スマイル・アタック
「主任。こんな領収書ではお金は出せません」
主任の机に個人的な飲み代の領収書の束を、どさっと置いた。
「ち。ええやないか、ちょっとくらい。ほんま、美河(みかわ)君は毎日アノ日みたいやな?」
タレ目オヤジの百万回繰り返されたセクハラ発言にうんざりしながらも、いつもにも増して強く睨み付ける。
主任はおどけたように言い放った。
「おお怖わ。そら、女の子やのに仕事ばっかりできて愛想のひとつもなかったら、嫁にも行けんわなぁ……」
更なるセクハラ発言に、部署内は静まり返る。みんな、わたしが怒ると怖いことを知っているからだ。
わたしはキレそうになりながらも、なんとか我慢する。
「失礼します」
わたしは一礼して、自分の机へ戻り、ポーチを掴み取る。
踵を返して、主任の前から横へ通り過ぎながら、声を掛けた。
「休憩、入ります」
すくみ上がるフリをする主任。嫌味な男だ。さらに苛々が募る。
廊下に出てトイレのほうへ向かう。
「ほんま、ええかげんにして欲しいわ……」
半分、溜息混じりでこぼした。
わたしは、わたしの年下の彼氏――昌宏(まさひろ)君がいない、色のない大阪の街で毎日を過ごしていた。彼とは遠距離恋愛なのだ。彼は東京の大学に在籍しているため、向こうに住んでいる。
もちろん、彼からの連絡がないわけではない。どちらかというと男にしては、かなりマメなほうだろう。ニ日に一回はメールをくれる。内容はいつも大学やバイト先でのたわいない、でも平和で楽しそうな生活が書かれていた。
嬉しいのはとても嬉しいし、すぐ返事もする。だが、やはりそれはデータにすぎない。
電話は週に一回。その日を毎週待ち望んでいるし、確かにそれはメールより彼を近く感じる。しかし、目の前にいるわけではない。電話を切った後の寂しさには何度も泣いた。
彼がわたしの車に置いていった指輪。
シルバーに輝く約束の指輪。
それだけが、今のわたしに希望という名のリアルな色を見せてくれた。
わたしはトイレの個室に入ると、立ったままシャツのボタンを上から順番に外す。
三つ目を外したところで、首から掛けているチェーンの先に約束のリングが光った。これを薬指にしておくわけにはいかない。よけいな詮索をされる。しかし、肌身から離したくはない。そこでこういう策を弄したのだ。
「まぁくん……」
わたしはリングをつまみ上げ、見つめた。
逢いたい。今すぐ。しかし、それは叶わない。わたしは大阪。彼は東京。わたしはOL。彼は学生。そして。
わたしと彼は、いとこ同士。
「はぁ……」
溜息で一瞬、リングが曇った。
切ない、という気持ちが痛いほど身に染みる。彼のあだ名をもう一度、呼んだ。
「まぁくぅん……」
思わず、甘いものが混じった声が出てしまった。
彼を想う、その気持ちが身体の記憶を呼び覚ます。
彼の長く整った指。シャープな顔の輪郭は大人びているが、笑うと幼さの残る表情。しっかりした腕と男らしい筋肉の付いたきれいな胸。滑らかでうっすらと腹筋の浮かぶお腹。腰からお尻に掛けての艶。
それに――逞しい彼のおチンポ。
アレが、欲しい。
わたし、なんて浅ましい女なんやろ。やらしい女なんやろ。
そう思って紅潮した。しかし、身体はあくまで本能に素直であろうとした。
「あ……あかん。ここ、会社のトイレやのに……」
わたしは……シャツのボタンの四つ目を震える指で、そっと外した。
その隙間に空いている手を滑り込ませてしまう。
「ふぅッ……」
ピンクのブラに指先を差し込み、乳首を中指と薬指の関節でつまむ。
「んん!」
下半身が反応した。膣と肛門、それに膝も一斉にしまる。
じわり、とパンストに染みが広がる感覚がある。
「んぁ……はぁ」
わたしは立っていられなくなり、ふたの閉まっている便器に腰を下ろした。
膝が自然に開く。陰核が強く勃起しているのを感じる。
舌なめずり。唾液がねっとりとしてくる。
「あかん、あかんて……」
わたしの言葉に反して、身体は勝手に動く。乳首を弄んでいた指はそこから離れ、股間に向かった。
太ももの内側をやわやわと、さする。もし彼だったら、そうするだろうという動き。
「んふぅ……」
その手はゆっくり制服のスカートをまくりあげながら、パンストの染みの中心へ移動する。
「っく!」
薄布の上からそこに触れた。粘液の絡まる水音が小さく聞こえる。
指を少し、押し込んだ。
「はぁぁッ……」
吐息と共に熱が昇ってくる。顔が熱い。思わず、顎が上がる。
さらに指を一番感じるところに強く擦りつけて。
「ひぅ! あ、あかん……声、出てまうぅ……」
わたしは声を抑えるために指輪を口にくわえた。
その指輪を持っていた手をまた胸元へ入れる。彼の熱い手を思い出しながら、揉んだ。
「ん……んふぅん」
気持ち、ええよ……。
大事なところにある指も彼がやったように、押しつけるように動かす。
「んんっ」
静かなトイレにシャツの袖が擦れる音が響いた。
あたし、制服で、しかも会社で、オナニーしてるんや……。
誰か来たら、それで気付かれたら、どないするつもりなん……?
