」
 そう言って、いつもの雰囲気に戻る。
「……ん。それじゃあ」

 俺は部屋までの廊下を戻る。
 びっくりした。母さんがあんなに熱くなるなんて。
 部屋のドアを開け、どさっとベッドに倒れ込む。
 顔をシーツに埋めたまま、考える。
 嘘のない俺の気持ち。

 嘘か……。
 今まで嘘を吐いたことがないと言えば、それこそ嘘だ。
 人間なんだから軽い嘘くらい吐く。
 でも、わざと誰かをハメるとか、傷つけるための嘘は吐いたことはない。
 それだけは言える。

 でも……自分の気持ちも解らないのに、嘘じゃない気持ちって 言われてもなぁ……。
 今の俺の正直な気持ち……
 とにかく、委員長の力になってあげたい、と思う。
 彼氏彼女とかそう言うことじゃなくて……人間として。
 それってエベレスト登頂より難しいんじゃないか、とも思うけど。
 でも、それでも……友達になれるものなら、なりたい。

 うん、それだ。委員長と友達になろう。よし!
 なんとなく俺的に結論が出たので、なんだか安心して、そのままウトウトとしてしまう。

 ……
 なんだかヘンなニオイがする。
 それと顔をなでられるような、引っ張られるような……。
「あ、バカ、まだできてないのにー」
 ふゆなが、目の前でちょっと怒ってる。
 よく見ると手に油性ペン。しかも極太。
 まさか。
「ま、これはこれでいいか、くっくっ……はい、どうぞ」
 鏡に俺の顔を映す、ふゆな。
 そこに映ったのは、額に“肉”と書かれたパンダだった。
 思わず自分で吹き出す。
「ぎゃははは! いいっしょ? かわいいっしょ? バカだからよけいかわいいのよね! それでガッコー行ったら、チョー受けるって!」
「そんな自虐ネタいらねー!!」
 俺は急いで洗面所に向かう。
 とりあえず、石けんでジャバジャバと勢いよく洗ってみた。
 やっぱ落ちねーっ!!
 明日、学校休むーっ!!

 号泣している俺の後ろで、ふゆながニコニコしている。
 何やら化粧品のような瓶を差し出した。
「はい、どうぞ、お兄様。こちらのオイルでクレンジングすれば落ちましてよ」
「……どうせ、また金取るんだろ?」
「バカにも学習能力があったみたいね」
「ツケとけ!!」
 そう言いながら、その瓶を奪い取る。
「じゃ1500円と」
 ふゆなは携帯を出して、メモしながら言う。
「えーとこれで、今月のバカの借金は二万三千円、それに五割の利子を付けて……合計三万四千五百円!」
「おまえはヤミ金業者か!!」
 いや、それよりタチが悪い。人をハメて借金を作らせるんだから。
 ある意味、天才かも知れない。
 とにかくオイルで顔を洗う。ヌルヌルしてちょっとヘンな感じだ。
 ぬるま湯で洗い落としていると、後ろで良からぬ雰囲気がしてきた。
「なぁ兄ちゃん。明日ぁ、バイトの給料日やろぅ? せっかくやから耳を揃えて、払ぉてもらおぅかなぁ」
 なんで怪しい関西弁なんだ。借金取りのイメージか? と、鏡を見る。
 なんとか肉パンダの呪いは落ちたようだ。

 タオルを手に取り、顔を拭きながら俺は返答する。
「わかった、じゃあ明日、放課後に学校まで来い。とりあえずなんか買ってやる」
「おっけ! ホントなら、あたしの学校まで来てもらいたいトコだけど、それで手を打つよ。それじゃ、おやすみぃ!」
 そう言うと元気に部屋に戻って行った。
「全く……甘えるなら素直に甘えろっての」
 俺は部屋に戻りながら、つぶやいた。


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