そう思ってみても、指は止まらない。
それはパンストを超えて、奥の陰核を直に攻めた。
「ふっ! んんんっ!」
親指と人差し指の腹で、クリトリスをつまむように押しつぶし、捏ねる。
人差し指は陰毛と愛液を絡め、膣口を出入りしている。
胸を攻める手にも力が入ってきた。
ぎゅうっと強く揉みしだきながら、人差し指だけはその爪で乳首を引っ掻く。
「んひぃん!」
のど笛。
白熱。
溢れる淫液。
急激に高まる欲求。
ああ、入れて、まぁくんの、ぶっといおチンポ、入れてぇ!
わたしは人差し指と中指をねじり組み合わせ、中に一気に入れた。
「んぐ!」
ひぅうっ、ひぅうっ。彼の指を想像しながら、歯と舌で愛撫する指輪が吐息で鳴る。
「るぉ、おふぉ……」
冷たい陶器の貯水タンクに背中を預け、没頭する。
ぐちゅぐちゅ。小さいが激しい水気の音がパンツの中で跳ねる。
やらしい、あたし、やらしいんよぉ……まぁくん、あんたのせいやねんで……。
快感を得るために大きく開かれた両足が自然と上がる。ローファーが脱げそうだ。
「んん! んんん!」
膝を折り、腰を前に突き出す。
ものすごいエロい格好やわ。でも、こんなんがほんまは好きなんやろ?まぁくぅん。
「ふぅん、ん、ん、ん」
指は溢れる体液で、わたしの脳と共にふやけてしまっている。
だが、さらに激しく、ずぼずぼと奥を攻め立てた。
「んッ! んッ! んんッ!」
背中に電流が走る。
子宮が下がるのを感じた。
「ひぅッ、ひぅッ、ひぅんんッ!」
まぁくん、まぁぁぐん、イキそ、イク、あ、いイク、いク!
指に全てのものがまとわりつき、集中し、うねる。
「イグぉ! ヒッぐぉっ! ヒ、ヒっぐぅぅ――ッ!」
その瞬間。
大きな波がわたしの意識をさらっていった。
あの日の海の香りがした。
「っ……あ、はぁっはぁっ……」
口の端から、唾液が垂れる。それと共にリングもこぼれた。
弛緩。脚も腕もだらりと垂れ下がる。
ぼんやりと霞のかかった脳裏から、それまで浮かんでいた彼の顔が消える。
「うっ……うう……う……」
熱い雫が頬から鎖骨にこぼれ落ち、はだけた胸の奥へ流れていく。
眼鏡を手の甲で押し上げ、顔を覆った。
背中を丸めて声を殺し、震えた。
ひとしきり泣いて。
少し落ち着くと、汚したところをトイレットペーパーで処理した。
個室から出て、洗面台へ。
鏡を見ると、予想以上にひどい顔だったので化粧を直す。シャツの襟もスカートも直した。
「ん、よっしゃ」
少し口元を緩め、笑ってみる。笑うのは昔から不得意だ。ちょっと引きつったようになる。ひょっとすると怖い部類に入るかも知れない。しかし、そんな顔でも、彼は遠い昔から可愛いと言ってくれている。
「まぁくん……」
目を閉じて胸元のリングをシャツの上から握る。
深呼吸。
「ん。そやな。やっぱり自分に素直に行こ」
もう一度鏡を見て、うなずいた。
トイレから出ると、ふいに背後から声が掛かる。
「あ、智子おった、おった」
振り返ってみると同期の亜紀だった。
わたしに向かって勝ち気な瞳の女性が走り寄ってくる。
彼女を待つ。はぁはぁと息を弾ませる茶色い頭が、わたしの肩の高さに並んだ。
「なんやトイレ入っとったんか。探したで。長かったなぁ。……んー? なんかあったんか」
彼女の言葉には全く裏がない。思ったことをそのまま口に出すタイプだ。とても付き合いやすい。
彼女はわたしがここに入社したとき、一番最初に友達になってくれた。今では親友と呼べる。
わたしはいつもどおりを装って、答えた。
「大丈夫」
亜紀は軽く笑う。
「嘘やな。その微妙な間は」
失礼ながら、亜紀はそこそこしか仕事はできない。だが、空気を読む事に関しては抜群の才能を持っていた。
わたしは観念した。
「さすが、亜紀にはバレるか」
ちょっと得意気な言葉が返ってくる。
「んなもん、バレバレや。そら、智子はいっつもクールやけど、ここんトコ毎日の感じはそれやない。どーんどん暗さが出てきてる」
少し言葉に詰まる。
「……そないに?」
「そないに」
「そか」
「そや」
漫才を交わして、いったん言葉を切る。
彼女の瞳がわたしの心の奥底までも見透かすように覗き込んだ。
「んでも……今はちゃうな」
「なに」
彼女は大きく口を開けて笑った。
「ははっ! その目ぇは、ヤル気になっとる目ぇや」
極めて冷静に答える。
「どんな目ぇよ?」
さらりと即答してきた。
「男とヤル気の目ぇよ」
なんて鋭い。わたしは二の句を継げない。
彼女は続けた。
「うんうん。そやなー、一ヶ月前くらいに彼氏が出来た。たぶんその時、エッチしたんやろ。ほんでも、遠恋なんやろな。そいで、ええかげん我慢できんようになってきた……そんなトコやろぉ?」
「なんでそんなことまで分かるんよ」
「自分でも不思議なんやけどな、なぁんでもこの亜紀ちゃんはマルッとお見通しなんよなー」
どこかで聞いたようなセリフを言って亜紀は、わたしの腕を撫でた。
「特にあんたのことは、な」
ウィンク。
全く、この子は……。わたしは思わず、口元を緩める。それを見た彼女も笑う。
「うんそうそう。そやって、ちゃんと笑ぅてな。男には笑顔。これ最強やで!」
亜紀はわたしの背中を軽く叩いた。
「ほな、早ぅ戻ろか」
「主任。美河さんの早退届けです」
亜紀は書類を主任の目の前に突き出す。
わたしは一礼した。
「すみません、急用で失礼します」
わたしを呼び止める主任。
「ちょ、美河! なんやねん、急用て! ええかげんなことすんなや!」
亜紀が主任の前に出て、彼を制した。届けを彼の机に置くと、自分のポケットを探る。
「はいはーい。これなんですかー。主任の上着から落ちてたんですけどー」
なにやら可愛らしく織り込まれた紙を取り出した。
主任の顔からさーっと血の気が引く。
「おま、それ!」
その紙を奪おうと主任が伸ばした手を、亜紀はひらりとかわす。
彼の耳元に近づくと、満面の笑みで囁いた。
「おじさん、モテモテなんですねー。女・子・高・生に」
ガックリとうなだれる主任。
亜紀は机に腰掛けながら、追い払うように手をひらひらさせた。
「さ、智子。行った行った! お土産よろしゅ!」
「ありがとう、亜紀」
わたしは会社の出口に向かった。
外に出てみると、雨が上がっていた。
熱い日射しが雲間から差し込む。見上げるとまぶしかった。
まるで彼の笑顔のようだ。
「ふふ」
わたしもまた、少し笑って。
わたしの車を置いてある駐車場に駆け出した。
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